ポカンと口を開けてこちらを見つめる緑髪の人を、ルークも思わず見つめ返していた。動いているのはこちらの様子なんか気にせずに転がったこんぺいとうを貪り食うサフィールと、面白そうに上から眺めているジェイドだけであった。やがて緑髪の人、ジェイドからシンクと呼ばれた彼は、ハッと我に返ってルークを真っ直ぐ指差した。


「ちょ、ちょっと人間!人間がいるじゃん!やばいって、上で今こいつ探して大騒ぎしてるんだよ?!」
「ええ、この子の事なんですがねシンク」


慌てるシンクの言葉にビクリとルークの肩が跳ね上がるが、ジェイドの落ち着いた声が僅かに押さえてくれた。そっとジェイドを振り仰げば、さっきから何ら変わることのない笑顔に何か企んでいるような光を見つけた。同じく見つけたシンクが今から嫌な顔をしている。


「この子は私の甥っ子なんですよ」
「甥っ子だって?!」


驚くシンクと同じように声を上げるところだったルークは慌てて自分の口を押さえた。ここは声を上げない方が良いと本能で悟ったのだ。


「仕事を探して遠路はるばる来た所なんですが、生憎ここは手が足りてましてね。シンク、悪いですがこの子をヴァンの元へ連れて行ってくれませんか?」
「は?!何で僕が!嫌だね、これがばれたらこっちが殺されちゃうよ」


シンクは持っていた籠をひっくり返してこんぺいとうを落としきりながら即答した。殺される、という縁起でもない言葉にルークの心の中の不安は増していくばかりだが、今は成り行きを見守る事しか出来ない。さっさとこの場から退散しようと振り返ろうとしたシンクだったが、目の前に突き出されたものにより立ち止まる事を余儀なくされた。
目の前で鈍く光るのは、間違いなく一本の槍であった。


「っどこから出したのさ!大体こういう場合出してくるのは脅迫じゃなくて報酬じゃないの?!」
「いやーちょうど持ち合わせがなくてですねー。どうです?引き受けてくれませんか?」
「……あー分かった、分かったよ!引き受ければいいんでしょ!」


刃を首元に突きつけられ、仕方無さそうにシンクが頷くのをルークは顔色を青くしながら黙って見ている事しか出来なかった。止めようとすればあれが今度は自分に突き刺さってくるような確信的な予感がしたからだ。ジェイドはどこかへ槍を消し去りながら、ルークへとにっこり笑いかけた。ルークは笑えない。


「どの道ここで仕事を貰うにはヴァンに許可を貰わねばなりません。自分で自分の運命を切り開いてきなさい」
「あ……は、はい」


びびりながらもルークは何とか頷いた。ヴァン、とは、おそらくアッシュの言っていた髭の事だろう。アッシュの言葉と今のジェイドの言葉を総合するとおそらく髭ことヴァンというのは、ここの責任者の事だ。つまり偉い人だ。今から緊張してきたルークに、カリカリした声がかけられる。


「ほら、そこのお前!さっさと行くよ!」
「うあっはいっ!」


シンクは奥にある隠し扉のように狭い入口に身を潜らせていた。遅れないようにと慌てて靴を脱いで靴下も脱いで持って行こうとして、邪魔になると怒られた。仕方なくサフィールたちが物珍しそうに眺めている中に靴を置かせてもらう事にする。後に続いて部屋から出ようとしたら、シンクが振り返ってきた。


「で、あいつにお礼言ったの?世話になったんでしょ」
「あっ……!え、っと、お世話になりました!」


ジェイドに頭を下げれば、いい笑顔でぐっと親指を立てて、ジェイドが答えた。


「グッドラック☆」


いい歳して何言ってるんだおっさん、と思ったが、声には出さなかった。





「いい?黙って素早くついてきてよ。はぐれて道に迷っても僕は知らないからね」


前を向いたままシンクが声をかけてきた。声をかけられたのはこれが一度きりで、後はもくもくと複雑な建物の中を歩くだけだった。ルークにとって油屋の中は珍しくて仕方の無い場所だったので、目移りして仕方が無い。それでも前を歩く背中を見失わないようになるべく素早く、後は他の人に見つからないようになるべく静かに、何とか足を動かす。
外から見た油屋はとても大きく見えたものだが、やはり最高責任者は天辺にいるものらしい。手動でレバーを倒して動かすエレベーターをいくつか乗りついでどんどん上へとあがっていく。案外簡単に辿り着くのではないかと思っていたその時、止まったエレベーターの目の前に巨体が立ちふさがった。


「?!」
「っお、お客様、こちらはくだり専用にエレベーターとなっております」


一瞬動揺しかけたシンクはしっかりと営業スマイルでお辞儀をしてみせた。さすが従業員。巨体の客の横をするりと抜けたシンクに続いてルークもそっと抜け出した。しかし髭面のいかめしい巨体の客は大きな鎌を担いだまま、のしのしとシンクとルークの後を追ってくる。それを見てギョッとしたルークは慌てて前のシンクの服を掴んだ。


「な、なあなあ!あれついてくるぞ!」
「黙ってついてきなって。あれは無視しておけば害はないから、多分」


シンクは決して振り返らなかった。シンクもちょっぴりびびっていたのかもしれない。やがて次のエレベーターへと辿り着く事ができたのだが、その時急に後ろから声をかけられた。シンクはとっさにルークの腕をとると、エレベーターの中へ放り込んだ。


「あだっ」
「シンク!」
「はいはい、何?何か用?」


声をかけてきたのは黒髪ポニーテールの女の子だった。様子からしてシンクと同じ従業員の人らしい。態度が偉そうなので上司なのかもしれない。


「今からどこいく所なの?」
「僕がどこに行こうと関係ないだろ」
「えーアニスちゃんちょー気になるー。ってゆーか、シンクってば人間の匂いしない?」


アニスと名乗った人は怪訝な顔でシンクを眺める。やばい、と思ってとっさにエレベーターを振り返ったシンクは、そこにさっきの巨体の客を見た。驚いたが、巨体の奥の方にかすかにあの目立つ赤色の髪が見えたので、ちゃんとエレベーターには乗っているようだ。思わぬ所で巨体が役に立った。


「ちょっとシンク、何目そらしてるのよ!あっやしーい!」


アニスはますます疑った目を向けてくる。ここは何とかごまかして、あのエレベーターを動かさねばなるまい。シンクはサッとアニスの背後を指差して、叫んだ。


「あ!あんな所に金が落ちてる!」
「え?!どこどこ?!どこにお金が?!」


お金に目が無いアニスがぐるりと振り返る。その隙をついて、シンクはエレベーターに向かって声を張り上げた。


「お客様ー!上へ行かれる際にはレバーを動かしてくださいませー!」


その言葉に巨体が僅かに首を傾げるが、その横の隙間から伸びてきた腕があった。ルークだった。壁と巨体に挟まれたまま必死にレバーへと腕を伸ばして、思いっきり下へとさげる。とたんにエレベーターは扉を閉じ、無事に動き出したのであった。
それを見届けたシンクは、お金が落ちていない事を確認してアニスが睨みつけてくるよりも早くダッシュで逃げ出していた。


「シンクー!お金なんてどこにも……って早っ!アニスちゃんを騙したなー!待ちなさーい!」


どこからともなく取り出した大きなぬいぐるみに乗ってアニスが追いかけるが、足が速いのが自慢のシンクに追いつく事は出来ないだろう。上へとのぼっていくエレベーターを一瞬だけ眺めたシンクは、全力疾走でその場から立ち去ったのだった。

一方、エレベーターは上へ上へと順調にあがっていった。途中別の階に止まったりもしたが、巨体の客が辺りをうかがうようにそっと廊下を覗いてから、何故か再びレバーを動かしエレベーターを上へとあげていく。元々挟まってこれ以上動けないルークはそれを眺めている事しか出来なかった。
やがて、エレベーターが最上階についたようだった。ガッコンとエレベーターが揺れながら止まるのを確認した巨体の客は、ルークをひょいと摘み出すと外へと出してくれた。ぽんぽんと軽く頭に触れてきた巨体の客は、いかめしい顔でにこりと笑うと、エレベーターを動かして去っていってしまった。彼は何のためにこの階まで来たのだろう。もしかしたら、ルークを送り届けてくれたのかもしれない。

誰もいない扉に一礼してみせたルークは、表情を引き締めて奥へと伸びる廊下を睨みつけた。この先に、髭のヴァンがいるはずだ。何としてでも仕事を勝ち取らねばならない。自分がこの世界で生きていくため、両親と出会うため、今まで手伝ってくれた親切な人たちのためにも。

07/08/01