近頃の俺はすこぶる上機嫌だった。理由は言わずもがな、あの髭のお陰である。
定期的にやってくるヴァンに最初は怯えて近づきもしなかったルークも少しは慣れたようだったが、やはり盲目的に懐く、という所まではいかないようだった。嫌がるルークにせめて稽古は真面目にやるように言い聞かせるとしぶしぶ中庭に出る。これがいつもの事だ。剣の稽古なら俺が教えてもいいのだが、ヴァンの教えるアルバート流を俺が平気で使っている所を見られれば流石に怪しまれてしまう。
そういえばどうした事か、俺が「アッシュ」である事を結局隠してはいないのだが、ヴァンはいぶかしむ様子さえ見せなかった。この屋敷に始めて姿を現した時も赤髪に緑の目をした自分を怪しむものは一人もいなかった。俺にはどうやら不可思議な力が働いているようだった。これもローレライの力なのか。というかいい加減俺がこの世界にこうやって存在している理由が欲しいものだ。
まあとにかくそんなこんなで俺は機嫌よく毎日を過ごしていた。だから忘れていたのだ。ヴァンよりももっと身近に、性質の悪い敵が潜んでいる事を。
時間は夜だった。後は寝るだけの時間帯だ。不本意な事だが、以前ルークと一緒に寝てやってから、何故か俺はあのベッドで寝るようになっていた。もちろん隣にはルークが寝る。寝る前に本を読んでやるのが日課になり、それに伴って共に寝る事が当たり前になってしまったのだ。いつかは止めさせなければいけないと思いながらもここまでズルズルと続いてきてしまった。俺もやきが回ったか。
「そろそろ寝るぞルーク。……ルーク?」
呼んでも返事が無いので俺は振り返った。そこにはちゃんとルークが立っていた。何故か俺の顔、より少し上の方に視線を釘付けにして突っ立っている。その目が興味津々といったように輝いていたので、俺は果てしなくいやな予感がした。
「どうした、ルーク」
俺が声をかけてもルークは返事をせずにじっとこちらを見つめ続ける。とうとうルークが動き出した。前触れも無くこちらに突進してきたので、思わず俺は背後のベッドに腰掛けていた。くっ、不覚。
「なっ」
俺が声を出す前にルークが手をあげた。その手は俺の頭に伸びて、額をそっと撫でる。以前も今と同じような格好になったが、その時は俺の眉間に皺を伸ばそうとした行為で、今俺は驚きに眉は寄っていない(と思う)のだから、前とは違うのだろう。ルークはまるで労わるように俺の額を撫でる。いや、額より少し上か?何なんだ一体。
「あっしゅ、だいじょうぶ?」
ルークが俺の顔を覗き込んでくる。その表情は純粋に心配しているものだった。いやしかし、俺は心配されるような事をした覚えは無い。俺が怪訝な顔で黙っていると、再びルークが言った。
「おでこ、おっきくなってない?」
ぶっ
ここで吹いた俺を誰も責めないでくれ。あまりの衝撃に俺が体を震わせていると、ルークは尚も言い募ってくる。
「かみのけ、ぜんぶぬけちゃったら、ちからでなくなって、あっしゅしんじゃうんでしょ?」
何だその話は。俺も初耳だ。ルークはからかっている様子ではなく、本気で俺が死んでしまわないか心配しているようだった。ずっと俺の額、というか生え際を撫で続けている手の平の温もりを感じながら、俺の中にはふつふつと怒りが湧き起こっていた。怒らない方がどうかしている。どいつもこいつも俺の生え際を気にしやがって、俺は絶対に禿げねえ!
いいやそれより、こんな純粋無垢のこいつに変な事を教えたのはどこのどいつだ!
「ルーク……その話は、一体誰から聞いたんだ」
「がい」
即答。俺はそうかと返事を返しながら納得すると同時にようやく思い出していた。ヴァンの登場ですっかり忘れていた、俺に紛れも無い殺気を毎日向けてくる、あの使用人を。そういえばあいつは、ヴァンと手を組んでファブレ家に復讐するつもりだったらしいな。今も繋がっているのか分からないが、こいつにこんな話をしたのは俺への復讐か、ルークを取られた事への。お前復讐する相手間違っているぞと突っ込んでやりたいが、聞きはしないだろう。
「あっしゅしんじゃうの?」
その声にふとルークの方を見て、俺はギョッとした。何で泣いているんだ。
「しなないで。あっしゅ、しんじゃやだ」
ルークは俺にしがみついてめそめそと泣き始めてしまった。俺からしてみればひどくくだらない話だが、こいつにとっては紛れも無い本当の話なのだ。本当に俺が死んでしまうんじゃないかと思って、泣いてくれているのだ。そう思うと俺はどうしようもなくなって、ただ小さな背中に腕を回す事ぐらいしか出来なかった。
思い出すのは最後に見たあいつの顔。好かれる様な事をした覚えは一切無いのに、俺が死んだら悲しむからなと本当に悲しそうな顔で言ったのだ。その顔を見て思わず出来もしない約束をしてしまったが、あの後あいつはきっと俺の死を悲しんでくれたのだろう。
あの時も今も、俺の死を思って泣いてくれる奴がいる。その事に、俺は今生きているのだと実感した。あの時の俺も生きていたのだ、どうしようもない奴だったが、それでも精一杯に。そして今も。
「俺は死なねえよ」
縋り付く温かな体を抱き締める。少なくとも、こうやって泣いてくれるこいつがここに存在している限り、俺は生きていけるのだ。俺は包み込まれるような温かさを感じながら目を瞑って、決意した。
とりあえずあの金髪頭、ぶっ飛ばす。
最愛なる 8
06/08/25
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