寒いのが苦手らしいルークの朝はこの季節自然と遅くなるだろう。そう危惧していたアッシュは思ったより早くその事実を思い知らされる事となった。
確かにいつもよりも早い時間での待ち合わせだった。何故なら朝練があるからだ。基本的にルークもアッシュも特定の部活に所属している訳では無かったが、無駄に運動神経が良いのであちこちの運動部から助っ人に呼ばれる事が多かった。今日も次の試合は負けられないのだというある部活に呼ばれて、朝練に参加する日だったのだが。


「遅い……」


もうすぐ雪が降り始めると思わしき時期だった。自らの吐き出す白い息を眺めているだけでさらに寒く感じてしまうほどの寒さだ。眉間の皺を極限まで深く刻み込ませたアッシュは、時計に八つ当たりするかのようにきつく睨みつける。針はそろそろ急がないと遅れてしまうだろう時間を差していた。その目つきの鋭さのまま道路の向こう側を眺めてみても、待ち人はまだ来ない。


「………」


それから何度か時計と道を交互に眺めたアッシュは、とうとう歩き出した。行き先は学校の方向、とは逆の、ルークの家だ。




ルークが一人で暮らしているアパートのドアの前に立ったアッシュは、あまりあてにしないまま呼び鈴を鳴らした。予想通りしばらく待っても部屋の中からは物音一つしない。今度はドアを叩いてみた。これにも反応はない。ほぼアッシュの予想通りだったので、ため息をひとつだけついてポケットから何かを取り出した。


「仕方がねえ。……乗り込むか」


それは鍵であった。もちろん目の前のドアの鍵である。ルークとアッシュそれぞれ家に招き招かれる事がしきりとあったので、面倒だからとルークがアッシュに渡したスペアの鍵だった。ルークにとっては何気ない行動だったのかもしれないが、鍵を手渡された際のアッシュの衝撃は例えようもなかった。今ではこんな風に簡単に取り出すことが出来るが、当初は使う事を散々躊躇っていたものだ。

鍵穴に鍵を差込み回すと、あっさりと鍵が開いた。そのままドアはすんなりと内側に開かれる。相変わらずチェーンもつけないルークのずさんさに眉を潜めながら、アッシュはしんと静かな部屋へと乗り込んだ。どすどすと足音を立てて、ルークが寝ているはずの部屋に足を踏み入れる。

目の前に、こんもりふくれた布団があった。暖かな赤い髪が間からはみ出ている。


「っんのっ屑がー!」


アッシュは勢い良く毛布を剥いだ。中からは未だにぐっすりと眠り続けるルークが出てくる。眠っていてもやはり寒いものは寒いのか、わずかに毛布を取り返そうと手が持ち上がるので、アッシュはそれを叩き落した。


「ルーク、起きろ!」
「んー……だって俺アビスマンだしー……」
「寝ぼけるな!」


毛布が取り返せないと分かったのか、ルークはごろんと丸くなった。その背中を蹴っ飛ばしながらアッシュは傍らに転がった目覚まし時計を確認する。針はちゃんと狂う事無く時を刻んでいた。設定されている目覚ましの時間もおかしくない。おそらくルークが自分で止めて、そのまま再び眠ってしまったのだろう。アッシュは再びルークの背中を蹴った。


「起きろと言っているだろこの屑!屑寝ぼすけがっ!」
「あっしゅくずくずうるせえ……。……ん、アッシュ……?」


アッシュの声が聞こえることにようやく疑問を覚えたらしいルークが、とても緩慢な動作で顔を上げた。目はまだしょぼしょぼさせている。いっそ頭の上から冷水でもぶっ掛けてやろうかとわりと本気でアッシュが思っていれば、ルークの目がようやくアッシュを捕らえた。


「あれ……マジでアッシュだ。おはよう」
「おそよう」
「念のため聞くけど、これ、夢じゃないよな?」
「安心しろ、何にも変えられない紛う事なき現実だ」


とどめとばかりにアッシュが再び足で小突いてみせれば、ルークはのそのそと起き上がった。そのままボーっと辺りを見回して、寒さに若干震えながら、ようやく時計を探す。


「今、何時?」
「7時5分前だ」
「へー……。……って、えええええ?!何で?!やっべえ遅刻じゃん遅刻!」


どうやら朝練の事は忘れていなかったらしい。バッと立ち上がり焦りばかりが先立って何から先にしようかままならない様子で部屋の中をうろうろし始める。その寝癖のたった赤い頭にアッシュはそばにあった制服を叩きつけた。


「焦ってないでさっさと着替えろ、今からなら走れば間に合う!」
「ら、らじゃーっ!」
「パンのひとつぐらいはあるだろう、朝飯は走りながらだ。キリキリ動け!」
「らじゃーっ!」


ドタバタ動き回るルークからとりあえず離れて、アッシュは台所に立った。ちょうどそこに食パンがあったのでひとつ取り、制服に半ば着替えながら顔を出したルークの口の中へ突っ込んでやる。はりはほう、と聞き取りにくい感謝の言葉を耳にしながら、その辺に転がっていたかばんを手に取り玄関へと向かう。


「鞄には全部入っているな?前日に用意は済ませとけと俺が日頃からあれほど言ってやっているのだから、当たり前だな」
「も、もちろん!多分!」
「忘れたとしても今日は諦めて怒られやがれ、行くぞ!」
「うわーっ待てよアッシュ!さすがに早えよ!」


ルークが玄関から外へと飛び出すのを辛抱強く待って、鍵を閉めたアッシュはさっそく走り出した。その後をパンをかじりながらも何とかルークがついてくる。朝の冷たすぎる空気を切り裂きながら二人は走った。


「あーもー何で俺ってば無意識のうちに目覚まし切るかなー」
「もうこんな事はごめんだ……と言いたいところだが、この調子だとまたやらかしそうだな」
「あはは、だよなー」
「笑うな反省しろ!」


朝練はしばらく続くのだ、自分でも意識しないところで目覚ましを止めてしまうのだから、絶対にまたやらかすだろう。何か解決案を考えながらも息を切らして走る。信号が目の前で赤になり止らざるを得なくなったとき、ぽんとルークが手を叩いた。


「そうだ!アッシュだ!」
「……何が俺だ」
「アッシュは俺が寝坊してもこうやって起こしてくれるだろ?だから、アッシュに起こしてもらえばいいんだ!」


ルークは目を輝かせてそう言った。いわく、アッシュが起きる時間に目覚まし代わりに電話をしてくれと言うのだった。それはアッシュも良い案だと思った。少なくとも、寒い中起きているか起きていないか不安に思いながら待つ心配はなくなるわけだ。


「ちゃんと起きるんだろうな」
「俺が出るまで鳴らしてくれりゃあいいじゃん」
「少しは自力で起きようとする努力をしやがれ」


言いながら、きっとルークが出るまで電話を鳴らし続ける自分がいるのだろうとアッシュは確信していた。そうやってルークも確信しているからこそ、アッシュに全信頼を寄せているのだ。


「それじゃあ明日からよろしくな、アッシュ!」
「不本意ながらよろしくされた」
「よーし!朝練、頑張るぞー!」


走りながら器用に飛び跳ねてみせた元気なルークの姿に、アッシュも笑みを浮かべた。正直自分だって冬の朝はとても辛いのに、時間通りに頑張ってアッシュが起きるのは隣の存在があったりするからなのだが、それを知るのは今のところ、誰もいないのだった。





   部活の朝練

08/12/14