そういえば俺はルークが「ルーク」として屋敷にいた頃のナタリアを知らない(ガイは大体想像通りだった)。
記憶を失った、と思っているルークと仲は良かったのか、それすらも知らない。特別仲が悪かったとは聞いた事も無かったから、おそらく険悪な事は無いのだろう。だがそれ以上の事は分からないままだったものだから、俺はこの「世界」のナタリアに会う事に少し緊張していた。何せ一応、幼馴染の許婚なのだ、俺がいなくなった後はどうやって暮らしてあのナタリアになったのか興味がある。今まで何故か不思議とナタリアという少女に会う事は無かったが、今日俺はとうとう対面を果たしていた。
「あなたがルークの使用人ですのね」
俺の昔の記憶より少し大きく、今の記憶より少し小さいナタリアは俺を興味深げに見上げてきた。ルークから何か聞いていたのかもしれない。そういえばルークがいないがどこに行ったのだろうか。
「初めましてナタリア様、私はアッシュと申します」
俺が頭を下げるとナタリアはこちらこそ、と優雅に礼をしてみせる。貴族の振る舞いだ。俺の一番近くにいる一応貴族様は優雅さとは程遠い所にいるために少々新鮮に見えた。ルークにも一応こういったものを教えていた方がいいのだろうか。俺がそんな事を考えている間に、ナタリアはかすかに肩をすくめてみせた。
「ルークは叔父様に少し呼ばれてお話をされてますわ」
俺は何故ナタリアがいきなりそんな事を言い出したのか分からず何と答えていいのか分からなかった。するとナタリアは少し笑いを含んだまま俺に言う。
「顔に書いてありましたわ。ルークはどこにいった、と」
「……そうですか」
俺は自然と眉を寄せていた。こんな少女に心の中を読まれてしまうとは、俺も落ちたものだ。能天気なご主人様に感化されているのだろう。複雑な心を俺が噛み締めている間にもナタリアはため息をついている。その仕草が大人っぽい仕草、というかどうしようもない弟を見守る姉のような大人びたため息だったので、俺は内心首を傾げた。確かにナタリアは俺にとって姉のような存在でもあるが、こんなに大人びた仕草をする少女だっただろうか。
「まったく、使用人と主人は強固な糸か何かで繋がっているものなのですわね」
「は……?」
「ルークは記憶があった時でも失った後でも、私より使用人の方が大事なのですわ」
ナタリアが頬を膨らませてみせる。とたんにその表情が子どものそれに変わった。それに俺は何故だかホッとし……いやそれよりちょっと待て、俺はそんなナタリアを蔑ろにした覚えは無いぞ。使用人といえば、ガイか?冗談じゃない。
「ルーク、様は、ナタリア様の事を大事に思っていますよ」
俺がそう言えば、ナタリアはちらりとこちらを見て、それは分かっていますと答えた。今も昔も大事に思ってくれているのは分かっているのだ、と。
「でもそれよりも、ルークはあなたの事が大好きなのですわ」
まるで責めるような物言いに俺がたじろいでいると(ナタリアに迫られるのは苦手だ)どたどたと相変わらず貴族らしくない足音を立てて赤い塊が俺に突進してきた。ちょうど鳩尾付近に激突してきたので思わず息を詰める。ナタリアのまあ、という声が聞こえたような気がした。くっ、あれほど毎日廊下は走るな飛びついてくるなと言い聞かせているというのにこいつは。
「あっしゅ、なたりあとなにはなしてたんだ?」
緑の目がじいっと俺を見つめてくる。おい、そういうのはせっかく来てくれているナタリアに言うものだろうが。俺が目で訴えてもルークは俺から離れようとはしない。ちらりとナタリアを見て、さらに俺にしがみついてくるだけだ。いつもと違って言う事を聞かないルークに俺が戸惑っていると、ナタリアはそれ見たことかというような目で俺を見た。どこか勝ち誇ったような顔だった。
「大丈夫ですわルーク、私はアッシュとあなたの事についてお話していたの」
「おれの、こと?」
「ええ。ルークはアッシュの事が大好きだってお話を」
ナタリアの言葉に俺はギョッとした。しかし次のルーク言葉にもっと驚いた。ルークは勢いよく頷いたのだ。
「うん、おれあっしゅだいすき!」
「そうですわね。それじゃあルーク、私は?」
「なたりあもすきー」
「ふふっありがとうルーク」
ルークとナタリアは笑い合った。それは許婚同士というよりも、ほとんど姉と弟の会話だった。お前達いつもそんな話していたのか。ナタリアは俺にしがみついたままのルークの頭を優しく撫でてやる。ルークはそれに笑顔で答えた。ナタリア、いつの間にルークを手懐けたんだ。
ナタリアはちらりと俺を見上げてきた。その目はまるで恋敵を見るような目でもあり、俺に挑戦しているような目でもあった。ああ、この少女は強い。昔から分かっていたはずの真実を俺は今改めて感じていた。むしろ昔より強くないか。何がお前をそうさせたんだ、ナタリア。
しがみついてくる温かい熱を感じながら、俺は深くため息をついた。ガイといいナタリアといい、俺には何故敵?が増えていくのだろう。しかし、何の勝負かも分からないのに、俺は何故だか負ける気がしなかった。
それはきっと、ルークが俺に笑いかけてくるからだろう。
最愛なる 9
06/08/28
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