恐怖の婚約者現る



お城にはとにかくお客さんが訪れる事が多い。いろんな偉い人がひっきりなしに王様やその息子たちに会いに来たりするもんだから、俺は大忙しに大混乱なの だった。何せ少しでも堅っ苦しい場面になるとうちのご主人様がすぐに逃げ出しに掛かるので、それを引き止めたり捕まえたりするのはもちろん使用人である俺 の役目だからだ。それに何より、そんな困った王子様な俺のご主人様ルークよりも、俺は偉い人に囲まれるのが苦手なんだ……。使用人でさえなければ俺もルー クと一緒に逃げ出したいぐらいなのに。
そんな理不尽な思いを抱きながら俺は今もルークを探しているところだった。


「おー いルークー!さっさと出てこーい!今日の晩飯チキンにするようコック長に頼んでやるからさー」
「嘘つけっ!この間エビにしてやるって言ってたけど ならなかったじゃないか!」


廊下を歩きながら声を上げれば、どこからともなくルークが答える。俺は嘘は言ってない、ちゃんと頼む さ。その後実際に頼みをきいてくれるかどうかまでは知らないけどな。何にしてもルークはもうこの手には乗ってくれそうにない。
うーん、常に近くに はいるけど巧みに俺から逃げているな。ルークはかくれんぼが得意だってガイが言ってたけど、ここまで大得意だとは思わなかった。おいかけっこなら俺のほう が足が速いから勝ってたんだけどなあ。
そもそも何でルークは逃げるんだ。今日はお客さんが一人来る予定ではあるけど、ルークの嫌いなパーティみた いなものは開かれないはずなのに。


「何が気に入らないんだよルーク、堅苦しいパーティは今日は無いだろ」
「そういう問題 じゃねえ!」
「お客さんだって、ルークの知り合いだって話じゃないか」
「それが問題なんだよ!」


とうとうルーク が向こうのドアから顔を出して叫んできた。つまり今日のお客さんはルークの苦手な人物という事か?あの恐ろしい眼鏡の光が俺の脳裏をちらついて背筋の凍る 思いがしたが、もし今日来るのが本当にあの鬼畜メガネ先生だったならルークはもっと怯えているはずだ。おそらくそれは無いだろう。ていうか違っていてく れ。
そうなると、俺の知らない人だろうか。詳しい話を聞きたいのに聞ける人物は俺に近づいてこない。その辺にいるはずのガイを探して聞いてみたほ うが早いだろうか。


「あら、ルーク?」
「……え?」


その時背後から声をかけられた。最近「ルー ク」と呼ばれる事が少ないので反応が遅れてしまった俺だったが、振り返って納得した。やっぱり俺じゃなくて、あっちのルークを呼んでの言葉だったようだ。 だって後ろに立っていたその人を、俺は見た事が無かったからだ。
その人は女の人だった。栗色の長い髪が印象的な綺麗な人だ。と言っても、おそらく 歳は同じぐらいの子だと思う。雰囲気がとても大人びた人だった。


「髪を切った……訳無いわよね。それじゃあもしかしてあなたが、 噂の新しい使用人の……」
「あ、そうです、ルーク様の使用人の、ルークです」
「驚いたわ、本当にそっくりなのね。私はティアよ、よろし く」


栗色の髪の女性、ティアさんは俺に微笑みかけてくれた。何だ、良い人そうじゃん。ルークがあんまり逃げるもんだから俺はてっ きりアッシュ様やジェイド先生みたいなおっかない人が来るものかと思ってた。
俺が心の中でホッと安心している間もルークはこちらへ近づいてこな かった。物陰からビクビクしつつ様子をうかがっているようだ。俺は慌ててルークに声をかけた。


「おい!隠れてないで早くこっち来 て挨拶しろよルーク!失礼だろ!ていうかお前のお客さんだろ!」
「やだ!絶対やだ!」
「ふふ、二人は仲が良いのね」


ブ ンブンと首を振って姿を隠してしまうルークに俺がやきもきしていると、ティアさんは怒る様子もなく逆に微笑ましそうに笑った。気難しい人じゃなくて本当に よかった。俺がすみませんと頭を下げれば、大丈夫慣れているからと答えてくれた。……ティアさんが来たときはいつもこんな調子って事か。一体何なんだ。
そ の時、通りかかりにガイが近寄ってきた。


「やあティア来ていたのか。ルークは相変わらず逃げ回ってるようだな」
「こんに ちはガイ。ええ、ルークにも困ったものだわ」


あれ、何だかすごく親しげだ。ガイがあの口調なら、実はティアさんが隣国のお姫様と かそういうオチではなさそうだ。ちらっと焔色の髪だけ物陰からのぞかせているルークの姿に、やれやれとガイもため息をつく。


「ま あルークの気持ちも僅かながら分からん事も無いが……少しは慣れて貰わないとなあ。一応婚約している相手なんだし」
「へー……って、え?!ここ こ、婚約っ?!」


いきなり飛び出した衝撃的な言葉に俺は動揺した。そ、そんな話、初耳なんですけど!




と りあえずお茶でも飲みながら話せば、とガイがセッティングしてくれたテーブルに、俺はティアさんと座りながら話を聞いた(ルークはやっぱりちょっと離れた 所からこっちを見ている)。なんでもティアさんはこのファブレ家と縁の深い騎士の一族の出なんだそうだ。そんなもんで、ティアさんの親父さんと国王が大昔 に、自分の息子娘たちの婚約を飲みの席か何かの時に軽く取り付けた、という訳だ。まあよくある話よ、とティアさんは軽く言っていた。


「酔っ 払いの戯言だもの、あまり本気にはしてないわ。大体生まれる前の約束事に付き合っても仕方ないし」
「なるほど……そういう事だったんですか」


確 かによくある話の類のような気がする。アッシュ様とナタリア様もそうやってすごく昔に婚約取り付けられたとか言ってたな。王族には婚約がつきものなのかも しれない。
それより俺はティアさんと二人で座っている事に落ち着かなくて仕方がない。それもこれもこの場を整えた後すぐにごゆっくりーと去って いってしまったガイのせいだ。くそ、ルークよ早く来てくれ。ソワソワする俺に気付いたのか、ティアさんは笑ってから俺の背後に声をかけた。


「ルー ク、そろそろ出てきてちょうだい、ヒヨコ君も困っているじゃない」
「ヒヨコ君……」
「う、うっせーな、ここにいるからいいだろっ」


着 々と増えていく自分の呼び名のレパートリーにひっそりと打ちひしがれている間に、ルークは俺の後ろまで近づいてきた。そこから前に来ようとはしない。ティ アさんはやれやれとばかりにため息をついた。


「まったくいつからこんな感じになってしまったのかしら。昔はもっと私に慣れてくれ ていたじゃない」
「お前のせいだろ!お前の!」
「せっかくお土産も持ってきたのに」
「ぎゃーっいらねえ!絶対いらねえ!ルーク代 わりに受け取れ!」
「は?」


ルークに背中を押された勢いで、ティアさんが差し出してきたものをうっかり受け取ってしまっ た。いや、ルークへのお土産を俺が受け取っても仕方がないだろう。そうやってルークに突き出そうとしたが、ティアさんに止められてしまった。


「ルー クがそこまで嫌がるのなら仕方がないわ、あなたが受け取ってちょうだい」
「へ?俺が?」


いいのか?俺ただの使用人なのに いいのか?思いっきり戸惑う俺に、しかしティアさんもルークもいいからいいからと押し付けてくる。そうやってされたものを突き返すことなんて出来るはずも なく、仕方がないのでひとまず受け取る事にした。
ルークが嫌がるお土産とは一体何なんだろう。俺の手の中にあるのは比較的軽い包みだった。それを なるべく丁寧に剥がせば、中から出てきたのは……。


「………」
「ね?素敵でしょう?ルークに似合うだろうって作ってきた のよ。ここまでそっくりなんだもの、きっとあなたにも似合うわ」
「やっぱりそういうの持ってきやがったな!」


無言で固ま る俺の手からお土産を取り出して、ティアさんはそれを俺の頭に乗っけた。今までどちらかといえばキリッとした凛々しい表情だったその顔が今はうっとりと恍 惚に頬を染めている。何だこれは。何だこの人は。何で仮にも婚約者へのお土産に、猫耳なんて持ってきてるんだ。


「やっぱり!ルー クには猫耳も似合うわね……!こんな事なら前回ルークに突き返された犬耳も持ってくればよかったわ」
「あんなに突き返したのにまた同じ系統の土産 を持ってくる事が俺は理解出来ねえよ!」
「だって、可愛いじゃない」


ティアさんは真顔だった。俺は今ようやく、ルークが 何故ここまでティアさんから逃げようとするのかが分かった。なるほど……この人は恐ろしい。アッシュ様やジェイド先生と違う意味で。


「今 度はちゃんと持ってくるから、ルークとヒヨコ君お揃いでつけてね」
「ジョーダン言うな!昔から何かと理由つけて俺を飾り立てようとしやがって、も うだまされねーからな!」
「昔は簡単にリボンとかつけてくれていたのに……まあいいわ。代わりにこれからはヒヨコ君がいるから」


ね、 とティアさんが笑顔で俺を見つめる。怖い、怖いよその笑顔!震える俺の腕をルークが引っ張って立たせてくれた。


「ルークは俺の使 用人だっつーの、勝手なことすんな!」
「二人お揃いが良いの?それなら色違いの耳に、尻尾も作ってくるから安心して」
「一言もそんな事 言ってねええええ!」


いろんな衝撃で動けない俺を背中に庇い、毛を逆立てる猫のようにティアさんを威嚇するルーク。いや今猫みた いなのは頭に猫耳乗っけたままの俺のほうか……。とにかく俺たち二人を見つめるティアさんの目は……どこまでもうっとりしていた。


「あ あ、やっぱり可愛いわルーク……二人になると可愛さも倍増ね。大きくなってからアッシュは可愛さから遠ざかってしまったけど、これなら大丈夫ね!」
「何 が大丈夫なんだよ?!」
「ねえルーク、このまま私たち結婚してしまうのもありなんじゃないかしら。そうしたら使用人のヒヨコ君も一緒に来るでしょ う?可愛いルークたちに囲まれて私の生活は毎日薔薇色になるわ」
「俺たちの毎日がドドメ色になるっつーの!」


じりじりと 近寄ってくるティアさんから逃げるように後ずさる俺たち。とうとう耐えきれなくなったのか、俺の手をつかんだままルークは駈け出した。ティアさんの目の前 から今すぐ逃げるためだ。


「結婚なんて絶対しないからな!ティアと結婚するぐらいだったら、ルークと結婚した方がましだーっ!」
「ルー クー?!さらっととんでもない事言うなー!」
「あっ待ってルーク!でもそれもちょっと良いかもしれないわ……!」


ティア さんが後ろでなんか悶絶しているが俺はそれどころじゃなかった。大混乱中のルークはあほな事を大声で叫びながら使用人やメイドが行き交う廊下に飛び出す し!よく考えたら俺猫耳付けたまんまだったし!このまま城の中を駆けまわれば俺のこの最高に間抜けな姿を色んな人に見られちまうしー!
今すぐ取り 去ってやりたいが、腕をとられたまま全力疾走した状態で意外としっかりくっつく猫耳を取る事は難しかった。一体どういう仕組みでくっついてるんだこれ!


「ルー クっとにかくちょっと止まれ!せめて頭のこれを取る時間をくれ!」
「なあ婚約ってどうすりゃいいんだ?!早くルークと婚約しちまわないとティアと 結婚して毎日ティア曰く可愛いカッコさせられる地獄が訪れちまう!」
「勝手に早まるなー!大声で変な事触れまわるなー!猫耳取らせろーっ!」


俺 の必死の叫びは、暴走中のルークになかなか届かなかった。つまりは、俺の切実な願いが叶えられる事のないまま、しばらく城中を走り回る事になった訳 で……。
俺、しばらく引きこもっていいかなあ?




10/04/16