まさかの影武者大作戦 前編



どうしてこうなったんだろう。さっきから俺はずっとそんな事を考えている。それしか考える事が無いというか、考える事が出来ないというか。初めて経験する長髪の重みのせいなのか頭がグラグラするような気がしてきた。うん、俺、髪はこれからもずっと伸ばせないな、きっと。


「先程から元気がないな。どうした、「ルーク」」


い かにも心配していますといった態度で俺の顔を覗き込んでくる「兄上」。実の弟にさえこんな風に素直に声を掛けられないぐらいのツンデレ(ガイ談)の癖に、 こいつ……絶対今の状況を楽しんでやがる!心なしかいつもすましている瞳がどことなく愉快そうに光っている気がするし!
何だかムカムカしてきた ら、周りのもの全てに対して苛立つ様な気さえしてきた。暑っ苦しいこの長髪のウィッグも、一生着る事が無いだろうと思っていたこの高級な服も、目の前で談 笑するエレガントな雰囲気のお貴族さまの笑顔も、隣で誰にも分からないようにニヤニヤ笑っているこの人も!
本当はここに立っていなければならないのは、しがない一使用人の俺じゃなくって、本物の王子であるもう1人のルークのはずなのに!

くそお、まさか……まさか本気で影武者をやらされる事になるなんて、思ってもいなかったよ!





時 は昨日まで遡る。明日(つまり今日の事だ)はどうやら遠い国の重鎮がこの国にやってくる日らしく、王族一家勢ぞろいで出迎えなくてはならない日であった。 このことはずっと前から分かっていた事で、いくら堅苦しい場が苦手な俺のご主人様ルークが嫌がったとしても、よほどのことが無い限り回避不可能なパーティ だったのだ。
しかし昨日、目前になってそのよほどの事が起こってしまった。
何と、ルークが風邪を引いてしまったのだ。


「お前なあ、何もこんな時に熱出さなくたっていいだろー」
「しらねーよお、もんく言うなら風邪菌に言えってんだ」


俺が額のタオルをこまめに水に晒して冷やしてやっている中、ベッドに横たわるルークは赤い顔で口を尖らせてみせた。まだ熱があるみたいだ。苦しいだろうに、ルークはぐったりするどころかむしろ上機嫌だった。


「へっへ、でもこれで明日のめんどくせえパーティにでなくてもいーんだ。大ラッキー!」
「本当に公の場に出るのが好きじゃないんだな、ルーク」
「あったりまえだろお!あんなの出てたら肩こっていけねえよ」


力 の篭らない腕でふかふかのベッドを叩いて主張するルーク。そんなもんなのか、俺は美味しいもの食べられそうだからちょっぴり興味があるけどな。そんな風に 考えていたのが悪かったのかもしれない、ひょっこりとルークの見舞いにやってきたガイが、とんでもない事を言い出したのだ。


「よおヒヨ、ルークの様子はどうだい?」
「元気じゃないけど元気そうだぞ」
「おおガイ、おれは元気じゃないけど元気だぜ!」
「ははは、ルークは前から明日出る事を嫌がってたからなあ。しかしその様子じゃ、本当に無理そうだな」


ガイは仕方がないとため息をついて、俺に言った。


「それじゃあ、ヒヨにルークの代わりをやってもらうしかないな」
「……は?」


突然の言葉に俺は反応する事が出来なかった。ポカンとしている俺の代わりにルークが驚きの声をあげる。


「はあ?まさか、マジで影武者させんの?」
「いや、俺も考えていなかったんだが、困り果てていた旦那様にアッシュがヒヨの事を持ち出してな。それはいいって奥様が賛同して……」
「な、なに考えてんだよ兄上!」


そんな元気はないはずなのに勢い良くルークがベッドから身を起こす。が、すぐにふらりと傾いた。元気なのはやっぱり気持ちだけらしい。うぐぐと唸るルークを慌てて支えてやってから、俺はガイを振り返った。


「いや、冗談だろ?確かに俺とルークはそっくりだけど、俺に王子様役が出来るわけないし、そもそも髪の長さが違うし!」
「それなら問題ない、ちゃんと用意してあるから」


ほらっとガイが差し出してきたのは、ルークの長髪そっくりに作られたウィッグだった。準備が良すぎるだろ!これは、以前からいずれ俺の事をマジで影武者として使う事を考えていたに違いない。この用意周到な所を見ると、俺はきっと逃げられないんだな……。
目眩のようなものを感じていれば、俺に支えられながらもルークが声を絞り出してきた。かなりきつそうだ。


「だっだめだっこいつは俺の使用人だぞ、影武者にするかしないかは俺が決める!」
「何だルーク、ヒヨに代わりに出てもらえばお前も楽じゃないか?どうしてそんなに嫌がるんだ」
「うっ……」


本気で不思議そうにガイに問われると、ルークは口篭ってしまった。言われてみれば確かにそうだ。俺がルークの代わりをする事で得をするのはルークなのに、何でこんなに反対しているんだろう。俺も問うように見つめれば、目が合ったルークは罰が悪そうに目を伏せてしまった。


「だって、こーいう時の俺の役割って、主に兄上の付き添いじゃねーか」
「そうなのか?」
「まあ、そうだな。ルークはまだ成人していないし、アッシュの奴は無駄にしっかりしているし、あまりルークを表に出したがらないから」


確かにあのアッシュ様なら公の場でルークより数倍上手く立ち回れそうだ。しかしルークを表に出したがらないってどういう事だろう、ルークが嫌がっているのを分かっているから、とかはあまり想像できないな。むしろ嫌がらせに無理矢理前に立たせそうだ、あの兄上様は。
ガイに問えば、「独占欲みたいなものじゃないか?」とあっさり返された。……深く考えてはいけない気がする。


「んで、それの何が悪いんだ?むしろ俺としてはアッシュ様に全てを任せる事が出来ると分かって嬉しいんだけど」
「それが駄目なんだっ!ルークは俺の使用人だろ、兄上には絶対渡さねーの!」
「はあ?」


何だかルークの思考回路が変な方向に暴走しているっぽいぞ。熱のせいか。ルークは熱で赤らむ頬をさらに赤くさせながら拳を握り締めている。


「兄上の奴、ずっと羨ましそうな目で見てきやがってたからな!この機会にルークで思いっきり遊ぼうとか考えていやがるに違いないんだ、ふざけんなっつーの、ルークは俺のだっつーの!」
「ちょ、ちょっと落ち着けよルーク、俺が恥ずかしいから!」


癇癪を起こしたみたいにジタバタ暴れだすルークに慌てて俺はしがみついた。あのアッシュ様が羨ましそうな目で見てたって、それこそ冗談だろ。それとも兄弟だからあの仏頂面を正確に読み取る事が出来るのか。
とにかくこの場にいるのがガイだけでよかった、と考えたのが悪かったのか。俺とルークとガイ以外の声がその時耳に届いてしまった。しかも、今一番この場に来て欲しくない人物の声が。


「ほう、いきなりの熱でぶっ倒れた自分の自業自得の癖しやがって言うじゃねえか、この愚弟が」
「げっ、兄上!」


その姿を見てさすがのルークも動きを止めた。部屋のドアの前に立っていたのは、不適な面構えでルークを睨みつけるお兄様ことアッシュ様だった。いつからいたんだ!つかつかとこちらに歩み寄るアッシュ様にガイが声をかける。


「珍しいな、見舞いか?」
「まあな」
「こういう時いつもは誰にも見つからないようにルークが眠っている深夜とかに一人でこっそり忍び込んでいたじゃないか。それなのに今回は白昼堂々と」
「っ黙れガイ」


感心するガイをアッシュ様がギロリと睨みつける。しかしガイはその恐ろしい睨み攻撃をはいはいと軽くいなすだけだった。うーん、幼馴染ってすごいんだな。
ガイから視線を外したアッシュ様は、気を取り直すようにふんと息を吐いて、じろりと俺とルークを見下ろしてきた。ああ、この視線苦手なんだよな、無駄に威圧感があって。


「こいつを「ルーク」として明日出させるのはもう決定された事だ。今更うだうだ言ってんじゃねえよ」
「俺は許可してねーって言っただろ!いくら兄上でも俺は譲らねーからな!」
「母上も同意された事だ」
「う……く、くそっ!」


奥方様の話を出された途端に息巻いていたルークは悔しそうに項垂れてしまった。やはりこの国最強は奥方様なんだな……。ようやく諦めたルークを勝ち誇ったように見下ろしたアッシュ様は、俺の頭に軽く触れてニヤリと笑った。


「それじゃあ、明日覚悟しておけよ、屑ヒヨ」
「はっはいいぃっ!」


俺がテンパった声で返事をしたのを見届けて、アッシュ様は部屋を出て行った。何しに来たんだあの人。非常に悔しそうに歯噛みするルークは、うーうー唸りながら俺を見上げてきた。


「おいルーク、ぜってー兄上に負けんじゃねーぞ、反応すればするほど喜ぶからなあいつは!」
「えっ俺何されんの?!」
「ははは、まあ心配するなよヒヨ、お前はアッシュの後ろにくっついておけばいいだけだから」


ぽんと俺の頭にウィッグを乗っけたガイのやっぱりそっくりだなーという呟きを呆然と聞き流しながら、俺は不安だらけの心で明日の事を考える事しか出来なかった。

そうして、時は冒頭に戻る。ここまでの経緯を走馬灯のように思い出していた俺が思ったのは、ひとつだけであった。

何度でも言おう。どうしてこうなった!




09/09/27