その日は良く晴れていた。空の譜石も音譜帯もこの目にはっきりと見える気持ちのいい青空を見上げて、俺は何故だかはっきりと確信した。
今日が、最後の日だ。
「ルーク、寝るぞ」
俺が呼びかけるとルークはパッと笑顔になって駆け寄ってきた。タックルするようにぶつかってきたその体を抱きかかえる。思えばこうやって抱える事が当たり前のようになっていた。いつの間に、と考えてみれば……最初から無意識に抱き上げていたな。自分に少し呆れながらルークをベッドの上に降ろすと、ルークは大人しくベッドの中に潜り込んで、怪訝な顔で俺を見上げてきた。
「アッシュ、きょうは本はよまないの?」
「……今日はお休みだ」
勉強がてらに毎晩本を読んでいたのが習慣になっていた。前は絵本だったが今はほとんど教科書みたいなものを読んでやっている。俺がそう言うと、ルークはそっかーとどこか残念そうに呟いて、すぐに笑顔になった。
「じゃあきょうはアッシュとずーっとおはなしできるな!」
俺が深くため息をついてもルークはお構い無しだった。おはなしおはなしと俺の手をぐいぐい引っ張ってくるので、いつものように俺もベッドの中へと入る。大体、話なんて毎日しているだろうに。ルークは何がそんなに楽しいのか目をキラキラと輝かせながら俺にあれこれと喋りかけてきた。俺も頷き返したり、たどたどしいその話を手伝ってやったりする。俺は、自分がこんなに穏やかに話が出来る人間だったのだと、初めて知った。
「それでな、それで……ふあ、んー」
ルークが欠伸をした後に目を擦る。眠い証拠だ。限界に近いだろうに、だんだんと閉じていく瞼をそれでも懸命に閉じないように頑張りながら、ルークは尚も話を続けようとする。俺はそれに苦笑しながら眠りを促すように頭を撫でてやった。
「ルーク、眠いんだろうが。もう寝ろ」
「だってもったいない……」
むずがりながらもルークは安心するようにこくりと舟を漕いだ。こうなれば半分はもう夢の中だろう。擦り寄るようにこちらへ身を寄せてくるルークの頭を撫で続けた。
「ルーク」
「……なに?」
ほとんど眠りながらそれでもルークが返事を返してくる。話を聞ける状態ではないだろうが、それでもいい。俺はそっと口を開いた。
「もしもの話だ。もしこれからルークの前にどうしようもないもう一人のルークが現れることがあったら」
ルークのとろんとした目が俺を見る。俺は微笑みかけた。
「ひどい奴かもしれないがそいつを見捨てる事無く、お前の半身だと思って欲しい」
「……はん、しん……?」
「そうだ、世界にたった一人の、お前の半身だ」
ルークは欠伸を繰り返しながらも懸命に俺の話を聞いてくる。それだけでよかった。起きた時覚えていなくとも、今ルークがこうやって俺の話を聞いてくれるだけでいい。例え、今は理解できない話だとしても。
「そいつがいれば、お前はもう一人ではない」
俺がそう言えば、ルークは毛布の中から俺を見上げてきた。その目はほとんど眠りかけていたが、どこか輝いて見えた。綺麗だと思った。
「そのひとが、おれのまってるひとかなあ」
俺は少し驚きながらもきっとそうだと頷いた。ルークはそっかあ、と夢うつつに呟いて、やがて安心するように目を瞑ってしまった。薄く開いた口から規則的な寝息が聞こえる。俺は暫くその様子を見つめて、起こさないように小さな体を抱き締めた。
やはり俺の言葉は最早全て意味の無いものなのだ。ルークはすでに受け入れている。無意識ながらも、己の存在意義を問われるであろう辛いだけの存在を受け入れてくれている。その約束≠ェ果たされるまで見守ってやりたいが、俺はもう傍にいてやれない。もともと会うはずのなかった存在なのだ、仕方が無い事なのかもしれない。
自分の手を見てみれば、どこかで見た事があるように薄くなっていた。これが乖離なのか。だとしたら俺は一体これからどこへ溶けるのだろうか。つらつらと考えている間に、淡い光が俺の全身を包んでいた。ルークは眠っている。俺はそれに幸せを感じながら、起こしてしまわないようにそっと、額に口付けた。
次にルークが目を覚ました時、そこには俺はいない。あの時誓った約束≠フ期限がどうやら早めに来てしまったようだが、出来る限り破りたくは無い。ここから外に出てルークが孤独に震える事があったら、その時だけは俺に声が届けばいいと思う。
約束したからな。ルークが辛くてどうしようも無くなったら、俺が攫いにいってやると。
ああ、俺が消える。その瞬間前に、俺は誰にも聞こえない声で呟いた。
どうか 幸せに
最愛なる 我が半身へ
ルークはその日、妙にすっきりと目を覚ます事が出来た。何故かベッドの端に寄った体を持ち上げて、大きく伸びをする。しばらくぼんやりとしてから、無意識に隣へと手を伸ばした。一晩中空いていたはずのそこから何故だか温もりを感じて、ルークは怪訝に辺りを見回した。もちろん誰もいない。何故ならここはルークの部屋だからだ。気のせいか、と肩をすくめてみせたルークはベッドから降りて、窓際に寄った。朝日を受けながら窓を思いっきり開け放つ。気持ちの良い空気が部屋の中へと入ってきた。その心地よさにルークが目を細めながら空を見上げると、空は良く晴れ渡っていた。空野譜石も音符帯もこの目にはっきりと見える気持ちのいい青空を見上げて、ルークは自分でも気付かぬうちにほろりと一粒涙を零しながら、心の中で知らない誰かに呟いていた。
さようなら
ありがとう
06/08/30
我が子たちへ
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