「やべえ、俺やべえよ。このままじゃ俺終わりだ」


そんな事を猫ルークは絶望した表情で呟いた。こたつから顔と尻尾だけを出した状態で。そんな猫ルークの声をルークは仰向けに寝転がったまま聞いていた。もちろん体はこたつの中だ。


「何が終わりなんだー?」


こたつの中に入っているとあまりの温かさにあっという間に眠気の悪魔が襲ってくるものだ。実際にルークも睡魔と現在進行形で戦っていて、もし猫ルークの声が聞こえていなかったら今頃敗北していたかもしれない。目をパチパチと瞬きさせながら、間延びした声で尋ねる。


「この間、眼鏡のおっさんに聞いた話なんだけど」


ルークがこたつに仰向けに転がっている反対側から猫ルークの声が聞こえる。尻尾はルークの顔の横から飛び出していた。時々はたはたと頬に当たるのがむず痒い。
それよりも猫ルークはいつジェイドと話すような仲になったのだろうとルークは疑問に首をかしげた。アッシュがジェイドのことを眼鏡眼鏡言うものだから猫ルークもすっかりジェイドの事は眼鏡のおっさん呼びなのだ。向かいに住んでいるだけあって道端でばったり出会ったりと何かと接点は多いが、あの性格だ。アッシュなんかは顔を見るだけで露骨に嫌な顔をするぐらいは苦手意識を持っていて、そしてその表情を猫ルークも確かに浮かべていたはずである。いつの間に克服したのだろうか。


「ジェイドに何を聞いたんだ?」


気にはなったが今は猫ルークの話だ。少し躊躇う間が置かれた後、神妙な猫ルークの声が続く。


「俺が、こたつに一度入るとなかなか出て来れないって話したら、それは早く出た方がいいって言うんだ」


あのジェイドとそんな世間話が出来る猫ルークの方が今は驚きだが口を噤んでおく。無言のまま先を促せば、若干震えた声が、何故なら、と零れ聞こえた。


「何故なら……妖怪コタツムリになってしまうから!」


カッ!と猫ルークの頭の上で閃光が走ったような気がした。あくまでも猫ルークの頭の上だけで、しかも気がしただけである。聞いていたルークの目の前には衝撃に伴って閃光なんて少しも走らなかったし、ガタガタとこたつの中で体を震わせる猫ルークが理解できずにいた。
えーと、妖怪?


「……何だ?それ」
「妖怪コタツムリを知らねえのか?!人間の間じゃ常識的な妖怪でほとんど皆知ってるっておっさんが言ってたぞ」


「コタツムリ」という言葉は知っている。こたつからなかなか出て来れない人のことを、殻に閉じこもる姿や語呂もよく似ている事からカタツムリになぞらえた言葉である。これが結構よく出来た言葉のような気がしてルークは嫌いではなかった。しかし妖怪とは何だ。


「あのな、こたつにばっかり入ってると、そのうちこたつと体が同化しちまって抜け出せなくなるんだ。そうなったら終わりだ、夜な夜な畳の上を這い回る妖怪コタツムリになっちまうんだ……!」


ルークの顔の横に垂れた尻尾は小刻みに震えていた。おそらく向こう側の猫ルークの頭の上では耳がぺったりと伏せられているのだろう。本気で猫ルークがビビッている証拠である。ジェイドがあのどこか凄みのある笑顔でおどろおどろしくこんな事を語ったら確かに迫力がありそうだ。
しかしいくら常人より騙されやすい感のあるルークだって、さすがに妖怪コタツムリの話は信じるに至らなかった。どこをどうやって信じればいいのだ。しかし何故か猫ルークはあっさりと騙されている。猫とは、騙されやすい生き物なのだろうか。


「……それなら、こたつから出ればいいんじゃねーの……?」


少々やる気の無い声を出しながらこたつの中の尻を蹴ってやる。つまり猫ルークはこたつの中にずっと潜る事によって妖怪コタツムリになってしまう事に怯えているのだ。それならさっさとこたつから出てしまえばいい。至極当たり前の意見のように思えたが、尻尾が反論するようにぱたぱたと揺れた。


「それが出来たらさっさとやってるっつーの!大体俺だって最初は信じてなかったんだ!」
「ええ?」
「でもやっぱり、そんな話を知ってても、俺の体はこたつから出ようとしねえんだ……」


絶望に彩られた猫ルークの声に、ルークは身を起こしていた。テーブルの上に顎を乗っけて向こう側の朱色の頭を覗き込むと、予想通り耳はぴたりと伏せられていた。恐怖を感じるように尻尾も耳も頭も震えてはいたが、しかし猫ルークの体はそれ以上動こうとはしなかった。


「やべえよ、俺もしかしたら、もうすでにこたつとの同化が始まってるのかも……!」
「そりゃ大変だなー」


腕を伸ばしてこたつの上のみかんを手に取る。猫ルークはルークのやる気の無い声に憤慨したように頭を僅かに持ち上げた。でもやっぱりこたつの中からは出てこない。


「俺は真剣に悩んでるんだぞ!助けるなり何なりしてくれてもいいだろっ!」
「んー、そこまで言うなら助けてやるか」


皮を丁寧に剥いでみかんの実を口の中へ放り込みながら、ルークは後ろを振り返った。


「な、アッシュ」


猫ルークの動きが止まった。先ほどから部屋の出入り口に立って一部始終を聞いていたアッシュは、ルークの言葉に頷いてみせた。にやりと笑いながら。


「ああ、そうだな。コタツムリとやらになって夜な夜な這いずり回られても困るしな」


そろりと視線をこちらに向けてきた猫ルークは、引きつった笑みを浮かべながら、それでもやっぱりこたつから出て来ようとは微塵もしなかった。


「あ、そういや、同化しかけの時に無理矢理引き剥がすのは体によくねえっておっさんが」
「問答無用だこの屑猫が!」
「うぎゃあーっ!寒いっつーのー!」


顔を掴んで外へと引っ張り出そうとするアッシュと、抜け出せないとかほざきながら全力でこたつの中へ舞い戻ろうとする猫ルークの戦いが始まった。ガッタガッタと揺れるこたつに足だけを突っ込んだままみかんを貪り食うルークは、そんな2人の攻防を眺めながらこたつの魔力というものはこうも人や猫を惹きつけるものなのかと感心するのだった。
しばらく双子家のこたつのコンセントが抜かれていたのは仕方の無い事だった。




   猫と双子とコタツムリ

07/11/20