いつの間にかルークは、その場に膝をついていた。そばにはアッシュが寄り添っている。手には譜が刻まれたソーサラーリングが握りしめられている。しばらく何も見えないほどの光が辺りを満たしていたが、徐々にそれも止んでいった。ヴァンの姿はもうどこにも見えなくなってしまっている。ヴァンの行く末も気になるが、それ以上に気になる存在が目の前にあった。倒れ込んだシロを、クロが抱えているようだったのだ。


「シロ!クロ!」
「おいお前ら、大丈夫か!」


ルークとアッシュは慌てて駆け寄った。クロに抱えられたまま、シロはぐったりしながらも笑みを浮かべてみせる。


「はは……さすがに疲れた。ヴァン師匠、強かったな」
「ああ。だが、俺達が勝った。ヴァンもきっと、満足しただろう。根拠は無いが、そう感じる」
「俺もそう思う。ヴァン師匠の気持ちが、これで少しでも晴れてくれればいいけど……」


相変わらずヴァンに甘い事を言うシロに何かを言おうとして、しかし全員が口を閉じた。目の前にゆっくりと、焔色をした炎のような光が舞い降りてきたからだ。光の正体は、言われなくとも全員が瞬時に理解していた。ヴァンからようやく解放された、ローレライだ。


『ルーク、アッシュ、それにシロとクロよ、私を見事解放してくれた事、感謝する』
「ローレライ!やっと会えたなこのやろー!」
「お前が取り込まれたせいで色々大変だったじゃねえか!ローレライの剣と宝珠は変な送り方しやがるし!」
「そうだそうだ!びっくりしたんだからな!」
『む、色々と文句の多い者たちだ』


ルークとアッシュが口々に文句を言うので、ローレライは微かに身体を震わせたようだ。気を取り直すように、クロとシロへ向かって声をかけてくる。


『そうだ。お前達には特に感謝せねばなるまい。私と、私の半身達を救うために別な世界からやってきてくれた。異なる世界の我が半身と、もう一人の私よ』
『……感謝など、いらぬ。私は私の半身達の願いのため、この世界に送り込んだだけに過ぎぬ』


ローレライの声に、ローレライの声が答えた。シロとクロの身体が僅かに光、小さな炎が目の前にぼうと現れる。二人の音素となっていた、「前」の世界のローレライだった。ローレライの言葉に、シロが首を傾げる。


「俺達の願いって?」
『まだ思い出せぬか、ルークよ。お前は死の淵の前に、あれだけ願っていたではないか』
「それって……」


ルークとアッシュが顔を見合わせる。シロの記憶の中で見たあの言葉の事だろうか。シロも少し黙ってから、おそるおそる口に出す。


「……死にたく、ない?」
『そうだ。お前達に解放された後、私はお前達に問うた。何か礼をしたいと思ったのだ。本来ならこのような思いを抱く事は無かっただろうが、私はどうやら大分人間に毒されてしまったらしい。そこでお前達は、そう答えた……』
「なあ、さっきからお前達お前達言っているけど、それってクロもって事だよな?」


じっとシロに見つめられて、クロが居心地悪そうに顔を逸らす。ローレライは頷く様に揺れてみせた。


『もちろんだ。お前達二人の力によって私は解放されたのだから、二人に問うのが道理だろう。お前達はもうほとんど意識が残っていない状態だったが、それでも必死に叫んでいたよ。……死にたくない、共に生きたい、と』
「二人、共……?」


シロが願っていたように、クロも願っていたのか。死にたくは無い。一人で生きたくもない。二人で生きたいと。二人が二人として、共に並んで生きたいのだと。そしてその願いを、ローレライは必死に叶えようとしてくれた。


『あらゆる手を尽くそうと試みたが、最早我が世界で二人が二人として生き残る道を探す事が出来なかった。不甲斐ない事だが。だから、この世界に送り込んだのだ。……自分達で、自分達を助けて貰うためにな』
「自分達で、自分達を?」


今度は四人がそれぞれ顔を見合わせる。何も指示などされなかったが、自分が思うがままに、目の前の小さな半身を助ける事を誓った。互いに生きている事など分からぬまま、「前」の世界での事を取り返そうとするかのように。それは、間違っていなかったのだ。


『私の思惑通り、ルーク、アッシュ、お前達は見事、自分達だけで自らの命を救ってみせた。私はただ手を貸しただけに過ぎぬ。お前達はお前達の力で、この偉業を成し遂げたのだ。自分たちの命だけではなくこの世界まで救ってみせた。誇るに値する事だ。……お前達は十分、戦った。もう、休んでも良いのだよ』


ローレライが光ると同時に、シロとクロの身体も光り輝く。クロがシロを抱えたまま、がくりと膝をついた。慌ててルークとアッシュが駆け寄る。


「何だよ、どうしたんだよ二人とも!」
「おいローレライ、何しやがった!」
『二人の身体には今私の音素が使われている。この世界は、私の世界とは随分と道を違えてしまった。私はもう、この世界に留まる事は出来ない。同時に二人に私の音素を貸す事も出来なくなってしまうのだ』
「そ、そんな……それじゃあシロとクロはどうなるんだよ!ここまで頑張ったのに……消えるしかないってのかよ!」
「駄目だ、そんなの認めねえからな!約束したんだ、一緒に帰ると!」


必死にすがりつくルークとアッシュの目の前で、ローレライは静かに瞬いた。


『……だからこそ、この世界のルークとアッシュよ、お前達に私から頼みがある』
「「えっ?」」
『二人を、助けてやって欲しい。今からこの世界の私と契約を交わし、第七音素を操るお前達にならきっと出来るはずだ。二人を正式にこの世界の住民として、迎え入れて欲しい。この世界の音素だけで満たされれば、二人も何とか生き永らえる事が出来るだろう。……どうか、私の半身達を、助けてくれないか』


ゆらゆらと揺らめくローレライは、まるで頭を下げているようにも見える。ルークとアッシュはほぼ同時に、力強く頷いていた。


「そんなの……当たり前だろ!シロとクロは、俺達が助ける!」
「元よりそのつもりだ。引きずってでも連れ帰ると誓っているんだからな!」
『ああ……感謝する』


ローレライの光は、心なしかどんどんと小さくなっているように見えた。最後にローレライは、蹲るシロとクロの元へ近寄る。二人に身を寄せ、まるで別れを惜しんでいるようだった。


『ルーク、アッシュ、これでお前達は共に生きる事が出来る。お前達の願いは今ここに叶うのだ。こんなに長い時をかけてしまって、すまなかった……』
「ローレライ……もしかして、もう会えないのか……?」


シロがクロの腕の中から手を伸ばし、ローレライに触れる。光に触れることなどできないはずなのに、シロの手はその時確かに、ローレライに触れていた。


『この世界と私の世界は、まもなく完全に離される。そうなれば、繋がりは一切断たれる事になるだろう』
「それじゃあローレライ、お前一人になっちゃうじゃんか……」
『私は、大丈夫だ。お前達に音譜帯へと上げてもらった。これからはお前達が救った世界を見下ろしながら、お前達の幸せを祈るとしよう。お前達は、私の完全同位体だ、それはどれだけ離れても、変わる事は無い。……寂しくないと言えばきっと、嘘になるだろうが』
「はっ、音素野郎にもそんな寂しがる心があったとはな」


憎まれ口を叩くクロに、ローレライは笑うように震えた。ふわりと宙に浮かぶと、最後にこの世界のローレライの目の前へやってくる。


『それでは、我が半身を頼む』
『任されよう。……それにしても、別な世界同士が繋がるとは、今考えても驚嘆に値する事だ。よほどその願いとやらが強かったと見える』
『ああ。……叶える事が出来て、本当によかった。ルーク、アッシュ……この世界でも、元気でやるのだぞ』
「ローレライ……!」


シロが手を伸ばす。しかし指先が届かぬうちに、ローレライの光は宙に溶けて、消えてしまった。それと同時に、シロとクロの身体も光に包まれ、見えなくなってしまう。ルークが慌てて、残ったこの世界のローレライに迫った。


「やばい!シロとクロが消えちゃう!なあローレライ早く契約!二人を早く助けないと!」
『落ち着くのだ、ルーク。鍵はあるか?それとリングも』
「リングはこれ!ここにある!」
「ローレライの鍵はここだ」


アッシュがそこに転がっていたローレライの剣を持ってきて、ルークから受け取った宝珠をはめ込む。これでローレライの鍵は完成だ。ローレライは満足するようにぼうと燃え上がった。


『結構。それではルーク、大譜歌を。それによって私との契約は完了する。同時にこの瘴気の消滅と、シロとクロへの音素供給を行うのだ』
「えっまた歌うのかよ!」
『案ずるな、私が最大限に力を貸そう。きっと全て成功する』
「そういう意味じゃなくて!」
「ルーク、気持ちは分かるが頑張れ。今度こそこれが最後だろ、多分」
「う、うん。シロとクロのためだもんな」


ルークは覚悟を決めて頷いた。アッシュが剣を構えるのを見て、必死に覚えた歌詞を思い出すように目を閉じ、そして歌いだした。


「トゥエ レィ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ」
「クロア リュオ ズェ トゥエ リュオ レィ ネゥ リュオ ズェ」
「ヴァ レィ ズェ トゥエ ネゥ ズェ リュオ ズェ クロア」
「リュオ レィ クロア リュオ ズェ レィ ヴァ ズェ レィ」
「ヴァ ネゥ ヴァ レィ ヴァ ネゥ ヴァ ズェ レィ」
「クロア リュオ クロア ネゥ ズェ レィ クロア リュオ ズェ レィ ヴァ」

「レィ ヴァ ネゥ クロア トゥエ レィ レィ」







ルーク、アッシュ。

最後になるが、もう一つ、お前達の願いをかなえよう。

何、二つの世界を救ったのだ、これぐらい罰も当たるまい。


……さらばだ、我が唯一の、半身達よ。







「トゥエ レィ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ」
「クロア リュオ ズェ トゥエ リュオ レィ ネゥ リュオ ズェ」
「ヴァ レィ ズェ トゥエ ネゥ ズェ リュオ ズェ クロア」
「リュオ レィ クロア リュオ ズェ レィ ヴァ ズェ レィ」
「ヴァ ネゥ ヴァ レィ ヴァ ネゥ ヴァ ズェ レィ」
「クロア リュオ クロア ネゥ ズェ レィ クロア リュオ ズェ レィ ヴァ」

「レィ ヴァ ネゥ クロア トゥエ レィ レィ」


仄かな月の光に照らされたセレニアの花達が美しく咲き誇る、タタル渓谷。海にはあのレプリカホドの残骸が見える。「彼」が恐らく、生まれて初めて見た海。あの時の自分は、そんな事など思いもしていなかったが。
「彼」に捧げるために、「彼」を呼び戻すように大譜歌を歌ったティアは、しばらくそのまま目の前の光景を眺めていた。背後にはかつて共に旅をした仲間達が控えていた。
今日は、「彼」の成人の儀の日。約束をかわしてあの残骸の上で別れてから、約二年ほど経っていた。


「よろしかったの?公爵家で行われるルークの成人の儀に、あなたも呼ばれていたでしょう?」
「……ルークのお墓の前で行われる儀式に、興味は無いもの」
「二人とも、そう思ったからここに来たんでしょ?」
「あいつは戻ってくるって言ったんだ。墓前に語りかけるなんて、お断りって事さ」


皆、「彼」との約束を信じていた。だからこそ、ここに集まった。待っていた。
一人静かに立ちつくしていたジェイドが、月を眺める皆を促す。


「そろそろ帰りましょう。夜の渓谷は危険です」


その言葉に、引きはがすように視線を逸らし、戻ろうとするティア。しかし背後に気配を感じた。今まで眺めていた瓦礫の方だ。ふと顔を向けた先にいたのは……セレニアの花の中、こちらに向かって立つ、赤い髪の青年。ティアの目が見開かれる。
二人は見つめ合い、自然と歩み寄っていた。仲間達はそれぞれ驚きの表情を浮かべながら見守る。ティアが何かを耐えながら、青年に問いかけた。


「どうして……ここに?」


青年の顔はよく見えない。しかし、微笑んでいるようだった。


「ここからならホドを見渡せる。それに……約束、したからな」


ティアの目から涙が落ちた。駆け寄ろうとして、数歩進んで立ち止まる。青年に触れる事が出来ないまま、ティアは全てを悟っていた。青年に触れる事は、もう二度と出来ないのだと。
ティアの目からは次々と涙が落ちていく。それでも、微笑んだ。


「約束を守るために、ここにきてくれたのね……ありがとう」
「うん……ごめんな」
「どうして謝るの?嬉しいのよ、私……あなたと会う事が出来て」


残された時間はもう無いのだと分かっていた。ティアは精一杯の想いを込めて青年を見つめる。


「どうか、どうか幸せになって、ルーク……アッシュも。私達はずっと、ここにいるわ」
「うん。ティア達も元気で。……また、会えると良いな」
「ええ、願っているわ。私たちがまた、出会えるように……」


二人は見つめ合う。その間を、一陣の風が吹き抜けた。セレニアの白い花弁が雪のように空を舞う。風が一瞬のうちに通り抜けた後、青年の姿はもう、そこになかった。


「……二人とも、元気でな」


ガイが呟く。他の皆も一様に空を見上げ、微笑んでいた。愛しい赤毛の仲間二人の幸せを、心から願いながら。








「トゥエ レィ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ」
「クロア リュオ ズェ トゥエ リュオ レィ ネゥ リュオ ズェ」
「ヴァ レィ ズェ トゥエ ネゥ ズェ リュオ ズェ クロア」
「リュオ レィ クロア リュオ ズェ レィ ヴァ ズェ レィ」
「ヴァ ネゥ ヴァ レィ ヴァ ネゥ ヴァ ズェ レィ」
「クロア リュオ クロア ネゥ ズェ レィ クロア リュオ ズェ レィ ヴァ」

「レィ ヴァ ネゥ クロア トゥエ レィ レィ」


ルークとローレライの契約が交わされたその日、世界は光に満たされた。
閃光のように世界中を走り回った光は、瞬く間に瘴気を消し、元の美しい青空を世界に取り戻させていく。レプリカホドは自らを構成する第七音素をほとんど失い、僅かな瓦礫が海へと沈んでいった。直前に脱出したアルビオールは無事であった。
世界中で歓声が上がる中、仲間達はただひたすら、光の中から戻ってくる四人分の影を待ち望んでいた。約束したのだ。必ず揃って、帰ってくると。彼らは決して約束を破る事は、ないのだと……。


ローレライの光に満たされた空間にルークとアッシュはいた。何も見えない。しかし二人はそれぞれ、自分の体に力が満たされていく事を感じていた。アッシュは元の自分の力を取り戻し、ルークはローレライの音素を取り込む。二人の間で起こっていた大爆発が、元に戻ったのだ。それを実感している暇は無かった。
二人は気付く。目の前に、二つの小さな光が舞い降りた事に。光はとても小さく今にも消えそうなほどなのに、不思議と眩しく見えた。それは命の輝きであると、二人はほぼ同時に気付いていた。
ルークとアッシュは両手を差し出した。


「おいで……一緒に帰ろう。四人で一緒に帰るんだ」
「今まで守られていたように、今度は俺達が守ってみせる。だから……帰ろう」


二つの光は、二人の元へ吸い寄せられるように飛んでいく。やがてそれぞれが光を抱きしめた。ひどく温かかった。光を抱きしめたまま、ルークとアッシュは顔を見合わせ、微笑んだ。そばに、ローレライの気配がする。


『これで世界は救われた。私の見た未来がこんなにも覆されるとは……驚嘆に、値する』


光はより一層強くなる。ローレライが音譜帯に昇るのだろう。それなら、自分達は帰らなければ。自分達が救ったこの世界に。帰りを待つ沢山の仲間達の元に。
四人が全員、四人のまま。一緒に帰ろう。

共に、生きよう。







   もうひとつの結末 71

12/12/31