あの時俺達を突き動かしていたあの感情は何だったのかと今になって思う。
二人揃ってまるで刷り込まれたかのようにかの人ばかりを求めた。完全に孤立した後でさえ尊敬する事を止められなかった。あれは最早、刷り込みというより洗脳といった方がいいのではないかと思う。我ながら何故あんな奴の弟子である事に拘っていたのか分からない。おそらく、意地になっていたのだ。一生己の所有物である事を疑いもしなかったレプリカが自我を持った俺とは違う存在だという、その事実に。一生自分のものだなんて、あるはずも無かったのに。俺と違う時間を生きた者が俺の手から離れる事は、必然だったのだ。


「あっしゅー!」


必死に俺を呼ぶ声と共にどたどたと騒がしい足音が響いてくる。日頃からあれほど騒がしく走るなと注意しているのにあのお坊ちゃんはなかなか静かに歩くという事を覚えて下さらない。本質的に騒がしい性格なのだろう、俺とは違って。こんな所でもよく分かるように俺とあいつは違う人間だったのだ、どうして俺はそれに気付く事が出来なかったのだろうか。


「あっしゅあっしゅー!」
「どうしたルーク」


大分言葉を覚えたがまだ舌足らずな所がどうにも抜けない。俺のいた部屋を勢いよく開け放ちとうとう俺の目の前に現れたルークは、何故だか恐怖に引きつった顔をしていた。まるで幽霊でも見たような表情だ。ちなみにルークは幽霊の類が大の苦手のようで、少しでも怪談話をすればすぐさま布団の中に潜り込んでしまう。かくいう俺はといえば、昔からこれ系を好むナタリアに散々つき合わされてきたので慣れていた。当時は飽きてもいた。とりあえずこんな白昼堂々幽霊とやらが現れる訳が無いので、俺はルークの頭を撫でてやって落ち着かせる。


「落ち着いて、ゆっくりと話してみろ」
「う、うん」


ルークは素直に頷いて(俺の教育の賜物だ)一度大きく深呼吸をしてみせる。
混乱して言葉が出なくなったりした時はひとまず深呼吸をしてみせろと教えたのは俺だった。深く息を吸い深く息を吐けば酸素の摂取によるのか人間それなりに落ち着くものだ。ルークは目をパチパチと瞬かせてから改めて俺へと向き直った。それでもどこか恐ろしげな顔をしている。安全なはずのこの屋敷の中で、一体何を見たというのだ。


「さっき、ちちうえによばれて、へやにいってきたんだ」
「ああ」


それは俺も知っている。今日は「奴」が来る日だ、挨拶をさせるために呼んだのだろう。……こればかりは俺も退ける事が出来なかった。忌々しい「奴」が、これから重要な役割を果たす道具、レプリカドールを教育するために乗り込んできたのだ。今までルークに就かされようとする家庭教師の類を片っ端から俺が断ってきたのだが、さすがに神託の盾騎士団主席総長直々の剣の指導はどうしても無理だった。……いざとなったら斬り捨ててやる。
それより、つまりルークはあの、ヴァンに会ってきたのだろう。それでどうしてここまで怯えているのか。


「ルーク、ここか」


その時、俺の耳にどこか聞き慣れた声が聞こえて思わず体が強張った。情けない。部屋の入口に、嫌になるほど見慣れた長身が立っていた。俺自信が緊張したのが自分でもよく分かった。奴の穏やかに見えてその実鋭く光る瞳が俺の目とかち合った。俺も不審そうに見えないぐらいに睨みつけてやる。負けるものか。ヴァンの声を聞いたルークはその場でビクリと飛び上がっていた。


「……貴殿は」
「ルーク様の使用人です。教育係も兼任しております」


一応相手の方が位が高いのだから俺は頭を下げておいた。しかし怯えているらしいルークから離れる事は無い。何があったのかわからないが、こいつをこんなに怯えさせるなんて何しやがったんだ。理由次第では今すぐにでも冥土に送ってやる。


「今日は剣の指導初日のはずですが、何故ルーク様はこんなに怯えた様子なのでしょうか」


なるべく自然に俺は尋ねた。するとヴァンは少々眉を寄せて唸ってみせる。奴の方も困惑顔だった。


「それが分からぬのだ。会った途端逃げられてな」


俺も内心戸惑いながらルークを見下ろす。今やルークは俺の背後に隠れて、警戒心バリバリの様子でヴァンを睨みつけている。それでも怖いのかどこか引き腰だ。ヴァンのあの様子だと本当に何もしていないようであるが、ますますこの状態のルークが分からない。
お前、「あの時」はあんなにヴァンの奴に懐いていやがったじゃねーか。それこそ神を敬う勢いで。俺が再び頭を撫でてやると、ルークは潤んだ瞳で俺を見上げてきた。


「一体どうしたルーク。このお方がどうかしたのか?」
「あっしゅ……」


ルークは躊躇いながらも真っ直ぐヴァンを指差して、はっきりと言った。


「あのひげとまゆげ、こわい」


ガーンという音が聞こえそうな勢いでヴァンがショックを受けた顔になった。
俺は「おい待て俺がアッシュと呼ばれていたら何かしら気付かれてしまうんじゃないか?」と考えながらもこう思わずにはいられなかった。


はっ、ざまあみろ。





   最愛なる 7

06/08/25