目の前には今まで見たことの無いような青が広がっていた。いや、実際に生まれて初めて見るのだろう。タタル渓谷から見た時は夜で、ただ星の光を反射する黒い水面ばかりが見えるだけだったのだから(それでもとっさに言葉に出ないほどの感銘を受けたのだが)。同じ青なのに空の青とはまた違う青だ。海とは、何と深い色をしているのだろう。ルークは1人潮風に朱色の髪を靡かせながら、ただじっと海を見つめていた。

4人同時に回線が繋がってしまうという大変な事態は、あの後何とかおさめる事が出来た。意識して回線を繋げば、1人に繋げる事が出来るらしいのだ。ルークはただ受ける側なのでよく分からなかったが、クロがアッシュにコツみたいなものを伝授していたから、気をつけて繋げば4人いっせいに繋がる事はないだろう。
それにしても、とルークは憮然とした表情で自分の頭を抑えた。あの頭痛はどうにかならないだろうか。一緒に声が響いて頭が割れるかと思った。シロはじきに慣れるよと笑いながら言ってたが、明らかに笑える痛さではなかった。
これから大丈夫だろうかと不安になったその時、ルークはふと思い出した。そういえば以前にも、頭の割れる思いをした事があったではないか。そのときも、声が聞こえたのだ。


『ようやく捉えた……』


そう、こんな感じの。


「ってぎゃあーっ!だっ誰だてめー!ていうか体が動かねー!」
『我と同じ力、見せてみよ……』
「うわっちょっ何するんだよ!やめろよ!」


突如ルークの頭の中に響いた声は、一体どうやったのか知らないがルークの動きを一切封じてしまった。それどころか、言う事を聞かないルークの体は謎の声の思うが侭に動いてしまうらしく、徐々に腕が持ち上がっていった。ルークは恐怖を感じた。指先に、得体の知れない強大な力が膨れ上がっていくのが分かる。それを放てばきっと取り返しのつかないことになるだろうと、ルークは本能で悟った。しかし拒否する心とは裏腹に体は動く事はない。
何だこれは。何だこれは。この力はどこから沸いて出てきたのだ。これは、これが自分の力なのか。嫌だ、怖い、怖い!


「な、何だよこれ……!嫌だ!やめろぉ!」
「ルーク!落ち着け!」


その時ルークは大きな影が背中から自分を包み込むのを感じた。ひどい頭痛と突然の出来事に混乱していた頭が辛うじて、その影の正体を悟る。カイツール軍港で1人しょんぼりと待っていたあの、ヴァンだ。


「落ち着いて、深呼吸しろ」
(師匠……)


低い声がこちらを落ち着かせるように脳裏に響く。それを聞いて小さく息を吐き出したルークは、次の瞬間、


「体を密着させんなキモイんだよ髭ーっ!」
「ぐはっ?!」


何故かその時だけ自由になった足で思いっきり後ろを蹴り上げた。見る事は叶わなかったがおそらく狙い通りの場所にヒットしただろう。ああとかううとかすごく弱々しい呻き声が聞こえてちょっと可哀想かもしれないが、ルークはそれどころじゃなかった。まるでルークに協力してくれたかのような声の主はもうルークを逃がしてくれなかったのだ。


『髭が、私の半身に触れるなどおこがましいにもほどがあるんだよ』


そんな吐き捨てるような声も聞こえたような気がしたけどそれどころじゃないのだ。ルークは必死に抵抗するが、もがく事さえ敵わない。自分ではどうしようもならない力が差し出した手から迸る。ああ、もう駄目だとルークはもがく事を諦めようとした。


「ルーク!」


まるで諦め放り投げた自分を貫くような真っ直ぐな声。ルークがとっさに目を開けると、そこには自分と同じ顔が真剣な瞳でじっとルークを見ていた。輝くような翡翠の瞳を見つめて、ルークはようやく自分の手が同じような手で包み込まれていることに気がつく。今まさに凶暴な力が放たれようとしている手を躊躇う事無く、ぎゅうぎゅうと握り締めている。ルークは訳も無く泣き出しそうになった。強く握りこまれているその腕に、強く見つめられているその瞳に、自分が怯えているのだと悟った。


「逃げるな!」


途端に怒鳴られて、ルークはびくりと震える。そのおかげで、体を縛っていた不可思議な力が弱まっている事に気づいた。しかしルークは動けない。燃えるような光を放つ瞳から逃げる事ができなかった。


「無理だと思うな!すぐに頼ろうと思うな!すぐに諦めるな!自分で、自分の力でやろうと思え!」


立て続けに言葉を叩きつけられて、ルークは自分の目に涙が溜まっていくのを感じた。いきなり体が動かなくなって、訳も分からぬ内に操られているのだ、その言葉はひどく理不尽だと思ったのだ。泣くな、とまた怒鳴られると思ってルークは身構えたが、それっきりだった。ルークは頭を抱え込まれて、抱きしめられているのだと分かった。


「大丈夫、俺がここにいるから。焦らずに、ゆっくりでいいから。……まずは、やってみるんだ」


ルークは震えながら何とか目を閉じて、大きく息を吸って、吐いた。苦戦しながらも体から力を抜いていく。ルークは指先に自分の感覚が戻っている事に気付いた。握り締められた、その温かさを感じる事が出来たのだ。それに気付いた途端、体中から力が抜けてルークはその場に座り込んでしまった。


「で……き、た……」


緊張でどくどくと心臓が脈打っている。ルークが上がった息を整えようとしていると、前に立っていた影が同じように座り込んできた。涙の滲む目が、自分と同じ顔を見つめる。


「ルーク」


呼びかけられて、返事代わりに瞬きをすると、頭に柔らかいぬくもりを感じた。ルークの頭を宥めるように撫でながら、シロはにこりと笑った。


「よく頑張ったな。偉いぞ」


さっきの厳しい言葉が幻かと思うほどの優しい声にルークは何とかくしゃりと笑ってみせる。笑いながら、ルークは内心不思議に思っていた。
一瞬だったが、目の前の顔が、自分と同じように、泣きそうになっているように見えたのだった。本当に一瞬だけだったから、気のせいかもしれない。


「間に合ってよかった……ここでこれが来るのすっかり忘れてたんだ」


ルークの頭をわしわしと撫でながらそうやって言うと、シロは立ち上がって空を睨みつけた。ルークが不思議に思って見つめていると、シロが空に向かって叫び始める。


「こらあっローレライ!そこにいんだろうが、答えろ!」
『別の次元の私の半身か。どうした』


声はルークにも聞こえてきた。というか、これがローレライ?ルークはびっくりして言葉も出なかったが、ものすごく慣れてますといった態度のシロは、怒りの表情で腕を振り上げていた。


「ってやっぱ俺達の事も知ってんだな!教えろよ!どうしてルークの体を操ったんだ!それになんで俺達は「ここ」にいるんだ!」
『お前達が「ここ」にいるのは「お前達の」ローレライが成した事、私の知る事ではない』
「何だよそれ、ひどくないか?!」
『ちなみにルークの体を操ったのは、ちょっとしたお茶目だ』
「いっそお前死ねっ!」


思わずシロが叫ぶとローレライはそれなりにショックを受けたようだった。死ねとは何とひどい事を言うのだろうとブツブツ呟いていたローレライだったが、すぐに気を取り直した。


『今の時点でも星の記憶と現在の流れは大きく変わり始めている。このまま進めばどうなるか、私にも与り知らない所だが』
「そのためにこうやってここにいるんだ、上等だ!」


シロは空に向かって思いっきり胸を張った。ルークにはそれが眩しく映る。ローレライはふっと笑ったようだった。


『星の記憶よりも確かな未来を持つ我が半身よ、お前達の選ぶ未来、私も見守らせて貰おう』
「おう、じゃなくて、見守るだけじゃなくて少しは自分で地核から抜け出そうとかしてみろよ!」
『それは疲れるからやだ』
「やだじゃぬぇー!」
『では今日の所はさらばだ』


頭痛が消えていった事により、ろくに話も聞かずに第7音素の意識集合体が帰っていった事に2人は気付かざるを得なかった。





   もうひとつの結末 9

06/09/19