ルークがガイの部屋から外へ出ると、空はもう大分暗くなっていた。そんなに長く話しこんでいただろうかと少し驚く。ちょっと隣のガイの部屋へ回覧板を届けにいっただけのはずだったのだが、玄関先で長々と話し込んでしまったのだった。話といっても、ルークはアッシュと猫ルークの愚痴と書いて惚気と読む話を、ガイは自作の音機関の事を、それぞれ好き勝手に喋りまくっていただけなのだが。
しかしルークは手元に持つ鍋を見てにやりと笑う。ガイに貰ったおでんだった。一人暮らしなのに作りすぎたからと帰り際に貰ったものだ。これで今晩の夕飯はまかなえるだろう。つまり楽が出来るのだ。これだけ遅い時間になってしまったが、これを持って帰ればアッシュだって怒りを鎮めるはずだ。何せガイの料理は普通に美味い。
なのでルークはすっかり安心したまま、自分の家のドアを開けた。
「ただいまー」
「おっかえりー!」
途端に帰ってくるとても元気で陽気な声。思わずルークは驚きにその場で固まってしまった。今の声は、猫ルークの声だ。あのご機嫌な声がアッシュだったらルークは聞こえた瞬間逃げ出していただろう。しかしそれにしても驚きだ。基本的に面倒くさがりな猫ルークはよほどご機嫌でない限りこんなハイテンションな声は出さないはずなのだが。
「な、何だ何だ?ルーク、どうし……」
「ルークー!おーかえりー!」
靴を脱ぎ部屋に入った所で、満面の笑みの猫ルークが飛びついてきた。びっくりしながらもルークは何とか鍋を猫ルークの激突から守る。鍋を持つ両手を横に避難させた結果、ルークは猫ルークの両手にしっかりがっちり抱きしめられてしまった。こんな熱烈なお出迎えをされたのは初めての事である。
「何だよ!本格的に何事なんだよ!」
「なんだよーなにかふまんでもあんのかよお!このおれがせっかくじきじきにでむかえてやってんのにー」
「呂律回ってねえし!」
何とか鍋をキッチンへ置く事に成功したルークは、未だひっついたままの猫ルークを何とか引きはがした。一度手を引き離された猫ルークは、しかし機嫌を損ねる事無く再びルークにくっついてくる。耳元に近づいた猫ルークの喉からは何とごろごろと音まで聞こえるのだ。
「うわーっルークが喉を鳴らしてる!猫だ!」
「おれはさいしょからねこだぞー!」
「そうだけど!つかマジで何でどうしてこんな状態になってるんだよ!」
猫ルークはどうやら足元もおぼつかないようで、ふらふらとルークに体重を預けてきてる。同じ身長の身体を支えている間に部屋の中を見渡せば、アッシュがこちらに背を向けて座り込んでいるのが見えた。
「おいアッシュ!ルークはこれどうしたんだよ!」
「………」
「黙ってないで何とか言えって!これじゃまるで、酔っ払いみたいじゃ……」
そこまで言って、何かに気付いたルークは言葉を止めた。くっついたままの猫ルークをそのまま引きずってアッシュの傍に移動し、その手元を覗きこむ。ひたすら視線を逸らすアッシュの手には、どうやら開封された何かの袋が握られているようだ。それをそっとつまみ上げて、書いてあった文字を読んでみると。
「えー、なになに……粉末マタタビ?ってこれか!原因これかっ!」
原因はすぐに判明した。ルークがアッシュをじっと見つめると、視線を感じたアッシュが慌てたように弁解し始めた。
「ち、違う!これはバイト先の常連の客がたまたま持ってきたものをたまたま貰っただけだ!貰ったもんは使わねえと相手に悪いだろうが!」
「ふーん」
「別に前々からこいつにマタタビやったらどういう反応をするのか試したくてうずうずしていた訳じゃないからな!」
「あーはいはい分かった分かった」
こう見えてアッシュが動物好きという事を十分に理解しているルークは、ついでにアッシュが死ぬほど素直ではない事も十分に理解してあげているルークは、そこで言い訳を切り上げてやった。原因は判明した、後はこれからどうするかだ。
「で、これどうしたんだ?舐めたのか?」
「ああ……マタタビを実際に口に含むのは初めてだったようでな、止める暇もなく結構な量を舐めやがった」
「へー、それでこんな有様に……。すごいな、猫って本当にマタタビで酔っぱらうんだ」
猫ルークの尻尾は絶えずゆらゆらと気持ちよさそうに揺れていて、いかに猫ルークがご機嫌なのかを伝えてくれる。その肩を持ってルークは猫ルークを真っ直ぐ立たせてみた。
「ルーク、気分はどうだ?マタタビって美味いのか?」
「うへへー、なんかよくわかんねーけど、おれいますげーたのしーい!」
「そうかそうかールークが楽しいならそれでいっかー」
ここまであけすけに機嫌が良い猫ルークを初めて見たかもしれない。屈託なく笑うその顔を見ているだけで、こちらも楽しい気分になってくるぐらいだ。ルークは自然と笑顔になっていた。
「でもいいなあ本当に楽しそうで。俺もお酒飲んだらこんな風になれるのかな」
「おい、言っておくが未成年は……」
「分かってるって!お酒はまだ飲みません!あーあ、早く二十歳にならねーかな」
猫ルークはルークの元を離れ、今度はアッシュにひっついていった。やめろと一度うざそうに頭を軽くはたくアッシュだったが、それだけである。普段はアッシュの事を鬼とか何とか言いながら全然ひっついてこないので、何気に嬉しいのだろう。もっとひっついてほしいなら普段から猫ルークにもっと優しくしてやれば良いのに、とルークは心の中でつっこんでおく。言葉にすると顔を真っ赤にしてそんなんじゃねえとか何とかうるさくなると分かっているので言わない。
ふとルークは、自分の手の中にあるまたたびの袋を見つめた。中身はまだ残っている。
「なあ、マタタビって猫にしか効かないのかな」
「……何を考えてやがる」
「ちょっと舐めただけでこんなになるんだぜ?人間にも多少は効きそうじゃん」
「またてめえは妙な事を……」
ため息をつくアッシュはしかし止めなかった。興味があるのかもしれない。ルークは袋からマタタビの粉を少しだけ出してから、おそるおそる舐めてみた。
「んー……」
「どうだ」
「粉っぽい」
「だろうな」
ルークは首を傾げる。特に気分が高揚する感じはしない。ついでに特に美味くもない。多少がっかりしながらルークは猫ルークを眺めた。相変わらず楽しそうに一人ごろごろ言いながらアッシュにしがみ付いている。こんな風になりたい、とまではいかないが、少しぐらい酔った時の感覚を味わってみたかったのだが。
「やっぱりこれは猫専用かあ。ほーれほれ」
「おーっもっと!もっとくれーっ!」
「おいやめろ、食い過ぎは身体に悪いかもしれねえだろうが!」
ルークが袋を近づけると、匂いを敏感にキャッチしたのか猫ルークが目を輝かせる。そのままルークに飛びかかろうとするのを、アッシュが首根っこを掴んで止めた。もちろん衝撃で首がしまるが、いつもなら怒りだしている場面でも猫ルークは笑顔のままだ。
「ぐえっ!うははーくるしー!たのしー!」
「……羨ましいぐらい馬鹿だな」
「まあ確かに、素面じゃここまではっちゃけられないよな」
一人で笑う猫ルークをしばらく眺めて、ルークはにやっと笑った。嫌な予感に顔をしかめるアッシュめがけて、両手を広げてがばっと飛びこむ。
「とうっ!」
「ぐふっ!な、何しやがる!」
「ルークの真似!酔えないなら真似るしかない!ほら、ごろごろーっ!」
「声で言っても意味ねえよこの屑!真似るなら喉を鳴らしやがれ!」
「えーっ出来ねえよ!ごろごろー!」
「そんな喉を鳴らしている音、俺は認めねえ!」
「厳しい!アッシュ厳しい!さすが猫好き!」
「べ、別に好きな訳じゃねえ!」
ぎゃーぎゃー騒がしくなった双子に、最初きょとんとしていた猫ルークもにまあっと笑顔になって、二人の間に飛び込んでいく。
「ふたりだけたのしそうでずりい!おれもなかまにいれろーっ!」
「おおっ本物きた!どうだこのダブルごろごろ!これならアッシュもご満悦だろ!ごろごろ!」
「だからてめえのは認めねえよ!この本物の猫が喉から鳴らすごろごろが良いんだろうが、同時にこの目を細める所なんか……って語らせるな屑が!」
「勝手に語った癖に理不尽すぎねえ?!」
「あははははー!たーのしー!」
三人の楽しそうな声が響く部屋の中。
マタタビなんぞ使わなくても普段から同じだけ楽しそうに騒がしいじゃないか、とは、隣の部屋に住んでいるガイお兄さんの心の声だったとか何とか。
猫と双子とご機嫌マタタビ
13/02/23
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