俺がこの屋敷の使用人になって、つまりこの世界にやってきて最初の夜。俺は少し困っていた。何故なら、俺の寝る場所が無いからだ。
いきなりどこからやってきたか分からない飛び込み使用人の俺を何故か雇ってくれた公爵だけど、実は俺は公爵に実際に会ってはいない。俺が状況を整理している間にどこかに消えていたルークが部屋に戻ってきた時、「父上の許可は頂いた」と偉そうに言ってきたのだ。お前いつの間に!雇われる俺が直接会わなくてもいいのかと思ったけど、いいんだとルークに一蹴されてしまった。ルークが言うんじゃしょうがない。けど、俺の部屋はどこ?空きの部屋はあるのんだろうか。いやその前に住み込みを許可してくれているのか。住み込みじゃなきゃ俺は困る。だって行く場所が無いんだから。
「どうした」
部屋の中でうろうろしている俺を見咎めてルークが声をかけてきた。今この部屋に入ってきたばかりの様子だった。またいつの間にかどこかに行っていたらしい。それほど俺が考え込んでいたわけだけど。ルークの手には毛布が握られている。……ん?何で毛布?
「ほら」
「うわっ、な、何だ?何で?」
ルークから毛布を手渡されて、というか放り投げられて慌てて受け止めながら俺は戸惑った。まるで寝る場所について考えていた俺の心情を読み取ったかのように用意された毛布だ。しかし相変わらず肝心の寝る場所は分からないまま。わざわざ毛布を持ってきたという事は……まさか廊下じゃないよな……。
「ここで寝ろ」
ルークが指差したのは、この部屋のソファだった。さすが貴族の家のソファなだけあって人一人が余裕で眠れるだけの大きさだ。俺も昔よく寝転がってたっけ……って、え?ここで寝ろって?この部屋で?主人の部屋で?!
「い、いやそれはさすがに!やばいんじゃないか?!」
「何がだ」
俺の動揺はしかしルークには伝わらないらしくけろりとした表情をしている。もっと深く考えて欲しい。
「だって俺一応使用人だぞ。使用人が主人と同じ部屋で寝るなんて」
「はっ、そんな事か。俺がいいって言ってるんだからいいんだよ」
うわ鼻で笑われた。いやでもお前、もし怒られるとしたら俺が怒られるんだぞ、確実に。それでもきっと拒否すれば目の前のルークが今怒り出すのはもっと確実なので、俺は深くため息をつくことで肯定の意を示して見せた。ルークはとても満足そうに頷いている。ちくしょう何だか悔しい。
こうして俺はルークの部屋で寝る事となったのだった。
次の日どこに寝ていたのか聞いてきたガイに教えればものすごく驚いていた。一緒の部屋に寝る事を許されるなんて信じられないと言っていた。だよなあ、俺もそう思う。ルークって自分の領域が他人に侵されるのってすごく嫌いそうだもんな。
あれ、じゃあ何で俺は許されたんだろう。
俺は今件のソファの上だった。先ほど電気が消されて(ルークの部屋で寝ているからもちろん規則正しく生きているルークと一緒の時間に寝るのだ。何度も言うけど使用人なのにいいのか?)そんなに経っていない時間だった。俺はチラリとルークの方へ顔を向けてみた。すると、闇の中に浮かぶ翡翠の瞳とばっちり目が合う。俺がかすかに驚いている一瞬の間に、あっちは目を見開いた後、すぐにぐるりと寝返りを打ってしまった。何も言葉を発しなかったが、確かに目が合った。つまり、ルークは俺の方を見ていたのだ。多分、電気が消えてから今までずっと。
しばらくポカンとしていた俺はそっとソファを抜け出した。音を立てないように、驚かせないようにベッドに近づく。顔まで引き上げられた毛布がかすかに揺れていた。寝息を立てている動作ではない。それを見た俺はどうしようも無くなって、思わず笑みが零れてきた。真っ暗でよかった。
ああどうしよう、俺、こいつが愛しくて仕方が無い。
「ルーク」
名前を呼びながら少しだけ出ている赤い頭をぽんぽんと撫ぜれば、またびくりと反応する。ちらりと覗く耳が真っ赤だったので、俺は少しだけ声を上げてくつくつと笑った。何をそんなに恥ずかしがる事があるのか。
俺も慣れてしまったけどさ、それでも嫌なものは嫌なんだよな。
一人の夜って、寂しいもんな。
「俺も、寂しいよ」
ついそうやって言ったら、少し躊躇った時間の後毛布の中からそっと手が出てきた。当たり前のように俺より小さな手だった。その小さな手は、自分の頭の上にあった俺の手にそっと触れてくる。毛布の隙間から2つの瞳が覗いていた。
「……こうすれば、寂しくないだろう」
まあ俺は別に寂しくなんか無いんだがお前が寂しいのなら仕方が無い。
まったく世話の焼ける使用人だと言わんばかりにそうやってルークが言うので、俺はまた笑った。でも何故か否定する事は出来なかった。俺は俺が気がつかないうちにひどく寂しがっていたらしい。俺の手に触れる小さな手はとても温かかった。ぎゅっと握り締めれば確かな力が返ってくる。握っているだけで全身が温まるほど、俺の心は冷えていたのか。気がつかなかった。
俺はルークを慰めるつもりだったけど、これじゃどっちが慰められているか分からないな。
思い出すのは、冷えた体だった。
この温かな小さな手が俺ぐらいに大きくなって、冷えた剣を握り、命を奪う事を覚えて、そして冷たくなったのだ。居場所を奪われて一人で戦って、一人で冷たくなってしまったのだ。
俺はいつの間にか縋りつくように小さな手にしがみついていた。
「……温かいな」
「ああ」
「生きているな」
「当たり前だ」
俺の急な問いに躊躇う事無く答えてくれるこいつが、生きているこいつが愛しくて仕方が無い。
ああ、やっと分かった。俺がここにいる理由。
俺はこのぬくもりを守るためにここにいるのだ。
そのためだったら俺は、何だって出来る気がする。
俺はお前から奪う事しかできなかったけど、今度こそ。
俺がお前を守るからな、ルーク。
「おやすみルーク」
「……おやすみシロ」
ゆっくりと目を閉じるその額を、誓いを立てるようにそっと撫でた。
俺はここにいる。名前をつけて、居場所をくれた目の前の子どものおかげで。
世界なんて一人で抱えきれないほど大層大きなものを守るためではない。この手で包み込めるこの小さなぬくもりのためだけに、俺はここにいる。
ルークのために、俺はいる。
親愛なる 6
06/07/18
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