朝晩の冷え込みが尋常じゃなくなり、昼間でさえ冷たい風から身を隠したくなる、冬の始まりの季節。肩をすくませながら散歩をしていた子犬アッシュがその日出会った猫ルークは、大変ご機嫌ナナメであった。


「あーもう!ルークもアッシュもぜってー許さねえし!」


いや、ご機嫌ナナメというレベルでは無い、非常に怒っていた。しかもブチブチ呟くその内容を聞いてみれば、どうやら彼の飼い主たちに怒っているらしい。珍しい、と子犬アッシュは思った。基本的に仲が良く喧嘩なんかしてもすぐに仲直りしていた双子家だったはずだが、怒ってもすぐにけろりと忘れてしまう傾向にある猫ルークをここまで怒らせる何かがあったのだろうか。


「ルーク、どうして怒ってるんだ」
「あっ、アッシュー!よくぞ聞いてくれたな!」
「うわっ?!」


がばっと両手を広げた猫ルークは、そのまま子犬アッシュに正面からしがみついてきた。ぎゅうぎゅうに抱き締められて思わず尻尾が揺れる。まあ最初から猫ルークに会えた喜びで尻尾は揺れていたのだが。


「ああ、こっちのアッシュはむやみに怒らねえし怒鳴ったりしねえし理不尽な事言わねえし、あんな分からず屋よりよっぽど可愛げがあって良いよなあ」


しみじみと猫ルークが言う。抱き締められながらそんな事を言われるものだから子犬アッシュの尻尾はさらに揺れた。すりすりと耳に頬擦りされて鼓動が早くなる。寒いのも相まって非常に落ち着く時間だったが、いつまでも道端でこうしている訳にもいかない。
事情はまだ分からないが慰めるように腕を回して背中をぽんぽん叩けば、感謝するように猫ルークの長い尻尾がさわりと触れた。


「……人間のルークとアッシュと、喧嘩したのか?」
「そうっ!つーか俺があいつらに怒ってんの!今日信じらんねえ事言われて、それで頭にきて俺、家出してきた所だから!」
「家出?」


胸を張って堂々と家出を宣言する猫ルークは、一見何も持っていないように見える。家出と言うからにはこのまま家に帰らなくてもいいような準備をして出てくるものだと思っていたが……もしかしたら猫ルークは、家出というものが良く分かっていないのかもしれない。勢いで飛び出してきて、テレビか何かで見聞きした「家出」という単語を使ってみただけ、とか。
頭の中でそう結論づけ、子犬アッシュは猫ルークを見上げた。


「やっぱりルークは可愛いな」
「突然何だよ?!嬉しくねえし訳分かんねえし生意気だし!生意気といやまた背伸びてねえかお前!」
「ん。成長期だからな」
「くーっマジで生意気!負けてたまるか、ぜってー追い付かれないよう俺だってまだまだ伸びる、はず……!」


悔しそうに顔をゆがめた猫ルークは体を放してしまう。途端に体に襲い掛かってきた冷気に思わず肩を震わせた。今日はいつもより特別に寒い気がする。真冬並みの気温となるでしょう、と天気予報で言っていたはずだ。


「うう、さみぃ……昼でもこんなに寒いじゃねえか、また怒りがぶり返してきたぜ……」


寒さを感じたのは猫ルークも同じのようで、尻尾を体に巻きつけて震えている。そんな姿も可愛いが、子犬アッシュは別な所に注目した。寒さを感じて怒りがぶり返してきたと猫ルークは言った。つまり喧嘩の原因は、この寒さにあるという訳だ。
そこでハッと、猫ルークが子犬アッシュを見つめてきた。その瞳はどこか期待するかのようにキラキラと輝いていた。


「なあ、こんだけ寒いんだからお前んちにも暖房器具は出してあるんだろ?」
「えっ。ああ、まあ」
「ならさ、俺にお前んちに家出させてくんね?何なら今日だけでいいから。とにかく今日は冷え過ぎなんだよ!」


両腕を摩りながらのその言葉に、子犬アッシュも瞳を輝かせた。寒さに縮こまっていた尻尾も元気よく動き出す。今日はよく尻尾の揺れる嬉しい日だ。


「もちろんだ。むしろずっと住んでも良いぞ」
「や、それはさすがに……あー……、いや、時と場合によってはそれもいいかもしれねえな」
「?」


今までこの手の誘いは断られてきたのに、今日に限って猫ルークは言葉を濁す。喜びよりも先に疑問に思った。尋ねるように見つめてみても、いいからいいからと流される。


「とにかく今は早く帰ろうぜ。話はその後だ」


びゅうとまた風が吹いて、二人揃って首をすくませる。必死に同意してこくこく頷く子犬アッシュを見て、猫ルークはさっそく歩き始めた。


「お前んちにミカンがあればいいなー」
「ミカン?ミカンが食べたいのか?」
「時と場合によっては必需品だからな!」
「??」


猫ルークの言葉は少し意味が分からないものだったが、この後子犬アッシュは、納得と共に理解する事となる。





「うおおおおお!これ!これこれ!これだよアッシュお前さすがだよ!俺はこれを待ち望んでいたんだ!!」


子犬アッシュの家、つまり双子の実家へお邪魔させてもらった猫ルークは部屋に一歩足を踏み入れた途端に大興奮だった。期待していたものが目の前に現れて全身で喜んでいるらしい。耳を嬉しげにぴくぴく動かす様を微笑ましく眺めてから、子犬アッシュも猫ルークが注目するそれを見た。
何てことは無い。そこにあるのは、何の変哲もないただのこたつであった。今日散歩に出る前に子犬アッシュも暖を取っていた、冬場に欠かせない暖房器具である。現在家の人たちは全員出払っていて、今こたつの間には子犬アッシュと猫ルークしかいない。


「なあなあ、入ってもいいか?!」
「ど、どうぞ」
「ひゃっほおう!最高っ!」


一つ頷けば、猫ルークは頭からこたつに潜り込んだ。長い髪も足も尻尾も遅れて視界から見えなくなり、しばらく出てこない。無言で見守っていた子犬アッシュが心配になりだす頃、ようやくもそもそと顔だけを覗かせてくる。
その表情を言い表すならば、至福の一言だった。


「ああ……ここが天国か……」


まるで今にも天に召されそうなほどの掠れた幸せそうな声。その隣によいしょと足を突っ込みながら、子犬アッシュは首をかしげた。


「どうしてそんなにこたつに喜ぶんだ?ルークの家にもあるだろう」
「………」


子犬アッシュの疑問に猫ルークは押し黙った。幸福そうだった笑顔をむすっと不機嫌そうに膨らませて、ボソボソと理由を話し始める。


「……無いんだよ」
「え?」
「無いんだよ、俺んちには今。このあったかくて気持ちよくていつまでも入っていたいぐらいの素晴らしいこたつが、無いんだよ!」


語尾は悔しさのあまり震えて聞こえた。こたつが、無い。それは一体どういう事だと尋ねる前に、猫ルークが答えてくれた。


「何かな、壊れちまったらしいんだよ、今まで使ってたやつが!それは別にいいんだよ、ものが壊れるのは仕方ねーし、直るまでぐらいなら我慢するし。前にも一回壊れた事あるけどその時も耐えきったし。でもな、今回はこたつの代わりに別なもの使おうって言い出したんだぜあいつら!」
「別なもの?」
「電気カーペット!」


実に憎々しそうにその名を口にする猫ルーク。電気カーペットは、子犬アッシュも知っていた。実はこことは別な部屋にも敷いてある。コードを差して電源を入れれば、電気の力で自動的にぽかぽか暖かくなってくれるカーペットだ。


「確かにあいつもあったかいけどよ、どう考えてもこたつには敵わねえだろ!この全身を包み込む暖かさはこたつにしか出来ない!あんな触ってる面だけしかあったまれないカーペットなんて物足りなさすぎるっつーの!」
「あー……」


猫ルークの言い分もよく分かる。子犬アッシュとてこたつは大好きなのだ。確かに今、このぬくぬくと暖かなこたつを取り上げられて、これで我慢しろと電気カーペットを渡されたら怒るかもしれない。


「それで家出したのか」
「おう。こたつのない家になんかいられるかって、飛び出してきた。後悔はしてないぜ」


ふんと息を吐いた猫ルークは、首までずっぽりこたつの中に入り込んだまま、子犬アッシュを見上げて笑いかけてきた。


「あーやっぱお前と入るこたつは気持ちいいわ。マジでこの家にずっと住んじまおうかなあ」
「……!」


子犬アッシュの尻尾がぴくりと反応する。猫ルークがどこまで本気でそう言っているのかは分からないが……子犬アッシュはいつも、思っている。今のこうしてばったり出会って帰るまで一緒にいる関係も良いけど、もっともっと、長く一緒にいられればいいのに、と。ずっと一緒に暮らす事が出来ればどんなに幸せだろうかと。だから今までも何度か、望み薄でも一緒に住もうと誘ってみてきたわけだけど。
こたつの中に入れた足をそわそわさせながら、子犬アッシュは躊躇った。ならば本当に引っ越してくればいいと、割と本気で伝えるための勇気を集める。こっそり深呼吸して、ぺちぺちと頬を叩いて気合を入れて、キッと表情を作り、隣を見下ろす。幸せそうにこたつを堪能していた猫ルークが、瞬きをして見上げてくる。


「ん?どーした?」
「ルーク……それなら、本当に、ひ」

ピンポーン


まるで子犬アッシュの振り絞った勇気を引き裂くかのように鳴り響いた電子音。言葉を止め、目を閉じて数秒。子犬アッシュはすっくと立ち上がった。


「お客さんだ。出てくる」
「?おお」


猫ルークは不思議に思っただろう。部屋から出ていく子犬アッシュが、何故かがっかりと残念そうにしていた様子を。尻尾も垂れ下がった状態だったのだから丸わかりだ。それらは言葉を遮られたから、だけでは無い。玄関の外に現れたお客さんの気配と匂いで、それが誰だか分かってしまっていたからだ。
果たして、子犬アッシュが開けた玄関先に立っていた人物は。


「よお犬のアッシュ、こんにちは!久しぶり……って訳でもないけど、こっちで会うのは久しぶりだな!」
「こんにちは」
「元気にしてるかー……ってなんかお前心なしか落ち込んでないか?大丈夫か?」
「大丈夫……何でも無い」


気さくな笑顔で挨拶をしてくれたのは思った通り、猫ルークのご主人様であるルークだった。その後ろにはアッシュも立っていて、何かを警戒するように辺りを見回している。


「……よし、帰ってきていないな。今だ、乗り込むぞ」
「待て待てアッシュ、今の時間は仕事だろうしそんなに急ぐ必要は無いって」


ここはこの双子の実家でもあるが、両親と色々あるらしくめったに寄り付かない。特に父親とは顔も会わせたくないようで、用事がある場合もいつも不在の時にしか立ち寄らないのだった。子犬アッシュにとっては少し不器用ながらきちんと頭を撫でて可愛がってもくれるご主人様の一人でもあるので、どうしてそんなに嫌っているのだろうといつも疑問に思っている。
逸るアッシュを抑えながら、ルークが子犬アッシュへ微笑みかけた。


「なあ犬のアッシュ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
「ルークなら、ここにいる」


尋ねる前に答えを言ったら、きょとんとされた。さっき事情を聞いた、と伝えれば、二人とも納得したと頷く。


「ふん、家出してやるとか何とか言って飛び出していったが、やっぱりここに逃げ込んでやがったか。うちの屑猫が迷惑をかけたな」
「ごめんなー、何かルークの奴勘違いしちゃってさ。つーかはっきり言わずに口喧嘩し始めちゃったアッシュも悪いんだけど」
「うるせえ」
「勘違い……?」


首を傾げれば、こいつら喧嘩っぱやいからと肩をすくめながらルークが話してくれた。


「壊れたこたつの代わりに電気カーペットを使うって話、こたつが直るまでの期間の事だったんだ。多分そんなに長引かないだろうから、こたつ自体はすぐに戻ってくるんだ……って説明する前にルークが飛び出しちゃってさ」
「言う前にあいつが騒ぎ出したんだろ。人の話はよく聞かねえわこたつにしがみついて離れねえわ、大騒ぎだった……反省のためにしばらく思い込ませたままでも良かったかもしれんがな」
「またそういう事言う。勘違いしたルークが自暴自棄になってどっか遠くに行ったりしたら大変だって、最初に腰を上げて探しに出ようとしたのアッシュの方だったじゃん」
「それは言うな!」


玄関先でわいわい騒がしいルークもアッシュも、心から猫ルークを心配していたのが言葉の端々から伝わった。この人たちはとても優しい飼い主だ。子犬アッシュにも良くしてくれて、猫ルークも二人の事が大好きなのはもはや周知の事実だ。
だからこそ、子犬アッシュはしょんぼりと肩を落とす。とりあえず当面の間は、この双子たちから猫ルークを奪い取る事はほぼ不可能であると確信しているからだ。


「……強い……」
「え、何が?」
「何でもない」


何故か気落ちしている様子の子犬アッシュに二人とも不思議そうな顔をしていたが、ルークがにっこり笑ってその頭を優しく撫でた。


「何だか知らないけど、今ルークはこたつにでも潜り込んでるんだろ?俺達もしばらく暖まっていっていいかな」
「え?」
「土産持ってきたんだ。どうせ他のこたつに逃げ込んでるだろうから、これ持っていけばルークの機嫌もすぐ直るだろうって、アッシュが」
「いちいち俺の名前を出さなくていい!」


これ、と掲げられた袋に入っているのは、猫ルークが必需品だと力説していたオレンジ色の丸い果物、ミカンだった。袋一杯に入っている量は結構なもので、元々大人数で食べるために持ってきたようだ。


「皆でこたつに入ってミカン食べよう!これこそ冬の醍醐味だよなー。うちのこたつが直ったら今度はお前を招待するからさ、いつでもルークに会いにきな。な?」
「……うん」


まるで心を読まれたかのような励ましに、こくりと頷く。玄関の扉を開けきって中へと通せば、通り過ぎる時にアッシュもふわりと撫でてくれた。今の撫で方は彼らの父にそっくりだと思ったが、言わないでおいた。
猫ルークが今日も帰ってしまうのは寂しい。しかし今から待ち受ける騒がしいこたつとミカンのパーティと、いつでも会いに来ていいと言ってくれた言葉を思えば胸が躍った。
そう、急がなくてもいい。こうやってのんびりと猫ルークとの時間を育んでいけばいいのだ。何せ子犬アッシュはまだ子供だ。これからまだまだ成長して、堂々と猫ルークを迎えに行ける男になるのだ。


「……うん、やっぱり当面の目標は、「ルークより大きくなる」で行こう」


ぐっと拳を握り、冬空を見上げて誓う。
頑張れ、子犬アッシュ。その目標が達成される日は、多分割と近い。




   猫と双子と子犬とこたつと

14/11/22