嵐のような戦いと展開が過ぎ去ったアブソーブゲートには、今少しの休息の時間が訪れていた。空気を読んだのか先ほどの戦いにビビったのか魔物が姿を現わせないお陰で、赤毛と六神将が集う広間にはまったりとした時間が流れている。
そんな中、気絶から目が覚めたヴァンが、観念したように座り込んだまま自嘲の笑みを零していた。
「この結果を、私は最初から予期していたのかもしれぬな……。未来から来た自分と名乗る男の言葉に唆され、何も考えずに従っていたとなれば、私自身こそがただの愚かな操り人形だったという訳だ。未来を信じ自らの足でここまで進んできた者達に、到底打ち勝てるものではなかったのだろう」
「閣下……」
「まったく、私を信じてついてきてくれた者達に詫びの言葉もない……お前達にも、このような大将で申し訳がなかった」
「とんでもありません、閣下……あなたが目を覚まして下さって、本当によかった」
己を恥じるヴァンに、リグレットは心から安堵したような表情で付き従う。目元を和らげるラルゴも、人形を抱いてはにかむアリエッタも、そっぽを向いたままのシンクも、とりあえず今ヴァンを責めるつもりはまったく無く、それぞれ言葉をかけてやる。
「気にしなさんな、総長。俺達はその時々で一番信じられるものについていった、ただそれだけだ」
「大丈夫、シロとアッシュたちが、きっと良い世界にしてくれる……です」
「まあ僕はあんたのそのむかつく髭面を色んな事の腹いせに殴れれば良かっただけだし」
その慰めになるのか分からない言葉達を聞いて、ヴァンは一人、俯いてその表情を笑みに歪めた。元より彼に最早戦う意思は残っていなかった。心身ともに打ちのめされた事によって全てを諦めた……と、いうよりも。立ち向かってくる赤毛と剣を交え、そしてシロをローレライごと取り込んだ事による影響、なのかもしれない。何にせよヴァンは少しだけ、信じようと思ったのだ。自分の思い描いた未来とは違う、別の輝かしい未来を。
ヴァンにそんな光のある未来を見せる事が出来た赤毛達はと言うと。取り込まれていた間の事をシロに話して聞かせている最中であった。ヴァンは最早眼中にない。
神妙な顔で全てを聞き終えたシロは、しばらくその内容を頭の中で整理しているのかじっと眼を閉じる。そして躊躇いがちに口を開いた。
「つまり、その……俺の記憶を、ルークとアッシュは包み隠さず全部見ちゃった、という事で良いのか?」
「んーまあそういう事かな。なあアッシュ」
「ああ。シロが生まれてから今までの記憶、その時シロがどう思っていたか等全部だ」
感情が落ち着いたルークとアッシュに同時に頷かれて、シロはようやく納得出来たようだ。なるほどそうかーと納得した後、おもむろに自分の頭を抱えて、
「マジかよ……!俺のあれやそれ全部見られたって事?!あの時の事も、この時の事も?!はっははは恥ずかしい、恥ずかしすぎるっ!」
激しく身もだえ始めた。気持ちは分かる。知ってしまったものは仕方が無いので、ルークとアッシュは慰める様に両方からシロの肩を叩いてやる。
「大丈夫だってシロ、俺達は逆に嬉しいぐらいなんだぜ?今までずっと隠されてきたものを全部見る事が出来たんだし」
「そうだ。俺達は全てを見たうえで、それを受け入れる事が出来たんだ。なにも気に病む事は無い」
「……何かお前ら、いつもよりすごく優しい目で俺の事見てねえか?」
シロに尋ねられて、ルークとアッシュは顔を見合わせる。言われて見れば確かに、以前と比べてシロに対する感情というものが変化しているような気がする。しかしそれは決して悪いものではなかった。むしろ前よりも、溢れ出る優しさ、愛しさが増えている。それは確実に、シロの記憶を手に入れた影響であろう。
「そりゃあ……あの記憶見ちゃったら、なあ……?」
「むしろもっと、何だこう……甘やかしてやりたくなるというか……」
「ああ分かる分かる!何だろうこの気持ちなんていうんだろう……母性?」
「ルーク、せめて父性と言え」
「クロ―ッ!俺年下にめちゃくちゃ同情されてるんだけど?!」
「俺に言うな」
一人だけ、そのシロの記憶とやらを細部まで見る事が出来なかったクロが少しだけふてくされているように見える。ルークとアッシュにこれほどまでに母性、もしくは父性を目覚めさせるほどの記憶とは、どういったものだったのだろうか。その大体を間接的に知っているクロは、過去を思い起こしながら眉をひそめる。その同情されるに値する記憶の中には、おそらく己の所業も含まれているのだろうと思ったのだ。
「……お前達、記憶の中の俺は、言った通りのものだっただろう」
「「えっ?」」
聞くのは少しだけ怖い気持ちもあったが、気になって仕方が無かったので結局クロは尋ねていた。尋ねられたルークとアッシュは、それで思い出す。そういえばクロはシロの記憶を覗き見る前に、昔の自分はひどかっただの何だの言っていた気がする。次々とこの目で見てきた記憶達を思い起こしながら、二人は悩んだ。
「ええーっ?クロが言うひどい思い出ってあったかな?俺思い出せねえんだけど」
「俺もだ」
「ああ?んなはずねえだろ、実際に対面してきたこの俺が言うんだぞ」
「んな事言われても……いや、確かに昔のクロって想像していたより、アッシュがツンデレこじらせたようなひどい癇癪持ちだったけどさあ」
ひとつひとつを思い出してみれば、確かに昔のクロは昔のシロに散々酷い事を言っていたはずだ。しかしそれが「ひどい事」だとは思えないのだ。傍から見れば十分ひどい言葉を叩きつけているはずなのに。そこでアッシュがハッと手を叩いた。
「分かったぞ、正直殴り倒したくなるぐらいひどい事ばっかり言ってやがったのに、それがあまりひどく聞こえない訳が」
「えっ何何?」
「シロ自身が、それをひどい記憶だと思っていなかったって事じゃないか?俺達はシロの感情ごと記憶を覗き見た訳だからな、シロがそれをひどい事だと思っていたら、その気持ちごと俺達に伝わっているはずだ。そうではないという事は……」
「そっか!なるほどな、つまりシロは……」
ルークはちらりとシロを一瞥して、ちょっとだけ躊躇ってから言った。
「クロにひどい事言われまくった記憶が嫌じゃなくって、むしろ……良い記憶だった、って事?」
「このっ劣化ド屑がーっ!」
「うわっ久しぶりにそうやって罵られたんだけど!あれ……何だろう……何かムカつくより何よりも、懐かしいっつーか、……嬉しい、かも……」
「お、お前は真正か、真正なのか!俺は認めんぞ!」
劣化だの屑だの呼ばれてにへらと笑みを浮かべるシロに、さすがのクロも動揺しているようだった。これは過去に屑屑言いまくったクロの自業自得でもあるので、ルークとアッシュはそのまま助け船を出す事無く二人を放っておく事にした。
「んで、これから何すればいいんだっけ。俺達良く考えたらクロとシロを追いかけてきただけだもんなー」
「書き置きには確か、プラネットストームを止めると書かれていたな。この下にある譜陣を閉じればいいはずだ。ルーク、お前も「見た」だろう?」
「へ?あ……ああ、そっか!」
アッシュに言われて、ルークは思い出していた。確かにルークはアッシュと共に見ていた。かつてシロが今と同じようにゲートへと向かい、プラネットストームを止めていった「記憶」を。その記憶と同じ事をすれば良い訳だ。
プラネットストームを止めるためには、ローレライの宝珠が必要である。一度ルークに取り込まれる形で手に入れた宝珠は、今クロが持っているはずだ。二人はちらりと、シロとクロを振りかえる。
「俺別にドMじゃねえもん!全部お前の言葉だったから嬉しかっただけだもん!」
「だからって罵り言葉にまで喜びを見出してんじゃねえよ!てめえはどれだけ俺の事が好きなんだ屑が!」
「い、言わせんなよ!そんなの、言わなくたって知ってるだろ!」
「いいや、言わねえと分かんねえな!ほらどうした、言ってみろ。もしくは態度で表してみろ」
「ううーっその余裕っぷりがムカつく!クロだって俺の事いっぱい好きなくせにこの鬼畜ツンデレー!」
ああ、やっぱり。揉め合いからいつの間にかただの痴話喧嘩になるのにそう時間はかからなかったようだ。半ば予想していたルークとアッシュは大きなため息をついて、仕方なく二人の間に割って入る事にした。本当ならばちょっかいなんてかけずにずっと放っておきたい心境だったのだが、仕方が無い。
「ほらほら、後で好きなだけいちゃいちゃしてていいから、とりあえず宝珠くれよ」
「俺達がプラネットストームを閉じてくるから、お前らはここで待っていろ。俺達は邪魔しねえから」
「なっ?!ふ、二人とも、何つー言い草だよ!」
妙に達観したような物言いの二人にシロが戸惑う。クロも言葉に出さずにひるんでいるようだ。面食らう年長組に、年少組はひたすらどこか悟ったような目をしていた。
「いやあ、なーんかさ、二人の過去を見た後だとさあ……自分の視線がすげえあたたかーくなってるのが分かるんだよなあ」
「そうだな、少しでも遮る事さえ無粋に思えて仕方が無くなるんだよな、お前ら二人が辿ってきた過去を見た後だと……」
「俺とアッシュが初めて顔合わせた時、シロとクロも数年ぶりに再会したんだよなあ。あの時は訳分からなかったけど、あれ、今では超感動モノだよ……」
「そういう訳だから宝珠を寄こせ。んで、好きなだけ好き勝手にやっとけ」
差し出された手に、思わず大人しく宝珠を渡す。俺にやらせていいや俺がやるなどと言い合いながら、ルークとアッシュはさっさと宝珠を持って奥へと向かっていってしまった。取り残されたシロとクロはポカンと二人の背中を見送って、互いに顔を見合わせる。
「なあクロ……何だろうこの妙な気持ち。巣立ちしたヒナを見送る様なやっぱ違うような微妙な心境」
「知るか……とりあえず全部お前の記憶が悪い」
「や、やっぱ俺のせい?だって仕方ないだろ!俺が知らないうちに見られたんだから!」
腕を振り上げて抗議するシロの頭を、落ち着かせるかのようにクロが抑えつける。それだけで、クロに触れられるだけでぴたりとシロは落ち着いた。それを自覚してシロが恥ずかしそうに俯く。掌でその心情を察したクロもため息をついた。分かりやす過ぎるというのも、色んな意味で困りものだ。
「ったく本当にてめえはどうしようもねえな……」
「う、うう……」
「……あんな言葉を、嫌な記憶じゃないとはな……」
心なしか、その声に元気が無い。どうやら本人的にその事実は結構なダメージだったようだ。おそらくその胸中には、過去の自分に対しての情けなさやらシロに対しての申し訳なさやら、それを上手く言葉に乗せられないジレンマなどが渦巻いているのだろう。らしくない様子に、シロは思わず笑みを零していた。頭に乗っかったままだった掌を掴み、両手で胸の内に抱きしめてやる。
「仕方ないだろー。確かに当時はへこんだりしたけどさ、どれも全部、クロとの大事な大事な記憶なんだから。他の記憶はともかく、この記憶だけはお前に返したくなかったんだよなあ、俺」
「屑が、全部いらねえよ。記憶だけなんて受け取ってたまるか」
「あはは、分かってるって。俺だって渡したくねえよ、恥ずかしいし」
声を上げて笑ったシロが、ふいに俯く。クロの手を握りしめる両手に、僅かに力が籠った。
「俺、目を覚ます前、思い出したんだ」
「……何をだ」
「俺……俺さ……死にたくなかったんだ……」
クロは黙ったまま、握りしめられていない方の手で肩に触れる。シロは顔を上げないまま語り続けた。
「この世界に来て今まで、ずっと忘れてたみたいなんだ。おかしいよな、「前」に消えてしまう前、あんなに死にたくないって思っていたはずなのに」
「………」
「夢、見た気がするんだ。よく覚えてないけど、それで思い出せた。俺が泣いていたら、何かすごく温かいものに包まれてさ。戻って来いって、一緒に生きようって、聞こえてくる声が必死に言うんだ。後、懐かしい歌も聞こえた……すごく、懐かしい歌。こんな状況で何てもの見てるんだっていうぐらい、すげえ幸せだった」
そこでシロは顔を上げた。その顔は泣いていなかった。ただ、クロの顔を正面からじっと見つめ、心から幸せそうに微笑む。
「んで、目覚めたら一番にこの顔があるしさ。マジで夢の続きかと思った。……俺って、本当に恵まれてるよな。今ここにこうしてクロと一緒に立っている事が、それだけで幸せに感じられるし」
「………」
「ほら、俺はこの通り態度で示したぞ?今度はクロの番、だろ!」
さっきの言い合っていた言葉を忘れていなかったらしい。にやりと笑って胸を張るシロの姿に、クロも思わずしかめっ面を解いていた。柔らかく肩を抱き寄せれば、シロもそのまま身を寄せてくる。
「欲しかったらねだってみるんだな」
「ええーっこれ以上どうやってねだれっつーんだよー」
唇をとがらせながらも、その顔は笑っている。シロもとっくの昔に承知しているからだ。クロという人物が、そう簡単に好意を表に、特に口に出来るような素直な男ではない事を。
クロもクロとて悩んでいた。シロが光の中から無事に戻ってきた時、その瞳に己の姿が映ったのを見た時、その時に感じたあの心からの幸せな気持ちを、一体どうやって相手に伝えればいいものかと。
だがクロは、その気持ちはもう相手に伝わっているだろうと思った。シロも、その気持ちは己の胸にきちんと届いている事が分かっていた。
限りなく近い場所から見つめ合ったその表情が、両方とも、愛しそうに笑っていたからだ。
もうひとつの結末 67
12/11/17
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