その日、猫ルークは気持ちよく晴れた外を散歩していた。誰もいない家の中に1人でいたってつまらないからだ。ルークもアッシュも学校とやらに行っているので昼間は猫ルーク1人だけだった。つまらないだろうから外に出てもいいよと言ったルークに、最初猫ルークはじゃあ鍵はどーすんだと尋ねた。家から出る時は鍵を閉めて出るものだと猫ルークだって知っていた。しかしルークは笑いながらドアの前に立ち、
「ここをこうやって抑えながら押すと鍵が無くても開くんだ」
鍵無しでドアを開けてみせた。立て付けが悪いらしい。それでいいのかと考えながら猫ルークは一応頷いておいた。人間というものも結構いい加減なものだ。
それにしても本当に気持ちのいい天気だ。猫ルークは目を細めて空を見上げた。快晴だった。今日はいい日になるだろう、と思っていた矢先。
バタバタバタッ
「こら待てっ!」
騒がしい声が近くの裏路地から聞こえてきて、猫ルークはげっと顔をしかめた。さっきちらりと見えた姿は、この辺を仕切っているボス猫だった。威張り腐って嫌な奴だが力だけは強いので、近づいては駄目だともっぱらの噂だった。どうやらそのボス猫とその取り巻きたちが何かやっているらしい。巻き込まれないうちにその場を去ろうとした猫ルークだったが。
「うわーっ来るな来るなー!」
次に聞こえてきた悲鳴に近いその声に動きを止めていた。その声はとても聞き覚えのある声で、ルークは思わず踵を返していた。急いで先ほどの裏路地へともぐりこむ。なるべく音を立てないように素早く走っていくと、前方に複数の人影(猫影?)が見えた。短くてぶっとい尻尾が特徴のボス猫に首根っこを掴まれているらしい小柄な体から、優しい新緑の色が見えた瞬間、猫ルークは勢いを殺す事無くそのまま大きな背中へ飛び蹴りを食らわしていた。
「崩襲脚ーっ!」
「ぎゃあっ!」
「ルーク!」
ボス猫の悲鳴と嬉しそうな声。猫ルークが地面に着地すると捕まっていた緑の子、フローリアンが慌てて駆け寄ってきた。ひどく怯えた様子だった。しかし外傷も特に無いので、まだ何もされていなかったのだろう。心の中でほっと息をついた猫ルークは、傍に寄ったフローリアンを軽く叩いてやった。
「てめえ!何ややこしそうなのに絡まれてんだよ!」
「僕は歩いてただけだよー!そしたらおじさんたちが縄張りに入るなって追いかけてきたんだ!」
「誰がおじさんだ誰が!」
ボス猫が憤慨した様子で立ち上がった。ひっと怯えるフローリアンを見やって、猫ルークは足元に転がっていた石を拾って投げつけた。
「いてていてて!」
「おい逃げるぞ!」
「う、うん!」
猫ルークはフローリアンに手を引っ張って走り出した。背後から怒声が響く。ボス猫達もすぐに追いかけてくるだろう。いくつも分かれ道のある路地を少し進むと、猫ルークは曲がり角の影にフローリアンを押し込んで言い聞かせた。
「おい、あいつらは俺がひきつけてやっから、その間にお前は早く逃げろ!」
「ええ?!でもルークが」
「俺があんな奴らに負けるわけねえだろうが!いいな、見つからねえように逃げろよ!」
一方的に怒鳴って猫ルークは駆け出した。向こうからいたぞ、という声が聞こえる。そのまま自分を追いかけてくる足音が響いてきた事に猫ルークはほっとした。フローリアンは気付かれなかったようだ。後は自分が逃げ切るだけだ。
追いかけっこはしばらく続いた。この辺はあのボス猫の縄張りでもあったし、猫ルークがあまり入り込まない道だった。意外にしつこく追いかけてくる背後の気配に猫ルークが舌打ちしたとき、唐突にそれは目の前に現れた。壁であった。行き止まりに遭遇してしまったらしい。
「ま、マジかよ!」
狭い通路から飛び出して猫ルークは慌てて辺りを見回した。四方八方を壁に囲まれた袋小路だった。もしかしたら誘い込まれたのしれない。少し顔を青くして猫ルークがそう考えているうちに、ボス猫たちは追いついてきてしまった。
「よくも散々逃げ回ってくれたなてめえ……これでも食らえ!」
「っあ!」
いきなり猫ルークは殴られた。巨体から繰り出される拳に決して大柄ではない体が地面に転がる。じんとした痛みを感じる暇なく腹を蹴られた。1人分ではなく複数だった。息も出来ないような連続の打撃に一瞬目の前が真っ白になる。涙の滲む瞳を薄く開けてみれば、地面に散らばって汚れた自分の赤い髪が見えた。
「へへ……ざまあねえな」
「さーて、これからどうしてやろうか」
頭上から意地悪そうな笑い声が届く。猫ルークは痛みと悔しさで歯を食いしばった。そのままギッと睨みつけてやれば、一瞬気おされたようなボス猫が忌々しそうに舌を打ち、再び足を振り上げる。次に来るであろう衝撃に身を固くしぎゅっと目を瞑った猫ルークだったが、聞こえたのは音のみであった。
ドンッ!
「ぐあっ!」
ひどく痛そうな音だったが、聞こえてきた悲鳴は自分のものではなかったし、体のどこも痛くならなかった。しかし音と悲鳴は立て続けに耳に届いてくる。猫ルークはそっと目を開けた。そこに立っているはずのボス猫たちは何故かボロボロの状態で地面に倒れており、代わりに立っていたのは、いつもは冷えているその瞳に紛れもない怒りを宿している猫ルークの飼い主の1人であった。真紅の髪がまるで怒りをそのまま表しているように宙に踊る。長い足が立ち上がろうとした1人を容赦なく蹴りつけた。
「貴様ら、何の理由があってうちの奴にこんな事をした」
「ひ、ひいいいぃっ!」
這うようなその低い声にボス猫たちが心底怯えた声を発した。痛む体を抑えながら立ち上がり、慌てて逃げ出していく。追いかける事も無く最早興味をなくしたように翡翠の瞳がそれを見送った。猫ルークは上半身を持ち上げて、目の前に立つ人物をポカンと見上げた。
「アッシュ……」
猫ルークが名を呼ぶと、アッシュは振り返ってきた。その瞳はもう冷たい光を宿してなくて、代わりに労わるような優しげな視線を猫ルークに送る。アッシュは目の前に膝をついて、そっと猫ルークの頭を抱き寄せた。
「よく頑張った」
その暖かすぎる言葉に、猫ルークは何かをこらえるように唇をかみ締めて、アッシュの肩に顔を押し付けた。しばらくその状態から動かない猫ルークを、アッシュはただ黙って支えてやっていた。
「ルーク!アッシュ!」
しばらくした後、猫ルークがアッシュに支えられるように路地から出てくると、そこで待っていたらしいルークがすかさず駆け寄ってきた。そして猫ルークの怪我に目を見開いて抱きついてくる。
「大丈夫か?!フローリアンから話を聞いてすぐに駆けつけたんだけど、ボス猫に襲われたって、怪我たくさんしてるじゃんか!ここも、ここも!」
「ルーク落ち着け」
ものすごい勢いで問い詰めてくるルークを呆れた顔でアッシュが抑える。一歩下がったルークは、とりあえず猫ルークが怪我をしていても無事な事を確認して、心の底からほっとした顔をした。
「よかった……!お前が無事で本っ当によかった……!」
きっと本気で心配してくれていたのだろう。普段は感情を露わにしないのに怒りに身を染めて助けてくれたアッシュと、よかったよかったと泣き笑いの顔で繰り返すルークを交互に見つめて、猫ルークは治まったはずの衝動が再び込み上がってくるのを感じていた。絶対に零すものかと口をへの字に曲げた猫ルークを見て、ルークが優しく頭を撫でる。双子揃って何で同じように撫でて来るんだと思いながら、猫ルークは1つだけほろりと零していた。
その日、三つの赤い頭は仲良く並んで家に帰ったという。
猫と双子とSOS
06/08/27
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