連休の前の日、各地は寒波により大雪に見舞われた。真っ白にけぶる外の世界を、アッシュは教室から頬杖をつきながら眺める。雪の勢いは激しいが、先程よりは収まっているように見える。きっと帰る頃には大分収まっているに違いない。という事は、一面真っ白に染まった中を帰らなければならないという事だ。なかなか大変な帰り道になりそうだと考えながら、ある一人の顔を思い浮かべる。あいつなら、大雪もものともせずに大喜びで外へと飛び出すだろう。アッシュの脳裏には、そんな光景がまざまざと浮かび上がるのだった。
「雪だ!雪!むちゃくちゃ積もってる!アッシュ見ろよー!」
「……まあ、想像通りだな」
「は?」
かくして、アッシュの頭の中にあった輝く笑顔そのまま写し取ったかのような表情でルークは学校から飛び出した。そのまま顔から地面に倒れこむんじゃないだろうなと一瞬考えたが、さすがに他の生徒がたむろする道の真ん中で子どものように雪の中にダイブする事はしないようだった。しかしその表情が本当は今すぐにでも飛び込みたいと語っている。
「うーっ寒いーっ!寒いけど楽しいー!」
「幸せもんだなお前は」
「うん、俺幸せー」
「幸せなのはいいが、あまり暴れていると転ぶぞ」
出来る限り足跡を残したいためなのかズンズン歩いていくルークの姿を、アッシュは呆れながらも心配するように見守っていた。そんなアッシュに気付いたのか、アッシュ遅いぞーと笑いながらルークがUターンして戻ってくる。その鼻の頭が寒さからか真っ赤になっているので、己の冷たい手でつまんでやった。
「いてっ!冷てっ!アッシュ、てぶくろちゃんとしろってば」
「やりずれえからお前のが出来てからつける」
「俺のはまだ大分かかると思うぞ」
ルークから貰った手作りの編みてぶくろを、アッシュはポケットにしまいこんだままはめようとはしなかった。さすがにてぶくろ片方ずつつけて手を繋ぐのは恥ずかしいと気付いた、訳ではなく、この積もった雪の中で手を繋いでいれば余計に歩きにくいだけだからだったりする。自分だけてぶくろをはめるのは悪いような気がして意地でもつけないアッシュに、ルークはやれやれとため息をついた。頑固者のアッシュにこれ以上何を言っても無駄なのだ。
二人はそのまま、先に行ったり後についたり横に並んだりしながら、雪の積もった道の上を歩いていく。まだまだちらつく雪の粒たちが冷たくてかなわないが、足を速める気分にはならなかった。しかしそれでも別れは来てしまうもの。とうとうそれぞれの家に帰るために分かれなければならない十字路に差し掛かった。朝いつも待ち合わせしている馴染みの場所だ。
「そんじゃなアッシュ、また明日!」
「ああ。……足元に注意して帰れよ」
「分かってるって!」
手を大きく振って跳ねるように歩き去るルークに手を降り返して、アッシュも自宅へ足を進めた。雪に足を取られて歩きにくいが、注意していれば何という事は無い。やがて少し真新しいアパートが見えてきた時点で、アッシュは何故か足を止めていた。
目の前には自分の家のドアがある。中に入って暖房をつければすぐに暖かな空気に包まれる事が出来るだろう。しかしアッシュの胸に言いようの無い不安めいたものが渦巻いて、その足を止めているのだ。この感じは、一体なんだろう。
「ルーク……」
知らず呟いていた名前に、アッシュはハッとなった。根拠は無い、ただ漠然とそう感じただけだ。しかしアッシュは思った。もしかしたら今、ルークの身に何か起こっているのではないだろうか?
最後に見た軽い足取りを思い出す。今にもすっ転びそうな不安定な足取りだった。今に雪の下にわずかに隠れている穴や段差に引っかかって転がってもおかしくはないように思えるほどに。考えれば考えるほどアッシュは気になって仕方がなくなってしまった。何かあるかもしれない。無いかもしれない。だがもし何かあったりした場合、ここでそのまま家に帰った自分は後悔しないだろうか。
いや、する。絶対する。
「……っち」
自分の性格をよく分かっているアッシュは舌打ちしながら踵を返した。向かうのはもちろん、ルークの家の方向だ。
何もなければいい。いきなりやってきたアッシュに理由を聞いたルークは散々笑い飛ばして、それでも心配してくれてありがとうとか腑抜けた笑顔で言ってくれるのだ。それで自分の気が済むのなら、安いものじゃないか。
しかしアッシュはこの後、その時の自分の行動に感謝する事となる。つまり、何かあってしまったのだ。
「……?!おい、ルーク!」
十字路に戻りルークの家の方向へと歩いていたアッシュは、道の途中に見つけたものに思わず声を上げていた。道の端に雪まみれで転がっている物体は、どこをどう見ても今し方元気に別れたはずのルークだったのだ。
「え、アッシュ?どっどうしたんだ?」
「それはこっちの台詞だ屑が、何やっている!」
「これは、えーと……ゆ、雪で遊んでただけだ!」
冷たい雪の上に座り込んだままルークはごまかすように白い塊を持ち上げてみせたが、アッシュはそれを無視して傍にしゃがみ込んだ。何故かその場から動こうとしないルークの片足は、不自然に雪の中に埋もれている。触れようとするとビクリとルークが反応した。汗を流すその顔を、アッシュはじと目で睨みつける。
「……足元に注意しろと、俺は言ったはずだな」
「うっ……こ、こんな所に隠れている溝が悪いんだ、俺は悪くねえ!」
「溝のせいにすんな屑が!」
ゴンと拳骨を振り下ろし、頭を抑えて悶絶している間にアッシュはルークの足を慎重に動かした。かすかに息を呑む声が聞こえる。足首を動かすと痛みが走るようだ。
「これは、くじらせたな」
「だ、大丈夫だって、こっちの足使って帰ればいいだけだし」
「少し動かしただけで痛がる奴が何言ってやがる」
「いってえ!やめろアッシューっ!」
虚勢を張ろうとするルークだったが、少し問題の足首を押さえつけてやればすぐに情けなくプルプル震える。この調子では自力で帰ることもままならないだろう。項垂れる行きまみれの頭を眺めて、手当てはとりあえず帰ってからだと判断したアッシュは一度立ち上がって、そのままルークに背を向けて再びしゃがみ込んだ。
「このままここにいても仕方がない、とりあえず帰るぞ」
「?えっと……」
「何呆けてやがる、乗れって言ってるんだ」
「ああ、そっか……ってえええええ?!」
後ろ向きに両手を差し出すアッシュの格好は、背負ってやるという事だ。それに気付いたルークはバッと顔を赤くして叫んだ。アッシュは何故ルークがそこで叫ぶのか分からないといった顔で振り返ってくる。
「うるせえ、さっさとしろ」
「だ、だってアッシュ、俺その、重いぞ?!」
「嘘つけ。大体お前一人背負うなんて簡単な事だ、それとも引き摺られたいのか?」
「いやそれは嫌だけど、でも……」
視線をあちこちに彷徨わせてうろたえるルークを、痺れを切らしたアッシュが半眼で睨みつける。
「これ以上駄々こねるなら、強制的に前に抱えあげるぞ」
「………。お、オネガイシマス」
所謂強制お姫様抱っこで脅してくるアッシュに、ルークは観念した。アッシュならきっと本気でやってくるだろうからだ。仕方がなくのそのそと目の前の背中にしがみついたルークを、アッシュは自分で宣言した通りどこか軽々と支え、立ち上がった。
ルークは少しショックを受ける。
「何でアッシュそんなに楽勝ムードなんだ?!仮にも同じ体型の男だぞ!」
「ごちゃごちゃうるせえ、静かにしてろ」
アッシュの学生鞄をルークに持たせ、少し先にあるルークの家へと歩き始める。人一人背負ったままの雪道は意外に足を取られるので、アッシュは必然的にゆっくりと進むしかなかった。辺りが雪ばかりの中、それでも凍える気がしないのは、おそらく背中の重みとぬくもりのおかげだろう。
「アッシュ、ごめんな。重くないか?」
「重そうに見えるか?」
「あんまり見えねえから何か憎たらしい」
「それなら無駄に謝るな。別に頼まれた事でも無いしな」
その言葉に、恐る恐るアッシュにしがみついていたルークは顔を覗き込むように身を乗り出してきた。肩越しに振り返れば、思ったより近くにあった顔が頭の上に疑問符を浮かべている。
「そういや、何でアッシュはここに来てくれたんだ?家に帰らなかったのか?」
「……何となく、だ」
「何となく?」
「何となくお前が、その……困っているような気がしたから、少し様子を見てみようと思っただけだ。本当に何となく、だ」
第六感が働いたという事だろうか。それともルークの困った電波か何かがアッシュに届いちゃったりしたのか。どちらにせよ、自分を心配してわざわざ引き返して駆けつけてくれたアッシュに、ルークは嬉しくてたまらなくなった。ので、気持ちを込めてぎゅっと目の前の首にしがみつく。
「アッシュ、大好きだ!」
「……っ?!」
「うおっ揺れる!揺れてる!アッシュもうちょっとバランスとって!」
「そっそれなら黙って背負われてろ屑がー!」
背負うぬくもり、背負われるぬくもり。手を繋ぐ行為とはまた違った暖かさを感じながら、ふたつの赤い頭は雪道を行く。最早雪の冷たさなど、微塵にも感じなかった。
雪道
09/01/22
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