「あっそう言えば明日はポッキーの日だね!」
「ぽっきー?」


唐突に思い出したかのようにそう言ったフローリアンに、子犬アッシュは首をかしげた。場所は馴染みのある小さな公園だった。方向音痴の子犬アッシュでも自力で何とかたどり着く事が出来る数少ない場所である。
目の前で尻尾を揺らして何かを思い出しているフローリアンと、にこにこ笑いながらそれを聞いているイオンは、以前猫ルークから紹介されて友達になった緑毛の猫達だった。それ以来迷子の所を助けて貰ったり一緒に遊んだりしている。今日も散歩中バッタリ会って少しお喋りをしていた時に、フローリアンが声を上げて冒頭に戻るという訳だった。


「アッシュは知りませんか?チョコがついている細長いお菓子の事ですよ」
「……テレビで見た事がある気がする」


イオンに言われて子犬アッシュも思い出す。確か、赤いパッケージのお菓子だったはずだ。食べた事は無いが、ポッキーの日とやらがあるぐらいだから、きっと美味しいのだろうと子犬アッシュは思った。


「そのポッキーというのは美味しいのか?」
「甘くてポリポリで美味しいよー!えへへ、せっかくだから明日アニスに買ってもらおうかなあ」
「それはいいですけど、食べすぎは駄目ですよフローリアン」


今にも涎を垂らしそうな顔のフローリアンをイオンが軽くたしなめる。あんな顔をするほど美味しいのかなと考えていると、フローリアンがそうだと声を上げた。


「ポッキーにはね、とっておきの食べ方があるんだって!アニスに教わったんだ!」
「とっておきの食べ方?」
「うん!実はね……その食べ方で好きな人とポッキーを食べると、恋が実るんだってー!」
「!!」
「なんだかアニスが好きそうなお話ですね」


変わらずにこにこと笑うイオンの隣で、子犬アッシュは尻尾を激しく反応させた。好きな人、恋が実る、その言葉で、頭の中に自然と浮かび上がってくる人物が一人いるのだ。いかにも女の子が好きそうな女々しい頭の中だと心の中で自嘲しながらも、子犬アッシュはフローリアンへと身を乗り出していた。


「……その話」
「ん?」
「もうちょっと、詳しく聞かせてくれないか」




次の日、ポッキーの日当日。子犬アッシュはお菓子の箱を一つ手に持ち、何度歩いても覚えきれない町の中を歩いていた。しかし迷子では無かった。迷子の時はゆらゆらと頼りない足取りで尻尾を引きずりながら歩くのだが、今はしっかりと足を踏みしめ、緊張に尻尾を尖らせ真っ直ぐ目的地へと向かっているのだ。
やがて辿り着いた先は、小さな路地裏の一角であった。子犬アッシュはこの場所に以前来た事があった。この時間帯ここには気持ちの良いお日様の光が当たるので、昼寝には最適な場所なんだと教えてもらったのだ。果たして隅に積み上がった土管の上にごろりと横になってボーっと空を眺めていたのは、子犬アッシュの探し人、ならぬ探し猫の猫ルークであった。
猫ルークを見つけた喜びに尻尾を揺らしながら近づけば、猫ルークもこちらに気づいて顔を上げた。


「ルーク」
「おーアッシュ、もしかして俺を探してここまで来たのか?」
「ん」
「そっか。お前俺を探す時だけは迷わず真っ直ぐ来れるのな……」
「ルークの匂いを辿れば迷わないから」


なるほど、と納得しかけた猫ルークはやっぱり何か引っかかって身体を起こしてきた。


「いや、匂い辿れるなら他の所に行く時もそうしろよ!せめて我が家だけは覚えとけ!」
「……善処する」


猫ルークの匂いだけはすぐ自然に覚える事が出来た、なんて言ったらまた顔真っ赤にして怒り出しそうなので言わないでおく。まったく仕方ねえなと言いながら猫ルークがさりげなく場所を開けてくれたので、子犬アッシュは遠慮なくその隣に腰を下ろした。
猫ルークが転がっていたそこにはまだぬくもりが残っていて、空から降り注ぐ太陽の光と相まってとても温かな場所に感じた。子犬アッシュは両手で持っていたお菓子の箱を猫ルークに見せようとして、しかし躊躇った後それをやめてしまった。しかし食べ物に目が無い猫ルークにはその僅かな動きでお菓子の存在に気づかれてしまう。


「おっ何だそれ、もしかして食い物か?」
「これは……お、お土産」
「よく見りゃポッキーじゃん!気がきくなーアッシュ、サンキュー!もしかしなくても今日がポッキーの日だからか?」
「えっ」


箱を渡せば満面の笑みで猫ルークがそれを受け取る。その笑顔に癒されている暇が子犬アッシュには無かった。何と猫ルークがポッキーの日の存在を知っていたとは。思わず動揺して、はいと手渡されたポッキーの入った袋を取り落としそうになる。


「ポッキーの日を、知っていたのか」
「まーな。今日はポッキーの日だーって家の中でルークが踊ってたし」
「そうか……ポッキーの日は踊る日でもあるのか……」


何でもルークは、昔こういう踊りがあったんだとポッキーを両手に持って部屋の中でバタバタ暴れて、アッシュに叩かれたらしい。ポッキーの日というのはまだまだ謎が隠されているのかもしれない。
いいや、それよりも肝心な事を聞かなければならないのだ。子犬アッシュはポッキーの袋を開けながら、おそるおそる猫ルークへと尋ねかける。ちなみに猫ルークはすでに一本目を食べ終わった所だった。


「それじゃあルークは……あれを、知っているのか?」
「んあ?あれって何だ?」
「その……ポッキーの、特別な食べ方を」
「はあー?ポッキーなんてこうやって食うのが一番美味いだろ」


さっそく二本目を取り出した猫ルークは音を立ててポッキーを噛み砕いた。この様子ならフローリアンが教えてくれたとっておきの食べ方は知らないようだ。子犬アッシュはほっとしたような、残念なような、そんな不思議な気分を味わう事となった。
次々とポッキーを消費していく猫ルークを横目に見ながら、一本手に取った子犬アッシュはそれをぱくりとくわえてみる。そのままフローリアンが教えてくれた食べ方を、そっと思い出した。


『あのね、ポッキーの両側から二人で食べ合うんだって!そのまま二人で一緒に全部食べ切ったら恋が実るんだってさ!』


あの細いポッキーを両側から二人で。そんな事をすれば最終的にどうなってしまうのか、子犬アッシュには簡単に想像がついた。そんな事をする二人の仲というのは、すでに出来上がっていなければ両側から食べ合うなんて真似は出来ないのではないだろうかと思った。明らかに恋を実らせたいと思っている片思いの者にはハードルが高すぎる食べ方だ、つくづくポッキーの日というのは意味不明だとも思った。
そんな意味不明でとても勇気がいる恥ずかしい食べ方なのに、子犬アッシュは何かに期待してここにポッキーを持ってきてしまったのだ。


「んーやっぱ美味いなー。細いせいかあんま腹が膨れた気はしないけどな」


猫ルークのポッキーはもう残り少ない。子犬アッシュのポッキーはまだ一本も減っていない。最初の一本目をくわえたまま、子犬アッシュは横目で猫ルークを眺めた。
猫ルークはこの食べ方を教えたらどんな反応をするだろうか。笑い飛ばされるだろうか。顔を真っ赤にしてそんなのやる訳ないだろと怒り出すだろうか。猫ルークが浮かべるであろう色んな表情が頭の中に思い浮かんでくるが、どうしても食べてくれそうな表情は浮かんでこなかった。

まずは言ってみればいいのだ。こういう食べ方があると。断られるかもしれないし、もしかしたら受け入れてくれるかもしれない。結果は分からないが、それもまずはこちらから提案してみない事には始まらないのだ。それを分かっているのに、どうしても言い出せない。
恥ずかしいのだ。一本のポッキーの端っこと端っこを食べ合うなんて想像するだけで、恥ずかしくて尻尾が激しく揺れ動いてしまう。元々真っ赤な耳が燃え上がるほど真っ赤になってしまう。以前猫ルークの頬にキスをした事はあるが、あれも自分の部屋に駆けこんだ後真っ赤な顔を押さえて一人でバタバタゴロゴロ転がるぐらい実は恥ずかしかったのだ。それなのに、口と口が十中八九触れ合うであろう食べ方なんて。


『その食べ方で好きな人とポッキーを食べると、恋が実るんだって!』


恥ずかしさに茹で上がる頭の中に、魅惑的な言葉が浮かぶ。猫ルークは基本的に子犬アッシュを子どもだとしか思っていない。そんな相手にアプローチするにはきっと、これぐらい積極的にこちらから仕掛けていかなければいけないのだ。とりあえず身長で勝てるのはもう時間の問題だろうが、その後だ。
どんな怪しいまじないでも良い。何かに頼りたくなるぐらい子犬アッシュは願っていた。大きくなるまでは待てない、今すぐ猫ルークに認めてもらいたかった。自分は対等なのだと。ただの子犬ではないのだと。

この食べ方をすれば背が高くなるらしい、と嘘をついて食べてもらおうか?いや嘘をついてまで食べさせるのは、とか何とか難しい顔で考え込んでいた子犬アッシュは、気付かなかった。
子犬アッシュは油断していたのだ。猫ルークはツンデレで恥ずかしがり屋だから、自分から仕掛けてくる事は無いだろうと。見くびっていたのだ、色気に疎い天然さんの恐ろしさを。


「なあお前いつまでそれくわえてんだよ、ポッキー全然減ってもないし」
「?!」


ものすごく近くで聞こえた声に驚いて正面を見ると、目の前に猫ルークの顔があった。ポッキーをくわえたまま考え込んで動かなくなってしまった子犬アッシュを不審に思って覗き込んできたようだ。驚きに尻尾をぶわりと膨らませた子犬アッシュの様子に気付いていないような顔で、猫ルークがにやりと笑う。その目線は、子犬アッシュがくわえているポッキーに注がれていて。


「お前が食わないなら、俺が食っちまうぞ!」


そのままばくりと、子犬アッシュのポッキーに食らいついた。子犬アッシュの垂れた耳さえぶわりと膨らんだ気がした。さすがにそのまま食べ進みはしなかったが、猫ルークはパキリと噛み砕いて子犬アッシュのポッキーを半分以上持っていってしまった。


「へっへーざまーみろ、食うのが遅いから俺に食われることになるんだぞ」


俺の食欲舐めんなよと得意げに笑う猫ルークは、自分が今どれだけの衝撃を子犬アッシュに与えたのか微塵にも気付いていないようだった。しばらく音を立てて固まった後、子犬アッシュはゆっくりと、残されたポッキーを口の中に入れた。
ニシシと笑う猫ルークの笑顔と、口の中のチョコの甘さが、全身に染み渡る。


「……ルーク」
「何だよ、俺もう全部食っちまったから、返せと言われてももう返せねーからな」
「今度は……今度は、負けないからな……」
「は?ってお前何体震わせてんだよ、そんなにポッキー食われたのが悔しかったのか?んだよもー悪かったって!」


がしがしと乱暴な手つきで撫でられるまま揺さぶられる子犬アッシュ。想い人に先を越されたショックの中、ひとつ誓った。
もっともっと、強くなろう。こんな事で動揺しない、むしろもっとすごい事をこともなげにして見せて、鈍感な猫ルークにでも意識されるような、強い大人になろうと。
その誓いをこの味と共に忘れないように、子犬アッシュはもう一本、ポッキーを音を立てて飲み込んだ。




   猫と子犬とポッキーゲーム

10/11/12