どうしてこんな事態になった。どう考えても不可抗力だ。
とりあえず自問自答してみたがもちろん答えは出てこなかった。何人もの奴から「取れなくなっちゃうよ」と言われ続けてきた眉間にグッと皺がよるのを自分でも感じる。ああ、俺は自覚しているさ、止められないだけで。分かっているから放っておいてくれと心の中で叫んだ回数は最早1桁を超えている。
いや、俺の眉間の皺の事はどうでもいい。考えなければいけないことは今だ。俺の今置かれているこの状況だ。現実逃避しようとするな俺の思考。
「どうされたの?」
脳内で苦悩する俺の目の前から穏やかな声が聞こえる。聞きなれたようで、聞きなれないその声。俺の生きた世界では母と呼べる存在。だがこの世界では、俺にとってこの人はどのような位置づけになるのだろうか。
「……何でもありません」
「そう。それじゃあお願いしてもいいかしら」
(母上、とは呼べないな)シュザンヌ様が一見穏やかにしかし有無を言わせぬ声色でそう言った。その笑顔には隙がなく、どう見たって断らせる気が無い。体が弱いだけで心も同じぐらい折れやすいのだろうと思っていた俺の認識はとてつもなく甘かったようだ。ひくりと口元が引きつるのを何とか抑える。
まったくの見知らぬ男のはずの俺は今、この人の大事な大事な一人息子の使用人にさせられそうな所なのだ。
「しかし、お話したように私はどこから来たのかも分からない得体の知れない奴です。尋ねられてもお答えできません。そのような者をこの屋敷に招きいれ、さらに使用人にするなどと」
「でもあなた、行くあてもないのでしょう?」
「それは……確かにそうですが」
「それに」
シュザンヌ様は困った顔で頬に手を当てながらもさらに言い募ろうとする。何でこの人は俺をこんなに引き止めるんだ。目に入れても痛くない一人息子(しかも誘拐されてからずっと軟禁状態だった)の部屋に無断でいつの間にか存在していた俺を、だぞ?普通兵士に突き出すだろう。その場で首をはねられても可笑しくない状況だ。まあ、無論大人しくはねられるつもりも無いが。
不可解に思われたその理由は、俺の後ろからひょっこりと現れた。
「あしゅー」
とて、とて、とて。
聞こえるはずの無い効果音が俺の耳に届く。だがそんな擬音が似合うような頼りない足取りで明るい赤の頭が俺に向かって歩いてきた。俺と目が合うとにぱっと笑って両手を伸ばしてきやがったものだから、俺は仕方なくその10歳にしては軽すぎる体を持ち上げてやる。それだけの事に、こいつはキャッキャと楽しそうな声を上げた。謎だ。
「ほら、ルークがそんなに懐いていますもの」
お願い?と首をかしげてくるシュザンヌ様に俺は言葉が詰まる。ああ認めてやろう。俺はこの人に滅法弱いのだ。
「あしゅー?」
1回教えてみたら何故か一発で覚え、それでも正確には発音できない口で俺の名を呼ぶ子ども。だから、お前は何で俺に懐くんだ。確かお前を今まで世話していたのはガイだろう、現にお前はあいつにあんなに懐いていたじゃないか。言ってて何故かムカついてきたが。
そう思ってふと部屋の入口を見ると、目から血の涙を流しながらギリギリと歯を食いしばって嫉妬にまみれた憤怒の形相でこちらを睨みつける某使用人を発見してしまった。……とりあえず、見なかったことにする。
「しかし……本当によろしいのですか?」
「あら、こちらが頼んでいるのですよ?」
最後の確認のためにそう聞けば、笑顔で返された。敵わない。重い重いため息を吐いた後、俺は腕の中できょとんとこちらを見つめる翡翠の瞳を睨みつけるように見た。怯まないのは同位体だからなのか大物だからなのか。
まあいい。とりあえずは、元の世界に戻るまで、だ。それがいつになるかも分からないが。
「覚悟しておけ、俺が貴様を馬鹿で阿呆で考え無しでどうしようもない甘ったれた坊ちゃんでイライラするほどの卑屈野郎でそれなのに泣きもせず勝手に1人悟ったような顔で笑いながら死にに行くような駄目人間にならないよう、立派に教育してやるからな」
「あしゅー!」
意味が分かっているのか分かっていないのか(9割方分かってないだろう)満面の笑顔で俺に抱きついてくる温もり。
以前は故意に失ってしまったこの温もりを、俺は今度こそ、この手で守る事が出来るだろうか。
最愛なる 2
06/07/31
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