犬は喜び庭駆け回り、猫はこたつで丸くなる。この歌を考えた奴は犬の事を何も分かっていない、と正月早々子犬アッシュは怒りを覚えていた。最早怒りが沸き上がるほど、元旦の今日は寒い。何を隠そう子犬アッシュは、寒さが苦手なわんこである。寒い日は外に散歩へ行かずに出来る限りこたつに潜っていたいと思うほどであった。そんな中でも今まで奥様の手作りマフラーをつけて毎日欠かさず散歩に出掛けているのは、会いたい人がいるからに他ならない。愛とは偉大なものだと、幼いながら子犬アッシュは己に感心する日々である。
しかし愛の力をもってしても今日は寒い。こたつに入って温かいお茶を飲みながら、子犬アッシュはため息をついた。今日ぐらいは散歩を休んでもいいだろうか。今日は元旦だから、あちらも何かと忙しいだろう。この大きな家の中でも旦那様と奥様が忙しそうにばたばたしている。人間は正月とても忙しいらしいが、犬は別である。特に何も用事が無い子犬アッシュは、安心してぬくぬくしていられた。
お昼の手前ごろに鳴らされた、チャイムの音が聞こえるまでは。


「おっすアッシュ!あけましておめでとさん!」
「る、ルーク……?」


尻尾を身体に巻きつけたまま、忙しそうな家の主人に変わって玄関に立った子犬アッシュを出迎えたのは、鼻の頭を赤く染めながらも元気良く片手を挙げてみせた猫ルークだった。予想もしていなかった人物の登場に固まる子犬アッシュだったが、掛けられた言葉の意味を理解すると同時に何とか持ち直す。


「あ、あけましておめでとう」
「ん!で、さっそくなんだけど。アッシュ、初詣に行かないか?」


子犬アッシュが驚きに目を丸くして見上げると、猫ルークは胸を張ってみせた。


「俺は今からルークとアッシュ……あ、もちろん飼い主の方な、その三人で初詣に行く所なんだ。歩いてだからちょっと寒いかもしれねえけど、お前も来ないか?帰りに屋台で一緒に何か食おうぜ!」


開け放たれたドアの向こう、猫ルークの背後からは容赦なく冷たい風が吹き付けてくる。雪は降っていないが、降ってもおかしくない寒さだろう。歩いてという事だから、このまま外に出るとずっとこの風に吹かれる事になるのだ。それを思うだけで子犬アッシュの身体は震えそうになるが、ふと目の前で笑っている猫ルークの顔を少し見上げる。それだけで子犬アッシュの尻尾はゆっくりと揺れ動き、心は燃え上がり、身体はそわそわと滾ってくるのだ。


「ま、待って。……準備してくる」


愛の力は偉大だ。改めて子犬アッシュは噛み締めるのだった。





「犬のアッシュ、あけましておめでとう!来てくれてありがとなー」
「……おめでとう」
「あけましておめでとうございます」


少し離れた所で待っていたルークとアッシュに、完全防備で外に繰り出した子犬アッシュは丁寧に挨拶をする。隣にいた猫ルークがそんな子犬アッシュの背中を急かすように押した。


「んな堅苦しい挨拶はさっさと終えて、早く行こうぜ!」
「こんなに寒いのにルークは元気だなあ」
「当たり前だろ、屋台の食い物が俺を待ってるんだ!」
「やっぱり食い物か……自重しないと、食いすぎたら蹴るぞ」
「分かってるって!」


猫ルークの不思議と温かな手に引っ張られて子犬アッシュは歩き出した。この手のぬくもりだけでこの冷たい空気など忘れ去ってしまうぐらい身も心もぽかぽかする。


「やっぱり正月ぐらいは母さんに挨拶した方がよかったかな」
「今日は親父がいるだろうが、鉢合わせなんて死んでもごめんだ。あいつがいない時期を見計らって少し寄ればいいだろう」


後ろでは双子が何やらひそひそと相談事をしているようだが、そんなややこしい人間の家庭事情は猫と犬に関係ない。子犬アッシュは今は余計な事を考えずに、ただこのぬくもりを享受する事にした。
握りしめられた手、目の前に広がる長い焔色の髪、こちらを見て楽しそうに笑う顔。こんなに厚着してくる必要は無かったかなと思うほど、それらは子犬アッシュの全身を温かく包み込んでいるのだった。




辿り着いた神社は、この近辺で唯一たっている町中の神社であった。何でも光り輝く大昔の精霊か何かを祀っているらしい。いつもは人も少なく穏やかな時間が流れているこの神社も、今日ばかりは初詣に集まった人々の喧騒で溢れていた。
周辺に広がっている公園は緑が広がる気持ちの良い広場で、近所の猫や犬たちの溜まり場ともなっている。つまり猫ルークや子犬アッシュにとっては馴染みの場所でもあった。今日はその公園を通り過ぎて、石でできた鳥居をくぐる、前に猫ルークが歓声をあげた。


「おおーっ並んでる並んでる!焼き鳥おだんごリンゴ飴、わたあめもトウモロコシもいいよなー!さーて、まずは何に……」
「お参りが終わってからだこの屑猫!」
「ぎゃん!し、尻尾を引っ張るなよ!」


立ち並ぶ屋台に暴走しそうになった猫ルークを、後ろからアッシュが尻尾をわし掴んで何とか止める。こういう食べ物に目が無く、何でも美味しそうに頬張る所が猫ルークの可愛い所だと常々子犬アッシュは思っているが、口に出すと「生意気だ!」とへそを曲げられるので声には出さない。
まだ名残惜しそうに屋台を見つめる猫ルークの手を、子犬アッシュは引っ張ってやった。


「ルーク、早くお参りしよう」
「ああ、そうだな……終わらせればいくらでも食べられるんだもんな!」
「いくらでもでは無いけどなー」


こっそり釘を差してくるルークの言葉は最早猫ルークに聞こえていない。元気よく石段を駆け上がった猫ルークはそのままお社に向かって突進しようとしたので、子犬アッシュは慌てて立ち止まった。それにより手で繋がれていた猫ルークもたたらを踏んで止まる。


「うわっ?!なっ何でいきなり止まるんだよ!」
「お参りする前に、手を洗わないと駄目だ」
「はー?ああ、そういやそういうめんどくせー事やんなきゃいけなかったな」


心の底から面倒くさそうな顔をしながらも、猫ルークは大人しくついてきた。脇に控えていた水場もやはり人が多く、少し並んで自分たちの番が来る。柄杓を手に持ったルークが水を掬い、猫ルークと子犬アッシュに声を掛けた。


「手出せよ、掛けてやるから」
「つ、冷たくないか?」
「冷たいに決まってるだろー。ほら、覚悟決めて」


猫ルークと子犬アッシュは顔を見合わせて、おそるおそる手を差しだす。ルークはそこに何のためらいもなく水を落とした。途端に同時にぶわっと毛を逆立てる二本の尻尾。ルークはにやにやと上がる口元を押さえ切れなかった。後ろではアッシュも思わず口元を押さえて視線を逸らしてしまったぐらいだった。可愛すぎる。


「つめてーっ!もうこれ拷問だろ!」
「この試練を乗り切って初めてお参りが出来るんだって、ほらハンカチ」


寒いー冷たいーと文句を言いながら手を拭く猫ルークを眺めながら持参のハンカチで拭く子犬アッシュ。放り投げるようにルークへハンカチを返した猫ルークは、水のせいで冷たくなってしまった己の手をしばし眺めた。そしてこちらを見上げる子犬アッシュの一部分をおもむろにじっと見つめたかと思えば。


「おりゃっ!」
「っ?!」


いきなり子犬アッシュのタレ耳を掴んできた。掴んだといってもぎゅっと握り締めたわけではなく、ふわりと手で包み込むように触れてきたのだが、それでもその冷たさと急な刺激で、子犬アッシュはびくりと飛び上がっていた。猫ルークは上機嫌な様子で、子犬アッシュのもふもふとした耳に触れている。


「いやーすげえあったかそうだなって思ってたけど、マジであったかいなこれ!俺もこんな耳だったら自分で自分を暖められたのかなー」


好きなだけもふもふする猫ルーク。衝撃が過ぎ去ればあとはむしろ気持ちがよいのでされるがままの子犬アッシュは、じっと目の前の猫ルークの頭を見つめた。そこには三角のとがった猫の耳がある。これだけ耳を触られているのだから、逆にこちらが触っても問題ないだろう。幸い手が届かない身長差ではもうない。よしっと思い切って手を伸ばしかけた子犬アッシュだったが、


「立ち止まってないでさっさと行け!他の奴の邪魔になるだろうが!」
「いって!ちぇっ、分かったよ」


後ろからどついてきたアッシュのせいで手が届かないままもふもふタイムは終わってしまった。子犬アッシュが少しだけ恨みがましくアッシュを睨んでしまったもの仕方の無い事だった。しかしそんな未練がましい気持ちも、少し温まった猫ルークが繋いできた手によってすぐに吹き飛ぶ。


「いくぞアッシュ、早くお参りお参り!」
「あ、ああ……」


目指したのはもちろん人が一番集まるお社の正面、鈴と賽銭箱の前だ。人ごみにまぎれて列に並びながら、二人は賽銭箱に投げる小銭を受け取って鈴の目の前に立つ。猫ルークが子犬アッシュの手を持って紐を握らせ、2人でがらんごろんと鐘を鳴らした。
人間の作法というのは良く分からないが、こういう場合は手を合わせておけば大体合っているらしい。猫ルークと子犬アッシュは並んで手をあわせ、頭を垂れた。頭の中で何を願っているのか、もちろん他人のことは分からない。しかし猫ルークも子犬アッシュも、何となく相手が何を願っているのか、分かるような気がした。手を合わせるのをやめて、ふと目が合ったとき、それを2人とも何となく察した。
どちらからともなく、笑顔が浮かんでくる。きっと予想は間違っていなくて、そして似たような願いなのだろう。「赤点とりませんように赤点とりませんように」と延々ぶつぶつ呟くルークと「バイト代が上がりますように」と切実な願いを口にしているアッシュを置いて、猫ルークと子犬アッシュは人ごみの中から抜け出し、神社内を駆けた。


「おっし、飯だ!何から食おうかなー、おいアッシュ何が良い?」
「ルークと一緒に食べられるもの」
「おお?俺がいくら食べるの大好きだからって分け与えないわけないだろ!その、少しは分けられるし!多分」
「……二つ買おう、俺の分と、ルークの分」
「そっそうだな!それがいいな!よーし何でも買ってやるぜ!アッシュのバイトした金で!」


こうやって隣に並んで笑い合う時間。後ろから追いついてきた飼い主達に怒られたり撫でられたりしながらも美味しいものを食べる時間。今この時こそが、二人並んで願った一番の幸せな時間なのだ。




   猫と双子と子犬の初詣






「……後、早く身長が伸びますように……」
「こ、これ以上伸びなくてもいいっつーの!」


12/01/08