いつまでも夏気分を引き摺らせるような残暑が続いていた最近の気候も、ようやく秋めいた涼しさを感じられるようになった。ブーブー文句を言う猫ルークを買い物に付き合わせた帰り道、ルークもまたそれを全身で感じ取る。じきにこの風も肌を刺すような冷たさに変わり、あっという間に冬が訪れるのだろう。暑いのはしんどいが、寒いのもまた苦手だ。今から冬の寒さを想像して、一人ブルリと身を震わせる。


「あー、今年はいつ頃こたつを出すかなあ」
「こたつ?こたつ出すのか?」


こたつが大好きな猫ルークが耳聡く聞きつけてきた。この調子だとアッシュが限界までこたつを出すのを渋りそうだなと考える。


「まだ出さないよ、つーかまだ全然寒くもないし」
「そうだけどよー、でもこたつって気持ち良いじゃん?早くあの極楽気分を今年も味わいたいと思わねえ?」
「今からそんな事言ってると、アッシュにすぐ追い出されるぞ」
「へーきへーき、口ではガミガミ怒鳴るけどすぐにあいつもこたつの魔力に取りつかれるって!」


片手に買い物袋を提げたまま、猫ルークが幸せそうな表情になる。こたつに潜り込んだ時の事を思い出しているのだろう。今年も尻尾を引っ張って何とか外に出そうとするアッシュと、こたつに頭から潜り込んで必死に抵抗する猫ルークの格闘が見られるんだろうなと想像するルークの視界にその時、ちらりと何かが見えた。地面よりもっと上、頭上の方にぽつぽつと、色鮮やかな何かが。
ルークが疑問の声を上げる前に隣を歩いていた猫ルークも気付いて、肩を叩いてくる。


「おっ!おいルーク見ろよ、あれ!」
「あれ?……あ、柿!」


改めて真上を見れば、鮮やかに色付いた実をいくつかぶら下げた柿の木が枝を広げていた。どうやらちょうど今歩いている道路の横に立つお宅の庭に生えているものが、堀の上からはみ出してきているらしい。なかなかに立派な柿の木である。突然目の前に現れた秋の象徴に、ルークは驚きと感嘆の溜息を吐いた。


「すごいな、こんな所に柿の木があるなんて知らなかった」
「そうか?俺知ってたぜ。今年も美味そうなのが生ってんなー」


柿を見上げながら舌なめずりする猫ルークはきっとお腹が空き始めているのだろう。今にも猫ルークが他人のお宅の柿に手を伸ばすのではないかとルークは冷や冷やしたが、幸い柿は猫ルークがいくらジャンプしても届かないような高い位置にある。


「でもさ、柿ってしぶいのとかあるだろ?こういう木に生っている柿はどっちか分からなくて怖くね?」
「大丈夫だって、ここの柿はちゃんと甘いから」
「……え?お前食べた事あるのか?」


びっくりしてルークが尋ねれば、猫ルークは事も無げに頷いた。一瞬、この柿の木の持ち主と知り合いだったのかなと思ったルークだったが、すぐにその考えを打ち消す。普段の猫ルークを見るに、可能性が高いのはそっちではなく……ひもじい思いをしていた野良猫時代があった事を考えれば思いつくことは一つしかない。
嫌な予感がしながらルークは猫ルークの肩を掴んで揺さぶった。


「お、俺はお前の事を信じてるからなルーク!そっそうだそもそも手が届かないしな!ここから柿なんて取りようもないよな!」
「はあ?俺を舐めんなよ、あのぐらいの高さだったらここに足を引っ掛けてこうやってひょいひょいっとだなあ」
「わーっわーっやめろー!」


おもむろに手足をかけて、身軽な動作で塀によじ登ろうとする猫ルークにルークは慌てて止めに入った。非常に慌てていたせいで思わずその長い尻尾をぎゅっと掴んでしまい、ふぎゃっと情けない悲鳴を上げた猫ルークはすぐに地面に降りてくれた。が、すぐさま尻尾を取り返した猫ルークに若干涙目で睨まれてしまったが。


「ってーな!何すんだよルーク!」
「ご、ごめんつい力が入って……じゃなくて!元はといえばルークが勝手に人んちの柿を取ろうとするからいけないんだろ!」
「なんだよお、これぐらいの柿も取れねーのかよって感じで挑発してきたのはルークだろ!」
「してねーし!」


互いが互いをルークルークと呼び合う口喧嘩は大変ややこしいが、当人同士はまったく不便さを感じていないのでこれで良いのである。
しばらく怒りに耳を伏せ毛を逆立てていた猫ルークは、人の家の柿を取ろうとした自分の方が分が悪いと気付き始めてから徐々に落ち着きを取り戻していった。代わりにルークの勢いが増していく。


「それにしてもお前、この堀を上る手つきが妙に手慣れてなかったか?もしかして何回かここの柿盗んだ経験があるんじゃ……?」
「そ、そんな訳ねーし。小腹が空いた時ちょうどこの堀のここの部分に足を引っ掛けやすい事に気付いて何回かあの辺のやつをもいで食った事なんて、ねーし」
「詳細に覚えてるじゃねーかっ!ルークお前、あれは人の庭に生えてる柿なんだぞ!」
「う、うるせえな!あの柿が堀からこっち側にはみ出てる方が悪いんだよ!俺は悪くねえ!」


とうとう開き直り始めた猫ルーク。頭の上でたわわに実る柿たちを勢いよく指差しながら、胸を踏ん反り返らせた。


「へへん、この家の奴らはこの柿の木の実を全部は取らなくてなあ、半分は余らせてそのまま放置してんのを俺は知ってんだよ!後は鳥に食われるか、腐って地面に落ちるかなんだぜ?もったいねーだろ!その分俺が食べたって何の問題も無いだろ!」
「い、いやっそれでも無許可で取るのはいけないだろ!」
「んな事言ったってここ留守ばっかだし、今も誰もいねーじゃん。あーこの柿めちゃくちゃ甘くて美味しいのになー!今年はまだ柿食ってねえのになー!」
「うっ」


確かに今年はまだ柿を口にしていない。美味しそうな色で実っているのが見える柿を下から眺めて、ルークの心が揺らぐ。もちろん美味しそうだからという訳だけでなく、猫ルークの言葉も聞いてそれなら、という気持ちが強くなってきていた。ルークの迷いを敏感に察知した猫ルークが、誘い込むようにルークの肩にのしかかり、腰あたりを尻尾でぺちぺちと叩いてくる。


「なあ、あれなんかどーよ?あともう少しで地面に落ちそうじゃね?誰にも食われる事無く落ちて腐るだけなんて柿も可哀想じゃねーか。あの位置から落ちるのは、向こうの他人の敷地内じゃなくてこの誰でも歩ける道路上だし、落ちる前にちょいと救い上げる事の何がいけないんだよ、なあ?」
「う、うーん」


柿を見つめるルークの瞳が揺れている。猫ルークの言葉にかなり揺さぶられていた。一歩、一歩とゆっくり塀に近づき、両手を押し付ける。一緒にくっついてきた猫ルークと一緒に柿を見上げれば、さっき思っていたよりも近い位置に柿が見える、気がする。


「な、意外とすぐに掴めそうだろ?この堀にちょっとよじ登るだけであれが取れちゃうんだぜ。誰も食わねえ柿が、さ」
「柿……」


ちょうど時間もお腹が空き始める良い按配である。ごくりとつばを飲み込んだルークは、ほんのちょっとだけ片足を浮かせた。邪魔するものは何もない。行け行けと背中を押してくる猫ルークだけだ。ほんのちょっと足をかけてよじ登って手を伸ばせば、柿が一個手に入る。美味しそうな柿を、あんなに実っているうちの一つだけでも、齧ることが出来れば……。
しめしめと笑う猫ルークを後ろに従えたルークが、浮かせた足を堀にかけようとした、その時だった。


「……お前ら、何をやっていやがる」
「「はっ!」」


ルークと猫ルークは二人同時に声を上げた。そして恐る恐る、背後を振り返る。かけられた声に、嫌になるほど心当たりがあったからだ。
果たしてそこに仁王立ちしていたのは、予想に違わずいつも通りに眉間に皺を寄せたルークの双子の兄、猫ルークのご主人様の一人、アッシュその人であった。


「あ、アッシュ……お、おかえりー」
「お、おお、おかえり。何だよ今日は花屋のバイトが早かったんだなーははっ」
「まあな。で?俺はこんな道端で二匹揃って何やってやがったかを聞いているんだが?」
「お、俺は一匹じゃないから!一人だから!」
「猫と並んで不可解な事をやっている奴は匹で十分だ!屑ども二匹、そこに並んで何やってやがったかさっさと白状しやがれ!」
「「はい……」」


観念して今までの事全部をアッシュに話すと、ルークと猫ルークは一つずつ仲良く拳骨を食らった。その後のくどくどとした説教は主にルークへと向けられる。


「猫の誘いに乗って他人の家の柿を盗もうとするなんて、お前は人間としての誇りが無いのか!情けねえ!この恥知らず弟が!」
「はい……仰る通りです……返す言葉もないです……」


ルークも深く反省して甘んじてそれを受け入れる。道路の隅っこで叱り叱られている兄弟の姿を、柿が手に入れられなかった事を残念に思いながら猫ルークが呑気に眺める。


「あーあ、もう少しで柿が取れたのに惜しかったなー。ったく人間は理屈捏ねてばっかりで面倒くせえ生き物だぜまったく」
「お前も反省しろ屑猫!」
「ぎゃんっ!」


アッシュに片耳を思いっきり引っ張られて、本日二度目の情けない悲鳴を上げる猫ルーク。尻尾を膨らませて痛い痛いともがくその耳を思う存分引っ張ってから、ようやくアッシュは解放してくれた。反省し項垂れるルークと、頭を押さえてしゃがみ込む猫ルークを交互に睨み付けながら、アッシュはようやく己を落ち着けるように溜息を吐いた。


「ったく……そんなに柿が食いたかったのか」
「いやあ、最初はそうでもなかったんだけど、この柿の木を見てたらどんどん食べたくなってきて……」
「ってて……。食べたくなっても仕方ねえじゃん、だって秋なんだからよ」
「何が仕方ないだこの屑が。こんな所を人に見られていたかもしれないと思うだけで恥ずかしくて死にたくなる。おら、さっさと帰るぞ」
「あっ待てよアッシュー」


踵を返してズンズン歩き出してしまったアッシュを、ルークと猫ルークが慌てて追いかける。その時初めて気が付いた。アッシュがその手にビニール袋を持っている。ころころと拳大の楕円の何かがいくつか入っているように見えた。あの袋には見覚えがある、近所のスーパーのものだ。


「アッシュ、何か買ってきたのか?今日の買い物当番は俺だっただろ?」


ほら、とルークが自分と猫ルークが持っていた袋を指し示す。ちらっと振り返ったアッシュは、仏頂面のまま何かを考えるように少し黙り。


「最近、急に秋めいてきたな」
「へっ?あ、ああ」
「……ついさっき、そこの屑猫が言ってやがっただろうが」
「は?俺?」


アッシュが何を言いたいのか察せなくてきょとんと顔を見合わせる同じ顔。猫ルークがついさっき言っていた事?とりあえず順番に思い出してみる。


「ルーク、お前何て言った?」
「俺何て言ったっけ?えーと、柿取れなくて惜しかったなーとか、人間は面倒くせえ生き物だなーとか、秋だから仕方ねえじゃんとか?」
「秋だから、仕方ない……」


はた、と一瞬黙る柿泥棒未遂の二匹。前を歩くアッシュは何故だかどこかバツが悪そうで。そういや昨夜テレビの秋特集なんかを見ながら「秋にはやっぱり柿が食べたいよな」とか何とか雑談したようなとぼんやり思い出したりして。
そうして全てを察したルークと猫ルークは、バッとアッシュを振り返り、もう一度顔を見合わせてから、バイトの名残りで真紅の髪を一本に結んだままのその背中に勢いよく飛びついた。


「やらん!貴様らには絶対にやらん!」
「そんな事言わずにお願いします兄上様ー!」
「柿!柿だー!柿くれよご主人様ー!」
「揃って気色悪い言い方するな!離せこの柿泥棒どもがー!」


もつれ合いながら家路を歩く双子家の今晩のデザートには、オレンジ色に輝く秋の味覚が三等分、仲良く並ぶことになるだろう。




   隣の猫と柿食う双子だ

13/10/19