年が変わろうとしていた12月の暮れ、双子の赤毛の家では少々重苦しい雰囲気が漂っていた。それというのも、主である双子のアッシュとルークが、毎日何やら真剣に話し合っていたからだった。
「なあアッシュ……やっぱり今年ぐらいは……」
「馬鹿を言え、あんな……で今更……」
「でも……から手紙が……も来てるし……」
「……確かに……には……」
その話し合いは非常に小さな声で行われていたので、猫ルークには何のことかさっぱり分からなかった。我が家の中で小声なのだからよほど他人に聞かれたくない話なのだろうと、終いには自分から外へ散歩に出かけているほどだった。なので、双子が一体何について悩み、じっくり話し合っていたのか猫ルークは知らなかった。
だから、年越しそばを食べている時、急にルークに言われて本当に驚いた。
「ルーク!今年の正月は実家に帰るぞ!」
「……はあ?実家ぁ?!」
猫ルークは自分の飼い主たちに実家という場所が存在するのだと思いもしていなかった。なぜなら今まで実家に帰ると聞いたこともないし、話題にすら上らなかったからだ。もしかして最近深刻そうに話し合っていたのは、この事なのだろうか。
驚く猫ルークに、とりあえずルークは簡単に説明してくれた。
「そういえばルークには話してなかったな……俺とアッシュは、実家にいるのが嫌で2人で暮らしを始めたんだ」
「家出、って事か?何で家出したんだ?」
「それは……あー、親父がうるさかったりウゼえ親戚の跡継ぎ騒動に巻き込まれたり、とにかく周りが騒がしすぎたんだよ。それである日2人でブチッて切れて出てきた」
「へーえ……じゃあ何で今年の正月は帰るんだ?」
「親父が今年の正月は仕事で留守らしいのと、まあ、母さんから手紙が来ているから、かな」
いつも2人で気ままに暮らしていたこの双子にも色々家庭の事情があるようだった。跡継ぎとか何かあまり聞きなれない言葉も出てきたが、事情があまりよく分からない猫ルークはとりあえず2人について行くしかない。分かったと返事をすれば、よろしくと頭を撫でられた。
双子の実家とはどんな所なのだろうか。少なくとも母親とは会えるようだし、どんな人なのか楽しみだった。正月の帰省を楽しみに待つ猫ルークに、この先思いがけない再会が自分に待ち受けていることを知る事が出来るはずもなかった。
そうして年を越した翌日、ルークとアッシュに連れられて辿り着いたその家の前に立ったとき、猫ルークは見上げながら口を開けて固まってしまった。目の前には猫ルークの想像をある意味はるかに超えた、予想外の家があった。
猫ルークの目の前に聳え立つのは「豪邸」だった。さらにとても見覚えがあったのだった。
「こ、この家、この間のあいつの……」
「ん?どうしたんだルーク?もしかしてこの辺来た事あるのか?」
「ごちゃごちゃ喋ってねえで、いくぞ」
うろたえる猫ルークを尻目にアッシュはさっさと呼び鈴を鳴らして敷地内へと入ってしまった。その後をちょっと躊躇いながらもルークがついていくので、一番後ろに猫ルークもくっついていくしかない。そうして先頭のアッシュが玄関のドアを開ける前に、扉は中から開かれた。
そこから顔を覗かせた人物に、やはり猫ルークは驚いた。しかしアッシュとルークはもっと驚いた。
「な……?!」
「え、は、あれ?……あ、アッシュ?」
「……おかえり」
ふさふさの尻尾を揺らしながらこちらを見上げてくるのは、間違いなく先日猫ルークが拾った迷子のわんこ、子犬の「アッシュ」だった。
「おかえりなさい、やっとあなたたちが帰ってきてくれて嬉しいわ。この子も今日をずっと楽しみに待っていたんですよ。あらあら、あなたたちもこんなに可愛いらしい猫を飼っていたのね、しかもルークにそっくりの子だなんて、運命を感じてしまうわねえ」
出迎えてくれたアッシュとルークの母、シュザンヌは、大変嬉しそうな様子でさっそく猫ルークの頭を撫でてきた。その笑顔は確かに迷子の子犬アッシュを出迎えたときの笑顔と同じであった。どんな偶然だろうか。アッシュは無言で子犬アッシュをガン見しながら動けないでいるので、ルークが変わりに口を開いた。
「え、えーっと母さん、挨拶もそこそこに悪いんだけど……こいつは?」
「この子はアッシュ、この間お父さんが連れてきたのよ。息子が一度に2人もいなくなってしまって寂しいわと私が何度も訴えていたからかしら」
「……よろしく」
子犬アッシュはアッシュの凝視に怯む事もなくぺこりとお辞儀をしてみせた。すごい。猫ルークが感心していれば、子犬アッシュは猫ルークを見て、ちょこっと笑ったようだった。「ようだった」というのは、気のせいかと思うほどその笑顔が分かりにくかったからだ。普段からアッシュで慣れている猫ルークだからこそ分かったのかもしれない。
ほわほわと笑うシュザンヌのペースに負けじと、俺が聞きたかったのはその辺じゃなくてとルークは言い募る。
「何でこんなにアッシュに似てるんだよ!」
「あら、こちらの猫さんもあなたにそっくりじゃない?どうしてですか?」
「あ、う……そ、それは……」
それを言われたら強く言えない。何せ理由なんてルークにも猫ルークにも分からないのだ。言葉に詰まるルークにほら、とシュザンヌは笑ってみせた。表面上はとても穏やかな笑顔だったが、どうしても勝ち誇ったようなものに見える。
「何故か、なんてさほど重要ではないわ、そうでしょう?」
「確かに……それはそうだ」
「丸め込まれてんじゃねえよ屑が」
最終的に納得したルークの頭をアッシュがぺちんと叩くが、その後母親に反論しない所を見るとアッシュも返す言葉は見つからなかったらしい。この兄弟は家を出る前からこんな風に母親に敵わなかったんだな、と猫ルークでもよく分かった。
「さあさ、立ち話もなんですからこっちにお座りなさい。そうだわ、猫さんはこの子と一緒に遊んできなさいな。この子、どうやらあなたが来るのをずっと待っていたようなんですよ」
「お、俺を?」
猫ルークが子犬アッシュを見れば、こくんと頷く。面識があったのかと首をかしげるルークとアッシュだったが、2人はすぐにシュザンヌに連れられていってしまった。久しぶりの実家なのだし積もる話もあるだろうということで、猫ルークは大人しく子犬アッシュと一緒にいる事とした。
「しかし、俺のゴシュジンサマの実家がお前の家だったなんてな。変な所でつながりがあるもんだなーお前。まあ考えてみれば確かに何の接点もないのにこんなにアッシュにそっくりなのもおかしいけど」
「俺は、知ってた。聞いてたから」
「聞いてた?そういや俺の名前も最初から知ってたな……誰に聞いたんだよ」
聞けば子犬アッシュは手で指し示してみせた。その先にいるのは、息子たちと嬉しそうに談笑するシュザンヌの姿。
「何であの人が俺のこと知ってんだよ。今日が初対面だぞ」
「息子たちの様子を見させていた召使から聞いた、とシュザンヌ様は言ってた」
「………」
ひそかにあの双子は監視されていたらしい。実の母親から。これは黙っていたほうがいいかもしれないと猫ルークは今聞いたことをそっと胸の中にしまった。そうしていると、子犬アッシュが猫ルークの尻尾を引っ張ってきた。
「ギャッ!な、何だよ!」
「案内する、俺の部屋」
「あ、ああそっか、サンキュ。でも尻尾は掴むなっ」
自分の尻尾を取り返して、代わりに手を引っ張られて(これも猫ルーク的にはかなり恥ずかしかったが)案内された子犬アッシュの部屋は、一ペットの部屋とは思えない広さだった。一般家庭の一人っ子でさえもこれほどの広さの部屋は与えられないのではないだろうか。改めて猫ルークはこの家の常識はずれな豪邸っぷりを感じた。
「はっ、つまりあいつらも金持ちのボンボンって事じゃねーか!ちくしょー何でか裏切られた気分だ!」
「?」
叫ぶ猫ルークに子犬アッシュは首をかしげる。何せ普段住んでいるのは豪邸とは程遠い普通のアパートなのだ、しかも節約生活を双子が心がけているので冬は寒いし夏は暑い。別に不満がある訳ではないが、ここまでの差を見せつけられればひとつぐらい叫びたくもなるだろう。
あーすっきりしたと耳をぴくぴくさせる猫ルークに、その時子犬アッシュが言った。
「じゃあ、ここに住むか」
「は?」
「ここがいいならここに住めばいい」
子犬アッシュは猫ルークを静かに、しかしどこか期待したような目で見つめていた。尻尾も猫ルークの返答を待つかのようにふるふると揺れている。猫ルークはちょっとだけ申し訳なく思いながら、しかしはっきりと言った。
「いや、いい。俺の帰る家はもうあるからな」
「……。そうか」
「あ、でもまあルークとアッシュが戻るってんなら俺もここに来るし、住むことはできなくても遊びにはいくらでも来れるけどな!」
俯いてしまった子犬アッシュに慌てて猫ルークは大きめの声で肩を叩いた。何だかんだ言ってもこの子犬は猫ルークのことを気に入ってくれているのだろう。うるさい子どもは苦手だが静かな子どもなら平気だと悟った猫ルークだって子犬アッシュのことは嫌いじゃなかったので、あまり悲しませたくは無かった。その精一杯の気持ちが伝わったのだろうか、子犬アッシュはすぐに顔を上げてくれた。
「それじゃあ、いつか一緒に暮らそう」
「は?!ああまあ、いつかな。同じ家族に飼われてんだからそんな機会も多分あるだろ」
「絶対だ、約束だからな」
未来のことは誰にも分からない、しかし一緒に暮らすのもそう悪くないかもしれないと猫ルークはどことなく必死な様子の子犬アッシュに笑いながら頷いた。それをみてホッとした様子の子犬アッシュに、まるで兄にでもなったような気分になる。悪い気はしない猫ルークはふかふかのタレ耳ごとその頭をぐりぐりと撫でてやった。
「おう約束約束!だからあんまり寂しがるんじゃねーぞ」
「ああ。俺が大きくなったら、必ずルークを迎えにいくから」
「何で俺が迎えに来られる側なんだっつーの。ガキンチョの癖に生意気だ……って」
子犬アッシュの頭を押さえつけていた猫ルークは、ふと手を止めた。少しだけ考え込んで、子犬アッシュを見下ろす。見下ろすといっても、視線を少し下にずらせば子犬アッシュの深緑の瞳とすぐにかち合うのだが。
「……あれ。お前、この間もうちょっと小さくなかった、か?」
「伸びた。成長期だ」
「ああそう、成長期ね……」
胸を張る子犬アッシュに、猫ルークはほんのちょっとだけ得体の知れない危機感を感じた。初めて会った時からそんなに時は経っていないが、今ちょうど成長期なのであれば短期間でこれぐらい背も伸びるものだろう。きっとそうなのだ。
必死に自分を納得させる猫ルークの手の下には、ひそかにガッツポーズをとっている子犬アッシュがいた。
猫ルークは知らなかった。彼が毎日牛乳を欠かさず飲んでいる事を。この部屋の柱に猫ルークの身長と同じ高さに「目標」と彫られている事を。一定期間ごとに自分で彫っている子犬アッシュの身長を現す柱の線が日に日にその目標に迫りつつある事を。
子犬アッシュが子犬から脱却する日は、そう遠くないのかもしれない。
猫と双子の出会いと再会
10/01/17
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