結局、本当のことを馬鹿正直に話せるわけが無いので、分からないという意思表示に首を振っていた。だって俺がどうしてここにいるのか本当に分からないのだ。嘘ではない。
すると目の前の子どもは人をまったく信用していない目で俺を見上げた。そりゃそうだろう。ここはこの子どもの部屋で、俺は断りもせず前触れも無くこの部屋に立っていたのだから。あ、しかもこいつと同じ赤い髪に、翡翠の目じゃないか。預言に詠まれている、唯一の色だ。これで怪しむなって言う方が無理だよな。
どこか現実逃避気味にそうやって考えていると、子どもはふんととても偉そうに言ってきた。
「分からないなら、お前は使用人だ」
俺が決めたんだ、文句は言わせねえ。
何て横暴な言葉だろう。質問に答えないとはいえ初めて顔を合わせた人間を有無も言わさず使用人呼ばわりだ。その耐え難い口調にしかし俺は思わず頷いていた。馬鹿は俺だ。例え大きかろうが小さかろうが、俺という生き物はこのオリジナルという存在に弱く出来ているらしい。目の前で小馬鹿にした視線を向けられても、俺の中には怒りという感情がまったく沸き起こらなかった。もしかしたら、怒りという感情だけ乖離しちゃったのかもしれない。
頷いた俺を見て、改めて子どもは俺に尋ねてきた。
「お前、何でここにいるんだ」
先にそれを聞くべきじゃないのかお前。だがまあその至極まっとうなその問いに、やはり俺は答える事が出来なかった。俺だって聞きたいよ、空の上にいるであろうローレライ辺りに。ん?もしここが俺の思うとおりの世界なら地核か?どっちにしたって、あいつがきっと何かしたんだ。そうでなければ一体この展開は何だっていうんだ。俺から回線が繋げられれば今すぐ問い詰めてやるのに、ちくしょう。
俺が何も答えられないでいると、子どもはみるみるうちに不機嫌そうな顔になっていった。今までも十分不機嫌そうだったけどさ。そうやって小さい頃から眉間にばっかり皺寄せてると、取れなくなっちゃうぞ。
こんな俺の思考を読み取ったのか、子どもは残酷な事を聞いてきた。
「じゃあ、名は何だ」
俺は今度こそ固まった。1番答えられない問いじゃないのか、これ。だって俺の名前は……目の前にいるこいつから(不本意でも)奪った名じゃないか。
でも俺はこの名前以外に名前なんて持ってないし。偽名なんてとっさに思いつかないし。
……どうしよう。どうしようどうしよう。
1人で百面相している俺を子どもはイライラしながらそれでもしばらく見ていたが、痺れを切らしてとうとう声を上げた。
「よし分かった、答えられないのなら俺が決めてやる」
はい?
子どもは俺の頭のてっぺんから足のつま先までじっくりと見た後、少しだけ考え込んでから、ひどく尊大に命名した。
「お前は、シロだ」
犬かよ。
多分服を見て名付けられたのだろう。断るか、いやでもじゃあ名前を言えと言われても困るし。俺は何も言えずに立ち尽くした。それを肯定ととったのか(いや仮に嫌だと言っても聞き入れてはくれなかっただろうけど)子どもはどこか満足そうにひとつ頷いた。
「俺はルーク。ルーク・フォン・ファブレ。お前の使えるべき主人だ」
当然のようにそうやって名乗る子ども……ルーク。
ただ名前を名乗られただけなのに、俺は自分でも驚くぐらい安堵していた。
ああそうか、今この世には、ルークは1人なんだ。
この子どもは名前を奪われる事なくまだルークとしてここにいて、幼馴染と将来を誓って疑う事も無い幸せな時なんだ。
だから目の前に、将来己から全てを奪う存在が立っている事さえ、知らないんだ。
「何だ、シロじゃ不満なのか?」
俺の変な表情を嫌がっていると受け取ったルークはぴくりと眉を上げた。ああ不機嫌だ。すごく見慣れた顔が目の前にいる。
いや、別に名前が不満って訳じゃない。ほら確かにそんな犬っぽい名前好んでつけられる奴なんていないさ、多分。でもさ、俺、自分でも驚いているんだけどさ、嫌じゃないんだ。本当に。むしろほっとしているぐらいなんだ、俺が驚きだよ。でもこんな顔してる本当の理由なんて話せる訳が無いし。
さっきからだんまり決め込んでいる俺に慣れてきたのかルークがすぐに口を開いた。な、何で笑ってるんだ。
「それじゃあポチにでもするか?」
……シロでいいです。
ていうかやっぱり犬としてつけられていたのか、これ。
諦めたようにうなだれる俺にルークは満足したように笑う。その笑顔は確かに未来のあいつと似ていたけれど(あいつの笑顔なんてほとんど見たことないけどさ)それよりずっと子どもらしくて俺は心底ほっとした。よかった、こいつだって、ちゃんと笑えたんだ。ちゃんと笑うことを知っていたんだ。
とりあえず俺は名前を貰った。それが例え不本意なものだとしても。
それでも俺は、許された気がした。俺が存在するはずの無いこの世界で、俺が奪ってしまうはずの名前をまだ持っているこいつに、この世界での名前を、貰う事で。俺はここにいていいんだと、言われたようで。
何で死んだはずの俺がこんな所にいるのか分からないけど。
それが分かって元の世界に戻るまでは。
それまでは。
ここにいて、いいのだろうか。
そこで俺はまだ言っていない言葉があることを思い出したので、ルークを見つめながら言った。
「ありがとう、ルーク」
俺をポカンとした顔で見上げてきたルークに、ようやく思い出した。
そういえば俺、今、ここにきてから初めて声を出した気がする。
親愛なる 2
06/07/04
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