「なあ、それでさ、肝心のシロは一体どこにいっちゃったんだ?」


その場がひと段落した後に落とされたルークの言葉に、クロの動きがぎくりと止まった。そうだ、皆は全てが終わってからここに駆けつけてきたので、何も知らないのだ。説明しにくい、しかし説明しなければならない。怪訝な視線が自分に集まっている事をひしひしと感じながらクロはしばし迷い、やがて重い口を開いた。
そして、思った通りの非難を浴びる。


「ええーっ?!シロがヴァン師匠に取り込まれて連れて行かれたー?!」
「あれだけ偉そうに色々言っておいて結局攫われたってどういう事だてめえ!」
「それはさすがに甲斐性無しすぎるんじゃないの?」
「情けない、です」
「はっ……何とでも言え、事実だからな……」


さっき全力で説得された影響で元気のないクロは、反論する事も無く全て受け止める。その珍しい姿が可哀想になったのか、文句はすぐに止んだ。それどころか、慰めるように肩を一回軽くリグレットに叩かれた。余計に情けなくなってくる。
その時、今まで一人離れて辺りの様子を見回っていたラルゴが皆の元へ戻ってきた。


「このあたりにヴァンの気配は無いな。いるとすれば……奥、最下部か」
「ああ、奴が向かっていった先を考えれば、そうだろう」
「それなら早く行って師匠ぶっとばしてシロを助けてやらないと!」
「ちょっと待ちなよ。その前に、取り込まれたってどういう事なのさ。そんな普通じゃない状態の所を一体どうやって助けたらいいのか、分かってる?」
「うっ……」


飛び出しかけたルークをシンクの言葉が止める。シンクの言う通りだ。何となく普通に受け止めてしまったが、「取り込まれる」なんて普通は何をどうしても起こらない現象だ。疑問の視線を一気に受けたクロが、最大に苦い顔を作る。


「俺だって何がどうしてこうなったのか、ローレライの野郎に問いただしてやりたい所だ。だが確実に言えるのは……あいつがローレライと同じように、ヴァンに取り込まれてしまったという事だ」
「ローレライと同じように……?」
「確かシロの身体にはローレライの音素が入っているそうだな。それのせいか?」
「おそらくは、な……」


予想外の出来事に、一瞬全員が黙り込む。理由や原因はとりあえず置いておいて、今はシロを助け出す事が先決だ。しかし方法が分からない。
アリエッタが悩むように困った表情を浮かべながら、こてっと首を傾げた。


「取り込まれたのなら、取り込み返せばいい、ですか?」
「それを一体誰がするのさ。それに取り込んだって、元の身体に戻してやらなきゃ意味無いでしょ。もうちょっと良く考えなよ」
「か、考えてるもん!シンクの意地悪!嫌い!」
「なっ?!」
「取り込む……」


微笑ましい喧嘩を始めたアリエッタとシンクの横で、クロが考え込む。ヴァンがシロを取り込んでしまったあの場面を思い出していた。奴が一体、どうやってシロを取り込んだのか。そしてそれを、自分達はやり返す事が出来るか。
考え込みながら、クロの視線はルークへ注がれていた。視線に気づいたルークが不思議そうにクロを振り返ってくる。


「クロ?どうしたんだよ」
「……アリエッタの言った、単純に取り込み返す事なら出来るかもしれないと考えていた」
「ええっ?!どうやって?」
「ヴァンは大譜歌を歌っていた。つまり契約の歌のせいでローレライの音素が反応してしまったという事だろう。それなら、俺たちも同じように大譜歌でローレライを引き寄せてしまえばいい」


ぽかんと口を開けるルークの横で、なるほどとアッシュが手を打った。


「おまけに俺達は同位体だからな、ただユリアの子孫ってだけのヴァンより引き寄せやすいかもしれねえ。そうだよな、ルーク」
「本物のローレライでは無いから契約とまではいかないだろうが、きっと何かしらの反応はあるだろう。どうだ?ルーク」
「……って、俺に大譜歌を歌えって事かよ!そんな俺、まだ練習中なのに!」


アッシュとクロに同時に視線を向けられて、ルークは慌てた。こんな所で歌うなんて聞いていない。何とか歌詞は全部頭に叩きこんではいるが、それを上手に歌える段階ではまだ無いのだ。期待の込められた視線を一身に受けて、ルークの心臓は一気に飛び跳ねる。そんなルークの心を落ち着けるかのように、クロがその肩に優しく手を置いた。


「……すまない、本来なら俺がこの手で取り返すべきなんだが、俺には譜歌が歌えない。ルーク、お前の力が必要なんだ」
「えっ……!」


ルークが驚いてクロを見上げる。こうやって面と向かってクロに頼りにされる事は初めてだった。今まで隣に並びたい、力になりたいといくら思っても子ども扱いされるだけだったのに。師匠とも呼べる存在であるあのクロに今、頼られているのだ。
ルークはさっきまでの動揺をどこかに放った様子で、勢いよく頷いた。


「分かった、俺頑張ってみる!上手く歌えるか分かんねえけど、やってみるよ!」
「ああ、お前ならきっと出来る。それでこそルークだ」
「え、えへへ……」
「……ヴァンの野郎を慕ってたあいつもまさにこんな風に従っていたんだろうな……」
「ん?何か言ったかクロ?」
「何でもねえよ」


ちょっぴりセンチメンタルな気持ちに陥ったクロに、今まで成り行きを見守っていたリグレットが声をかける。


「つまり、とにかく閣下からシロを取り返す事を最優先とするのだな」
「ああ。まずは髭をぶちのめす、後の事はそれからだ」
「シロを元に戻してやるのはその後か……」
『それなら、私に任せておけ』
「「?!」」


唐突に聞こえた、この場にいないはずの誰かの声。全員が一斉に辺りを見回した。敵や魔物は一掃し、ここには自分たちしかいないはずである。いくら遠くを見渡しても、先ほどの声の主と思わしき影は見つからない。慌ててあちこちに視線を送る一同をあざ笑うかのように、唐突に光が現れた。場所は、皆が集まる中心、クロの目の前だった。


「っ何だと!」
『案ずるな、私だ』
「だから、一体誰だてめえは!……って」


剣を握ろうとしたクロが、思わずあっけにとられる。クロの目の前に現れた手のひらサイズの小さな光は、そのまま焔色に輝きながら空中に浮かんでいた。その光と、その声に、クロはそれが何者か思い当たって言葉を止めてしまったのだ。クロから少し遅れて、ルークも気が付きあっと声を上げた。


「その声聞いた事あるぞ!もしかしてお前、ローレライか!」
『その通りだ、この世界のルークよ』
「その口ぶり……てめえ!「うち」のローレライか!全ての元凶!」


とっさにクロが目の前の光を掴みあげようとする。もちろん光を掴める訳が無いのだが、それを分かっていてもそうしなければ気が治まらなかったのだ。クロは実際にこうやって対面するのが初めての、クロとシロの世界のローレライなのだ。つまり、二人をこの世界に送りこんだ張本人である。何の説明も無しに。


『落ち着くのだアッシュ、いや今はクロ、だったか』
「名前はどうでもいい!貴様、今までどこにいた!何故いきなり出てきた!さっきの任せろとはどういう意味だ!」
『そんなに一度に捲し立てないでくれ、私もこのように無理矢理姿を出していて時間が無い。ルーク……シロと比べてクロ、お前の中にある私の音素は少ないのだ』
「!俺の中の音素、だと?」


クロは自分の胸に手を置いた。つまりこの目の前に漂うローレライは、クロの中から出てきたというのか。ルークが面白そうにつんつん突いてそれをアッシュが止めている中、ローレライは今にも消えそうな儚い光を放ちながら語った。


『お前達の読み通り、シロが大譜歌によって取り込まれてしまったのは私の音素が原因だ。二度もこうして引き寄せられてしまうとは、申し訳ない限りだが』
「ああまったくだな」
「ん?二度もってどういう事だ?」
「ルーク、今は俺達は黙っておく場面だ……」
『逆に言えばもう一度大譜歌を歌えば私の音素が反応するという事だ。シロもかなり抵抗している、おそらく成功するだろう。その後は、私の仕事だ』


ローレライは身震いするように光を瞬かせる。


『前にシロにも話したが、あの子の身体のほとんどは私の音素だ。ヴァンの身体から大譜歌で引きずり出し一度ルークへと取り込み返せば、すぐに元の身体に構成し直そう。何、問題は無い、ルークの音素も含めて全て私の完全同位体だからな。問題があるとすれば……取り込み返さなければならないという部分だけだ』
「何だ、一体何が問題だというんだ。まさか取り込まなければならないルークに何か負担が掛かるとでも言うのか」


クロの問いに、ローレライは沈黙で答えた。つまり肯定しているようなものだ。その様子にクロが何か言う前に、ルークが名乗りを上げる。


「お、俺は大丈夫!それなりに鍛えてるしさ、シロを助けるためなら多少の事なら我慢するし!」
『ルーク、これは肉体の問題では無い。……精神の問題だ』
「精神?」
『第七音素は、記憶を司っている。これは知っているな』
「記憶……。……まさか、」


クロがローレライの言葉に思い当たる。ローレライは頷く様にふわりと揺れてみせた。一気に険しくなるクロの表情に、一体何が問題なのだろうと顔を見合わせるルークとアッシュ。


『その通り。シロの音素を一時的に取り込むという事は、それに付属する記憶をも取り込んでしまうという事だ』
「それはつまり、シロの記憶をルークが取り込んでしまうって事か」
「何だそんな事かあ。それなら俺大丈……」
「……駄目だ」


静かに、クロが言った。その声が苦渋に塗れたものだったので、驚いて振り返る。その表情も、声と同じように苦しげに歪んでいた。


「な、何で駄目なんだよ。こうしないとシロは助けられないんだろ?」
「………」
「クロ……?どうしたんだよ」


クロは何か言おうとして、しかし何も言えずに視線を逸らす。クロのこんな歯切れの悪い態度はとても珍しいものだった。ルークは戸惑う。クロをこんなにも躊躇わせるものは一体何なのか。それほどのものを、シロの記憶が持っているのか。
何も言えないクロの代わりにローレライがルークに語りかけた。


『ルーク。シロの記憶は、私たちの世界……お前達にとっては、もう一つの「未来」の世界の記憶も含まれている。その中にはお前達が想像もしない、辛い記憶も有しているだろう。そんな他人の記憶を自分のものとして取り込まなければならない事は、お前た思っている以上に苦しいものになる』
「シロと、クロの世界の記憶……」


ルークは無意識に、音を立てて唾を飲み込んだ。今まで望んでも語ってもらえなかった記憶を、包み隠さず全て自分が持つ事になる。それがどういうものなのか、正直ルークには想像がつかなかった。おそらく負担にはなるのだろうと、分かるのはそれぐらいだ。クロの様子と、ローレライの言葉で、それがどれほどの負担になるのか、覚悟が必要だった。
しかし、ルークの瞳から決意の光が消える事は無かった。たとえどんな試練が待っていようとも、シロを助けるためにこの方法しかないのなら、ルークが選ぶ道は一つだけだった。そんなルークを見て、アッシュも一つ頷きローレライに一歩踏み出す。


「ローレライ、その負担を分断させる事は出来るのか?」
『ふむ、というと?』
「ルークと回線を繋いで、俺もシロの音素を受け取る。二人で受け取れば、負担は軽くならねえのか」
「アッシュ……!」
『……記憶はおそらく、二人とも平等に受け取る事になるだろう。しかし一人分の記憶を二人で受け取れば、それはきっと負担は軽くなるのだろうな。私の方は問題ない、後は好きにすると良い』
「よし、なら決まりだ。ルーク、お前が大譜歌を歌う時、俺も回線を繋げて一緒にシロの音素を受け取る。良いな」
「お、おお!……アッシュ、ありがとう」


ルークとアッシュは視線を合わせ、頷き合う。そんな、何があっても決意が揺らがないような二人の姿を、クロはしばし無言で見つめる。考えるのは、「前」の世界での事。共に旅した事はほとんどなかったが、シロの記憶に一体何が詰まっているのか、クロには分かっていた。
分かって、いた。


「……いいんだな」
「クロ。当たり前だろ?だってシロを助けるためだもんな」
「ちょうどいい。お前達が何度聞いても教えちゃくれなかったものを見る良い機会だ」
「……そうか。ああ、そうだな……」


さっきからクロの様子が変だ。ルークとアッシュが露骨に心配そうな顔をするので、クロは誤魔化すように両方の頭をがしがしと強めに撫でた。ルークは慌てながらも大人しく受け止めたが、初めての経験のアッシュは予想外の衝撃に思いっきり固まってしまう。まさか、クロに撫でられる日が来るとは、思わなかった!


「二人とも。先にこれだけは言っておく」
「ん?何だ?」
「な、ななななな、何だっ?!」
「……お前達が何を見ても、それはお前達に関係のない、別の世界の記憶だ。それだけは覚えておけ」
「「………」」
「それと、」


クロは言おうか言わまいか迷うようなそぶりを見せながら、結局言う事にしたようだ。視線を逸らしたまま、ちょっとだけ小さな声で言う。


「あいつの記憶の中の俺は……大分、ひどい」
「「は?」」
「記憶の片隅にでも留めておけばいい」


それだけ言うと、クロはさっさと離れていってしまった。同時にローレライがその光を薄れさせる。クロの中に戻るのだろう。ローレライは消える前に、数回強く瞬いた。


『それでは、私は力を温存させておくとしよう。ただでさえ半分以上シロと共に取り込まれてしまっているからな』
「な、なあローレライ、今のクロの言葉の意味って?」
『……実際に見れば、分かるだろう。では、さらばだ』


結局明確には教えてくれないまま、ローレライはふわりと消えた。取り残されたルークとアッシュは顔を見合わせる。


「なあアッシュ……ひどいって、どういう意味でひどいんだ?」
「さあな……だがしかし、それなりに覚悟しておいた方が良いようだ……」


一体、シロの記憶はどんなものなのか。ルークとアッシュの想像は膨らむばかりであった。





   もうひとつの結末 64

12/10/01