緑ズ、襲来。



俺とルークの剣の特訓は、ほぼ日課的に行われている。ルークはどんな勉強より何よりもこの剣の特訓が大好きだし、俺自身も身体を動かす事が好きだ。まともな学校には言った事が無いから、頭を使う勉強だって俺にとってはとても大事なものなんだけどまあ……息抜きって必要だろ?己の肉体を鍛える事も必要だしな、大事大事。
そうやって今日も宿題を放り出して、俺とルークは木刀を打ちつけ合っていた。


「あーそういや、明日俺の友達が城に来るから」
「えっ?!友達?!」


一通り特訓が終わって、ぼちぼち練習道具を片付けて部屋に戻ろうかとしていた時、ふいにルークが思い出したように俺に告げた言葉に、驚いて思わず持っていた木刀を落としていた。カランと音を立てて落ちる木刀にハッと我に返ると、ルークが文句を言いたげな顔で俺を見ていた。


「んだよ、その意外そうな反応は!」
「ご、ごめん、でもルークの口から友達って言葉が飛び出してくるとは思わなくて……」


だってそうだろ?ルークにとって城の中にいる人間は身内以外は全員使用人か兵士で、訪れる者もそれなりの地位にいるお偉いさんばかりで何より歳が離れている人ばかりだ。ナタリア様は歳が近いと辛うじて言えるかもしれないけど友達という関係とは程遠いし、ティアさんは婚約者だし(その前に苦手だけど)、今までルークの友達と呼べるような存在はこの城を訪れた事がなかった。そもそも俺あんまりそういう、ルークに友達とか、あんまりいないと思っていたから……あいたたた!俺の微妙な顔を見てルークが頬をつねってきやがった。痛い!


「な、なにすんだよおルーク!」
「今俺に友達いないと思ってたとか考えてただろ!」
「ななな何で分かっ……じゃなくって、そんな事ねえよ!」
「表情で分かるっつーの!ったく失礼だろ、そりゃその、確かに少ないけど、俺にも友達ぐらいいるんだからな!」


ぷいっと顔を背けるルーク。思えばルークの立場上、そんなに気軽に友達が作れる状況じゃないよな……悪い事をしてしまった。ルークの考えている事は大体その顔に出てきて手に取る様に分かるけど、つまり似た顔をしている俺も同じって事だ。気をつけないとな……とほほ。


「ごめんなルーク。んで、その友達ってどういう人なんだ?」
「おお。イオンって言ってまるで女みてーなやつなんだ。良い奴だからきっとお前も仲良く出来るぞ!」


一言謝ればけろっとした顔で肩を組んでくる。ルークのこういうカラッとした性格に俺は結構救われているんだよな。……それにしても、イオン、か。女みたいなって事は男なんだろうけど、どんな人なんだろう。ルークの言う通り、仲良く出来ればいいな、俺使用人だけど。
……そうだ。ルークの友達だって言うんなら、そのイオンって奴も偉い人って事なんじゃないか?ま、まず仲良くして良いのか、そこからだな……。




翌日、俺は一人中庭で、ルークの友達イオンを待っていた。何でルークが一緒にいないのか?答えは簡単だ、昨日剣の特訓をした後に爆睡してたルークは宿題を終わらせてなくて、怒ったアッシュ様に居残りを命じられたからだ。だからあれだけ、俺と一緒にやっとけって言ったのに。アッシュ様の怒り顔はマジで怖い、俺は宿題を何とか終わらせていたから逃げられたけど、今頃ルークは半泣きだろうな。そんな訳で、俺だけがイオンを出迎えるために待っている所だ。
だけど俺はイオンがどんな人なのか知らない。城では見かけない同じぐらいの歳の男がいれば、きっとそいつがイオンだろう。見逃さないようにしないといけないな。待ち合わせはこの中庭って事だから、俺はいつ誰が来てもいいように、目を凝らして中庭の隅々まで見渡していた。そろそろ約束の時間のはずだ。
その時、俺の目の端に鮮やかな緑色が映った。ハッと目を向ければ、綺麗な緑色の髪をした、俺と同じぐらいか少し下ってぐらいの少年がきょろきょろとあたりを見回しながら中庭に入ってきた所だった。もちろん初めて見る顔だ。あれがイオンか?


「あのー」
「あっルーク!久しぶりー!元気だった?って髪切ってる!似合ってるけどあんなに長かったのにもったいないなー!どうしたの?失恋したの?それともものすごくショックを受けるような事があった?」


俺に気付いたそのイオン?はものすごい勢いで喋りかけてきた。表情もルーク以上にころころ変わるけど、根底には俺の事を本気で心配している優しい感情があるのが、会ったばかりの俺にも良く分かった。なるほど良い人そうだ。しかしまずは誤解を解かなければならない。


「すっすみません俺の名前はルークですけど王子のルークじゃないんです!」
「へっ?あ……ああーっそっか!君がルークのそっくりさんだね!噂は聞いてるよー本当にそっくりだね!まるで双子みたいだ!えへへ、僕らと同じだね」


俺の事がどんな風に噂になっているのかすごく気になるけど、今は止めておこう。まずはこの人がイオンだって事を確認しなければ。まあこの親しげな態度、十中八九そうだろうけど。


「えっと、俺居残りのルークの代わりにあなたを待っていたんですけど……」
「あーいいよ敬語なんて、ルークとも普通に話してるんでしょ?僕らはルークと友達だから、君とも友達なんだし!」
「そ……そうか?それじゃあ、あなたが、いやお前がイオンで良いんだよな?」


お言葉に甘えてさっそく砕けた口調で尋ねると、目の前の顔は一瞬キョトンと俺を見た。あ、あれ、この状況で違った?とっさに謝ろうとした俺より先に、何かに気付いたような顔でイオン?はああっと声を上げる。


「そう!僕がイオンだよ!」
「え、でも今、イオンって呼ばれて意外そうな顔してなかったか?」
「気のせいだよ気のせい!ねえそれより君の事は何て呼べばいいの?ルークと名前も同じじゃあ呼びにくいよ」
「あ、ああ……そうだな……」


さっきの反応が少し気になるけど、イオン?の言葉に俺はしめたと思った。ここで俺のヒヨコ的なあだ名の広がりに終止符を打てるチャンスだ!思えばアッシュ様から屑ヒヨと呼ばれてから今まで、まともな名前で呼ばれる機会がめっきり減ってしまった……そんな現実を俺が自ら、終わらせてやるんだ!
しかし自分で呼ばれて嫌じゃない名前、か……とっさに思い浮かぶもんじゃない。しまった、普段からこういう時のために考えておけばよかった。俺が考え込んでいる間に、同じように考え込んでいたイオン?がぱっと顔を上げた。


「よーし決めた!君の呼び名!」
「えっ?!」


俺がもたもたしている間に勝手に決められてしまった!いや落ち着け、このイオン?が考えた俺の名前は、とんでもなくカッコいいものかもしれないじゃないか。少なくともヒヨコなんて情けない呼び名とは無縁な……


「君の髪形、ヒヨコに似てるからヒヨヒヨね!」
「駄目だったー!」


ちくしょう!そんなに俺の髪形はヒヨコにそっくりなのかよ!……ルークみたいに伸ばそうかな、ううっ。イオン?は満足そうにうなずいてから、突然俺の目の前から消えてしまう。……えっ?!
慌てて辺りを見渡せば、イオン?は楽しそうな笑顔で中庭から飛び出していく所だった。


「それじゃあヒヨヒヨ、鬼ごっこしよう!最初はヒヨヒヨが鬼ね!よーい、どん!」
「は、はあ?!どんって言う前に駆け出してるし!まっ待てよイオン!」


俺が呼びとめてもお構いなしに、イオン?は笑いながら走っていってしまった。と、とんでもなくマイペースな奴だな!しかし一応大切なお客様をこのまま野放しにしておくわけにはいかない、俺も慌てて中庭から飛び出す。
ルークの奴、イオンの事を女みたいって言ってたけど、全然違うじゃないか。いや、顔は確かに女の子かって思うぐらい可愛かったけど、少なくとも言動は普通に活発な少年のそれじゃないか。そもそもまだまともに話してないし、ああもう。
とりあえず外から来た客がそこまで複雑な所に隠れ潜んでいるとは考えにくい。俺は手当たり次第に廊下を駆け回った。ルークとは何度かハードな鬼ごっこをやった事があるから、こういうのは結構得意だ。ほどなくして、俺は目的の緑色を発見する事が出来た。中庭からは少し離れた廊下の上だった。


「見つけたぞ、イオン!」
「……は?」


俺の声に振り返ったイオン?はしかし、さっきの無邪気な印象をガラッと変えていた。思わず目の前で立ち止まった俺はイオン?をしげしげと眺めてしまう。ああそうだ、髪形が違う。顔はそのままそっくりさっきのイオン?だけど、ふんわりと柔らかそうな髪形ではなく、今は固めて立たせているような感じだ。あ、あの短時間で変装のつもりで髪形を変えでもしたのか?それに、このどことなく冷たい視線……さっきのイオン?とはまるきり違う。でも、顔はイオン?だし……。


「お、お前、イオンだよな?いきなり鬼ごっこしようとか言うからびっくりしただろ。誰かと一緒ならまだしも、使用人の俺がばたばた一人で城の中を駆け回っていたら怒られるじゃんか、ラムダスさんとかアッシュ様とかに」


……あ、でもよく考えたらルークと一緒に走ってても怒られるな普通に。何つうか、使用人としてではなく、廊下を走ったらいけませんっとルークと同じように怒られるっていうか叱られるんだよな。使用人にそういう態度で良いのかこの城。
俺の言葉を一通り聞いたイオン?は、少しだけ考え込んでから何かひらめいたように微かに笑う。その笑顔はさっきの明るいイオン?のものとは違って、少し意地悪そうな……ああそうだ、たまに見せるアッシュ様の恐ろしい笑みと似ていた。俺の背筋がぞわりと寒くなる。
あ、あれ?こいつ、本当にイオンか?


「なるほど、あんたがもう一人のルークね」
「へっ?」
「確か鬼ごっこしてるって言ったっけ?どうせあいつの仕業だろ、いいよ僕もイオンで。捕まえられるもんなら捕まえてみなよ。どうせ無理だろうけど」


かなり生意気で意味不明な事を言ったイオン?は、唐突に駆け出した。って早っ!さっきよりもかなり早い!イオン?はあっという間に俺の目の前から消えてしまった。あれだけ素早い動き初めて見たかも……いっいやいや、感心している場合じゃない。頭は何だか混乱しているけど、とにかく追いかけなければ!

その後、俺はかなり城の中を走り回る羽目になった。イオン?はちらちらと俺の目の前に現れては、すぐに逃げていってしまう。無邪気に笑っていれば、意地悪く笑っていたり、表情も見るたびにコロコロと変わる。あれ、そういえば髪形もコロコロと変わっている気がする。すげえなあいつ一瞬で髪形変えられるのか。息切れと疲労で俺の頭はまともに考えられなくなっていた。ああ、早くイオンを、イオンを捕まえなければ……。
やがて俺は、戻ってきた中庭の真ん中でばたりと力尽きていた。疲れた……も、もう駄目だ、走れない……。ごめんなルーク、俺、まともにお前の友達の接待も出来ない使用人で……。


「あれえ?ルーク、いないと思ったらこんな所で倒れてるし。どした?」
「大変です、すごく疲れきっているようです……大丈夫ですか?」


俺の耳に、ルークの声と、柔らかな優しい声が届く。力を振り絞って頭を上げてみれば、目の前には俺を見下ろすルークと……イオン?がいた。今まで見たどんなイオン?の顔よりもその表情は優しく見えた。


「い、イオン……?」
「あ、はいそうです、僕はルークのお友達のイオンです。あなたはルークが連れてきたもう一人のルークですね?初めまして。それにしても、どうしてこんな所に倒れていたのですか?」


俺の言葉にすぐさま頷く、イオン。その時俺は初めて、目の前のこの顔がイオンであると心から納得出来た。あれ、じゃあ俺が今まで見たイオンは一体……?目の前のこの優しそうなイオンなら、ルークが言っていた女みてーっていう言葉がすんなりと受け入れられる。
とその時、中庭に三人分の声がガヤガヤと入ってきた事に気づいた。


「もーっフローリアンもシンクも他人のお城でよく鬼ごっこなんてやれるなあ!私なら何か高価なもの壊しちゃわないかドッキドキして満足に動けなくなっちゃうよ」
「えーっ楽しかったよ!アニスも参加すればよかったのに!」
「まあ、そのドンくさい人形の足じゃ一生かかっても僕には追いつけないだろうけどね」
「むかーっ言ったわねー!そもそもあんたたち、一体誰と鬼ごっこしてたってゆーのよ!」
「だから、ヒヨヒヨとだよ!」
「だーかーらー、それが一体誰の事だって言って……あれっ?!」


俺はその三人分の声に聞き覚えがあった。まず二つの声はさっき鬼ごっこしている時に散々聞いた。今思えば、イオンの声とそっくりだな……。そしてもう一つの唯一の女の子の声は……このお城に使用人として来る前に聞いた事があって、最近久しぶりに会話した声だった。俺は疲れている事も忘れて、跳び起きていた。
視界にうつったのは、こっちをびっくりした顔で見ているアニスと……あっ!無邪気なイオン?と意地悪なイオン?だ!


「い、いいいイオンが、さっさっ三人?!ど、どうなってんだよ?!」
「やっほーヒヨヒヨ!」
「はっ、やっぱり僕の勝ちだったね」


呑気に手を振る無邪気なイオン?と勝ち誇る意地悪なイオン?、そして俺の身体を支えてくれて、ため息をつく優しいイオン。三人はそっくりそのまま同じ色と、同じ顔を持っていた。まるで俺とルークみたいに。
俺とイオン?達をきょろきょろと見比べたアニスが、あーっと大声を上げた。


「分かった!フローリアン、シンク、あんたたちルークをからかって遊んでたんでしょ!イオン様と同じ顔な事をいいことに!」
「ふろーりあん、しんく……?」


イオンとは別な名前で呼ばれた二人を、俺は呆然と見つめる。横にいたイオンが、本当に申し訳なさそうに俺へ話しかけてきた。


「すみませんルーク、この二人はフローリアンとシンクで、僕の兄弟です」
「き、兄弟……?!」
「うん、僕とイオンとシンクは三つ子なんだよー!えへへ、騙してごめんねヒヨヒヨ」
「ていうか、髪形も服装も違うんだから、そっちが先に気付くべきじゃない?ルークと同じように鈍感なんだね、あんたも」
「んだとー?!」


頭に手を置きながら謝ってくるフローリアン、変わらず嫌味を言うシンク、そして俺より先にその嫌味に反応するルーク。俺はその中から、ルークへとぎこちなく視線を向けた。


「ルーク……」
「あん?何だよルーク」
「お前、今日来る友達の名前、イオンしか言って無かったよな……?フローリアンとシンクの名前、俺初めて聞いたんだけど……」


ああ、あとアニスの名前も。アニスが以前偉い人の付き人になったと言っていたのは、この人たちの事だったのだろう。俺の言葉をぽかんと聞いていたルークは、しばらく経ってから、おおっと手を叩いた。


「そーだった、フローリアンとシンクの事言うの忘れてた!いやー悪かったなルーク」
「お……お前ってやつはあああ!」
「ぎゃあーっ!な、何でいきなりキレてんだよー!」


俺は思わずルークに掴みかかっていた。ルークが事前に顔そっくりな三人のお客さんの事を伝えてくれていれば、俺がこんなに駆けずり回る羽目にならなかったのに!これもそれもあれも全部、ルークのせいだ!


「あはは、ルークとヒヨヒヨは仲良しだね」
「ええ、本当ですね。ルークにこんなに親しい人が出来ていて、良かったです」
「私もルークが、いきなりこんなお城に拉致されて使用人してるって聞いた時はさすがに心配したけど、この様子なら大丈夫そうですね!」
「それにしても双子じゃないのに似すぎてない?本当に王様の隠し子なんじゃないのこのヒヨコ」


俺とルークは、客人があたたかーく見守ってくれている事も忘れて、しばらくもみくちゃに揉み合っていたのだった……。
る、ルークが悪いんだ、俺のせいじゃねえーっ!




12/05/26