ご主人様共が学校の授業で睡魔と闘いながら勉強しているであろう平日の昼、猫ルークはのんびりとその辺を散歩するのが日課だった。途中で出会った猫仲間とそのまま遊んだり、縄張りの奪い合いをしている猫ライバルと喧嘩したり、新しい道を通って良い昼寝場所を探してみたり、そんな事をして気ままにすごしていた。ルークが聞いたら猫ルークに生まれ変わりたいと言い出す所だろう。
今日も今日とて、天気も良いから自分だけの最高の昼寝場所へ行こうかなどと考えながらブラブラ歩いていれば、猫ルークの目の端にとても見慣れた色彩が映った。思わず足を止めてそちらに首を巡らせば、見間違いではなかった。
良く晴れた空の下、頭の上にある太陽がそのまま地面に落っこちてきてしまったのかと思うぐらいの真紅がそこにあった。猫ルークはこんな真っ赤な髪を持っている人物を、今まで生きてきた中で一人しか見たことが無い。その色と目の前の色は、本人が目の前にいる錯覚を起こしそうなぐらいだった。


「アッシュ?」


思わず猫ルークは呟いていた。見れば見るほどアッシュと髪の色と同じ赤だった。ルークや猫ルークの朱色の混じった赤ではなく、本当に純粋な美しい赤だ。猫ルークは危うく目の前の人物をアッシュと間違える所であった。明らかに人間のものではない耳尻尾と、そのその身長の違いが無ければ。
猫ルークの声に反応して振り返ってきた頭には、垂れた犬の耳とふさふさの犬尻尾がついていたのだ。つまり犬だった。しかも子どもの。


「………」
「あ、わっ悪い、人違いだったみてーだ」


じっとこちらを見上げてくる子犬に、自分が声をかけた形になっていたことにようやく気づいた猫ルークが慌てて謝った。向こうから見ればいきなり声をかけてきた猫ルークは相当な不審者だろう。しかし子犬は気分を害した様子も無く、ただひたすら猫ルークの顔を見つめていた。瞳までアッシュと同じ色の幼い顔に見つめられて居心地が悪い猫ルークは、この場を早々に立ち去ることにした。


「じゃあ俺はこの辺……でっ?!」


方向転換してきた道を戻ろうとした猫ルークは、しかし出来なかった。ピンと突っ張った尻尾のせいだった。真っ直ぐ長い猫ルークの尻尾の先っぽは、今現在子犬の手の中にあった。


「ってえ!ななっ何しやがんだお前っ!」


まさか尻尾を引っ張られるとは思っていなくて油断をしていた猫ルークは、ちょっとだけ涙目で背後を睨みつけた。そこには猫ルークの尻尾を掴んだまま相変わらずこちらを見つめ続ける子犬がいる。何故呼び止められるのか、猫ルークにはさっぱり検討がつかなかった。
その手からどうやって己の尻尾を取り戻すか考える猫ルークの、痛みに伏せ気味だった耳に静かな声が届いた。


「お前」
「は?」
「お前、「ルーク」か?」
「……えっ?!」


初対面のはずの相手に自分の名前を呼ばれて、猫ルークは思わずびくりと反応してしまった。いくら子どもでもその反応を見れば正解かなど分かってしまう。誤魔化しや嘘は早々に諦めて、猫ルークは気になる所を尋ねることにした。


「何で俺の名前を知ってんだよ」
「……話を、聞いたことがある。お前のこと」
「ほほーどこでどうやってどんな内容だったのかひじょーに興味があるなそりゃ」


どこにいても目立つ色を持つ猫ルークは、ここ近辺では有名人、否有名猫だった。仮にこの子犬が最近この辺りに越してきたばかりとしても、近所の動物や人物に猫ルークの話を聞いていてもおかしくはないだろう。何せ飼い主二人と一匹合わせて同じ色を持っている、目立ちまくりの赤毛家なのだから。
猫ルークのことを一体どんな風に聞いたのか、聞きたい気もするが子犬はしゃべる気配もなくやはり静かに猫ルークを見つめてくるだけだった。これは何か聞き出そうとしても無駄だろうなと猫ルークはすぐに諦めた。


「まっ別にいーけどよ。それで、その「ルーク」様に何か用かよ」


早く尻尾を離してもらいたい一身でそう尋ねた猫ルークだが、すぐ後にちょっとだけ後悔することになる。


「ここ、どこだ」
「……は?」


一瞬質問の意味が分からなかった猫ルークは、思わず子犬の顔を凝視していた。子犬は別にさっきと変わらない表情でこちらを見上げている。頭の中で先ほどの子犬の言葉の意味を考えた猫ルークは、あるひとつの答えにたどり着いた。


「……まさか、迷子か?」


子犬は猫ルークの尻尾を握り締めたまま、こくりと頷いた。





まったく何で俺が見ず知らずのガキンチョの家を探してやらなきゃならねーんだよ面倒くせー!
心の中で絶叫しながら猫ルークは町の中をズンズン歩いていた。声に出さなかったのは、すぐ後ろに子犬がついてきているからだ。基本的に子どもが苦手な猫ルークだったが、泣かれでもしたら非常に困るので余計なことは言わないようにしているのである。あった時から一切表情を変えないこの子どもが泣く事があるのかどうかは分からないが。


「で?見覚えのあるものとかこの辺には何もねえのかよ」
「ない」
「あーもう、大体どの辺りに家があるのかも分かんねえんじゃ探しようがねーだろー」
「越してきたばかりだ、覚えてる訳がない」
「忘れてる癖して偉そうにすんな!」


相変わらず猫ルークの尻尾を握りしめながら大人しく後をついてくるこの子犬はやはり最近この辺りに越してきたばかりらしい。その足で一人でのこのこと散歩に出かけ、帰り道がわからなくなったそうな。犬には確か「キソウホンノウ」とやらがあってどこに行っても我が家に帰ってこられるのだと以前ルークが言っていたはずなのになあ、と猫ルークはちょっとだけ考えた。実は帰巣本能は猫にもあるらしいことを猫ルークは知らない。


「………」
「あー……ま、この町もそんなに広いわけじゃねーし、歩き回ってりゃその内見つかんだろ」


ちょっとだけ落ち込むように俯いた子犬を見て、猫ルークは視線をそらしながらも慰めるような事を言う。平然とした表情をしているが、猫ルークと歩いている今子犬の尻尾がちょっとだけ揺れている事に猫ルークは気づいていた。やはり一人でさ迷っている間は、心細かったのだろう。実際に会った事は無かったとしても、話には聞いていた猫ルークと出会えたことによって少しでも安堵してくれているのだ。
その様子を見ていると、苦手であった子どもでも可愛く思えてくるものである。握り締められた尻尾がちょっとだけ痛いが、それすらも耐え忍ぼうと頑張れるほどに。


「……あ」
「ん?どうした?」


不意に声を上げた子犬につられて猫ルークも立ち止まった。子犬は分かれ道の先をじっと見つめている。


「この道、知っている気がする」
「おっマジで?……って待て待てちょっと待て!いてっ尻尾引っ張んなって!」


子犬が急に駆け出したので今度は猫ルークが逆に引っ張られる形になってしまった。このままじゃ引きずられかねないので並んで走るしかない。尻尾が痛くならないように必死に離れぬようについていけば、ある家の前で子犬の足が止まった。


「ここだ」
「はあはあ……こ、ここが、お前の家か?」


どれどれと家を見上げた猫ルークは、そのままぽかんと口を開けて固まった。子犬が指し示す目の前の家は、どこをどう見てもその辺の一軒屋よりはるかに大きく、いわゆる「豪邸」そのものだったのだ。こいつ金持ちのボンボンだったのか!猫ルークは心の中で絶叫した。やっぱり声は出さなかった。


「マジでここがお前の家?!」
「ん。この間からここに飼われてる」
「はー……すげーな……」


ひたすら猫ルークが見とれている間に、豪邸から誰かが出てくるのが見えた。とっさに物陰に隠れる猫ルーク。一瞬のことだったので、子犬も猫ルークの尻尾を離してくれた。子犬は一瞬猫ルークを追おうとするが、名を呼ばれてその場に留まるしかなかった。


「……ああ、声が聞こえたと思ったら、やっぱりあなただったのね」
「シュザンヌ様、すみません。帰りが少し遅くなりました」
「心配したのよ。あなたはまだこの土地に慣れていないのだから、そんなに遠くに行ってはいけませんよ。迷子になってしまいますからね」


姿を現したのは、これまた美しい赤髪の婦人であった。おそらく子犬の飼い主だろう。この豪邸の主にふさわしいような神々しいオーラを放っている気がする。まだ子どもの癖に、しっかりと受け答えする子犬もどことなく気品を感じさせた。今までは子犬にそんなものを感じたこともなかったのに、先入観とは恐ろしいものだ。
赤毛率高すぎだろと物陰から猫ルークが思っている間に、シュザンヌと呼ばれた婦人は柔らかい笑みで子犬の頭を撫でた。


「さあ、長めの散歩で疲れたでしょう。お茶の用意をしてありますから、一休みしましょうアッシュ」
「はい」
(……え?)


婦人は子犬の名を呼んだ。猫ルークは一瞬聞き間違えたかと思った。だって、姿が同じだけではなく、名前まで一緒なんて。しかし猫ルークの幻聴でもなんでもなく、子犬は「アッシュ」と呼ばれ返事をした。そうして先に家の中に戻る婦人の後についていきかけて、途中で猫ルークの元に駆けてきた。


「ルーク」
「な?!なっ何だよ、家見つかったんだ、早くついてかねえとまた心配されるぞ」
「礼がまだだったから。……ありがとう」


尻尾を振りながらぺこりとお辞儀する子犬、「アッシュ」に、猫ルークは頭をかきながらそれに答えた。素直に礼を述べられるとちょっと恥ずかしい。猫ルークが照れている間に、子犬アッシュはその手を掴んで引っ張ってきた。


「あ?」
「礼だ」


いきなりのことに引っ張られるまま身をかがめた猫ルークのほっぺたに、子犬アッシュの唇が押さえつけられた。その感触を猫ルークが感じる暇もなくそれは離される。気がついたときには、子犬アッシュは離れて豪邸の門の前に戻っていた。


「……な、なっ?!」
「また今度会ったら遊んでくれよ、ルーク」


最後にあまり子どもに似つかわしくない微笑を浮かべて、子犬アッシュは去っていった。最後に見えた尻尾が超ご機嫌に揺れていたのがとても印象的であった。しばらくその場から動くことが出来なかった猫ルークは、徐々に顔を自らの髪の色のように赤らめていく。


「あ、ああああいつ!あの歳でなんつー事をっ誰が教えやがったんだ!」


文句を垂れても今や聞くものはいない。いつまでもここにいれば不審者に見られてしまうと、気を取り直した猫ルークは小走りで我が家へと向かった。散歩は今日はパスだ、こんな状態じゃのんびり昼寝なんて出来ない。とりあえず今の衝撃は、忘れることとした。


「……しかし、また今度会ったら、か……」


忘れようとしてもなかなか静まらない頬を押さえながら、猫ルークは子犬アッシュの最後の言葉を思い出していた。さっきのはものすごく不意打ちで、次会った時はぶら下がり耳の刑に処してやると心に決めているが、ほんのちょっとだけ、まんざらでもない自分がいる。
まあそこを除けば、大人しめのなかなか可愛げのある小さなわんこだったし。


「まー舎弟が出来たと思えばいいかな……へへ」


今日のこの出来事をどんな風に双子の飼い主に教えてやろうか。今度会ったとき弟分のような子犬とどんな事をして遊ぼうか。考えながら機嫌よく耳をぴくぴく動かす猫ルークは知らない。
子犬は意外と早く成長することを。種類によっては猫よりも大きくなる犬も結構いることを。




   猫と双子と真っ赤な子犬

09/11/21