俺と先輩とご主人様
俺はルーク。この国の王子様(ちなみに俺と同じ名前)の使用人になったばかりの男だ。路地裏の手作り掘っ立て小屋に寝泊りしながら日々の生活費を稼ぐのが
精一杯だった俺は、住み着いていた町から隣の国まで無理矢理連れてこられたものだから、今や住む所が無い。そんな俺のために奥方様はわざわざ部屋を与えて
下さった、んだけど……。
「どこの国に王子とその使用人を同じ部屋に住まわせる国があるんだよ……」
「ここだろ?」
生
まれて初めて見るような豪華な部屋を前に打ちひしがれる俺、にあっさり言葉を投げかけてくる隣の俺のそっくりさん(但し俺と違って髪が長い)こそが、俺の
主人であるルークフォンファブレ様その人である。何でこいつもこんなに平然としてるんだよ、自分の部屋である日いきなり使用人との共同生活が始まるんだ
ぞ?普通戸惑うだろ?そんな思いを込めてルークを見つめると、気付いたルークが首を傾げてきた。
「何だよ、何で不満そうなんだよ」
「いや不満っていうか、言いたい事がまだ沢山残ってるっていうか」
「母上が決めた事は基本的に絶対だからな、まっ諦めろってこった」
「……うう」
あ
の聖母のようなスマイルを思い出して、俺は全てを諦めた。あの微笑みには、おそらく誰も敵わないのだろう。この国の一番偉い人である王様を血にひれ伏させ
る事が出来る唯一の人だからな。仕方が無い、と俺が項垂れながら納得しようとしていたら、どこか拗ねたような声が聞こえてきた。もちろんルークの声だ。
「……お前、そんなに俺と一緒の部屋が嫌なのかよ」
「へっ?」
顔
を上げると、じと目でルークがこちらを睨みつけている所だった。そ、そうだ、俺はただ王子様の部屋という身分違いの場所で暮らしてもいいのだろうかという
葛藤に苛まれていたわけだけど、傍から見ればただ嫌がってるようにしか見えなかったよな。それがルークには不服だったようだ。そりゃ自分の部屋嫌がられ
ちゃ拗ねたくもなるか……じゃなくって。俺は慌ててルークに駆け寄った。
「ち、違う!別にルークが嫌とかルークの部屋が嫌とかそういう訳じゃない!ただ戸惑ってただけだ!」
「戸惑うなよ!」
「無理言うなよ!」
不毛な言い争いをしている背後から、その時何者かの声がかけられた。初めて聞く声だ、また新たな人物か。
「ああいたいた、おかえりルーク。お前が分裂して帰ってきたってアッシュが騒いでたけど本当か……っと」
「おっすガイ、ただいま。分裂じゃねーけどこいつが噂の俺の新しい使用人」
ルークと気軽に言葉を交わすのは、金髪碧眼の男だった。歳は多分、アッシュ様と同じかそれ以上って所か。町の女達が見たらキャーキャー騒ぎそうな容姿のその男は(もちろんファブレ王族も恐ろしく整った顔してんだけど)、俺を見ると驚いたように目を見開いた。
「へえ、こいつは驚いたな。本当に分裂したみたいにそっくりじゃないか」
「だろ?偶然拾ったんだ、しかも俺と同じルーク。面白い使用人だろ」
「お前なあ人をペットみたいにほいほい拾うもんじゃないぞ?」
得意そうなルークに呆れたように笑いながら注意するその人は、この城で出会った中で一番まともな人かもしれない。俺がポカンと見つめていたら、金髪の男はおっと、と声を上げて俺に向き直ってきた。
「自己紹介が遅れたな。俺はガイ、使用人兼護衛騎士をやっている。お前さんの先輩みたいなものだな」
「あ、えっと、ルークです、一応。よっよろしくお願いします!」
「ははは、そんなに硬くならなくてもいいよ。気軽にガイって呼んでくれ」
呼
べるか!と言える訳ないので、俺は曖昧に頷いておく事にした。でも先輩か……先輩にあたる人がこんな気さくな人でよかったな。それにしても使用人とか言っ
てたけど、あんなにルークに気軽に話しかけてていいのかな(今更俺が言えた義理じゃないけど)。さっきアッシュ様の事も呼び捨てにしてたし。俺が不思議に
思ってる事に気付いたのか、ルークが説明してくれた。
「ガイはずっと昔からここにいるから、使用人つーか幼馴染みたいなもんなんだよ」
「そっか、なるほどな」
「まあそういう事だ。しかしお前たちは会ったばかりだろう?それなのにまるで兄弟みたいに仲良く見えるぞ、よほど気が合うんだな」
朗らかに笑いながらのガイの言葉に、俺はハッとしてルークを見た。俺が何か言う前に、ルークが思いっきり顔をしかめながら先手を打つ。
「ルークさ……」
「今更へりくだった物言いは止めろよな、気持ちわりい」
「ひ、ひでえ!自分で使用人にしといて使用人らしく接しようと思ったら気持ち悪いって!しかもまだ何も言ってないのに!」
「いやあ俺もこのままで良いと思うぞ?楽しそうじゃないか」
ルークに加えてにこにこ笑いながらガイまでそんな事言うもんだから、俺はルークに丁寧に接する機会を失ってしまった。いいのか?本当にいいのかそれで?悩む俺を、ガイがふと見つめてきて、呟く。
「それにしてもルーク、ああ髪の短いお前さんのことだよ、さすがにちょっとややこしいな」
「名前は仕方ねえだろー。んで、こいつがどうしたんだよガイ」
「いや、何か少し汚れてないかと思ってな」
「えっ」
ガ
イの言葉に俺は驚く。いきなり面と向かって汚れてるなんて言われた驚きもあったけど、まず俺の頭の中を占めたのは汚れた俺がこの綺麗な部屋を汚していない
だろうかという心配だった。仕方ないだろ、ここ城の中だぞ、城!汚しちまったら大変だろ!でもそんなに俺は汚れているだろうか。確かに着の身着のまま、薄
汚れた場所で暮らしてきたままここに連れてこられた訳だけど。
ガイに言われて俺の姿を上から下までじっくりと眺めたルークは、確かにと頷いている。や、やっぱ俺汚れてるのか……さすがにショックだ。
「そういやそのまんま連れてきたからな、んじゃ風呂に入れるか」
「ああ、それがいいだろう、服はとりあえずお前のを貸してやるか?」
「背丈も一緒だしな、そうすっか」
「……へ?!風呂っ?!」
「おーい」
呆ける俺をよそにガイと勝手に話をまとめたルークが声を上げれば、すぐさま数人のメイドたちが音も無く駆け寄ってきた。す、すごい、これが一般の使用人か。俺には到底出来そうもないけど、つくづく俺が使用人でいいんだろうか。ルークは俺を指差して、メイドたちに言った。
「こいつを風呂に入れてくれ」
「かしこまりました」
「さあこちらへどうぞ」
「え?!は!?ええ?!」
メ
イドにがっしりと両脇を掴まれた俺は、そのまま抵抗する間もなくずるずると引き摺られてしまった。女の子なのに、普通のメイドの女の子なのに何でこんなに
強いんだよ!俺は綺麗に洗ってもらえよーと呑気に送り出すルークを精一杯にらみつけることしか出来ない。いや待てよ、洗ってもらえって、つまりそういう事
なのか?まさか……そんなまさか。だってここにいるの、やたらと笑顔な女の子だけなんですけど!
「いっいやあああ!自分で洗う!自分で洗うからあああああ!!」
俺の切実な悲鳴は、やたらとでかい風呂の中に鳴り響いただけであった。詳しい事は……思い出したくも無い、言わせないでくれ、頼む。とりあえず風呂がでかくて立派だった事しか覚えてない。この世にはマジで口からお湯を吐く黄金のライオン像というものが存在していたのか。
服はいつの間にか今まで着ていたボロが消えていて、上等な絹の服を着せられていた。もしかしなくてもルークのものだろう。つまり王子様の服なんだけど俺が着ていいのか。
「はい出来上がりました、今ルーク様をお呼びしますのでお待ち下さいね」
半
ば放心しながら椅子に座らせられた俺の頭を乾かしてくれたメイドが一礼して去っていく。俺もうあのメイドたちと目合わせられない……ごっしごし磨かれち
まったよ。俺はそんなに汚れていたとでも言うのか。そりゃ、今までは風呂に入る機会も無くて川で身を清める事ぐらいしか出来なかったけどさ。
立ち上がる気力も無くてぐったりとふかふか椅子に座ったままでいれば、すぐにルークと、おまけにガイもやってきた。何故かすごく興味津々な目で俺を見てくる。
「ようやく出来上がったかーって、うおお?!」
「お疲れさん……っと、これは……」
俺
を目にした二人はそのまま一瞬固まった。な、何だ?俺が戸惑っていれば、近づいてきたルークが心底感心した様子で俺の頭に触れてくる。ああ、そういえば今
までは手入れをしてなかったせいで整ってなかったけど、今は丁寧に洗われたから少し違っているのかもしれない。そう、ものすっごく丁寧にな……ううっ。し
かし鏡を見ていないので、俺は俺自身が今どのような姿になっているのかが分からない。
「へー、っへぇー!お前、マジで今まで薄汚れてたんだなあ」
「な、何だよそれ!しみじみと言う言葉かそれが!」
「いや俺も驚いたよ。ルークと同じぐらい綺麗な髪の色をしていたんだな」
ガイまで物珍しそうに俺の髪を引っ張る。何だよ何だよ!もどかしそうな俺に気付いたのか、ガイが傍にあった手鏡を手渡してくれた。
「ほら、自分で確かめてみるんだな」
「……えっ」
そこに映っていたのは、ほとんど知らない人だった。そう、今目の前にいるルークが髪を切ったような小奇麗な奴がそこには映っている。つまり俺か。……本当に俺、なのか?これ実は映る人を二倍綺麗に映す魔法の鏡とかそういうオチじゃないよな?
「これならただの使用人じゃなくて、ルークの影武者にでも出来そうなぐらいだな」
「へーっそれ面白そうじゃん!なあやるか?俺の影武者」
「じょじょっ冗談じゃねえよ!」
「なーんだ、つまんねえ」
本気でつまんなそうに呟いたルークは、しかしにやりと笑って俺の肩に腕を回してきた。至近距離にある俺と同じ顔が、これからの日々に思いを馳せるような楽しげな笑みを浮かべて俺を見る。
「ま、これから俺の使用人よろしくな、ルーク」
「……こちらこそ、何にも知らねえ新米使用人だけどよろしくな、ルーク」
お
返しに精一杯笑いながらそう言ってやれば、とびきりの笑顔が返ってきた。何でこんなに楽しそうなんだよ。そんなに……そんなに俺と一緒にあるのを、楽しみ
にしてくれてるって、事なのか?その笑顔を見ていると、不安だらけのはずの俺の胸にも何故だかこれからが楽しみに思えそうな、暖かい何かが溢れてくる。何
だよこれ、変なの。こんな気持ち、初めてだ。
まるで、そう、まるで……今まで肉親が一人もいなかった俺に、兄弟が出来たような。そんな馬鹿げた思いが、俺の中に渦巻いている。実際の立場は天と地ほど離れているというのに。
ルークがこんな風に俺に屈託無く笑いかけてくるのが、悪いんだ!
「そうしているとまるで双子みたいだな、お前たち」
「だろお?」
俺の必死な葛藤をよそに、どこか微笑ましそうに笑いながらのガイの言葉にあっさりとしかも嬉しそうに肯定して下さる俺のご主人様。何故だかムカついた俺はその頭を己の身分も忘れてどつき倒して、再び大喧嘩が勃発してしまうのだった。
そのうち処刑されやしないか心配になる俺の使用人人生は、こうして幕を開けた。
09/03/07
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