今日は、とても風の強い日だった。少々生ぬるい風が、ムシムシとした湿っぽい空気をまるで押し流すように強く吹いていた。この風があれば扇風機をつけなくても涼めるだろうと電気代の節約のために窓を開けていた双子の部屋には、そのためにピュウピュウと風が吹き荒れていた。少し、いや結構うざったかったが、省エネのためだとグッと我慢しながらアッシュは夕飯の準備をしている。長い髪を邪魔にならないように一つに結んでいたが、それでも風になびいて邪魔になるのだった。
それに、邪魔になるのは風だけではなかった。
「くそ……砂が入ってきていやがる」
部屋のあちこちがざらついている事に気がついたアッシュは舌を打った。外で暴れ回っている風が細かな砂を巻き上げて吹いてきてしまっているようだ。これでは夕飯にまで砂が入ってきてしまう。せめて夕飯を作る時は窓を閉じなければなるまいと考えていたアッシュの耳に、その時ある声が聞こえた。
「ぎゃっ!」
「ああ?」
思わず声の上がった方へ目を向ければ、そこには尻尾をぷるぷる震わせて蹲る猫ルークの姿があった。さっきまですごい風だなーと間抜け面で外の様子を窓から伺っていたはずである。嫌な予感を感じながらも、アッシュは猫ルークへと声をかけた。
「どうした」
「いっいてえ!目がいてえよーっ!」
蹲っているのは手で目を押さえているからか。おそらく砂でも目に入ってしまったのだろう。アッシュはため息をつきながら、耳をへたれさせる猫ルークへと歩み寄った。
「見せてみろ」
「むむ無理!目開かねえもん!」
「いいからこっちを向けこの屑猫!」
どうすればよいのか分からず混乱しているらしい猫ルークの顎を引っつかんでアッシュは自分の方へ顔を向けさせた。ぎゅうっと閉じている瞼の端からは痛みによる涙が出ている。それが恥ずかしいのか、猫ルークは必死に逃れようとばたばた暴れだした。
「やめろよっ離せよ!」
「黙れ、てめえが大人しくしねえと取れるもんも取れねえだろうが」
「アッシュが取るのか?いっ嫌だ!何かこええ!」
「何だと!」
せっかく痛いと喚く目の具合を見てやろうとしているのに、何か怖いと言われてアッシュは憤った。しかし見えなくても気配でアッシュが怒ったのが分かったのか、猫ルークはますます耳をしおれさせ逃げようとする。このままでは埒が明かないので、アッシュは苛立ちを抑えてひとまず猫ルークを落ち着かせる事にした。
「怖い事なんてしねえから、落ち着け」
「ほっほんとか?目玉抉り出すとかそういうのはしないよな?」
「するように見えるってか……まあいい、そういう事は絶対にしないから、安心しろ」
怒鳴りたい気持ちをものすごく抑えながらアッシュが言い聞かせるように言えば、猫ルークも徐々に落ち着いてきたようだ。力の限り閉じられていた瞼も若干緩んだように思える。この調子だ、とアッシュは意気込んだ。
「いいか、余計な事は考えるな。俺がしてやるから、お前は全てを俺に委ねていればいい。身体の力を抜け、痛くはしねえから……」
「たっだいまー!いやー外はすっごい風だよなー俺飛ばされるかと思っ」
ちょうどその時、夕飯のお使いに出かけていたルークが外から勢いよく帰ってきた。そのまま部屋に入りかけたルークは、2人の姿を見てビシリと固まる。いきなり何故か固まった弟の姿に驚いたアッシュだったが、今の状況を改めて客観的に考えてみた。
目元に涙、(目に砂が入った事による)興奮によって上気した頬、何をされるのかと緊張に震える耳と尻尾、しかしアッシュの言葉を信じてそろそろと穏やかに閉じられた瞳。そんな猫ルークの顎を掴み至近距離で顔を覗き込み、先程の言葉をのたまった自分。
もしこれが他人の姿だったとして、自分が今のルークと同じような立場でこの状況を見る事になったとしたら……この状況は、限りなく、怪しい。
「あ、あーっと、俺ちょっと買い逃したものがあったみたい、もう一度出かけてくるからっお構いなくっ!」
「ま、待てルーク!お前はおそらく相当な勘違いをしていやがるんだ!とりあえず俺の話を聞け!」
「んー?おいアッシュまだなのか?俺もう待ちきれな……」
「少しだけ黙っとけ屑猫!」
目を瞑り状況が把握できないため呑気な声を上げる猫ルークをとりあえずその場に残し、アッシュはダッシュで部屋から出て行ったルークを追いかけた。こういう時の思い込みが激しすぎるルークをこのまま放っておくのは、限りなく危険だった。何を言いふらされるか分からない。
「なっ何だよ追いかけなくてもいいって!俺のことは放っておいて、遠慮なく続きをどうぞどうぞ!」
「だからその続きがてめえは勘違いしてやがるって言ってんだよ!」
「大丈夫!俺アッシュが動物好きなの知ってるから!ルークの事が可愛すぎて思わずチューしたくなる気持ち俺も分かるから!だからお構いなく!」
「違うって言って……おい待て気持ちが分かるってどういう事だ屑がーっ!」
どたばたとものすごい勢いで2人分の足音が遠ざかっていくのを、猫ルークはその場で動けずに聞いていた。目の痛みは取れないままだが、涙を流したためか先程よりも若干和らいだようだ。目の中にはいった砂が取れかけているのかもしれない。
「……待てよ、じゃあ水で流しゃ砂って取れるんじゃねえか、なーんだ。アッシュの奴ももったいぶらずにさっさと教えてくれりゃ良かったのに」
この狭い部屋の中を移動するぐらいなら目を瞑っていても出来る。物伝いに身長に移動した猫ルークは、洗面台の前に立ちバシャバシャと顔を洗った。そして何度か目を瞬かせ、鏡の中の自分ににっこり微笑む。
「っしゃ!取れた!あーマジ痛かった。これから風には気をつけねえとなー」
満足げに戻ってきた猫ルークはもう砂が目に入らないように窓を閉め、扇風機をつけた。その心地よい風に当たりながら、開かれっぱなしの玄関の扉を見つめる。
「ところでアッシュと、さっき帰ってきたのルークだよな?あいつら二人揃ってどこ行ったんだ?腹減ったっつーの!」
まさか自分が原因で2人が飛び出した事などつゆ知らず。今夜の夕飯は一体なんだろうと胸をときめかせながら猫ルークは機嫌よく双子の帰りを待ったのだった。
ちなみにルークの誤解が解けるまで、それから結構掛かったそうな。
猫と双子と風の強い日
09/06/23
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