出会った時からこちらをあわよくば殺さんとするその視線は変わる事は無かったが、今はとうとうその体の回りに邪悪なオーラが立ち上るのが見えてしまう程であった。その態度はあからさま過ぎないか、ガイ・セシル(本名は別にあるらしいが)。
俺だって不本意だ、ああ不本意だとも。俺はお前のように喜ぶ変態では決して無いのだ。これはもちろん奴に面と向かって喋っている訳ではなく、心の中で呟いている言葉だ。
大体、シュザンヌ様に「使用人ならお風呂にも入れてね」と笑顔で言われれば俺には拒否権など無いことなど分かっているだろうが。そこの所を同じ使用人なら分かって欲しいものだ。
かくして俺は、妙にはしゃぎまくる小さなご主人様と一緒に風呂に入る羽目になってしまった。これも以前はガイの役目だったのだろう。だから背後で刃物を光らせるな。言いたい事があるなら口で言え。
ファブレ家の風呂はいつ見ても広かった。小さな頃から思っていた事だが、屋敷を出てからはっきりと自覚した。貴族の娯楽の一つなのだろう。元貴族の俺が言う台詞ではないか。とりあえず服を脱いだ途端風呂場に駆け込みそうになるルークの頭を鷲づかみで止めておく。いつまで経っても落ち着きの無い奴だ。
「走るな。こけたらどうする」
「あっしゅ、はやくはやくー」
俺の言葉に返事もせずに、しかしきちんと立ち止まってルークは俺を見上げる。意外だ、こいつこんなに風呂が好きだったのか。先に入っていろと言うとルークは忠告通りにゆっくりと歩いていった。いくらゆっくり歩いていても不安定に見えるのは俺の気のせいか。まあ、やっと走れるようになった時期だから仕方が無い。
滑って転んで頭を打ちでもしたら大惨事だ、俺もすぐその後に続いた。
「ルーク来い。先に頭を体を洗うぞ」
「んっ」
ルークを椅子に座らせて頭の上からシャワーをかけた。途端にきゃあきゃあと悲鳴を上げて暴れ出すルークを片手で押さえつける。シャワーを被っただけで何がそんなに嬉しいのか。体は動かしても目はちゃんと瞑っているようだった。それなら良し。
「そのまま目を瞑っていろ。後動くな」
「はーい」
良い子の返事をしたルークは一応ちゃんと動きを止めた。これが最後までもってくれればいいがな。
シャンプーを取り出してルークの髪を洗い始める。切り揃えられたり梳かれたりするだけで伸ばしたままの長い朱色の髪。ちっ、やはり時間が掛かるな。自分の長い髪も時々うっとおしく思う。こうなったら俺もあいつのように髪を切るか。いや、そうすると余計に見分けがつきにくくなるか。……また、再び顔を合わせる事があるのかも分からんが、な。何よりあんなヒヨコ頭になるかもしれないのならば伸ばしたままの方がマシだっ。
そういえばルークもこのまま成長すれば、あいつのように髪を切るのだろうか。俺は泡にまみれて手に絡み付いてくる俺より明るい赤い髪を眺めた。これはこれで綺麗な色だと思う。俺は自分の髪を特別綺麗だと思った事は無いが、こいつの髪は時々ふと綺麗だと感じてしまう。きっとこの色彩だと、血の色に連想される事は無いのだろう。それに訳も分からぬままほっとした。
考え事をしている間に十分泡立った頭をシャワーで綺麗に洗い流す。案外気持ちが良かったのか、ルークは結局邪魔になるほど動く事は無かった。偉かったと頭を撫でれば、えへへと照れたような笑い声が聞こえる。こちらからは見えないがおそらくあのにやけた顔をしているのだろう。
その後手早くリンスまですませてから、自分で体を洗わせた。よいしょよいしょと一生懸命に洗っているがやはりまだ一人では不備が残るな。仕上げに至らない所を洗ってやった。くすぐったいのか笑いながら振り回された腕が顎に直撃したりしたが、何とかやり遂げる事に成功した。思ったよりも体力を使うな……。
「ぷはっ」
「終わりだ。先に湯船に入っていろ」
「うん」
ルークの頭から再び湯をぶっかけて全身の泡を洗い流してやってから、自分へと取り掛かる。今まで手入れは欠かさずやってきたが、やはり髪が長いと面倒だな。何より時間が掛かる。一人で入るには支障は無かったがルークの面倒を見ながらではそう長い時間も掛けられない。どうしたものか。
そのとき俺の背中を何かが擦っていった。ぎょっとして振り返ってみれば、そこには何故かルークがしゃがみ込んでいて、俺と目が合うとにこりと笑った。さっき洗い流したというのにもう泡だらけになってやがる。
「……ルーク、何をやっている」
「せなかのながしっこー」
どこで覚えてきたのか(十中八九ガイだ、というか奴しかいない)ルークはそう言うと懸命に俺の背中を洗い始めた。むず痒い様な妙な感覚が俺の背中に伝わる。俺は仕方なくため息をついて、とりあえずそのままやらせておいた。同じ場所を擦りすぎて少々痛く感じもしたが、髪を洗い終えるまではそのままでいいだろう、減るものでもないし。
……別に特に嬉しかった訳ではないからな。
「あったかーい!」
「ちゃんと肩まで浸かれ、風邪を引くぞ」
湯船に入ってもルークはいちいち歓声を上げた。体を出しすぎて冷めないように、しかし溺れない様に微妙な力加減で俺はルークを支える。そして勉強がてらに数を数えさせた。とりあえずまだ十までだ。それを五回繰り返させて、湯船に浸かる時間は約五十秒、我ながら妥当な所だな。
「いーち、にーい、さーん、しーい、……えーと」
「五、だ」
「ごー!ろーく、しーち、はーち」
ルークはゆっくりと確かめるように数える。熱すぎずぬるすぎない良い塩梅の湯に俺も暫し目を閉じる。穏やかな時間だった。まるで父親になったような気分だ。……いやいや、俺よ、そこは超えてはいけない一線だろう。まだ相手もいないというのに、こんな大きい子どもなどいらん!
ふと、俺はルークの表情を見た。にこにこと楽しそうに数を数え続けている。そういえばこの時間、(いつもの事だが余計に)ルークは始終笑顔だった。やはり風呂が好きなのだろうか。しかしあいつが風呂好きだったなんて、一言も聞いた事は無いぞ。ここは本人に聞くのが一番か。
「ルーク」
「なーに?」
「そんなに風呂が好きなのか」
俺が尋ねるとルークはきょとんとした目でこちらを見た。むーっとしばらく考え込んだ後、にぱっと笑いかけてくる。呆れるほどよく動く表情だ。
「すきー!だけど、きょうはもっとすきー!」
「何?」
「あっしゅといっしょのおふろ、いちばんすき!」
予想もしていなかった答えに俺は言葉を失った。首をかしげてこちらを見つめるルークに何でもないことを伝えると、納得したのか再び数を数え始める。その顔はやはりご機嫌の笑顔だった。俺は思わず額に手をやって頭上を仰いだ。
どうやら、のぼせたようだ。
最愛なる 6
06/08/15
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