ヴァンの部屋がある最上階には行った事がある。ここに初めて来た日の事だ。シンクの後ろをついて回った時は、確か油屋内のエレベーターを使ったはずだ。ルークは脇目も振らずに一目散にエレベーターへと向かった。何故か群れている人の波を掻き分けて何とかたどり着けば、しかしそこには先客がいた。アニスだった。
「うわっ?!びっくりしたなあ、もーっ!急に飛び出してくるんだもん!」
「ごっごめん!俺そのエレベーターを使いたいんだけど」
「駄目駄目!今からこのエレベーターはお客様が使うんだから!ほらどいてどいて!」
アニスが陣取っているのは間違いなく上行きのエレベーターだ。何を言っても譲ってくれそうにない雰囲気にエレベーターを使う事を諦めたルークは、すぐに別な道を探すために駈け出した。そうしてルークが飛び出したのは、何故か大勢の者たちが詰めかけた廊下の真ん中だった。
驚くルークへ、誰かを先導していたらしいリグレットがすぐさま声をかけた。
「こらルー!大切なお客様の御前に飛び出すなんてどういうつもりだ!早く退け!」
「え、ええっ?!ごっごめんなさ……あっ」
慌てて脇に退こうとしたルークは、リグレットが連れている「お客様」を見て思わず足を止めていた。見覚えのある人物だったのだ。あの金髪と青色の瞳は間違いない、お札をくれた金髪の男である。不意に現れては突然去っていく謎多き男だが、この男がくれたお札のおかげであのオクサレ様を攻略する事が出来たのだ。ルークはこちらを見下ろす男に感謝を込めてお辞儀をした。
……そういえば、以前見た時より男が大きくなっている気が?
「あの時はありがとうございました!」
「何を訳の分からない事を、早く退けと言って……ぐっ?!」
ルークに近づこうとしたリグレットの声は途中でかき消されてしまった。強力な力で横に弾き飛ばされてしまったからだ。驚いたルークが顔を上げれば、そこにいたのは金髪の男だった。こいつがリグレットをぶっ飛ばしたらしい。金髪の男はリグレットにも周りにも目をくれず、まっすぐルークの前へと歩み寄ってきて、そして言った。
「ルー!ああ俺のルー!ようやく会えた!」
「?!」
いきなり話しかけられてルークは声も無く突っ立っている事しか出来なかった。まさか話しかけられるとは思っていなかったのだ。だって今まで金髪の男はルークに話しかけて来た事は無いし、男の声を聞くのもこれが初めてだったのだ。むしろ今まで何で喋らなかったんだろうと思うぐらい今の男は上機嫌で幸せそうにルークへと話しかけてくる。
「さっきから外野が何かうるさいが、俺はやっとお前が欲しがりそうなものを見つける事が出来たんだぞ、ルー!」
「へ?」
「ほら、これだ」
そう言って男はルークへ向かって両手を差し出してくる。空の手の平を不思議そうに眺めるルークの目の前で、不可思議な事が起こった。何もなかった手の上に、見る見るうちに光り輝く砂金があふれ出てきたのだ。周りにいた従業員たちが歓声を上げる。そう、皆これ目当てでこの男を接待しているのだ。
期待に満ちた目で砂金が山盛りに乗った手を差し出してくる男に、ルークは戸惑いながらも首を横に振った。
「欲しくない、いらない」
「……え?」
「俺、急いでるんです、失礼します!」
一度深くお辞儀をしてみせたルークは、男にも砂金にも目もくれずに振り返り駆けだした。呆然とその背中を見送る男の手から砂金がぼろぼろと零れ落ちていく。その砂金を一つでも多く拾おうとわっと群れてくる従業員たちも見えていないかのように立ちつくしたままだった。
やがて地面にはいつくばる者たちを蹴散らしながらリグレットが戻ってきた。
「これはとんだ御無礼を、あれはまだ新米の人間の小娘でして……いやああ見えても小僧だったか?」
「……笑ったか?」
「は?」
小刻みにプルプル震えだした男にリグレットがあっけにとられている間に、男はさっきまでの嬉々とした表情はどこへやら、憤怒の形相で怒り狂い始めた。
「俺がっルーに相手にもされずに振られた所を見て笑ったな?笑ったなあああ!俺の何が悪いんだルーぅぅぅぅぅぅ!」
「くっ、確かに惨めだったが笑うなんてとんでもな……きゃあっ!」
男はその勢いのままリグレットと、たまたま近くにいた従業員の一人をひっつかむと、何とそのまま、【大変ショッキングな映像のため自主規制しております】。
その驚くべき光景を目撃してしまった周りの者たちは、悲鳴を上げて逃げ出し始めた。混乱する油屋の中心で、不気味に佇む男は暗い光を瞳に宿したまま、未練がましくルークの事を探しているのだった。
「ルー……どこなんだ、ルー……!」
一方金髪の男が大変な事をしでかしているなんて思いもしないルークは、何と外壁を伝って油屋の最上階を目指していた。袴を捲り上げ気合を入れ、不安定な足場を危険なんて顧みず進み、長い梯子を伝ってただひたすら天辺を目指す。木登りもあまりした事がなかったルークだったが、怖気づく心を押し込めてそれでも壁に齧りつくようによじ登るのは、それよりももっと大事なものがヴァンの部屋にあるからだった。
「アッシュ……!今助けにいくからな!」
そうしてようやく最上階付近までたどり着いた時、ふとルークは肩を軽く叩かれたような感じがして振り返った。そこには青い空しかないはずだったが、ルークの瞳に何か影のようなものが映った。それは空を移動してこちらへ向かっているようだった。とっさに物陰に隠れたルークは、影が最上階に降り立ち見えなくなるまで息をひそめる。
あの影は、ヴァンであった。どういう訳か翼が生えている様に見えたが、鳥にでも変身していたのかもしれない。ちょっとあれはキモかったな、と思っていたルークはふと気付いた。ルークの身体がすっぽり入るこの物陰は、どうやら窓のようだと。
「しめた、ここから入れるかも!」
試しに肘で押してみるが、鍵が掛かっているのか窓はびくともしない。こうなれば全身で押してみようと身構えるルーク。窓にお尻から体当たりしようとした瞬間、カチリと音が聞こえた気がした。例えるなら、窓の鍵が開けられたような音?あれ、と思っている間にルークは、あっけなく開いた窓へお尻から勢いよく飛びこむ羽目になってしまった。
「いってて、何なんだよ一体……ってそれどころじゃない、入れた!」
床に転がったルークはすぐさま跳ね起きた。色々と疑問は残るがそれについて考えている暇は無いのだ。どこかに出かけていたらしいヴァンが帰ってきた、という事は、ヴァンの部屋にいるはずのアッシュと会っているはずだ。何故だか、嫌な予感がする。
薄暗い廊下を走るルークは目の前に現れた扉を勢いよく開いた。すると異様な光景が広がっていた。この油屋の中では他に似たようなものを見た事のない、珍しい部屋だった。あちこちにおもちゃやお菓子が転がる可愛らしい子ども部屋だったのだ。
思いもしなかった内装に恐る恐る部屋を横切ったルークは、部屋の奥に扉を発見した。隙間から明りが洩れている。そこから、話声も聞こえてきた。
「……まったく、何てことだ。あれの正体はカオナシ、またの名をガイというものだ。欲に駆られてやっかいなものを引き入れてくれたものだな……」
ヴァンの声だった。扉の隙間からそっと覗き見れば、ヴァンの後ろ姿を見る事が出来た。どうやら電話のようなもので誰かと話をしているようだ。カオナシ、またの名をガイ……さっきの金髪の男の事だろうか。確かにちょっと厄介そうな人ではあった。
「私が行くまで余計な事はするな。分かったな」
そう言って話を切ったヴァンは、部屋の奥へと目を向けた。残念ながらルークの覗く隙間からはヴァンが見ている方向が見えない。ヴァンはやれやれと面倒くさそうな表情で誰かに呼びかけた。
「敷物をこんなに汚して……お前たち、アッシュを片づけるんだ」
(……えっ?!)
ルークは声を上げないようにするのに精一杯だった。扉を動かさないように何とか奥を見ようとするが、やはり見る事は出来ない。だが確かに、そこにアッシュがいるのだろう。……敷物を汚してしまうぐらい、怪我を負って。
「アッシュを片付けるんですか……?」
「えーっ本当に片付けちゃうの?!いいの?!」
「可哀想、です……」
「もうそれは使い物にならないからな」
口々に飛んでくる言葉に(おそらくあの緑とピンクの三人組だろう)、ヴァンは残酷にそう言い放った。ルークが呆然としているうちに、振り返ったヴァンがこちらへと向かってくる。やばい、とさっきの子ども部屋に戻ったルークは、隠れ場所を探した。今見つかっては、全てが終わりだ。
すぐそこにヴァンが迫ってきているのを感じとったルークは、とっさに目の前に積みあがっていたクッションの山へと潜り込んだ。ルークが全身をクッションの山の中に隠し終わった一瞬後、ヴァンが部屋に踏み込んできたのを感じる。ヴァンは奥に向かう、かと思いきや、クッションの山の前で立ち止まったようだ。
バクバクと心臓が音を立てているのが分かった。息を殺してじっとしていたルークは、クッションがひとつ、またひとつ抜きだされていくのを知る。
(……っ!)
目をギュッと瞑り覚悟したルークは、傍に誰かの気配を感じた。ルークがえっと思っている間にも、ヴァンはクッションの山を漁る。やがてヴァンは、お目当ての物を山の中に発見した。
「おおここにいたのか、私の可愛い坊よ」
「……うっぜえ」
デレデレとしたヴァンの声に不機嫌そうに反応したのは、ルークと同じ長い朱色の髪を持つ子であった。最高に機嫌が悪そうな様子に、ヴァンは少しだけ慌てたようだ。
「気持ちよくお昼寝をしている所だったのだな、すまなかった。じいじはまだ仕事が残っているんだ、だからお仕事前のちゅーを……」
「髭の分際で何言ってんだ!いらねーってんだよキモい!さっさと金稼いできやがれ眉毛!」
顔面に思いっきりキックを叩きこまれて、ヴァンはちょっと落ち込んだ様子でクッションを元に戻した。眠りやすいように部屋の天井をお日様模様からお月さまもように変えて、すごすごと出ていく。その後ろ姿をルークはクッションの隙間から見送った。どことなく惨めな背中だった。
さて、とクッションの中から出ようとしたルークは、腕を引っ張られてまた山の中へと逆戻りしてしまった。
「うわっ?!」
「どこいくんだよ」
引っ張られて辿り着いた先には、キラキラと輝く翡翠色の瞳があった。明らかにルークに興味を持っている。ぎゅうぎゅうと掴んだ腕に手加減なく力を込めてくるので、痛くてたまらなかった。
「痛っ!あ、えっと、助けてくれてありがとう。俺急いでるんだ、手を……」
「なあ、お前外から病気移しに来たのか?」
「えっ?」
目をパチクリさせるルークに、坊と呼ばれていた目の前の子は珍しそうにルークを見つめながら言った。
「外には悪いバイキンしかいないんだぞ」
「バイキン?!そりゃ俺、人間だから、この世界では珍しいかもしれないけど……」
それにしたってバイキン呼ばわりはひどい、とルークは心の中で嘆く。坊はさらに続けた。
「外は身体に悪いんだぞ、師匠が言ってた。だからお前、ここで俺と遊べよ」
ルークを掴んで離そうとしない坊は、そのまま楽しそうに笑った。その無邪気な笑顔は今はとても厄介なものであった。
10/07/16
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