「あー……うー……さいあくだー……」


ヘロヘロな声を上げながら毛布に包まってうずくまっているのは、普段は呆れるほど元気なはずのルークだった。その顔は熱のせいで赤らみ、瞳もぼんやりと潤んでいる姿はどう見ても平常ではなかった。それはルーク自身よく分かっている。さきほど這いずる様に体温計を取り熱を測った際、見なきゃ良かったと思うような体温だったのだ。


「何も連休に……風邪引くこたぁ無いだろ俺……」


ぐったりと枕に突っ伏しながらルークはさっきから泣き言を言っている最中であった。こうでもしなければやってられなかった。外はまだまだ銀世界が広がっていて、きっと遊びがいがあるだろう。連休前に天気予報を見て以来、雪で遊びまくろうと誓ったばかりだというのに。
だが今ルークを苦しめているこの風邪の原因も、おそらく雪のせいだろう。


「やっぱり昨日雪まみれになったのが……いけなかったかあ……」


雪に隠れた溝に足を取られて派手にこけ足首を捻ったのが昨日。その足はルークを連れて帰ってくれたアッシュによって手当てをしてもらったので大丈夫なのだが、その後がいけなかった。早く風呂にでも入って体を温めればよかったのだ。普段はあまり風邪を引かない元気っこなルークだからこそ、こういう時に油断してしまったのだろう。


「アッシュの奴は、大丈夫だったかな……」


安静にしていろと言って昨日帰っていったアッシュの後姿を思い出す。自分より長い間雪の中を歩いた事になるが、きっとアッシュの事だから家に帰った後十分に体を温めて風邪対策を行ったのだろう。もしアッシュがルークのように風邪を引いていたとしても、今のルークでは看病はおろか見舞いに行く事すら出来ない。そんなルークは自分が情けなくて仕方がなくなってしまった。風邪のせいで思考もネガティブになっているらしい。


「ううっアッシュごめんな……俺が不甲斐無いばっかりに、お前の看病もしてやれないなんて……」
「看病が必要なのはどっちだ、屑が」
「それを言われると辛いけど俺はただ純粋にアッシュの事がだな……あ?」


垂れ流しの独り言に別な声が入ってきた事に数秒経ってから気付いたルークが顔を上げれば、そこにはひどく見慣れた顔が呆れた様子でこちらを見下ろしていた。風邪のせいで不安定になっていた心が、その顔を見た瞬間安心したのを実感して、ルークは動揺した。


「あっあああアッシュ?!どうしてっ!」
「まさかと思って来てみたら案の定だったな……大体あんなに雪で遊ぶとか張り切ってた奴が当日連絡無しだったら、誰だっておかしいと思うだろ」
「ああ……なるほど……」


ため息をつくアッシュに、ルークは納得した。そういえば最近毎日、一緒に遊ぶぞとしつこくアッシュに宣言していた事を思い出す。そりゃアッシュだって心配するというものだ。心配……心配?


「アッシュ、もしかして……俺が心配でわざわざ見にきてくれたのか……?」
「………。そうじゃなきゃこのクソ寒い中わざわざ来ねえだろ」


一瞬言葉を失ったアッシュだが、案外素直にルークの言葉を肯定した。そしてそのままくるりと背を向けて、ズカズカと台所へと向かっていってしまった。勝手知ったるルークの部屋なのでその足取りに迷いは無い。良く見ればアッシュはどこかで買ってきたのかビニールの袋を手に提げていた。熱のせいで鈍くなっている頭ではアッシュを目で追うのが精一杯で、ルークはとりあえず布団の上に転がっておくしかなかった。


「どうせお前の事だから、まともな風邪薬なんて持ってないんだろう」
「だってあんまり風邪ひかねえし……薬嫌いだし……」
「何のための風邪薬だ!やっぱり買ってきて正解だったか」


袋の中から色んなものをゴットンゴットン取り出してから、アッシュはルークの元へとやってきて手を伸ばしてきた。思わず目を瞑れば、額にひんやりとした温度を感じる。この温度はアッシュの手だと見えなくても分かった。それほど慣れた温度だった。


「高いな……飯は食えそうか」
「お腹空いてない……」
「無理矢理食え。飯食わねえと薬が飲めないからな」
「じゃあ聞くなよー……」


薬と聞いてルークが情けない声を上げる。それほど嫌いなのだ。呆れた目を向けたアッシュはルークに軽くデコピンして見せてから、台所へと消えた。おそらく、ルークに食べるものを用意してくれるのだろう。嬉しかった。さっきの袋の中には薬以外のものも入っていたはずだから、アッシュは最初からご飯の面倒も見るために来てくれたのだ。それが心底有り難かった。先程のネガティブな思考も孤独感もどこかへ吹き飛んでしまった。
しかしルークは布団に潜り込みながら、おかしいなと思った。ここからは見えないけどアッシュが台所で何か作業をする音はちゃんと聞こえるし、自分じゃない気配もちゃんとする。
それなのに……何故だか、寂しいと感じたのだ。アッシュが背を向けた瞬間。あの真紅の赤い髪が見えなくなった瞬間。


「……アッシュー」
「何だ」
「何でもない」
「……おとなしく待ってろ」


呼びかければ、呆れながらも優しい声が返ってくる。声を聞けばどこか安心できたので、ルークは我慢して待っている事にした。あまり関係ないことを声かけていればいつかは怒られてしまう。やがて辺りを漂う美味しそうな匂いに包まれながら、うとうととまどろんでいた。




「おいルーク、起きろ、飯だ」
「んー……んあ?」
「これを少しでも食って薬を飲んでから寝ろ」


ぼんやりと目を覚ましたルークにアッシュが差し出したのは、湯気立つ卵粥だった。食欲をそそる匂いを立ち上らせているそれをじっと眺めたルークは、アッシュの袖を引っ張って、一言。


「食わせて」
「……あ?」
「俺、熱あるから」
「熱があることと食わせることは関係ないだろうが」
「ケチー!」


アッシュに頭をぶつけて抗議してくるルークは明らかに普段とは違う。おそらく熱のせいだろうが、いつもなら少なくとも食わせてもらう事を恥ずかしがるだろう。しかしそれほどルークが参っている証拠なので、アッシュはため息をつきながらもルークを押し返し、スプーンを取った。


「分かったから起きろ。ったく、とんだワガママ病人だな」
「やったー、アッシュ大好きー!」
「……ほら」


粥をスプーンで掬い、ちょっと躊躇いながらも息を吹きかけ熱を冷まし、口元に運ぶ。ルークは嬉しそうにぱくりと口に含み、美味そうに食べた。少しは食欲があるらしいその様子を見てアッシュはホッと息をつく。駆けつけた時布団に転がるルークの顔色を見た時は肝を冷やしたが、この調子ならそこまでひどくならずに治りそうだ。
ある程度食べ終わり、嫌がるルークに薬を飲ませた後は寝かしつけるだけだ。薬に顔をしかめながらも布団に戻ったルークは、アッシュを見上げて名残惜しそうに見つめる。


「アッシュ、帰るのか?」
「いや、まだだ」
「泊まっていかないのか?」
「そこまで準備はしてねえよ」


そう言えば、ルークの瞳が寂しそうに揺らぐ。熱を出しているときは人恋しくなるものなのだ。アッシュもよく分かっている。しかし言った通り泊まる準備なんてまったくしていない。残念そうなルークの頭を、アッシュは慰めるように撫でてやった。今だけだ、ルークが風邪に臥せる今だけだ。


「少なくともお前が起きている間はいてやるから」
「えっじゃあ俺、寝ない!」
「屑が、さっさと寝ろ」
「えー」


ブーブー文句を言うルークだったが、さすがに体力が無いのかすぐにうとうとし始め、目が閉じられていく。それを見守りながら、心の中でルークと同じように残念がっている自分を、アッシュは見ないふりをした。


「しかし、今回の風邪、昨日のあれが原因だな……」


眠るルークを見つめながらアッシュは考える。捻った足の具合は風邪が治ってから考えるとして、あれだけ雪まみれで転がっていたのが風邪の原因で間違いないだろう。しかもルークは制服のみで防寒具を一切まとっていなかった。手作りのてぶくろも自分の分はまだ出来上がっていないとほざいていた。よく見れば、その辺に作りかけの毛糸が転がっている。


「防寒具、か」


ルークの寝息が響く部屋に落ち着きながら、アッシュは静かに考え込んでいた。何となく帰りたくなかった、からかもしれない。





   風邪

09/01/27