「起立、礼!」


号令と同時に、生徒達はいっせいに動き出した。すかさず教室を飛び出す者、友人の元に集まる者、その動きは様々だ。アッシュは慌しい周りに背くようにゆっくりと息を吐き出した。教室の中は沢山の人間が押し込められていたせいで暖かな空気に包まれているが、一歩外に出れば身を切るような冷たさに襲われるのだろう。家を出てくる寸前に見たテレビの天気予報では、今日雪が降る確立がかなり高かったほどだ。


「アッシューっ!」


そんな風に憂鬱に考えていたアッシュの耳にとても聞きなれた元気な声が突き刺さった。その元気あまりまくったような声を聞いただけで気温が上がったような気さえしてくる。それはありがたいのだが、いかんせん少々恥ずかしかった。


「んな大声で呼ばなくても聞こえていると、毎日言っているだろうが」
「アッシュ!雪まだ降らねえな、雪!いつ降るかな!」


人の話をまったく聞いた様子も無く、アッシュの名を大声で呼ぶルークが教室の中に飛び込んできた。今年は残念ながら二人とも別なクラスとなってしまったが、こうしてしょっちゅう互いの教室を行き来しているのだった。
目を輝かせながら身を乗り出してくるルークのおでこを、アッシュは指で弾いて退けた。


「うるせえっつってんだろ、降ってないうちからそんなにはしゃぐな」
「えーっアッシュは楽しみじゃないのかよ!俺は早くアッシュと雪で遊びたくてウズウズしてんのに!」
「……っ!」


本気で楽しみにしている様子でそんな事を言うので、アッシュは思わず言葉に詰まっていた。そんな二人の元に、快活な笑い声が届く。


「ははは、お前達いつも二人で楽しそうだな」
「あっガイ!雪まだ降らねえのかな!」
「こらルーク、学校では先生と呼べって言ってるだろ」
「はいはいガイせんせー」


傍らに立っていたのは、新米教師のガイだった。そう、アッシュの幼馴染の、あのガイである。元々教師を目指していたガイは、何の因果か初仕事の場がこの高校となったのである。ルークとアッシュは元々ガイの事を親しく名前で呼んでいたので、未だに先生と呼ぶ事に慣れないままだった。一応口では注意するが、ガイの方もまんざらではない様子ではある。


「そういえば、今日降るって言ってたな。まだみたいだが」
「だから早く降らねえかなーって俺が言ってんのに、アッシュの奴が乗り気じゃねーんだもん」
「お前が乗り気すぎるんだ」


小突きあう二人に、ガイが微笑ましそうに吹き出す。その後ルークとアッシュにじと目で見られ、慌てて表情を整えてみせた。


「今俺たちの事馬鹿にしただろガイ」
「何を言う!今のは馬鹿にした訳ではなく可愛いと……いやっそうじゃなくって!」


さらに睨まれて慌てふためいたガイは、逃げるように視線を逸らした。そしてそこに何かを見つけたのか、勢い良く指をさしてみせる。


「あっほら二人とも、外を見ろ!」
「んな事言ってごまかさそうと思って……」
「ルーク」


ガイを睨んだままのルークを、つられて外を見たアッシュが引っ張る。アッシュにまで促されるとは思っていなかったルークはきょとんとアッシュを見た。


「雪だ」


疑問の視線はすぐさま窓の外へ向き、剣呑な光を放っていた瞳は一瞬のうちに輝いた。その勢いのまま、体も飛び出していく。アッシュも思わずその後を追った。
教室を飛び出し校舎から抜け出たルークは、空に向かって両手を広げた。頭上からはハラハラと真っ白な粉粒が次々と降り注いでくる。


「雪だ!初雪だー!アッシュ見ろ、雪だぞ!」
「分かってる」


ぴょんぴょん跳ねるルークに、静かに空を見上げるアッシュに、今季初の雪は平等にゆっくりと降り注いでくる。雪を手の中に入れてはいちいち振り返ってくるルークに律儀に返事をしながら、アッシュもその手に小さな雪の塊を受け止めた。すぐに溶けて消えてしまう粉雪も、これからこの世界をゆっくりと白く塗りつぶしていくのだろう。そうしてルーク待望の、雪の世界が出来上がるのだ。


「降り始めたか。これでルークも少し大人しくなるな」
「いや、あいつはこの中で遊ぶ気満々だからな、余計にうるさくなる」
「そうか、なるほどな」


後から付いてきたガイも白い息を吐き出しながら静かに降り落ちる雪と今からはしゃぐルークを眺めた。そして黙って雪を受け止めるアッシュを見て、にやりと笑う。


「何だかんだ言って、お前も楽しみにしてたんだろ?アッシュ」
「?!」
「自分じゃ気付いていなかったかもしれないが、毎日ルークと一緒にそわそわしていたからな。よかったなー雪が降って」
「てめえ……!」


何もかもお見通しな幼馴染を思いっきり睨み付ければ、笑いながら逃げようとする。それを追いかけようとしたアッシュだったが、出来なかった。いつの間に戻ってきていたのか、ルークが足を踏み出したアッシュを容赦なく引っ張り戻したからだ。


「アッシュー!なあなあ、これいつ積もるかな!」
「念願の雪が降ってきたと思ったら今度はそれか、少しは落ち着け」
「だって早く積もった方が早く遊べるだろ?」


だから早く積もらないかなあと空を見上げるルークをアッシュはじっと見つめた。きっとルークがこうしてアッシュを引っ張って早く早くと囃し立てるから、アッシュまでソワソワしてしまったのだ。きっと、そうなのだ。
そうやって思い込もうとするアッシュの瞳は、実は隣のルークと同じように目の前をひらひら落ちていく雪が早く地面を真っ白に染め上げないかと、初雪を急かしているのだった。






   初雪

08/12/17