ルークの言葉は日に日に上達しているようだった。今ではちゃんと文字も書ける(俺の教えが良かったのだと自惚れてもいいだろうか)ので、日記も書かせている。日記をつける理由は違えど、あいつも毎日真面目に日記を書いていたからな、いい練習になるだろう。しかしいくら教え込んでも相変わらず字が汚いのは本人の性質によるのだろう、俺のせいではない。まあ読めないことも無いのであまりうるさく言うのは止めた。
何だかんだ言いながら頑張っている剣の稽古も上手くいっているようだし、近頃本当に順調だった。
しかし。俺は時々、中庭でぼうっと突っ立っているルークを見かけるようになった。その瞳はいつもまるで何かを羨望するかのように空を見上げている。俺はその心の内を正確に察していた。まったく、昔も今も分かりやすい奴なのだ、ルークという人間は。
ルークは、外に憧れているのだ。
「ルーク」
今もそうやって空を見つめていたルークに声をかければ、ハッとこちらに振り返ってきた。そしてどこか罰の悪そうな顔で駆け寄ってくる。
「なに?アッシュ」
いつしか正確に発せられるようになった「アッシュ」という言葉。ルークは確実に成長している。俺は低い位置にある夕焼け色のその頭をくしゃりと撫でた。ルークはどこか嬉しそうに目を細める。撫でられるのが好きなのだけは変わらないな。しかしそういえば、背も伸びた。ルークにとってかつては広かったこの中庭も、今ではきっと狭すぎるのだ。飛び立つ準備が出来ている成長途中の雛鳥を、この屋敷は残酷にも窮屈に閉じ込め続けている。
俺もここで生きていた頃は時々息苦しさを覚えていた。完全に軟禁されているルークには一体どれほどの圧力になっているのだろうか。それでも不満を一言も発した事の無いこの優しい子供が、俺は哀れで仕方が無かった。
「苦しいか?」
俺がそう尋ねると、ルークはきょとんと見上げてくる。もしかしたら自覚は無いのかもしれない。しかし俺の問いかけに無意識にか微かに震えた体が物語っている。鳥篭の中から外へと出たがっているのだ。
「もしお前が、苦しくて苦しくて堪らなかったら」
俺はそこで一息区切って、ルークの目を見て言った。
「俺は、お前を外に連れ出してやる事が出来るぞ」
ルークが目を見開いた。そうだ、考えてみればこいつをいつまでもこんな所で育ててやる義理は無いのだ。わざわざ世界に殺されるためにここに生きている事は無い。俺の今の力ならルークを難なく連れ出すことが出来るだろう。後はどこで暮らしたって良い。外で生きる術は教養を学ばせる前に俺が密かに教え込んでいる。そうだな、ヴァンの野郎が死に物狂いで探しにくるかもしれねえが、その時は俺が返り討ちにしてくれる。
……もしかしたら俺≠ニ遭遇する事になるかもしれないが、同じ事だ。自分だけが不幸だと思い込みヴァンの思い通りになっている愚かな燃えカスなど、俺が斬り捨ててやる。
些か物騒な所まで俺が考え込んでいると、ただ大きな瞳で俺を見ていたルークは嬉しそうに目を細めて、しかし首を横に振ったのだった。
「ありがとアッシュ、でもおれ、いい」
「ルーク?」
「まってるんだ」
待っている?一体何を待っているというのだ。俺が眉を寄せて視線で尋ねれば、ルークは困った顔で「まってるんだ」と繰り返す。言葉に出来ない何かを頭の中で必死に声に変換しているかの様に難しい顔で俯いている。
「おれはここにいなきゃいけないんだ、むかえがくるから」
「迎えが?……それは誰だ」
「わかんない」
首を振るルークだったが、すぐに俺を見上げてきた。その宝石のような瞳には凛とした光が湛えられていて、俺は無意識に気圧されていた。恐ろしい子どもだ。
「でも、約束≠ネんだ」
そのはっきりとした「約束」の言葉に、俺の言葉は全て無駄なのだと悟る。一体誰とした約束なのかそれは俺には分からないが、ルークにとってそれが絶対の事柄なのだ。何よりも優先しなければならないものなのだ。そうなれば、俺が出来る事は無い。ここでルークを無理矢理連れ出したとしても、ルークは俺を一生許さないだろう。例え今この場所がルークにとって致命傷となるような毒のある場所だと分かっていたとしても、俺にはルークの邪魔は出来ない。
ここで俺は気がついた。さっきのルークの瞳に俺が気圧された理由。
あいつの真っ直ぐな眼差しと、そっくりそのまま同じものだったのだ。
「……そうか」
俺は諦めるしかなかった。何度目にしたってあの視線に俺は敵わない。ルークは肩を落とした俺を見て屈託なく笑ってみせた。
それでも俺にだって引き下がれない部分はあるので、笑うルークの方に両手を置いて、見上げてくる瞳に負けぬようひたと見つめた。
「ではルーク、これだけは俺と約束≠オてくれ」
ルークが頷くのを待ってから、俺は口を開いた。
「もしお前の待っている奴とやらが来る前にお前が辛くてどうしようも無くなったら、その時は俺が攫ってやる」
約束というよりは、脅しのようだ。自分で言っておきながらそう思う。しかし俺は本気だ。もしルークが縋り付いてきたら、俺が全身全霊をかけて守ってやる。これは父性というものなのだろうか。だが俺はルークには、世界一幸せになって欲しい。あいつには、不幸しか与えてやる事が出来なかったから。
ルークは驚いたような表情で俺を見た後、はにかむ様に微笑んだ。
「ありがとう」
その言葉がひどく温かかったものだから、今の所はこれで満足しておく事にする。
この後現場を見てしまったガイと少々激しいバトルを繰り広げる事になったが(もちろん俺が負ける訳が無い)それをただ遊んでいると思っているルークの笑った顔に、俺は改めて感じた。
ルークが笑ってくれる、それだけのために俺は何でも出来るのだ。
最愛なる 10
06/08/28
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