その場はあっという間に片がついた。次々と集まって来ていたはずの魔物やレプリカ兵はことごとく地べたに倒れ伏し、立っているのは空から突然現れ全てをなぎ倒した者達だけである。地面に座り込んだまま、クロは彼らを半ば呆然と眺めていた。不覚にも予想外の出来事に、まだ頭がついていかないらしい。そんなクロのらしくない姿を見て、慌てて駆け寄ってきたのはルークだった。
「クロ!大丈夫か?もしかして怪我でもしたのか?」
「……いや、大丈夫だ。これからって所にお前達が来たからな」
「そっか、へへっ間に合って本当によかった!」
誇らしそうに、嬉しそうに笑うルークの姿に一瞬和みかけたが、慌ててクロは我に帰って立ち上がった。早くこの場を収めて、先に進まなければならない。まずはこの現状の整理だ。
「……それで、どうしてお前達がここにいるんだ。しかもこんな人選で」
クロの視界の先には、最後の敵を斬り伏せてようやく少し落ち着いた様子のアッシュに、面倒くさそうにしかし素早い動きで敵を倒してみせていたシンク、両手に持つ拳銃で遠くにいる魔物をついでに撃ち倒しているリグレット、ここまで運んでくれた鳥型の魔物に労いの声をかけているアリエッタ、どうやってその巨体を運んで貰ったのか不明なラルゴまでいる。ルークを除けばそのまま六神将という面子だ。六神将一うっとおしい死神の何とかがいないような気がするが、気にしない事にする。
クロの疑問に最初に答えたのは、たまたま傍にいたシンクだった。
「仕方ないでしょ、僕たち公に出れるような身分じゃないし。さっきまで敵側だった人間が堂々と国の代表の元へ回る一行に混ざってたら、変に怪しまれるだけじゃん」
「だからアリエッタ達、ルーク達のお手伝いする事にしたです」
「手伝いだと?」
「シロとクロを、助けるため、です」
アリエッタの言葉に、クロは無言で眉を寄せた。これはチャンスとばかりに慌ててルークがクロに近づき、服を引っ張る。
「そう!俺達、シロとクロを助けに……というより、止めにきたんだ!二人とも、絶対やばい事考えて勝手にこんな所に来たんだろ!」
「やばい事とは、具体的にどんな事だというんだ」
「……ジェイドに聞いたんだ、瘴気を消す方法の一つ」
何かを堪えるように顔をしかめながら言葉を発するルークに、クロは皆が全てを知った上でここまで来たのだと分かった。あの鬼畜眼鏡め、と口の中で忌々しく呟いてから、改めてルークに向き直る。ルークはまっすぐクロを見上げてきていた。その瞳が若干濡れているように見えるのは、気のせいだろうか。
「なあクロ、……嘘だよな?クロとシロがそんな……俺達を置いて、勝手に二人だけで、この瘴気を消すために……俺たちを助けるために、死ぬ、なんて。そんな事、考えてないよな?もっと別な考えがあって、ここまで来たんだよな?」
ルークの声は震えていた。出来れば、最後まで話す事無く、全てを終わらせたかった。クロは心の中で悔いた。自分達がやろうとしている事を今更怖いとも思わないしやめようとも思わないが、ルークにこうして悲しまれる事は正直堪えた。自ら死を選ぶなんて、この子どもにはまだ理解のできない事であろう。それで良かった。自分を犠牲にしてまで何かを救おうと考えるような悲しい子どもは、もう生まれなくても良い。
クロの心の中に微かな喜びが沸き起こった。ああそうだ、目の前で己の命のために泣いてくれるこの愛しい存在を救うために、全てを捨ててこの世界に来たのだ。
「ルーク。俺とあいつがこの世界に来る前、どんな状態だったと思うか」
「え……?」
「……限りなく死んでいる状態に近かった、二人揃ってな。あの時の事を考えると、今こうしてお前達と共に生きている事が、都合のよい夢のように思えてくる。一度は確かに自分の命が終わる瞬間というものを感じたからな」
クロの話した内容に、ルークは目を見開いて驚いた。周りも同様に動きを止めて、クロを凝視している。クロとシロが自分たちのいた「前」の世界の事を話す事は今までほぼ無かったのだ。内容が内容なだけに、皆揃って口をつぐんだ。
「もう全てが終わったと思っていた矢先に、この世界だ。再び目を開いてルーク、お前の姿を見て触れた時に感じたあの想いは、きっと二度と忘れる事は無いだろうな。あれほどの衝撃を受ける事はもう二度とないだろうと思っていた。……あの時はな」
それ以上の衝撃をシロと再会した際味わったのだろうクロは一瞬遠くに目をやる。それをすぐに戻して、クロはしっかりとルークを見て、言った。
「俺達はもともと死ぬだけの存在だった、それが今日まで永らえたのは、きっとこの時のためだったんだろう。これは全て俺達が選んだ道だ。お前達が気に病む事は何も無い。……だからそんな顔をするな」
「な……何だよ、それ。クロ達は、死ぬためにここに来たっていうのかよ。そんなの……そんなの、おかしいだろ!」
「人は皆死ぬものだ、それが早いか遅いか、それだけの違いだ。本来死ぬはずだった俺達にとっては、今の生はボーナスみたいなもんだろう。そう考えると遅いぐらいだ」
「違うっ俺が言いたいのはそういう意味じゃない!何でだよ、どうして死ぬ事しか考えてないんだよ!もっと何か別な方法があるかもしれないだろ!それなのに二人揃って死ぬなんて、俺は嫌だ!」
「ルーク……」
クロが困ったように僅かに微笑みかける。他人の前では滅多に見せない、ルークが好きな表情だった。ちょっとしたわがままを言えばピシャリと叱り、そしてこの笑顔で仕方が無いなと撫でてくれた。子ども扱いされる事が恥ずかしいお年頃だが、それでもこの笑顔で撫でられると嬉しかった。それなのに、今はその表情が悲しくて悲しくて仕方が無い。ルークがどんな言葉を投げかけても、その表情の向こう側には届かないのだ。
「お前を悲しませてしまう事は申し訳ないと思う。が、同時に悲しまれる事が嬉しいとも思う。俺達がこの世界に来た事は、無駄ではなかったと感じる事が出来るからだ」
「クロぉ……」
「……俺達が望んだ道だ。だから泣く必要は無いんだ、ルーク」
クロがルークの目じりに溜まった涙を指で拭ってやる。ルークはそれを静かに受け止めて、悲しみに項垂れた。その頭を少しでも慰めてやるために撫でてやろうと伸びた腕は……届かなかった。
横から飛んできた、固い拳によって。
「この……!屑野郎が!」
「っ!」
クロはその塊をまともに頬に食らい、一歩後ろに下がった。びっくりして飛び退いたルークの目の前に背中を向けて立つのは、拳を握りしめたまま怒りに震えるアッシュであった。燃え滾る様な怒りが全身から立ち上っているのが傍から見ていてもわかる。殴られた頬を抑えたクロは人を睨み殺せるような眼光でアッシュを射抜く。しかし少しも怯みもせずにそれを受け止めたアッシュは、負けじと睨み返した。
「っ何しやがるこの屑……!」
「屑はてめえだろうが!横から聞いてりゃ好き勝手言いやがって……こんなのが仮にも俺の未来の姿でもあるなんて、情けなくて仕方がねえな!結局てめえは、何も分かってないだけだろうが!」
「何だと?」
辺りの空気が明らかに張りつめた。ルークも他の者達も口を出す事無く二人の様子を固唾をのんで見守っている。緊張に固まる冷たい空気と、怒りに煮え滾る熱い空気が混ざり合って、辺りを漂う音素達がこの恐ろしい空間を避けて流れているように思えるほどだった。
「言ってみろ、俺が何を分かっていないと言うつもりだ」
「はっ、言わなきゃ気付きもしねえのか。なら言ってやるよ、てめえがこの世界に来た本当の理由だ」
「本当の理由だと……?何が言いたい」
「どうせ一度死んだ身だから、俺達を、この世界を救うために揃って消えるだ?そんな事のために次元ぶっ越えて来たってのか、笑わせるな!てめえが世界越えてまでやってきた本当の理由なんて、見ているだけで分かるってんだよ!」
「っ!」
ぎっと一際強く睨みつけたクロは、衝動的にアッシュの胸倉を掴みあげていた。
「ならば今の俺の覚悟は全て茶番だとでも言いたいのか、ふざけるな!お前に、俺の一体何が分かる!」
「てめえの覚悟だとか、「前」に何があったのかとか、そんな事は分からねえよ、教えて貰っていないからな!だがな、それでも分かる事はある!同一人物だからじゃねえ、今までずっと共に旅をして、近くで見てきたからだ!」
「屑が、分かるものか!」
「分かるってんだよ!いいか、思い出せ!てめえが一番何を願って俺達を導いたのか!この世界を救おうと覚悟したのか!」
アッシュが腕を伸ばし、クロの胸倉を掴み返す。そのまま力いっぱい引っ張りながら、アッシュは言葉を叩きつけた。
「てめえの「ルーク」を、救いたかったからだろうが!」
「……!」
クロの目が見開かれる。僅かに弱まった腕を振り払って、アッシュは一歩距離をとった。乱れていた呼吸を少しだけ整えてから、固まるクロへ語りかける。
「少し考えれば、分かるだろ。どうして自分に関係のない世界にまでやってきて、ルークを育て上げたんだ。自分のレプリカでもないのに。……そんなの、未練たらたらだったからに、決まっているだろう。自分のレプリカ……「ルーク」に」
「………」
「きっかけは何であれ、俺達をここまで引っ張ってくれたのは正直に感謝しているし、今はちゃんと俺達のために世界の事を考えていてくれている事も分かる。だがな、本当にやりたかった事まで忘れちまうなよ。途中で理由と目的がすり替わるなんて馬鹿のする事だ。……本当に守りたかった奴と死んでまで世界を救うなんて、本末転倒に過ぎる。そうだろうが」
クロは答えなかった。無言のまま視線を落とし、己の掌を見る。その掌へ、そっと触れるもう一つの温かい掌があった。ルークの手だった。
「……クロ、探そう。皆で生きて、世界を救える方法。俺、それが見つかるまで絶対に諦めないから。……俺がこうして思えるのは、きっとクロがそうやって教えてくれたからだ」
「ルーク……」
「これを、シロにも教えてあげよう。大丈夫、すぐに分かってくれるって。だってシロだって、皆で一緒に生きたいって思ってるはずだろ。俺にも分かるよ、今までずっと一緒に旅をしてきたもんな」
にこりとルークが微笑む。ああ、支えられている。クロは直感的にそう思った。出会ってから今までずっと自分が支え、手を引いて、成長を見守ってきた子どもに。ずっと最後までそうであろうと思っていた小さいはずだった存在に。向こう側には、なおも強い視線を送ってくるアッシュの姿がある。昔の自分を時折重ねて、ずっと未熟だと思っていた存在。柔らかく温かい視線と、強く熱い視線が、クロの凝り固まっていた心をいつの間にか溶かしていた。
「……っはは」
知らず知らずの内に、口から空気が漏れる。それがまるで笑い声に聞こえる事に気づいてからクロは、己の唇が笑みに歪んでいる事を自覚した。眉は相変わらずしかめられたままで、きっと何とも情けない笑みになっているとは思うが、それは何も抑え込んでいない、クロの素の笑みであった。ルークが目を丸くし、アッシュが思わず後ずさり、他の者達がどよめいているのが聞こえるが、それでもクロは震える肩を止めようとは思わなかった。
柔く掴まれているはずなのに何故か動かす事の出来ない片手はそのままに、空いている手を目元に当てて、クロは己を笑った。
「まったく俺は、歳を重ねて世界まで飛び越えたというのに、ひとつも成長出来ていなかったのか……!後ろを歩いていたはずのこのチビどもは、とっくに俺達を追い抜いていたってのに」
誰にも聞こえないように呟かれたその言葉は、微かに震えていた。
もうひとつの結末 63
12/09/08
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