運命の日は、瘴気に包まれたままながら、よく晴れた空だった。その中に悠然と浮遊する巨大な大地、レプリカホド、エルドラント。足元に集まっているのは、グランコクマの軍勢であった。やがて浮遊大陸を地へ落とさんとするかのような砲撃が一斉に放たれ始める。供えられた砲台でエルドラントも迎え撃つが、その巨体は逃げる様に海に向かって傾いでいく。上手く制御出来ないのか、ただ単に逃げようとしたのか、それとも何らかの意思があったのか、それは最早誰にも判断がつかない事であったが。エルドラントは音を立てて、海面へと落ちた。そこにすかさず、滑るように宙を移動して近づく一台の音機関。この世界で空を飛べる唯一の乗り物、アルビオールである。
エルドラントは近づくアルビオールにいち早く気が付き、着水しても生きたままの対空砲火を浴びせる。その攻撃をギリギリで避けながら、アルビオールは一瞬の隙間を縫って、一気に突入した。機体はそのままエルドラント内に飛び込み、地面に跡をつけながらも何とか不時着する事に成功した。
アルビオールの出口から一番に転がり出てきたのは、興奮した様子のルークであった。
「すっげえ!すげえビビった!あのまま墜落するかと思った!あんな大砲の中よくここまでたどり着けたよな!すげえ!ギンジもノエルもすげえ!」
「ルーク、少しは落ち着け」
両手両足をばたばたと動かすルークを、次に降りてきたクロが窘める。全然平気なその姿に少しよろめきながら降りてきたアッシュが恨めしそうな視線を向ける。
「てめえ、どうしてそんなに平然としてやがるんだクロ……!あんなとんでもないスピードで空の上で振り回されたってのに」
「はっ、あんなスピード、俺にとっては慣れたもんだ」
「「前」に一体どれだけ無茶な運転させてたんだよクロ……」
こちらも若干参った様子のシロが呆れた声を上げる。一番最後にギンジとノエルが揃って顔を出した。二人はここまで息の合った操縦で四人を乗せてきてくれた。二人の役目は、ひとまずここまでである。
「皆さん、どうかお気をつけて。おいらたちここで皆さんが帰ってくるのを待っていますんで」
「絶対……絶対、帰ってきてくださいね」
「ギンジ、ノエル、ありがとな。大丈夫、必ず帰ってくるから」
「おおっ!そんじゃちょっと行ってくる!」
見送ってくれるギンジとノエルに大きく手を振って、四人は真っ白な風景の中を歩き出す。その足取りは、確かなものであった。胸に宿す信念と「前」の記憶を元に、寄ってくる魔物たちを軽くなぎ倒しながら、ひたすら前へと進む。
「いやー、雑魚しかいなくて楽だなー」
「まあな。立ち塞がる中ボス的存在は今や皆こっち側だしな」
「でもまっだからと言って油断してちゃ駄目だよな」
「確かに雑魚にやられてちゃ笑い話にもならねえ、気合を入れて進むぞ」
軽口を叩きながらも確実に魔物を倒して進むルークとアッシュ。そして見守るようにその後ろにつくシロとクロは。
「なんか複雑だなあ……二回目とはいえこうもあっさり突破出来るなんてさあ……
」
「気持ちは分かるが、立ち塞がるべき敵共をこっち側に引きこんで排除したのは俺達だろうが。気持ちは分かるがな」
「そうなんだけどさあ、あの時の苦労を思うとさあ……」
複雑な心境に駆られているのだった。
それぞれの想いを胸に案外楽々と前に進む四人。しかしその歩みは、ある部屋に辿り着いた途端止まった。とある床を目にした途端、
「「止まれっ!」」
全員が激しく反応した。特にルークとアッシュが必死だった。目の前に広がる丸い床を、まるで仇のように睨みつける。
「この先!あの床の上!あの上には絶対乗っちゃいけないんだよな!」
「あれは魔の落とし穴だ、罠だ!絶対に足を踏み入れるな!気をつけて横から進むんだ!」
「ううっアッシュ、怖い……もし落ちたらと思ったら俺……」
「よし、ルーク、手を繋いで進むぞ。これでもし片方が落ちても踏ん張れるからな」
慎重にそろそろと前へ進む背中を、シロとクロが半ば呆然と見詰める。そうして思い出した。ああそうか、二人ともシロの記憶を見たんだった。
「まあそりゃあ、記憶見たんならあそこまで過剰に反応するよなあ。俺だってあの床の形見るだけで背筋が凍る思いするもん……」
「ああ、俺もこの場に立っているだけで虫酸の走る思いがする。ちっ……さっさと行くぞ」
「わわっ」
クロは乱暴にシロの腕を掴むと、ルークとアッシュの後に続いて安全な床を歩き始める。クロにとっては「前」の死に場所と同じようなものだ、そりゃ嫌な思いが沸き起こってくるだろう。シロだってあの瞬間を思い出すだけで、心臓が凍るようなぞっとする気持ちが溢れてくるぐらいだ。しかしそれでも、あそこで起こった事全てを無視しようとは思えない。あの場で一対一、一人と一人で剣を打ち合ったからこそ、乗り越えられた壁もあったからだ。
無事に落とし穴地帯を抜けてから、ふーっと落ち着いたルークとアッシュが真っ先にシロとクロを振り返ってくる。
「大丈夫か?!落ちてないか?!」
「あー大丈夫大丈夫、この通り落ちてないって」
「それだけじゃない。その……色々思い出していないか?」
「何だ、そんな心配してくれてたのか?それも大丈夫だって!」
この通り、とシロは胸を張ってみせるが、ルークとアッシュの表情は晴れなかった。
「あの記憶見ちゃった後じゃなあ……あんまり信じられない、それぐらい苦しい記憶だったし……」
「シロ、お前は自分が思っている以上に心にダメージを負っているんだ。少しでも辛かったらすぐ言えよ」
「うわーん二人が俺以上に俺の心を見透かしてるよクロー!」
「知るか」
「こっちはこっちで一人ふてくされてるしー!」
ぎゃーぎゃー言いながらも本当に大丈夫そうなシロの姿に、ルークとアッシュはようやくほっと息をつく。そもそもシロの体調は取り込んだ瘴気のせいで万全ではない、あまり負担はかけたくないのだ。そんな気遣いをひしひしと感じて、シロは二人の頭をくしゃくしゃに撫でた。
「二人とも、ありがとな!さっ俺は大丈夫だから、先に進もうぜ!」
「「子ども扱いすんなー!」」
「おっ綺麗なユニゾン。さすが完全同位体だなー」
「馬鹿やってないで先に進むぞ」
わいわい騒ぐ三人をクロが上手く先導して、エルドラント内を先に進む。道中はたまに飛び出してくる魔物以外、意外と静かであった。レプリカ兵もほとんどいない。施設をことごとく潰してきたので、もう生み出す事が出来なかったのだろう。前へ前へ進むにつれて、四人の口数も少なくなっていく。緊張のためだ。
やがて交わされる言葉が完全に無くなった頃。遥か頭上へと続く長い階段の前で一度四人の足が止まる。何も言わなくても全員が分かっていた。記憶もあるが、向かう先からひしひしと伝わる気配に嫌でも分かってしまう。最早隠す気も無いらしい。当たり前か。「前」と同じ場所で待ちかまえているのだ。相手も、ここで決着をつける気なのだろう。
四人がそれぞれ顔を見合わせて、並んで一歩足を踏み出した。そのまま同じ歩数で階段を上って行く。辿り着いた先は、高い場所に位置しているためか瘴気が薄いように思えた。瘴気の向こう側、じっと座り待ちかまえていたヴァンの姿が、はっきりと見えたからだ。
皆より一歩先に踏み出し、ゆっくりと立ち上がるヴァンに話しかけたのはシロだった。
「師匠、お久しぶりです」
「ふっ……まだ私をそう呼ぶか」
「やっぱり俺にとって、師匠は師匠ですから。色々騙されたし、絶対にあんたを許せないことだって沢山ある。けど、俺に剣や、色んな事を教えてくれたのは師匠だ」
「そうか……」
ヴァンは静かにこちらを見つめる。シロの横に立って、クロもしばらくヴァンを見つめた。ルークとアッシュは一歩下がって、成り行きを見守っていた。
「……ヴァン、てめえももう、分かっているんだろう。今自分がやっている事に、何の意味もない事を」
「それは、どういう意味だ」
「てめえの仲間はもういねえ。この世界のヴァンはてめえに愛想を尽かしてとりあえず俺達側についた。レプリカもほとんどいない。そもそも、この世界にとってヴァン、てめえは部外者だ。こんな状態で「前」と同じ道をわざわざなぞって、俺達に止められないとでも思っていたのか。今の時点でこの勝負捨てているとしか思えねえ。最早てめえの負けなんだよ。自分でも自覚してんじゃねえのか」
剣を抜き、ヴァンに切っ先を突きつける。ヴァンはクロの言葉を黙って受け止めた。しばらく噛み締める様に黙って、やがて肩をふるわせ始める。笑っているようだ。
「ふふ……ははは、大きな口を叩くなアッシュよ。いや、今はこの世界に則りクロと呼ばせてもらおうか。まるで私の事を全て分かっている風な口をきく」
「全てとは言わねえが、分かるさ……てめえが長い間俺を見てきたように、俺もまた同じ時間、てめえの弟子をしていたんだからな」
ヴァンは笑みを浮かべたまま、両手を広げた。その身体は淡く発光している。身体の中に取り込んだ、この世界のローレライの力だろう。ヴァンは頭上を仰ぎ見て、まるで独り言を呟くような口調で言った。
「……ああ、そうだ、私が最早狂っている事を、私自身が一番分かっている。今の私は過去に囚われた亡霊のようなものだ。己の全てをかけて全力で戦い、負けを認め消えたはずの私がよもや過去の世界で再び目を覚ますなど、誰が想像出来ただろうか」
「あー、その節は本当、うちのローレライが迷惑かけてすいませんでした」
「だが復活した所で、私の生き方は変えられぬ。邪魔なもの全てを何もかも排除してまで進んだかつての道を捨てることなど出来なかった。私を信じてついてきてくれた同胞達のため、そして自分のためにだ。哀れな二度目の生を受けてしまった私に残されていたのは、この道だけだったのだ」
ヴァンはゆっくりと剣を抜いた。その顔に浮かべる笑みは、どこか悲しそうに見えた。それを首を振って振り切って、クロが剣を構える。
「お前達はどうやら、かつて歩んだ道とは違う、新たな道を進んでここまで辿り着いたようだな。その道が本当にこの世界にとって正しいと思うのならば……私を倒してみせるが良い。それで全ては決まる。全ては終わる」
「ああ……倒してみせるさ、今度こそ俺の手で。俺達の手で」
「ヴァン師匠。俺達が師匠を止めてみせる。全てを終わらせてみせる。師匠に剣を教わった、弟子として!」
シロがちらと背後を振りかえる。目があったルークとアッシュが頷いた。それを見届けて、今度はクロと目配せする。ヴァンは身体から光を放ち、ローレライの力を解放した。
「いいだろう……来い!我が弟子、ルーク、アッシュよ!」
「ヴァン……覚悟!」
一番にクロが剣を構えて飛び出した。一歩後に続いて、シロが飛び出す。その手には何も握られていなかった。虚を突かれながら、とりあえずクロの剣を難なく受け止めるヴァン。すかさずヴァンに近寄ったシロは、何と自らの体に左手を沈めた。さすがのヴァンも驚きに声を上げる。
「何っ?!」
「くらえ!」
そのまま勢いよく宙を薙ぐシロの右手。その手に握られていたのは、ローレライの剣であった。実はまだ、ローレライから受け取った剣を取り込んだままであったのだ。まさかの攻撃に、ヴァンは避け切る事が出来ずに胴を僅かに切られる。受け止めていたクロの剣を弾いてシロを蹴り飛ばし、距離を取ろうとするがすかさずクロが追いすがる。体力が無いために鋭い動きは出来ないが、シロも何とかヴァンを追いかけていく。ヴァンはそんなシロから先に倒してしまおうと動くが、クロがそれをさせなかった。シロが見せる隙をすぐさまフォローするように立ち塞がる。ヴァンはローレライの力も駆使して、何とか二人の剣撃を打ちかえしていた。
一見、双方の力は五分のように見える。しかしシロとクロに、追い風がやってきた。歌であった。
「トゥエ レィ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ」
「これは!」
ヴァンはすぐに気がついた。そして思い出していた。大譜歌だ。「前」もこの歌に、実の妹が歌ったこの大譜歌の力によってローレライの力を奪われ、そして倒された事を。首を巡らせ歌の発生源を探せば、すぐに見つかった。ルークが、沢山の想いが込められたソーサラーリングを手に、歌を紡いでいる姿が。
「クロア リュオ ズェ トゥエ リュオ レィ ネゥ リュオ ズェ」
ルークはティアから教わった事全てを胸に歌い続ける。ヴァンの事は意識していなかった。自分の役目は今歌う事だ。ヴァンの攻撃がこちらに向く事など、考えていない。もし襲いかかられても、大丈夫だと言う思いがあった。
「ヴァ レィ ズェ トゥエ ネゥ ズェ リュオ ズェ クロア」
「くっ、させるか!」
ヴァンがシロとクロの一瞬の隙をつき、剣から鋭い光の一撃をルークへ伸ばす。歌っているルークは無防備だった。このままルークへ凶悪な攻撃が直撃する、前に、光は宙へ飛散する。目の前に飛び出したアッシュが全てを受け止め、ヴァンの攻撃を散らしたのだ。
「ルークは、俺が守る!」
「アッシュナイス!」
「ふん、少しはやるようになったな」
アッシュの雄姿にシロとクロも称賛の声を上げる。ルークは目の前に立つアッシュの背中を見て、微笑んでいた。そう、どんな攻撃が向けられてもアッシュが守ってくれる。ルークはそれを知っていた。だからこそ、何も心配せずに歌い続ける事が出来る。
「リュオ レィ クロア リュオ ズェ レィ ヴァ ズェ レィ」
ヴァンの身体から迸る力がより一層強くなった。その力はアブソーブゲートでシロを取り込んだこの世界のヴァンのものとは比べ物にならない。本家本元、正真正銘のローレライの力と、それを慣れたように扱うヴァンの力は強大であった。剣を打ち合い、弾かれるだけでシロの身体が吹き飛ぶ。
「くっ!……負けるかっ!」
しかしシロは諦める事無くすぐに立ち上がり、ヴァンに向かっていく。身体は悲鳴を上げていた。瘴気でボロボロになってしまった体内はもう限界を訴えている。それでも立ち向かう事をやめなかった。
「ヴァ ネゥ ヴァ レィ ヴァ ネゥ ヴァ ズェ レィ」
大譜歌が進むにつれて、ヴァンの攻撃は激しくなる。身体に幾多も傷を負う。それでもシロは戦う事を止めない。クロもそんなシロを止める事無く、全力でフォローしながらヴァンを追い詰める。ヴァンも己の力全てを出して、二人を迎え撃った。
「クロア リュオ クロア ネゥ ズェ レィ クロア リュオ ズェ レィ ヴァ」
合間に何度もルークに攻撃が打ち込まれるが、その全てをアッシュは真正面から受け止め、弾き返した。シロとクロが大譜歌に乗る様にリズミカルに、息のあった動きで剣を打ちすえる。いつの間にかヴァンは、防戦一方になっていた。
シロ、クロ、ヴァン、三人の剣が甲高い音を立てて打ち込まれる。
そうして、大譜歌の終わりはやってきた。
「レィ ヴァ ネゥ クロア トゥエ レィ レィ」
シロとクロの右手と左手がかざされる。そこに集まるのは、ローレライと音素振動数を同じくする者しか扱う事の出来ない、第七音素の衝撃、超振動。二人が同時に放ったそれは、まるで……かつて二人の力が一人に集まった時に扱う事の出来た、第二超振動のようであった。
「これで……!」
「最後だっ!」
大譜歌の終わりとともに、眩い光が辺りを包み込む。その光はエルドラント中を包み込むぐらい激しく大きいものであった。その光の中、ローレライの力を失ったヴァンは宙へ投げ出されながら……微笑んでいた。
「……弟子に、二度も倒されるとはな……。……強くなった……本当に……」
どこか嬉しそうに笑うヴァンの姿は、そのまま光の中へ消えていった。
まるで、満たされたような微笑みであった。
もうひとつの結末 70
12/12/31
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