建物の中から沢山の足跡と沢山の人の声が聞こえる。皆一様に慌てた様子で、何かを探しているらしかった。ルークは体を小さくしながら自覚していた。皆は不法侵入者を探している。つまりルークだ。ルークを探しているのだ。


「気付かれたな……」


ルークの隣にしゃがむ男の子が小さく呟いた。きっと男の子はルークが他のものに気づかれないよう橋を渡る前におまじないをしてくれていたのだ。しかしそのおまじないはおそらく息をしてしまうと解けてしまうもので、ルークはさっきとっさに息をしてしまった。だから気付かれてしまったのだ。せっかく男の子がおまじないしてくれたのに、と、ルークは申し訳なくて仕方が無かった。


「ごめん……俺が息しちゃったせいだ……」
「……いやルーク、お前はよく頑張った。悪いのは銀髪おいらだ」


男の子はルークを責めることなく慰めてくれた。その後、しょげるルークの肩を掴んで顔を上げさせる。ルークの目の前に現れた男の子の顔は、真剣そのものだった。


「いいか。俺があいつらをひきつけてくるから、その隙にお前は……」
「?!やっ、駄目っ!行かないで!ここにいて!」


立ち上がりそうになった男の子の腕をルークは必死になって引っ張った。こんな見知らぬ場所でもう1人にはなりたくなかった。心細くて仕方が無かったのだ。しかし男の子はルークの腕をやんわりと解いて、その涙目の瞳をひたと見つめてくる。有無を言わさない目だった。


「ここでは働かない者は髭野郎に魔法で姿を変えられてしまうんだ。だからずっとここにいるわけにもいかない」
「っ……」
「……ルーク、今は耐えてくれ。父上や母上を救うためにも」
「お父さん……お母さん……やっぱりブウサギになったのは夢じゃないんだ……」


悲しそうに呟くルークの瞳には、しかし生気が宿り始めていた。それに内心ほっとしながら、男の子はルークの額に指を当てる。きょとんとするルークの頭の中に、その瞬間映像が浮かび上がった。男の子の「おまじない」だ。長い長い階段が見える。


「そこの裏のドアを潜った先にある長い階段の下にボイラー室への入口がある。そこにいる眼鏡にここで働かせてくださいと頼むんだ」
「眼鏡?」
「そうだ眼鏡だ。いいか、ここを仕切ってる髭がやたらと「嫌だ」とか「帰りたい」とか言わせてくると思うが、決して弱音を吐くな。ただ「働きたい」とだけ言うんだ。そうすれば髭もお前に手は出せない」
「う、うん」


具体的な名前を知りたかったのだがとりあえずルークは頷いておいた。男の子は満足するように頷いて、いよいよ立ち上がった。いってしまうのだ。男の子を止めそうになる腕を必死に押さえてルークは男の子を見上げる。そうだ、頑張らなければいけないのだ。父と母を助けるために。


「じゃあ俺は行く。……忘れるな、ルーク。俺はお前の味方だからな」
「っ待って!どうして俺の名前を知ってるんだよ!」


とっさにルークは尋ねていた。男の子とは紛れも無く初対面のはずだ。しかし男の子は最初からルークの名前を知っていたし、こんなに親身になって助けてくれる。一体どうして。
男の子はルークの真っ直ぐな視線に微笑んだ。


「お前を小さな頃から知っている。……俺の名前は、アッシュだ」


男の子――アッシュは、今度こそ立ち上がって隠れていた茂みから顔を出した。そして騒ぐ油屋の中へと堂々と戻っていく。群がる人々を落ち着かせながら、アッシュの声は小さくなっていった。ルークは1人になった。


「………」


しばらく覚悟を決めるように蹲っていたルークは、やがてのそのそと移動し始めた。目指すは、階段の下のボイラー室だ。





ルークは痛いほどドキドキする心臓を押さえながら立っていた。目の前には一枚の扉がある。この先に、アッシュの言っていたボイラー室があるのだ。階段を降りる途中足を踏み外して転落しそうになったり大きな叫び声を上げたり見つかりそうになったりしたが目的地につくことが出来たのだ。何回か深呼吸をして、ルークは扉の中へ体を滑り込ませていった。
中は当然のように暑かった。ボイラー室だから当たり前なのだ。ごうんごうんと動く機械の向こう側に、妖しく揺らめく影が見える。ルークはおっかなびっくり近づいていった。影のいる部屋には、壁一面に並べられた何かの棚に、大きな大きなかまどに、それに影の主があった。ルークは息を呑んだ。見た目は年齢を感じさせない(というか限りなく若く見える)おっさんなのだが、薬草をゴリゴリとすりつぶすその横顔がどこか恐ろしかった。それに眼鏡だった。


(あ、あの人が眼鏡か……)


納得したルークはそろそろと部屋へと足を踏み入れた。おっさんは気がつかない。いや、気がついているが無視しているのか。おっさんは薬草をゴリゴリしながら新たな薬草をコンタミ何とか現象のように手の中に一瞬にして出現させてまたくわえたりしている。あれ、あの棚関係なくね?とルークは一瞬考えたが、それよりおっさんに声をかけなければならない。


「あ、あのー……すみませーん」


恐々とルークが声をかけたが、おっさんは振り返りもしなかった。聞こえなかったのか無視されているのか。小さな声だったから聞こえなかったのだと思うが、このおっさんは何となく無視しているような気がする。天井から垂れ下がる札みたいなものをおっさんが引っ張っている間に、ルークは勇気を出して大きな声を出した。


「あの!すみませーんっ!」


するとおっさんはどこか面倒くさそうに振り返ってきた。やっぱり無視してたのかこいつ。このチャンスを逃してはならないとルークはまた一歩踏み出した。


「えっと、眼鏡さんですか?俺ルークっていいます!アッシュって人に言われてきたんですけど、ここで働かせてください!」
「私は眼鏡なんて名前ではありません」


一気に捲くし立てたのに一言で返されてしまった。眼鏡なんて名前じゃないのは分かっているが名前を聞かなかったんだから仕方が無い。教えてくれなかったアッシュをちょっぴり恨みながらルークが言葉を詰まらせていると、その間におっさんの元へ札が何個も落ちてきた。あれはなんだろう。


「やれやれ、こんなに一度に……」


ふうとため息をついてみせたおっさんは、何かぶつぶつ詠唱し始めた。首をかしげるルーク、のさらに後ろを不思議な赤い目でじろりと睨んだおっさんは。


「サフィール、仕事ですよサンダーブレード!」
ドガーン!!
「「キーッ!普通に呼べないんですかあなたはーっ!」」


足元辺りに開いていた複数の小さな穴へと特大の雷をお見舞いした。ルークは思わず飛び上がる。雷が直撃した穴からは、小さなうざったい椅子に乗った人間がワラワラと飛び出してきた。


「うわっウザキモッ!」
「「何ですって?!」」
「いやーさすが子どもは正直ですねー」


サフィールと呼ばれた小さなやつらは手に重そうな石を持っていた。石炭だった。ルークがぽかんと眺めていると、サフィールたちはよろよろしながら石炭をかまどへと運んでいく。思わず見惚れていると、頭の上から声をかけられた。


「私はジェイド。風呂釜にこき使われている可哀想なしがない軍人ですよ」
「ぐ?!」
「「1番こき使われているのはこっちですよ!」」


おっさん――ジェイドの言葉にサフィールたちが抗議する。それもジェイドがにっこり微笑みかければすぐに消えた。どうやら逆らえないらしい。
それ以来ジェイドが何も声をかけてくれないのでルークは途方にくれながらサフィールたちを眺めていた。運ばれた石炭は次々とかまどの中へ放り込まれていく。あの中は暑そうだな、とぼんやり考えていると、目の前で1人のサフィールが石炭の重みに耐え切れずにぺしゃりとつぶれてしまった。ルークは目を丸くする。


「いっいたたたっ!くーっこの天才ディスト様とあろうものが不覚をとりましたね!」


何か言ってるがジェイドはもちろんほかのサフィールたちも手を貸そうとはしなかった。ちょっと不憫に思ったルークは、石炭を持ち上げてやる。石炭は予想以上に重かった。下にいたサフィールはぽかんとルークを見上げた後。


「れ、礼は言わないんですからね!」


そう言って穴の中へ戻っていってしまった。困ったのはルークだ。


「え?!これどうすりゃいいんだ?!」


困った顔で他のサフィールたちを見ても、ことごとく「私は関係ありません」と目をそらされてしまった。困り果てたルークが置いとくぞ、と石炭をその場に放り投げようとした時、


「預かった仕事は最後までやり遂げなさい」


ジェイドの声がぴしゃりとルークを打った。はっとしたルークは、かまどを睨みつけてよろよろと移動し始める。そうだ、これも仕事なのだ。奪い取った形とはいえこれはルークの仕事だ。ルークが最後までやらねばならない。ふらつきながらも石炭を運ぶルークのためにサフィールたちは道をあけてくれた。ルークはゆっくりとかまどへ近づく。
火傷しそうな熱風にも耐え、ルークは無事かまどの中へ石炭を放り込むことが出来た。慌てて元の位置に戻ったルークは乱れた息を整える。額からは信じられないぐらい汗が出ていた。暑いのもあるが、緊張で汗が滲み出てきたのだ。
しばらくぐったりと壁に背を預けていたルークの足元に、顔を見合わせたサフィールたちが寄ってきた。1人がわざと石炭を自分の上に落とすと、他のサフィールたちも真似をし始める。


「おっとっと思わず石炭を落としてしまいました助けてー」
「私ももう持ち上げられません助けてー」
「誰かこの石炭を持ち上げて運んでくださると私も助かるのですが助けてー」
「え?ええ?」


戸惑うルークの足元へ次々とサフィールたちは集まってきた。皆石炭を自分の頭の上に落としてもがいている。どうしようとルークが慌てていると、再び頭の上から詠唱が聞こえてきた。げ、と思ってももう遅い。


「イグニートプリズン!」
「「ぴギャーッ!!」」
「サフィール?消し炭になりたいんですか?」
「「もうなってます……」」


転がる真っ黒なサフィールたちに顔色青くしていたルークにもジェイドは声をかける。


「あなたも。下僕から仕事を奪ってはいけません。仕事をしない下僕は消されてしまうのですからね、私から」
「あんたが消すのかよ?!」
「ここにはもうやって頂く仕事はありません。どうぞ他を当たってください」


ジェイドの残酷な言葉にルークはショックを受けた。他にあては無いのだ、ここに仕事が無かったとしたら、どこから貰えばいいのだろう。すると足元に転がっていたサフィールたちが復活して、何やらプンスカ怒り始めた。


「ちょ、ちょっと!今のはさすがに悪かったと思いますけどこの子は悪くないでしょう!」
「そうですよジェイド!まったく、あなたは昔から横暴なんですから!」
「抗議します!断然抗議します!」
「おやおや、まだ焼かれ足りないようですねえ」


震えながらも抗議してくれるサフィールたちに再び譜術が飛ばされようとしたその時、第三者の声が聞こえた。一緒に震えていたルークにとって救いの声に聞こえたのも無理は無い。


「飯だよー……って何、またやってんの?あんたたちも懲りないよね」


こんぺいとうが沢山入った籠を持って現れた緑髪の人は、ふとルークを見て凍りついた。嫌なものを見てしまった、と言わんばかりの表情で。


「いやーいい所に来てくれましたね、シンク」


その場で笑っていたのは、ジェイドただ1人であった。

07/02/19