すっかり寒くなった冬の空。頼りなさげにちらちらと空から舞い落ちてくる小さな粉雪を眺めながら、猫ルークは散歩をしていた。本当はコタツの中でぬくぬくしていたかったのだが、朝からなにやらどたばたしていたアッシュに「猫なんだからたまには外に出ろ屑が!」と蹴りだされてしまったのだ。それはひどい偏見で猫差別だと外から訴えたのだが聞き入れてはくれなかった。今度アッシュの上で丸まって寝て苦しがらせてやると猫ルークはこっそり復讐を誓いながらしぶしぶ散歩をしている。
家からそんなに歩いていないところで、猫ルークは前方から歩いてくる知り合いに出会った。隣の部屋に住んでいる、双子の幼馴染(ルークはお兄さんみたいな存在、アッシュは使用人みたいな奴だとそれぞれ言ってた)ガイだった。買い物帰りらしいガイは猫ルークを見ると爽やかに笑いかけてきた。
「お、猫のルークじゃないか、何でまた不機嫌そうに歩いてるんだ?」
「アッシュの奴に追い出された」
「ははー、さてはこたつに潜り込んで出てこなかったんだろう」
あいつ厳しいからなとガイは笑った。笑いながら猫ルークの頭を優しく撫でてくる。その撫で方が随分と慣れているように猫ルークには見えたので、きっと小さな頃から赤毛の双子の頭を同じように撫でてきたのだろうなと思う。
「ああそうだ、ちょうどよかった。ちょっと早いけどこれやるよ」
ガイは手に提げていた買い物袋(手作り)から猫ルークに何かを手渡した。受け取った猫ルークの耳と尻尾が明らかにピクンと反応したので、ガイは満足そうに頷く。猫にはやっぱり魚だな。
「いいのか?!煮干こんなに貰っていいのか?!」
「俺もそれが好きでな、お前が好きかと思って買ったんだが」
「好きだ!っあーやっぱこれだなー」
猫ルークはさっそく貰った煮干を口に入れている。そんな光景を微笑ましそうに眺めながらガイは歩き出した。
「喜んでもらえてなによりさ。じゃ、また後でな」
「おう!」
ご機嫌にガイを見送った猫ルークは煮干を噛み締めながら再び散歩に戻った。歩き出して少ししてから、はてと首をかしげる。
「……何が、また後でなんだ?」
何か約束をしていたか?と猫ルークは首を傾げてみるのだがどうしても思い出せない。結局、部屋が隣同士だからかなと結論付けた。
それから大して歩かないうちに再び顔見知りと出会った。しかも今度は2人だ。猫ルークはうげっと顔をしかめた。一時期猫ルークのトラウマとなった存在、ルークのクラスメイトのティアとナタリアだったからだ。
「まあ、猫のルークではありませんか。ごきげんよう」
「よ、よう……」
「何しているの?お散歩?」
途端に目にも留まらぬ速さでティアが近寄ってきた。思わず後ずさる猫ルークに構わず恍惚とした表情でそっと耳を触ってくる。嫌ではないが、どこか恐ろしい。猫ルークがかすかに震えている様子にも気付かずに(それともあえて無視しているのか)天然なナタリアはティアは本当に猫が好きですわねと笑っている。
「ちょ、ちょっと、アッシュに家を追い出されて……」
「追い出された?!一体どうして!……あのデコ……」
「アッシュはそんな非道なことしませんわ!きっと何か事情があったのです」
猫ルークの言葉を間違って受け止めてしまったらしいティアとナタリアはそれぞれ怒りと困惑の表情を浮かべた。猫ルークが、いや違うそうじゃなくてと弁解する暇も無くティアが決意の光を瞳に灯して立ち上がる。
「分かったわ、ちょうど行く所だったし、私がアッシュを脅し……説得してくる。だからあなたは安心して散歩の後帰ってきてもいいのよ」
「は、はあ?」
「お待ちになってティア、わたくしも参ります!友人が道を踏み外しそうになった時正してやるのが幼馴染の役目ですわ!」
妙な使命感に燃える2人は止める間もなく駆け出した。が、ティアが慌てて戻ってきて猫ルークの夕焼け色の尻尾に触れてきた。
「そうだわ、これをあげる。本当はプレゼント用だったんだけど、今はそれどころではないから」
「は?プレゼント?」
尻尾の先のほうに何かが巻きつく感じがしたので、ティアが手を離した後恐る恐る尻尾を前に持ってきた。すると目に映ったのは……尻尾につけられた可愛らしい赤のリボンだった。
「ああっバッチリ……!私の目に狂いはなかったわ、よく似合ってる!」
「ど、どーも……」
その後ティアは絶対に取っちゃ駄目よとか説得に失敗した暁には私の所に来るといいわとかかなり早口で言った後すぐさまナタリアの後を追っていった。その勢いに猫ルークはしばらくポカンとその場に突っ立っていた。やがて頭が回転しだした頃、ポツリと呟く。
「プレゼント用って……俺にか?」
どうして?ちょうど行く所だったとか言ってたし。猫ルークはうんうん悩むが答えは出てこない。色々諦めて、猫ルークは再び歩き出した。帰ったらアッシュがせめて生きている事を祈りながら。
今日はやたらと知り合いに合う日だと猫ルークは思った。またしても目の前に知った顔が複数現れたからだ。猫ルークはとても嫌そうに顔をしかめて見せた。1人はトラウマーズ(ティア、ナタリア)のもう1人のアニスで、彼女と一緒に暮らしているフローリアンもいる。それはいい。もう1人の、でかい図体をした眼鏡に猫ルークは良い思い出が無かったのだ。猫ルークが双子と一緒に暮らしているアパートの道を挟んで向かい側にあるどこか立派な家に暮らしているいじわるおっさんジェイドだった。話に聞くと学校の先生らしいのだが、良い噂は聞いた事が無い。
「あっルークだ!お散歩中?僕もアニスと一緒にお散歩中なんだ!」
「もーっフローリアン!お散歩じゃなくてちゃーんと目的地があるって言ったでしょ!」
ばたばた耳と尻尾を忙しそうに動かしながら駆け寄ってくるフローリアンにアニスがため息をつく。それを面白そうに眺めていたジェイドが猫ルークを見ておやあと声を上げた。
「猫のルークは随分と可愛らしいものをつけているんですねえ」
「ほえ?……あっ本当だ!リボンなんかつけちゃってるー!」
「みっ見るな触るな!これは勝手につけられたんだっ!」
にやにや笑いながら近寄ってくるアニスから逃げつつ猫ルークはさっきまでの事情を説明した。ティアなら仕方ないねとアニスも引き下がってくれた。猫ルークだってさっさと尻尾のリボンを取りたいのだが、取っては駄目と言われてしまっているのでそれも出来ない。可愛いー可愛いーとフローリアンにはやし立てられて顔を赤くしている猫ルークの様子を見ていたジェイドは、ふむとなにやら考え込む素振りを見せる。
「その様子からすると、もしや猫のルークはこれから何があるか知らないのですか?」
「へ?何かあるのか?」
「これはこれは……アッシュもルークも説明は一切していなかったのですねえ」
可哀想にとジェイドが哀れむ振りをする。もちろんこれは振りだけなので猫ルークは相手をしなかった。それよりも言葉の内容が気になる。
「なあ何があるんだよ。これからその「何か」のある場所にいくのか?」
「そうだよー。でもま、あの2人の事だからただ単に忘れてただけっぽいけどー」
アニスが肩をすくめる。さらに猫ルークは問い詰めようとしたのだが、急に顔面を柔らかな何かに襲われて出来なかった。ぎゃっと毛を逆立てて猫ルークがもがいていると、その柔らかな何かは首元で落ち着いた。きょとんとしていると、満足そうなアニスが目の前にいた。
「これでよーし!やっぱ赤が似合ってるよね。アニスちゃん大正解!」
「へ?」
「ルークそれ僕とお揃いなんだよ!アニスは何でも作れるんだ、すごいでしょ!」
フローリアンが我が事のようにえへんと胸を張った。その首には色鮮やかな緑色のマフラーが巻かれていて、フローリアンにとても似合っていた。マフラー。猫ルークがはっと自分の首を見下ろすと、そこにもマフラーがあった。こちらは尻尾のリボンと同じぐらいの真っ赤な色で、とても温かかった。
「私からのプレゼントだよ。お礼は飼い主の方にガッポリ請求するつもりだからそのつもりで!」
「プレゼントって……」
「帰ってきたら分かりますよ。あなたはもう少し散歩してきなさい」
準備の邪魔になりますからねといいながらジェイドは軽く猫ルークの頭に触れて、さっさと歩き出してしまった。続いてアニスも歩き出し、また後でねーとフローリアンも手を振りながら行ってしまった。反射的に手を振り返しながら、猫ルークはそっと悪態をついた。
「んだよ、結局何にも教えてくれなかったじゃねーか」
陰険眼鏡め、と零してから猫ルークはハッとして聞こえていなかった事に感謝した。過去にいたずらをして受けたことのあるお仕置きはもう二度と味わいたくもないものだったのだ。猫ルークは逃げるようにその場から立ち去った。
次に会ったのは目に優しい緑色2人分だった。さっきとその前の人物よりもずっとまともな人物に猫ルークは心の中でほっと息をつく。こちらに気付いた緑色の1つ、イオンがふわふわの尻尾を揺らしながら微笑んできた。
「こんにちはルーク。とても温かそうですね」
「よう。これさっき貰ったんだ」
「だろうね」
短く返すのはイオンと一緒に暮らしているシンクだった。その首にはさっきのフローリアンのものよりも少し濃い緑のマフラーが巻かれている。よく見ればイオンもマフラーをしていた。
「アニスですね。僕らも貰ったんです」
アニスの家とシンクの家はご近所らしいので、朝会った時に渡されたものらしい。嬉しそうに語るイオンに対し隣に立つシンクはそんな素振りを1つも見せずに興味無さそうに立っているだけだ。しかし猫ルークは分かっていた。シンクは意地張って喜色を隠そうとしているが、その頬が寒さのためではなく普段より赤くなっている事を。
「素直じゃねえなあ」
「そうですね」
「だっ誰の事言ってるのさ大体あんたこそこんな所で油売ってていい訳?」
誤魔化すように早口で言われた言葉だが、猫ルークは首をかしげた。
「何がだよ」
「だから準備。何、猫だからってしなくていいと思ってるの?とんだ甘ちゃんだね」
「シンク、そんな言い方してはいけませんよ」
ズバズバと嫌味を言うシンクをイオンがたしなめる。どっちが飼い主か分からないような間柄だが、猫ルークはそこに突っ込む事も言い返す事も出来ずに怪訝に眉を潜めた。さっきから皆に言われる謎の言葉。今日は一体何があるというのだ。そんな猫ルークの様子にイオンとシンクは顔を見合わせた。
「……あんたもしかして今日何があるのか知らないの?」
「っうるせえ悪いか!」
「ではルーク、今日が何の日か分かりますか?」
優しくイオンにそう言われて、猫ルークはしばらく考えた後首を振った。本当にまったく心当たりが無かった。イオンは微笑みながらも困ったように首をかしげ、シンクは呆れたため息をついた。
「ルークは行事の類をあまり知らないですからね」
「これだから野良猫は」
「何だと?!」
噛み付くように叫んでくる猫ルークをシンクはうんざりしながらかわした。そしてイオンを引っ張ってさっさと歩き出してしまう。
「そこまで面倒見切れないからね、あんたのご主人様にでも教えてもらいな」
「ああ?!」
「シンク待ってください。……ルーク、また後で会いましょう」
緑っ子が2人とも突然いなくなってしまったので、猫ルークは呆然と突っ立っていた。結局また教えてくれなかったし。ふつふつと怒りが溜まってきた猫ルークは、しかしその怒りをすぐに拡散させる事となった。背後からかなり親しんだ声で呼びかけられたからだ。
「ルーク!ここにいたのか、探したんだぞ!」
「あ……ルーク」
息を弾ませながら猫ルークの元へと駆けてきたのは飼い主にあたる双子の弟の方ルークだった。どうやらずいぶんと走り回っていたようで、しばらく苦しそうに肩で息をしていた。それが治まってきた頃、ようやく顔を上げてくる。
「ごめんな、俺たちすっかり忘れてて、お前に何の説明もしてなかったよ」
「おかげで散々な目にあった……」
ルークの後ろから疲れた様子で現れたのは兄のアッシュである。どこかボロボロに見えるのは、勘違いして走っていったティアとナタリアのせいだろうか。2人が自分を探して今まで駆けずり回っていた事を知った猫ルークはそれだけでどこか心が温かくなる。しかし今日の説明を聞かなければ、気が治まらなかった。
「一体今日は何があるんだよ!俺さっぱり訳わかんねえ!」
「ああ、そうそう。実はな」
ルークとアッシュは顔を見合わせて、ちょうどいいとばかりに頷いた。猫ルークが待っていると、背後に手をやった2人がにやりと笑って、
「「メリークリスマス!」」
パパパン!
「ぎゃあっ!」
突然響いた大きな音に猫ルークは文字通り飛び上がった。その様子にルークが声を上げて笑う。アッシュもおかしそうに微笑んでいた。二人の手の中には(猫ルークは知らなかったが)クラッカーが握られていた。
「くっくっくりすます……?」
「そう!知ってるか?クリスマス。良い子がプレゼント貰える日!」
「それだけの日じゃねえがな」
だから今日は皆を呼んでうちでパーティをするんだ、とルークは言った。そうか、パーティか。猫ルークはようやく納得した。皆に「また後で」といわれたのも、プレゼントをされたのも全ては今日行われるクリスマスパーティのためだったのだ。それを伝えてこなかったルークとアッシュに猫ルークは呆れたが、それも今となってはどうでもよくなっていた。
「皆もう来てるぞ。早く帰ろう」
「待たせたら何を言われるか分かったもんじゃねえからな……」
ルークは歩き出しながら自然と猫ルークの冷たい手を取った。それにびっくりしている間に、反対側の手をアッシュに乱暴に掴まれる。猫ルークの両手は双子にそれぞれ握られて、皆の待つパーティ会場である自分の家へと歩き出した。目を見開く猫ルークの前方を雪がちらつく。
「おおっ雪だ!今日はホワイトクリスマスだなー」
「ふん、別に降らなくてもいい。後の処理が面倒だからな」
「またまた嬉しいくせにー。今年は3人で雪だるま作れるな!」
「はしゃぎすぎて風邪引くなよ」
「分かってるっつーの」
ルークが猫ルークの手ごとぶんぶん振り回せば、眉間に皺を寄せながらもどこか嬉しそうなアッシュに強く手を握られる。今まで味わった事の無い温かさに猫ルークは混乱していた。野良猫時代に味わった雪の日を思えば熱くて仕方が無いぐらいだった。体温を下げるだけの真っ白な忌々しい雪が、今はこんなにも温かい。猫ルークは顔を上げられなかった。
「あっそうだ、ルーク。お前プレゼント何がいい?分からなかったからさ、明日一緒に買いに行こうぜ」
「あまり高価なものはよせよ。体に悪そうなものも駄目だ」
左右からルークとアッシュがそれぞれ尋ねてくる。猫ルークだって知っていた。クリスマスにはプレゼントを貰ったりあげたり交換したりするのだ。猫ルークはクリスマスプレゼントなんて初めてで、欲しいものなんていくらでもあるのだが、この時ばかりは言葉に詰まって何も出てこなかった。
猫ルークにとって、両手のぬくもりこそが何よりも嬉しいクリスマスのプレゼントだという事を、ルークとアッシュはまだ知らない。
猫と双子とメリークリスマス!
06/12/18
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