床に敷いた布団の上にきちんと横たわらせたアッシュに、ジェイドが自ら調合した薬を飲ませてやる。今度は竜の姿の時のように暴れる事も無く、硬く目を閉じたままアッシュは薬を飲み込んだ。


「これでしばらく経てば落ち着くでしょう」
「そっか、よかった……」


ほっと胸をなでおろすルークだったが、一抹の不安はどうしても残されていた。さっき企業秘密だと言って薬を調合する所を見せてくれなかったジェイドに、それとなく薬の原料などを聞いてみたのだがにっこりほほ笑みを返されて終わってしまったのだ。アッシュよ謎の薬に負けずに生きてくれと願わずにはいられなかった。
幸い、アッシュは苦しみもがいたりする事のないまま、安らかな表情で眠っている。その寝顔をじっと見つめていれば、ジェイドが静かに口を開いた。


「アッシュは、あなたと同じように突然ここにやってきたんですよ」
「えっ?」


ルークは驚いてジェイドを振り返った。言われてみれば確かにアッシュは、この奇妙な世界の住人とは別の空気を纏っているように感じた。


「アッシュは魔法使いになりたいと言ってきました。私はあのちょんまげの弟子なんて碌なものじゃないからやめておけと止めたんですがね、何を言っても聞かなかったんですよ。自分には帰る場所なんて無いからと、とうとうヴァンの弟子になってしまいました」
「帰る場所が、無い……?」
「その内顔色が悪くなり、ただでさえ悪かった目つきもさらに悪くなっていきましたよ。それでこの有様です。やれやれ、あれほど忠告したというのに、どうしようもない子ですね」


肩をすくめてため息をつきながらアッシュを見下ろすジェイドの目には、しかしその口ぶりとは裏腹に憐れむような光も見えた。何だかんだ言って、ジェイドもアッシュの事を気にかけていたのだろう。
ルークは再び、眠るアッシュをじっと見つめた。あんな恐ろしい人の元へ自ら弟子となったアッシュ。帰る場所が無いとは、一体どういうことだろう。一体どんな気持ちでそうやって言ったのだろう。ルークには助け出すべき人がいて、そして帰るべき場所もある。もしそれらが無かったらと考えると、ルークは恐ろしくてたまらなくなるのだ。アッシュはずっと、この気持ちを抱えてここで暮らしていたというのだろうか。
ルークは手の中のペンダントをぎゅっと握りしめた。この世界に放り出されなにも出来なかったルークに、手を差し伸べてくれた大切な人。厳しくて冷たくて、そして温かくて優しいアッシュ。今度は自分が、アッシュを助ける番だ。


「ジェイド、俺、このペンダントをティアに返してくる!返して、謝って、そしてアッシュを助けてくれるように頼んでみる!ティアのいる場所を教えてくれよ」
「ティアの元へ行く気ですか?あの人は色んな意味で怖いですよー」


こちらを脅すような口調でジェイドが言うが、ルークは引き下がらなかった。


「お願い!アッシュは俺を助けてくれたんだ、だから今度は俺が、アッシュを助けたいんだ!」
「……ふむ」


ルークが必死の思いで訴えかければ、ジェイドは少々考えるそぶりを見せた。


「行ける事は行けるでしょうが、問題は帰りですね。……ルー、待っていなさい」


そう言って立ち上がったジェイドは背を向けて何やらごそごそとやり始めた。何か探しているようだ。と言っても戸棚を漁っている訳ではなく、何も無い所からあれでもないこれでもないと次々にガラクタを取り出しては投げてサフィール達にぶつけてと不可思議な動きを繰り返している。最早ルークは考えない事にした。あのジェイドの事だ、きっと何もない空間から槍とかを取り出す技術を身につけているのだろう。うん。
ジェイドが放り投げるガラクタをぎゃーわー騒ぎながら避けているサフィール達に、ルークは身に着けていた袴に手をかけながら呼びかけた。


「みんな、俺の服と靴をよろしく!」
「あああれですか」
「仕方ありませんね、この慈悲深いディスト様が隠して差し上げていたものを取ってきてあげますよ」


呼びかけられたサフィール達は、ぞろぞろと自分たちの巣穴に戻って行った。ルークが元々来ていた服と靴を、サフィールたちが見つからないように隠してくれていたのだ。いつもブツブツ文句を言ってはいるが、仲良くなればとても良い奴らである。
そんなサフィールたちが逃げ惑う姿をながめていた坊が、空飛ぶミュウにぶら下げて貰いながらルークの方へと戻ってきた。


「何、どこ行くんだ?」
「ティアの所へ行くんだよ。お前も来いよ、元の姿に戻して貰わなきゃな」
「ティアって、あの恐ろしい女の所へか?!おっ俺は行かないぞ!」
「それなら、ずっとその小さい姿でいる気か?」
「うぐっ……」


だって怖いし、でも元の姿にも戻りたいし、とごにょごにょ言う坊は、あの大きかった姿の時には考えられなかったぐらい可愛らしく見えた。手の平サイズになるだけでこうも変わるものなのか。この小ささで文句やわがままを言われても、デコピンを一発食らわせてやるだけでお仕置きが出来てしまう。俺はこのぐらいのサイズが一番良いと思うけどなとルークが思っていれば、ボイラー室と油屋室内を繋ぐ扉が音を立てて開かれた。


「ルー!こんな所にいたの、随分探したんだけど?!」
「あっシンク!」


ボイラー室に慌てた様子で入ってきたのはシンクだった。ルークの姿を見て駆け寄ってくるが、荒らされた室内と延々と不可思議な物体を出し続けるジェイドと横たわるアッシュを見て首をかしげる。


「アッシュまでいるし。ここで何かあったの?」
「えっと……」
「それに、何そいつら」


そいつら、とシンクが指差してきたのは、ルークの肩にしがみつくミュウと坊だった。きょとんとする坊を一度見つめてから、その頭をぐりぐり撫でつつルークが答える。


「新しい友達なんだ。なっ」
「はっはあ?!何だよそれ……って撫でるなーっ!」
「ふーん。ってそんな事どうでもいいんだよ、髭がルーの事をかんかんになって探してるんだよ!」
「ええっ?!」


ルークは一瞬のうちに色々考えた。部屋に侵入したのがばれちゃったのかなとか、坊を連れているのに怒っているのかなとか、他にも何かへまをしてしまったのかなとか、可能性は十分にある。問いかけるように見つめれば、シンクはまったくといった表情で答えてくれた。


「気前が良いって思ってた客が、カオナシまたの名をガイっていうへんた……化け物だったんだってさ。ヴァンはルーが引き入れたんだって言ってるんだけど」
「カオナシ、またの名をガイ……?」


どこかで聞いた事のある名前だ。一生懸命考えたルークは、とうとう思い出した。そうだ、ヴァンが言っていたのを聞いたのだ。確かあれは、あの金髪の男の事を言っていなかったか?
それなら確かにルークが一番最初に油屋の中へと入れた事に間違いは無い。ルークはシンクに頷いてみせた。


「そうかもしれない」
「はあ?それって本当?」
「だって、お客さんだと思って……」
「どうするのさ、あいつもう三人も【ショッキングな表現のため自主規制】たんだよ?!」
「ああ、ありましたありました、見つけましたよルー」


シンクが頭を抱えている間に、二人に近づく者があった。ジェイドだった。ようやく目当てのものが引き出せたようで、笑顔で何かをルーに渡してくる。


「ちょっと、こっちは今取り込み中なんですけど?」
「ほら、これがきっと使えますよ」
「おっさん僕の話聞いてる?!」
「これって……」


ジェイドに手渡されたものをルークはまじまじと見つめた。ルークはあまり見た事が無かったが、それは電車の回数券であった。「のりきり」と書かれた券が四枚くっついている。随分と古めかしい回数券だった。
その珍しい代物に、思わずシンクも注目した。


「それ、電車の切符じゃん。そんなもの一体どこで手に入れたのさ」
「うん十年前の使い残りですよ」
「うん十年前って……あんた一体何歳なんだよ……」
「いいですかルー。電車で六つ目の「クリフォト」という駅ですよ」


赤い瞳でじっと見つめてくるジェイドを負けじと見つめ返しながら、ルークは繰り返した。頭の中に刻みこむように、決して忘れないように。


「クリフォト?」
「そうです、とにかく六つ目ですからね、それだけは覚えておきなさい」
「六つ目だな。分かった」


ルークが頷けば、ジェイドは少しだけ眉を寄せた。どことなく、こちらを心配してくれているかのような表情だった。


「決して間違えないように。昔は戻りの電車もあったんですが、最近は行きっぱなしですからね。それでも、行きますか?」
「うん。大丈夫、帰りは線路を歩いて帰ってくるよ」
「……そうですか」


ジェイドは一つ頷いてから、引き下がった。回数券を握りしめてアッシュの元へしゃがみ込むルークに、どうやらここから出掛けるらしいという事だけは何とか分かったシンクが慌てて呼び止める。


「ちょっと、ヴァンはどうする気?」
「これから行くよ」


変わらず眠り続けるアッシュへと顔を近づけたルークは、それでも自分の言葉が届くようにと声をかけた。夢の中ででも、聞いてくれていたら良い。そんな思いを込めて。


「アッシュ、俺行ってくるよ。きっと戻ってくるから、死んだりなんかするなよ」


アッシュは答えないが、ルークは満足していた。それと同時に決意もしていた。必ずこの目を覚まさせてやるのだ。ルークの命を救ってくれたアッシュに、同じだけルークも返してやるのだ。
じっとアッシュを見つめるルーク、そして眠るアッシュを、シンクはぽかんとしながら交互に見つめた。展開に思いっきりついていけていなかった。


「何、何がどうしたの」
「見て分かりませんか」


答えたのはジェイドだった。シンクに顔を向けたジェイドは、真剣な表情でこう言った。


「愛ですよ、愛」


似合わねえよおっさん。叫びかけた言葉を、シンクは必死の思いで飲み込むしかなかった。

11/02/07