部屋で武器の手入れなどをしていたら外から不穏な気配を感じ取れたのでどうしたのかと思っていたら、しばらくしてルークがふらふらの状態で帰って来たのでアッシュは心底驚いた。何であの時すぐさま外に飛び出さなかったのかと心の中で己を叱り飛ばしながら慌ててルークへと駆け寄る。


「どっどうしたんだルーク!外で何があった!」
「うん、ちょっと……」


アッシュは焦る心を抑え込んでとりあえずルークを部屋に備え付けてあったベッドの1つに腰を下ろさせた。外傷も何もなさそうだが、ルークはひどく疲れた様子だった。アッシュが隣に腰を下ろしてルークの背中を宥めるように撫でてやると、笑顔を見せてありがとうと呟いた。


「あのな、外で海を見てたら、ローレライって奴から話しかけられた?んだ」
「ローレライだと?」


アッシュは眉を寄せた。何を隠そうアッシュもローレライとやらに声を掛けられたことがある。大体、自分達はそのローレライという第7音素の意識集合体と同位体で、そのおかげで色んなことに巻き込まれているのだ。一体どうやって話しかけられたのだろうか。アッシュが目で先を促すと、ルークはこくりと頷いた。


「そしたら体が動かなくなって、操られたみたいで……変な力が手から出てきたんだ」
「変な、力……」
「途中髭が出てきたけどまあそれは置いといて……俺、怖かったけど、どうしてもそれが止められなかったんだ」


変な力、きっと超振動だろうとアッシュは思った。自分達だけが単独で起こすことの出来る、物質を分解、再構築させる脅威の力だ。ルークの手はぎゅっと握られたまま震えていて、本当に怖かったのだと思い知る。あの野郎ルークの体操って超振動起こさせた挙句こんなに怯えさせるなんていつか締めてやるとアッシュが殺意と共に誓っていると、ルークがアッシュの不穏な空気を悟ったのか慌ててフォローに入った。


「い、いや、でも大丈夫だったんだ!シロが助けてくれたし」
「シロが?」
「ちょっと、怖かったけど……でも俺、ちゃんと1人でそのちょーしんどー?をとめる事が出来たんだ」
「お前、超振動の事知ってたのか」


アッシュは少しびっくりしたが、クロが教えたのだろうと納得した。ルークは案の定頷きながら、クロとシロに教わったんだと言った。……ちょっと待て、クロは分かるが、シロにも?


「ん、さっきな。ローレライが消えた後。えーとクロより少し分かりにくかったけど色々教えてくれた」
「そうか……」


きっと本人なりに一生懸命説明したのだろう、とシロの語弊の少なさを知るアッシュは目を細めた。言葉に詰まりながらも懸命に教えようとする姿が目に浮かぶようだった。


「それで、本当に何ともないのか?操られた時に何も無かったのか?」
「俺は本当に大丈夫だったんだ。でも、シロが」
「?シロがどうした」


ルークは困ったように眉を寄せて、唸ってみせた。どこか心配しているような表情だった。


「別れる時、俺より痛そうな顔してたんだ。俺のちょーしんどー止めてくれた時怪我とかしたのかな……」


心配でオロオロし始めたルークをアッシュは大丈夫だと慰めながらふと窓の外へ視線を向けた。シロが時々、ルークを複雑な表情で見つめているのをアッシュは知っていた。おそらく、「昔」の自分を思い出すのだろうと思う。アッシュも心配になったが、多分慰められる人物は自分ではないだろうとアッシュは自覚していたので、内心舌打ちをするだけに留めておいた。ルークがどうしたのかと顔を覗き込んできたので、何でも無いと首を振る。第一己には、隣のぬくもりが震え出さないように支えてやらねばならない役目があるのだ、アッシュは頭の中にあった他のことを追い出して、ルークの背中を支えている手に力を込めるのだった。





船の上は、潮の香りが漂う風で満ちていた。少々強くもある。風に遊ばれ宙に踊る真紅の長い髪を抑えながらクロが甲板を歩いていくと、手すりにもたれかかり海を見つめる人物を見つけた。優しい夕焼け色の短い髪がそれでも風に流されている。後ろから見たら本当にまるでヒヨコのようだなと思いながらクロは静かに近づいて、ひたすら海を眺めるシロに声をかけた。


「どうだった」
「……何とか、大丈夫だった」


外の異常に気がついたのは2人同時であった。しかし立ち上がったのはシロが先で、クロに俺が何とかするから出てくるなと怒鳴って外に飛び出したのもシロだった。クロはシロの言う通り部屋の中で(何かあればすぐさま外に飛び出せる姿勢で)じっと外の様子を伺い、静かに治まった事を確認してこうやって外へと出てきたのだった。クロが今もなおシロに何も言わないのは、シロが何を思って自分を置いて1人で駆けつけたのかを正確に理解していたからだ。だからシロが口を開くまで、クロは寄り添うように隣に立って海を眺めていた。


「……俺、どうしよう」


ようやくシロが弱々しくそう言うので、クロはそっと顔を向けた。シロは顔を俯かせて、手すりを強く握り締めていた。


「何がだ」
「俺、アッシュも、ルークも救ってやりたい。でも、俺にルークを救う事は出来るのかな」
「どうしてそう思う」


クロが尋ねれば、シロはばっと顔を上げてクロを見た。その顔は今にも泣き出しそうな、悲痛な表情であった。


「だって俺、ルークを見ているとどうしても「俺」を見てしまうんだ。ルークじゃなくて、「俺」を!」
「………」
「ルークはルークなのに、確かに俺だけど、「俺」じゃないのに……これじゃ俺、レプリカをオリジナルと比べて虐げる奴と同じじゃないか。そんなの駄目だって分かってるのに、どうしても「俺」を思い浮かべてしまうんだ」


シロは激しく頭を振る。そんな自分を許さないとでも言うように、手すりが音を立てるほどその手を握り締める。


「俺最低だ……結局俺は俺自身を救いたがってるんだ。この世界はルークのものなのに……。2人とも救ってやりたいのに、俺がこんなんじゃ駄目だよな……」


クロはしばらくシロの様子をじっと見つめていたが、ふいに白くなるほど力を入れていたシロの手の上にそっと自分の手を重ねてみせた。突然のぬくもりにシロがはっとクロを見つめる。クロはシロの手を手すりからゆっくり剥がしながら、シロの目を見て口を開いた。


「俺たちはどうしてこの過去の世界で、世界を変えようとしているんだ」
「え……」
「確かにルークも、アッシュも救ってやりたいと思う。だが少なくとも俺は、まず最初にお前を救ってやりたいと思った」


シロの目が見開かれる。涙の膜が張られた翡翠の瞳がクロにはひどく綺麗に思えた。この輝きはきっと自分には一生持てないもので、真にシロにしか持つ事の出来ない美しい宝石のようなものなのだ。この輝きはもちろんアッシュにも、そしておそらくルークにも無い、シロだけが持つものなのだ。


「俺は何故俺たちがこの世界にいるのか、飛ばされたのか考えた。そしてこれはあまりにも世界を急いで生き過ぎた俺たちに送られたローレライからのプレゼントなんだと勝手に解釈させてもらった」
「勝手にって、お前……」
「文字通り命を懸けて地核から解放してやったんだ、それぐらい構わねえだろ。それに、特に……お前には生を急がせ過ぎたと、この世界に来てからものすごく後悔した。ひどい話だが、ルークの傍にいたのはほとんどそのためだった」


その点は俺も同罪だ、とクロはきっぱりと言った。シロはクロのあまりにも堂々とした態度にあっけにとられる。呆けた顔のシロにそっと苦笑しながら、クロはシロの両手を慈しむように己の手で包み込んだ。


「お前も少しは傲慢になれ、7年という小さな命1つででっかい世界を救ってやったんだ。それに、てめえが幸せになれねえで誰を幸せに出来るっていうんだ」
「で、でも……」
「……俺が願ってやってるんだ。幸せになってくれ、ルーク」


クロは握っていたシロの手にそっと口付けた。シロはくしゃりと顔をゆがませながら俯いて、反則だ、と小さく呟く。クロが手を離してシロの震える肩を自分の方へ抱き寄せてやると、同じように震える手が小さく縋りついてくる。いつの日か、この小さく震える可哀想な手が笑いながら大きく世界へと伸ばされる日が来ればいいと思いながら、クロはただ腕の中の体を二度と離さぬ様に抱きしめながら、夕暮れの近づいた水平線を見つめていた。





   もうひとつの結末 10

06/09/24