『ルーク』呼ぶ声が聞こえた。振り返ればそこにはアッシュがいた。駆け寄ってみれば自分の足がいつもより短いような気がする。目線もいくらか下だ。アッシュの顔も今見慣れている顔より幼く感じる。その表情はどこか寂しげで、ルークの心の中にもいつの間にか痛いほどの切なさが訪れていた。それで直感する、今はアッシュとの別れの時間なのだ。
『家が近ければ、こんな風に別れる事もしなくていいのに』ルークが呟けばアッシュは仕方がないと首を振った。生まれた場所がそもそも離れていたのだから、こうして出会えただけでも幸運だったのだと。しかしそれでも、夏だけの邂逅は寂しかった。辛かった。
『せめて学校が同じならば、な』アッシュが呟いた。ルークは俯かせていた顔を上げた。アッシュの言葉にハッとなったのだ。そう、例え住む場所が違っても、通う学校が同じであればそこでいくらでも会えるのだ。
学校が同じであれば。
学校が……同じ……。



「ルーク」


再び呼ぶ声が聞こえた。そこでようやく自分が霞がかった意識の中に沈んでいた事に気付く。今のこの状況は、とても慣れたものであった。なのでこのままぐずぐずと転がっていれば、すぐに拳骨や蹴りが飛んでくる事を体が知っていた。なので無理矢理にでも夢の中に沈み込んでいた魂を引っ張り上げる。
ああ、そうか。夢を見ていたのか。


「ルーク!」
「あっはい!起きてる!起きてるって!」
「どうだかな……」


ガバッと身を起こす間にアッシュのため息が聞こえた。辺りを見回してみれば、そこは自分の部屋ではなかった。身を横たえていた布団でさえ自分のものではない。この家の主、アッシュのものだ。
年越しソバを食べ、年を越した後、ちゃっかりお泊りセットを持ち込んでいたルークはそのままアッシュの家に泊めてもらったのだった。それは今日この元旦の日に、ある事を企てているからだ。それを寝ぼける頭で思い出そうとしているルークに、アッシュが呆れた声で教えてくれる。


「お前は、寝る前にあんなに初詣を連呼していたのに忘れたのか」
「あっそうだそれだ初詣!アッシュ、初詣行こう!」
「だから今起こしたんだろうが」


立ち上がったルークにアッシュが着替えを投げつけ、飯の用意をするために部屋を出て行く。慣れた手つきだ。寒い寒い言いながらルークが着替えて出てくれば、問答無用でおにぎりを口につっこまれた。


「ふぁつっ!……アッシュ、美味いけど熱い」
「炊きたてだからな。文句言ってないで早く出るぞ」
「うわ待てよー!別に遅刻とかそういうのは無いから良いだろお!」


これをすると決めたらすぐテキパキ動くのがアッシュだ。ドタバタ動くルークを上手く扇動して次々と準備をさせていく。こうして十数分後には、起きたばかりのはずのルークの身支度もすっかり整っていたのだった。
外に出て朝早い冷たい空気に体を震わせながら、ルークはアッシュを尊敬の眼差しで見つめた。


「戸締り良し。さあ行くぞ……何を見ているんだ」
「いやあ、アッシュはきっと良いお母さんになるんだなあと思って」
「?!馬鹿な事言ってんじゃねえ屑がっ!」


予想外な事を言われて顔を赤らめたアッシュは、ルークを蹴ってズカズカと歩き出してしまった。お父さんの方がよかっただろうかとその背中を追いかけながらルークは考える。けれど今までの行動を見ても、お父さんというよりどうしてもお母さんなのだから仕方がない。そう勝手に納得したルークは、肩を怒らせて歩くアッシュの隣に並んで、機嫌よく笑った。
アッシュにいくら怒られようが、こうして並んで元旦に初詣にいけることが、嬉しくて仕方がないのだから。



一番近くにある少々こじんまりとしているが立派な神社は、やはり参拝客で溢れかえっていた。端と端に屋台が並んでいるが、そこまで人を掻き分けるのも難しそうだ。


「うーっ焼き鳥焼きそばイカ焼きわたあめとうもろこしにお団子そしてりんご飴ーっ!」
「今日は諦めろ、しばらくは屋台も出てるだろう」


恨めしそうに端に並ぶ美味しそうな食べ物たちを睨むルーク、それをアッシュは人混みに攫われないようにしっかりガッチリ腕を掴んで引っ張り歩いた。今日の目的はとりあえず初詣だ、それだけは果たさなくてはならない。
足元が見えないので細心の注意を払いながら石畳の階段を上り、人と人の間に体を割り込ませて柄杓を取り、氷のように冷たい水で手を洗う。ハンカチを忘れてきた事に気付いたルークが途方にくれる、前にアッシュからぽいと手渡された。やっぱりお母さんだと思った。
水をふき取っても冷たいままの手を、じっと見つめる。きっとアッシュの手も同じように冷たいはずだ。思わず考え込んでいると、アッシュから再び手を引っ張られた。


「どうした、行くぞ」
「あ、うん」


触れられた温度にハッと気がついたルークは慌てて歩き出すアッシュの後を追った。帰る人々と行く人々で混雑していたが、何とか本殿の前に立つ事が出来た。目の前の賽銭箱にポケットに入れていた15円(十分ご縁がありますようにと、随分前から決まってこの金額を投げていた)を放り投げる。軽い音を立てて賽銭箱の中に吸い込まれていく小銭を眺めながら、ガランゴロンと鈴を鳴らし、手を合わせる。目を瞑りながら、ルークは今日見た夢の事を思い出していた。


『せめて学校が同じならば』


この夢の中のアッシュが呟いた言葉はルークの記憶だった。いつ頃だったのかはもう思い出すことが出来ないが、アッシュは確かにこう呟いたのだ。すごく、すごく寂しそうな顔で。ルークと同じように別れを惜しんでくれている表情で。
アッシュは覚えているか分からない。本当に何気ない、ポツンと飛び出した一言だったからおそらく覚えていないだろう。だがそれでよかった。アッシュの言葉に閃いて、ルークが勝手に実行してみせただけなのだ。今、こうして隣に立っているだけで、良いのだ。

だからここでルークが願う事も、ひとつだけしかない。



「なあなあ、さっき何をお願いしたんだ?」
「それを言っては台無しになるだろうが」
「そうなんだよなー、聞きたいけど、俺も言わなきゃならなくなるからなー」


参拝の帰り道、今日の所は出店を諦めて人混みから脱出した後、二人はのんびりとアッシュの家へと向かっていた。言いたくないから聞けないなあと残念そうに呟くルークに、アッシュがそっと微笑む。穏やかな時間が流れていた。相変わらず辺りの空気は刺すような冷たさであるが、足を速めてわざわざこの時間を壊すようなことはルークもアッシュもしたくなかった。
そこでルークが、何かを思い出したようにアッシュを振り返ってきた。


「あっそうだ、アッシュ!」
「何だ」
「俺初夢にアッシュが出てきたんだぜ!これって何か縁起良いよな!」
「っ?!」


あははと笑うルークに、驚いたようにアッシュが立ち止まってしまう。その様子にルークは怪訝そうな顔でアッシュに詰め寄っていった。


「アッシュ?いきなりどうしたんだよ」
「いや……何でもない」
「あ!分かった、アッシュの初夢にも俺が出てきたんだな!そうだろう!」
「!!」
「やっぱり!一体どんな夢だったんだよ教えろよー!」
「い、いや……そういうのは言ってしまったら台無しに……」
「初詣と初夢は全然違ーう!気になるだろ、教えろってばー!」
「こっ断るっ!」


何とかして聞き出そうとするルークと、何とかして逃げ出したいアッシュとの攻防戦は、家に帰り着くまで白い息を吐き出しながらも激しく続いたのだった。






   初夢と初詣

09/01/03