しばらく暇そうに新聞を読んでいたアッシュは、ふと部屋の隅の方へと視線を向けた。そこには毛布の塊がかすかに震えながら蹲っている。朝からどことなく不安そうだったが、雨が本格的に激しくなり始めてから毛布を頭から被り、雷が鳴り響き始めた頃にはもうこの状態だった。ぷるぷると震えている、毛布の下からはみ出している朱色の尻尾がいっそ哀れだ。


「おい」


アッシュが声をかけると毛布はあからさまにビクリと飛び上がった。その後、毛布の隙間からちらりと緑の瞳がこちらを覗いてきた。確かに睨みつけてきているのだが、涙の膜が張られた瞳で凄まれても迫力がない。


「な、何だよっ!」
「苦手なのか、嵐」
「ばばばばっか!誰が苦手なんて言ったよ!この通り俺は平気だ!」


一回勢い良く立ち上がってみせた猫ルークは、しかしすぐに窓の外で鳴り響いた雷の音にぎゃっと叫んですぐに震える毛布と化してしまった。アッシュはため息をつく。そういえばどこかで、猫は雨の日が苦手だと聞いた事がある。一体どうして、どんな風に苦手なのかは知らないが、猫ルークが虚勢を張っているのは誰が見ても明らかだ。こんな所まで似ているのかとアッシュは自分の頭を抑えた。そういえば、もう1人嵐が苦手な自分の弟はどこに行ったのだろうか。
その時、玄関がバタンと勢いよく閉まった音が部屋に鳴り響いたので、2人(1人と1匹?)ともびっくりした。何事だろうか。アッシュが驚いてしまった自分に舌打ちしながら立ち上がろうとした時、玄関の方から赤い塊がアッシュへと突進してきた。


「ぐはっ!」
「アッシュー!」
「てめっ……もしかして今まで外にいやがったのか、どこ行ってた!」


全身ほどよく濡れていたのは先ほど考えていたルークだった。確かにさっきまでこの部屋にいて怖いなーと呟いていたはずなのに、いつの間に外に出ていたのか。気付かなかった己を心の中で叱り飛ばしながら、アッシュが怒鳴るように尋ねると、ルークは(外が怖かったのだろう)アッシュにしがみつきながら答えた。


「この前学校で、昔この辺沈んだ事があるんだって話を聞いて怖くなって、様子を見てきたんだ……」
「……。それで、どうだった」
「大丈夫だった……」


よかったーとほっと一息つくルークにアッシュは呆れた。いくら恐ろしくても嵐の中外に様子を見に行く馬鹿がいるだろうか。ああ、ここにいたか。大体俺に言わずに外に出るとはどういうことだ、何かあったらどうするつもりだ。だんだんと説教じみた思考になってきたアッシュを遮ったのは、悲痛なほどに引きつった声だった。


「し、沈むって……ここが沈むのか?!」


アッシュとルーク2人が目を向ければ、驚愕に目を見開いたまま固まっている猫ルークがいた。その顔色は見事なまでに青い。


「そ、それじゃあどうすれば、どこに逃げりゃいいんだよ!俺溺れ死にたくねえよー!」
「おっ落ち着けって、大丈夫だったって言っただろ?」


わっと頭を抱えた猫ルークに慌ててルークが宥めに入る。雨が、嵐が怖いと同時に水も怖がっているようである。アッシュは眉をひそめた。怯え方がどこか尋常ではないような気がしたのだ。ルークも心配そうにその震える背中とか頭を撫でてやる。


「大丈夫、ここは絶対に沈まないからな」
「ほ、本当か?」
「ああ!本当だ」


必死に猫ルークを励ましてやるルークだったが、アッシュはルークも嵐が怖い事を知っていたので、その顔が強張っている事に気付いてしまった。なので、大きくため息をつくと、くっついている赤毛たちの隣に腰を降ろして、2つの頭を自分の方へと抱え込んでやる。


「うわ?!アッシュ?!」
「ななな何すんだ離せっ!」
「こうやってくっついてりゃ、お前も溺れねえだろうが」


そう言えばルークも猫ルークもぽかんとアッシュを見つめてきた。だんだんとばつが悪くなったアッシュは己の頬が熱くなってきたのを自覚しながらふいと明後日の方向に顔を背ける。その様子に小さく吹き出したルークは、笑いながら猫ルークと、アッシュを抱きしめた。


「そうだな、くっついてれば溺れてもすぐに助けてやれるし、嵐だって怖くないよな。なっアッシュ!」
「うっうるせえ屑!黙ってそのままじっとしていやがれ!」
「はーい」


楽しそうに返事をしたルークは、腕の中の震えて強張っていた体からだんだんと力が抜けていくのを感じた。顔を上げるとアッシュも感じていたようで、そっと微笑み返される(その笑顔はルークにしかわからないほどかすかなものだったが)。それに嬉しくなって、ルークは長い朱色の髪へ頬ずりしながら優しく言った。


「だから、もう大丈夫だよ、ルーク」


腕の中の猫ルークは、俯きながらも確かにこっくりと頷いた。

嵐が静まるまで、部屋の隅の三つの塊はそこから動く事がなかったという。




   猫と双子と嵐の日

06/09/17