「たっだいまー」
「「おかえりー」」


帰ってきた早々聞こえてきた声に猫ルークは首をかしげた。今、おかえりの声が二重に聞こえてきた気がする。声が二重に聞こえるという現象は、たまに怖いぐらい声や言動がそっくり重なる双子がいるこの家では特に珍しい事ではない。しかし猫ルークは、今この家に双子の片割れがいない事を知っていたのだ。何せさっきまでメルヘンな花屋さんでバイトを頑張るアッシュを冷やかしてきたばかりなのだ。と言う事は、今この家にはルークしかいないはずなのに。
何事だろうと思いながら家に上がり込んだ猫ルークが一番最初に目に入ったのは、ルークの背中だった。ここから表情は見えないが、しゃがみ込むその背中がどことなく嬉しそうに弾んでいるような気がしたので、どうやらルークはとても上機嫌のようだ。


「なあ、さっき聞きなれないような聞きなれたような声が聞こえた気がした……って、あー!」
「よっルーク、いいだろこれ!」


大声を上げた猫ルークへと振り返ったルークが、自分の腕の中の温かな頭をぐいぐいと撫でてみせる。ルークに撫でられながらも真っ直ぐな瞳を猫ルークへと向けてくるその顔を、猫ルークはよく知っていた。ルークの手によってもみくちゃにされているたれ犬耳と、猫ルークを見つけてパタパタ動く犬尻尾、そしてアッシュそっくりの綺麗な赤色。間違いなく子犬アッシュだった。


「おまっ犬のアッシュ!何でここにいるんだよ!」
「へへへ、あんまりにも可愛いから、攫ってきた」
「マジで?!」
「なーんて嘘に決まってるだろ。さっきそこで道に迷ってたから拾ってきたんだ」
「また迷子かよ!」


猫ルークが叫ぶと、子犬アッシュは申し訳ないと言いたげに顔を俯かせた。引っ越してきてからもう結構たつはずなのだが、やはり子犬アッシュは筋金入りの方向音痴らしい。犬なのに。


「そんな責めてやるなよルーク!こいつが誰のためにここまで来ようとしてたと思ってるんだよ」
「へ?」
「ん」


子犬アッシュは傍に置いてあった袋を、猫ルークへと手渡してきた。受け取った猫ルークが中を覗き込んで、すぐに歓喜の声を上げる。


「あっ肉だ!しかも色からしていつもの安物じゃねえ!高い肉だっ!」
「悪かったなーいつも安い肉で。お前にそれ渡すために犬のアッシュは頑張ったんだぞ」
「そうなのか!ありがとなアッシュ!」
「別に……」


猫ルークに礼を言われて、子犬アッシュの尻尾がより大きく揺れる。その様子を見て可愛いなーとか思いながら、ルークは一つため息をついてみせた。


「いや、確かに嬉しいけど、母さんもこんな差し入れの方法を考えてくるとはなあ。あんなにいらないって言ったのに……犬のアッシュに届けられちゃ断れないし」
「何を断る必要があるんだよ、こんな良い肉が食えるのに!」
「ルークは素直に嬉しいだけだろうけどさー家出した身としては複雑っていうか何というか」


とは言えルークだって肉が嫌いな訳ではない、むしろ大好きだ。帰ってきたアッシュも何か言うかもしれないが、突き返せとは言わないだろう。そんな事をすれば母親はもちろん、ここまでお使いをしてくれた子犬アッシュさえも悲しませる事になるからだ。
今日の所は何も考えずに、この舞い降りてきた美味しいお肉を堪能しようではないか。そう思いなおしたルークは、改めて子犬アッシュの頭を撫でた。


「まあこのお肉は今日夜さっそく焼き肉にでもするから、お前も食べて行けよ。帰りは送ってやるからさ!」
「いきなり今日食べるのか!いやっほーやったー!」


肉を抱えて喜びに小躍りする猫ルークを見つめながら、子犬アッシュはこくりと頷いた。今晩の夕食はなかなか賑やかなものになりそうだと思いながら、ルークはとりあえず猫ルークの手から肉を取り返す。このままだと生肉のまま齧り付く勢いだ。きちんと台所に肉を持っていってから、戻ってきたルークは、


「さーてご飯の時間まで遊ぶぞーアッシュー!」
「?!」


ビクつく子犬アッシュへと飛びかかった。さっきまで散々撫でくり回していたというのにまだ足りないのか。猫ルークが呆れた目を向けた。


「一緒に遊ぶんじゃなくてルークがこいつで遊んでるだけじゃねーか」
「何だよいいだろー!お前もアッシュも犬のアッシュと遊んだり手繋いだりしてたのに、俺だけまだ全然触れ合ってなかったんだから!」


子犬アッシュを抱え込みながらルークがむくれる。たしかに基本的に子犬アッシュの相手をしていたのは猫ルークだ、犬と猫同士なのだから当たり前だ。アッシュは以前迷子の所を拾ってやった事があるが、その際頭を撫でたり手を繋いでやったりしていたのを物陰から確認済みだ。ルークはそれをずっと、羨ましがっていたらしい。


「だから今まで構えなかった分を今日取り戻すんだ!なーアッシュー!」
「………」
「えーと……まあ、ほどほどにしろよ?」


子犬アッシュが少しだけ助けを求めるような視線を向けてきている気がしないでもないが、いまの猫ルークにはルークから子犬アッシュを取り上げる勇気がなかった。せめてもの言葉をかけるが、それを聞いているかどうかすら怪しい。猫ルークは心の中で子犬アッシュに謝った。ごめん、今だけは耐え忍んでくれ。


「お前の耳はルークと違ってふっかふかだなー!いやとんがってるのも可愛いけどこの感触が新鮮でさあ」
「……くすぐったい……」


両手にたれ耳を取って思う存分もふもふしているルークと、最早されるがままの子犬アッシュ。特にする事も無いので猫ルークは二人の様子を少し離れた場所から眺めた。もちろん巻き込まれないように距離を取ったのだが、猫ルークはそれを少しだけ後悔する。
べたべた触りまくるルークと子犬アッシュを見ていたら、何だか、仲間外れの気分に陥ってきたのだ。


「あっ髪もアッシュと同じぐらいサラサラしてるんだな。マジで不思議だよなー何でこんなに似てるんだろうなー」
「さあ、何でだろうな……」


ルークが髪を梳いてやると、何だかんだ言って子犬アッシュも気持ちよさそうに目を細めている。ルークの構いっぷりに驚いてはいるが、嫌がってはいない証拠だった。アッシュに同じ事をすればすぐさま逃げられるからだろうか、ルークはとても楽しそうに真紅の髪へ触れている。ルークの動きが落ち着いてくると同時に、子犬アッシュもご機嫌な事を示すかのようにぱたりぱたりと尻尾を動かし始めた。その表情は完全にくつろいでいる。
傍から見ていると、その光景はとても幸せそうな空間に思えた。そう思えば思うだけ、何故か二人と猫ルークの間に見えない壁があるような落差を感じる。構い構われに夢中になっているルークも子犬アッシュも、まるで猫ルークの存在を忘れているかのようだ。
必要以上に構われるのは嫌いだ。だけど、今の状況も、面白くない。


「………」
「ん?どうしたルーク?」


静かに傍に寄ってきて、さりげなく尻尾を当ててきた猫ルークにルークが振り返る。しかし猫ルークは視線を合わせずにそっぽを向いたままだった。


「別に……何でもねえよ」


傍によってきたのは何となくで、尻尾が当たってしまったのも偶然ですよと言わんばかりにしらじらしい態度を取ってみせようとする猫ルーク。顔を背けているから猫ルークには分からなかった、そんな猫ルークの姿を見てルークと、そして子犬アッシュもキュンキュン来ている事に。


「っルーク!」
「ふぎゃあ!」


ガバッと猫ルークに飛びつくルークと子犬アッシュ。毛を逆立てて驚く猫ルークにはお構いなしに、ぎゅうぎゅうに抱きついた。


「なななっ何するんだよっていうか何でアッシュまで飛びついて来てんだよ!」
「ああ、可愛いかったから、つい」
「かかかかか可愛い?!てめっガキンチョのくせに生意気な事を!」
「猫のルークも犬のアッシュもどっちも可愛いっつーの!あーもうこいつめ!こいつめ!」


撫でたり押し返したりしながらも、三人くっついてしばらくじゃれ合っていた。ああこういうのが幸福な時というものなんだなあと実感しながら、ルークは温かな時間をじっくりと噛み締める。その時間は、目の端に誰かの足がちらっと写るまで続いた。
その足に気付いたルークが視線を上にあげれば、じっとこちらを見つめる自分と同じ色の瞳とかち合う。


「あ」
「お前ら……俺が必死で働いている間に随分と楽しそうにしてやがったんだな」


仁王立ちでこちらを見下ろしていたのは、バイトから帰ってきたアッシュであった。そのじと目がものすごく不満である事を物語っていて、ルークは慌てて立ち上がってアッシュと向き合う。


「あ、アッシュごめん!迷子の犬のアッシュを拾ってさあ、あっそうだ肉!母さんから美味しそうな肉をお使いで持ってきてもらったんだよ!今日は焼き肉だぞ!な!」
「ほう、俺が一人頑張っている間に自分たちだけで美味しい肉で盛り上がっていたという訳だな」
「アッシューごめんってばー!お前はこの前犬のアッシュと触れ合ってたじゃないか俺だって遊びたかったんだよ!仲間はずれにして悪かったよ、今から一緒に遊べばいいじゃねーか、だから怒るなよー!」
「俺は怒ってねえ!」
「嘘つけ思いっきり機嫌悪くしてたじゃんか!」


ぎゃいぎゃい言い合い始めたルークとアッシュを、床の上に転がりながら眺める猫ルークと子犬アッシュ。猫ルークがまた始まったとため息をつけば、子犬アッシュがこちらに視線を移してきた。


「あいつもやきもち焼きなのか」
「あー何だかんだ言ってアッシュの奴も動物好きらしいからな。っていうか「も」ってなんだよ「も」って!」
「別に」
「嘘こけ絶対今お前俺の事見てただろ!」


生意気だ!と頭をわしゃわしゃしてやれば、子犬アッシュは小さく笑う。普段あまり表情を変えないこの子犬が、猫ルークがこうして構うと普段と比べて良く笑う事に最近気付いた。それだけ、子犬アッシュの中で猫ルークの存在が大きいという事だろうかと、密かに嬉しく思っているのだが。
猫ルークには、子犬アッシュに気に入られる喜びと同じだけ、不安に思っている事がある。


「……あ?」
「ルーク、どうした」
「いや、お前……また、身長伸びた?」


押さえつけている頭が、前に触った時よりも上にある気がする。おそるおそる尋ねると、子犬アッシュは誇らしげに微笑みながらこくりと頷いた。


「成長期だから」


子犬アッシュ、目標の身長まで、そう遠くは無い。




   猫と双子とわんこな幸せ

10/10/09