今日の猫ルークはわりとご機嫌だった。最近続いていたうだるような暑さが本日は鳴りを潜め、非常に過ごしやすい涼しげな気温だったからだ。あの炎天下の中ではおちおち昼寝も出来やしない。日課の散歩でさえ取りやめて、ひたすら扇風機の前を陣取っていたいほどの天気であった。今日は外を歩いていても頭のてっぺんが焼けるように熱くなることは無い。快適な散歩だ。


「はあー、暑くも無く寒くも無い今の季節ってやっぱいいよなー!」


ご機嫌に尻尾を揺らしながら気ままに伸びをする。しかしそんな猫ルークのリラックスしていた耳に、とある音が飛び込んできた。ちょうど、林に隣接する道に差し掛かった所だった。

ミーンミーン。
ジジジジジジジ。
ツクツクボーシ、ツクツクボーシ……。


「っだー!うるせーこのセミどもー!いい加減そろそろ鳴り止めってんだよー!」


最早騒音と言っても差し支え無さそうな量のセミの鳴き声に襲い掛かられ、猫ルークは腕を振り上げた。真夏の間は「こいつらが主役の季節だからな」と、まだ我慢できたが。涼しくなってきた今聞いているだけで暑くなってきそうなこの大合唱は、正直勘弁してほしいものだ。
猫ルークが脇にあった木を見上げれば、鳴き声の主たちはすぐに見つかった。こうやって見上げただけで数匹見つけられたのだから、この林には一体どれだけのセミが集まっているのだろう。さっさとこの場所から立ち去るべきだと、歩き始めた猫ルークだったが。


「……おっ」


すぐに足を止めたのは、わりと低い位置に止まる一匹のセミが目についたためだ。猫ルークが少し腕を伸ばせばすぐに届きそうな場所。普通の人間であればこの位置にいても、捕まえようとする前に気配を察知されて空に飛び立たれてしまうだろう。しかし猫ルークはそんなのろまな人間ではない。……猫だ。


「くっくっく……俺の手が届く範囲に入り込んだこと、後悔させてやるぜ!」


不敵な笑いを浮かべた猫ルークが、耳を伏せて身をかがめる。それは守りの姿勢ではない、むしろ攻めの姿勢だ。今から目の前に飛び掛かる力を溜めているのだ。
目標はもちろん……夏の名残を惜しげもなく振りまく、茶色いあいつ。


「おりゃあー!くらえーっ!」


尻尾を立て一気に飛び跳ねる猫ルーク。突発的に始まったセミとの勝負の行方は……!






「はあー、今日は涼しいからはかどるなー」


一方その頃、双子宅ではルークが机に向かっていた。学生らしく勉学に励んでいた、訳では無く、学校で友人に借りっぱなしで積んでいた本を休日の暇な時間を利用して読んでいただけである。今ちょうど読んでいた本は、「猫と共に暮らす毎日、それは天国!」みたいな題名の、猫に関する本だ。実際に猫と一緒に暮らしている身としては「あるある」と頷けるような内容も多く、それなりに面白い。
その時ふと、ある一文がルークの目に留まった。


「ふーん。猫って自分が捕まえた獲物をわざわざ見せるために持ってくることがあるのか」


本には夜枕元に虫を持ってこられて飛び起きた、というエピソードが面白おかしく書かれている。しかし虫が苦手のルークにとっては笑い事ではない話だ。幸い今の所猫ルークからそういったプレゼントを受け取ったことは無いが。
そこで、大きなルークの独り言を聞いていたらしいアッシュから声が掛けられる。今日は涼しいからと珍しく昼間から惰眠を貪っていた所だった。どうやら最近、夜猫ルークに引っ付かれて寝苦しくてあまり眠れていなかったらしい。


「ふん。あの屑猫が捕まえてくる獲物なんて、ろくなもんじゃねえだろ」
「はは、確かになんか変なの捕まえてきそうだよなー。ま、俺は虫じゃなきゃ何でもいいけど……」
「ただいま!」


その時ちょうど良いタイミングで猫ルークが帰ってきた。今日はやけに元気の良い帰還だな、と二人で顔を見合わせていると、どこか得意げな顔がしゃべりながら部屋に突入してきた。


「実は散歩の途中でいいもの捕まえたんだ!お前たちにやる!」
「えっマジで?!なになに?」
「今ちょうど同じような事を話していた所に、何てタイミングの良い奴だ……」


起き上がったアッシュと、期待に胸を膨らませて立ち上がったルークの目の前。猫ルークはその手に持っていた獲物をずいっと差し出した。


「ほら、これだっ!」


ジジジジジジジジジジ!


「ぎゃあああー!せっセミィィィィィィ!!」


突然部屋の中に響くうるさい鳴き声。必死に羽をばたつかせるその姿。至近距離でそれを見て聞いてしまったルークが叫び声をあげる。それにびっくりした猫ルークは、ぱっと手に持っていたセミを放してしまった。自由になったセミはもちろん、持ち前の羽をいかしてすぐさま宙を舞う。狭い部屋の中で。


ジジジジジジ!


「いぎゃああああああ飛んだああああああ!!!」
「うるっせえ!おい屑猫、さっさと窓からそのセミを逃がせ!」
「えーっせっかく捕まえたのにー」
「えーっ、じゃねえー!」

アッシュに怒鳴られてしぶしぶ猫ルークはセミを誘導し、窓から外へと逃がした。あっという間に遠ざかっていく鳴き声に、ルークがその場にへなへなと座り込む。


「びっっっくりした……まさか部屋の中でセミと対峙する日が来るとは思わなかった……」
「んだよー、セミが鳴いたり飛んだりするのは当たり前だろ?そんな怖がる事か?」
「怖いから!お前は空を飛ぶ能力のある虫が目の前で飛んだ時の恐怖を知らないんだ!虫苦手な奴が抱いてるこの恐怖を知らないんだーっ!」
「いつまでもうるせえよルーク!お前も落ち着け!」


叱られてようやく落ち着きを取り戻したルーク。猫ルークは唇をとがらせて非常に不満そうだった。せっかく捕まえてきたのに何で怒られないといけないんだ、という文句がその表情から聞こえてくるようだ。
たった今そういう猫の習性について話をしていた所だったので、アッシュもむやみに怒る事が出来ない。少しだけ悩んで、納得がいかない様子の猫ルークに向き直る。


「おい。その……素手で生きたまま虫を捕まえるその度胸と技量はまあ、大したもんだが。家の中に虫を連れてくるのは止めろ。さっきみたいにルークが暴れやがるからな」
「べ、別に暴れてないし!」
「ちぇっ、わーったよ」


頷いてみせた猫ルークはしかし、すぐさまぱっと踵を返して部屋を飛び出していった。


「虫じゃなきゃいいんだろ!待ってろ!すぐ捕ってくる!」
「は?!」
「る、ルーク?!」


赤い尻尾の残像に手を伸ばすが、時すでに遅し。アッシュもルークも止める間もないまま猫ルークを見送るしかなかった。
胸の内にはそれぞれ、嫌な予感めいた気持ちが渦巻いている。


「……ルークのやつ、虫以外って一体何を捕ってくるつもりなんだろう……」
「知らねえが……良い予感はしねえな……」


さてどういう心構えをして待っているべきか、二人が迷っている間に猫ルークは帰ってきた。随分と早い。


「ただいま!おら、この狩りの天才ルーク様が虫以外を捕ってきてやったぜ!」
「早っ!こ、ここ今度は何だ?!」
「おい屑猫、見せてみろ」


今度は猫ルークも慎重な様子で、両手で包み込んだ何かを差し出してくる。ルークもアッシュも顔をそろえて指の隙間から中を覗き込んだ。虫では無い、この手の平に収まるような小さい生物とは。
その時にょきっと、猫ルークの指と指の間から何かが顔を覗かせた。一瞬だけフリーズしたルークが、顔をのけぞらせてやっぱり叫ぶ。


「わああああヤモリィィィィイィィ!!」
「な?虫じゃねーだろ?こいつすばしっこいから捕まえるの難しいんだぜー」


得意げに胸を反らす猫ルーク。三歩ぐらい後ずさってルークはそこから逃げた。しかしアッシュは逃げずにそのままヤモリを見つめ続けている。ルークは信じられない思いでその背中に問いかけた。


「あ、アッシュ?どうしてそんなに見てられるんだよ……」
「虫は論外だが、こいつは可愛いだろう」
「ええー?!」
「このつぶらな瞳がまた愛嬌あるじゃねえか」
「おー!アッシュも少しは話が分かる奴だな!」


どうやらアッシュは爬虫類系はいける人間だったらしい。そういえば一時期「イグアナ飼ってみてえ」と呟いていた事もあった。しかしルークは虫ほどではないにしろ、爬虫類も出来れば視界に入れたくないほどの苦手意識がある。小さくて無害なヤモリでも、出来ればお近づきにはなりたくない。
決して近寄ろうとしないルークを見て、猫ルークが頬を膨らませた。


「んだよ、ルークはこんな小せえヤモリもダメなのかよ。弱いなー」
「う、うううっ反論出来ない……」
「こいつは食べ物の好き嫌いも多いからな。諦めろ屑猫」


ヤモリを手の平に乗せてもらって上機嫌なアッシュに諭されるが、猫ルークは納得しなかった。何を捕ってきたらルークも平気なのか、一生懸命考えている。そんなありがた迷惑な姿に、ルークは困惑していた。


「ルーク、俺はいいから。俺に見せに来なきゃ虫でもなんでも捕っていいんだぞ?」
「でも、せっかく捕るんだからルークにも見せてやりたいじゃねーかっ」
「え……」


そこでルークは思い出した。先ほど読んでいた猫の本に書いてあった文章だ。猫はとった獲物を持ってくるという内容の、続きの部分だ。そこにはこのような事が書かれていた。
こうやって猫が獲物を持ってくるのは、一種の愛情表現なのだと。親猫が子猫に狩りを教えようとしているように、あるいは養うべき対象に獲物を分け与えるように、つまりは仲間や家族と認めているからこそ起こす行動なのだと。本には書かれていたのだ。
ルークはそれを思い出して、胸がいっぱいになる。猫ルークがどうしてもルークにも喜んでもらえるような獲物を捕りたがるのは、つまりはそういう意味なのだ。


「ルーク……」
「……はっ!思いついた!」


その気持ちだけでも十分だよ、と声をかけようとしたルークだったが。それより前に猫ルークが何かを思いついたらしい。自信満々の笑顔をルークへと向けてきた。


「あれなら間違いねえな!今度こそルークが喜びそうな獲物捕って来るから!待ってろよ!」
「え、あ、るっルークー?!」


やっぱり止める間もないまま猫ルークが飛び出していく。ルークは助けを求めるようにアッシュを見るが、アッシュはじたばたもがく手の中のヤモリに夢中だった。この基本動物好き男め。途方に暮れたルークは最早、猫ルークの帰りをただ待つしかない。


「一体……一体今度はどんな獲物を連れてくるんだ、ルーク……」


そうして絶望さえ感じ始めたルークの前に、猫ルークが戻ってきたのはそれから数十分経った後。今までで一番大きな獲物をその手に抱え、息を切らせながらも良い笑顔で親指を立てる。


「どうだ、ルーク……!こいつなら文句ねえだろ、俺の捕った獲物っ!」
「……?え……?獲物……?!俺が……?!」


猫ルークによいしょと持ち上げられ掲げられたのは、ちょうどその辺をお散歩していた子犬アッシュだった。猫ルークに出会えた喜びに声を掛ける、前に当の猫ルークに何も説明が無いまま拉致され、ここまで連れてこられたのだった。きょろきょろと戸惑いに視線を彷徨わせる子犬アッシュを見たルークは。


「……ルーク」
「何だよルーク」
「合格っ!むしろナイス!」
「?!」
「だろ!ルークにはこいつだろうって思ったんだ!」


差し出された子犬を満面の笑みでぎゅっと抱きしめていた。状況がまったく把握できないままビクつく子犬アッシュを挟んで、ルークと猫ルークがパチンと手を合わせる。ふさふさ可愛いーと子犬アッシュを撫でまくるルークの、今日ようやく見ることが出来た笑顔に、猫ルークは満足そうに胸を反らす。
そう、この笑顔が見たかったのだ。ただ驚かせるだけじゃなく、おびえさせるだけでもなく。この笑顔こそが。


それからしばらくの間。ルークから唯一「毎日捕獲してきても大丈夫」というお墨付きを貰った子犬アッシュは、猫ルークに事あるごとに狩られる毎日を送ったのだった。
……複雑ながらも内心猫ルークに毎日会えて嬉しかったのは子犬アッシュ本人だけの秘密だ。




   猫と双子と狩りの時間

14/09/20