下へ下へと吹き抜けている遺跡の中を、光り輝きながら無数に落ちて行く音素達。それらを背に、ヴァンは行く手を塞ぐように立っていた。その顔は不敵な笑みに彩られている。まだその腰に差さっている剣に手を触れてもいないのに、その身体のどこにも隙は見当たらなかった。やはり、強い。二回分の人生を生きて鍛えてきたはずの二人でも、ひしひしとそれを感じた。ごくりと緊張に固まる喉を無理矢理動かして、シロが一歩踏み出す。


「……あんたは、この世界の師匠だな」
「ほう?何故そう思う」
「うーん、なんていうか雰囲気で。正直、俺達の世界のヴァン師匠は次元超えたせいか人間離れしたオーラ放ってたし、そのせいでこっちの世界のヴァン師匠が妙に弱かったり情けなかったり見えて……あっいや!向こうの師匠と比べたら、だからな!あんた自身がそんな弱かったり情けなかったりする訳じゃねーし!本当、比べたらの話だから!」
「………」


シロとしては相手が傷つかないようにと精一杯のフォローだったが、目の前のヴァンは渋い表情で黙ってしまった。完全に裏目に出ている。そもそも敵にフォローを入れる必要もない。呆れたため息を吐いたクロが、抜いた剣をヴァンに向かって突きつける。


「俺達は急いでいる、叩き斬られたくなかったら大人しくそこをどきやがれ。叩き斬られたいのならそのまま動くな、望み通り真っ二つにしてやる」
「ふふ、血の気が多いな。私がそのまま大人しく道を開けるか、斬られるかすると思っているのか」
「てめえの都合は関係ねえ、俺が斬るか、てめえが大人しく去るか、どちらかだ。その態度を見ると前者のようだな、ああ?」


大変柄悪く啖呵を切ってみせるクロ。その実挑発もしていた。この世界のヴァンが自分たちの世界のヴァンよりも少々隙があるのは、さっきシロも言っていた通りである。そのために少しでも頭に血をのぼらせて、戦いやすくしようというのだ。一度は目の前の男(一周目)から世界を救った実績もある。正直、負ける気がしなかった。
しかし一度は怒りに表情をゆがめたヴァンだったが、すぐにその表情は変わった。笑みに歪められたのだ。


「どうやらお前達は私を少々見くびっているようだな」
「悪いか」
「悪いだろうな、お前達にとっては。私にとっては、好都合だが」


その嫌な笑顔を見ていると、不安な気持ちが掻き立てられる。シロは思わず自分の胸を抑えた。決して構えを解かないまま、それでも這い上がってくる嫌な予感に胸の内を翻弄される。何だ?ヴァンは一体何を企んでいる?
ヴァンは表情を変えないままその場で手を動かした。どうやら空中に何かを放ったようだ、と思った次の瞬間、カッと辺りに閃光が飛び散る。目くらましだ。とっさに目を瞑るが、全身の神経を集中させて、どこから斬りつけられても反応できるように身構える。例え目で追えなくても、殺気が近づけば身体が反応できるだろう。
しかし予想していた襲撃はいつまで経ってもやってこなかった。代わりに、耳に低い旋律が届く。


「トゥエ レィ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ」
「……えっ?!」


その聞き覚えのあるフレーズ、メロディに、シロは愕然とした。まだ光に眩む目をそれでも見開く。


「クロア リュオ ズェ トゥエ リュオ レィ ネゥ リュオ ズェ」


間違いない。この神秘的な歌を、後方から支援してくれる少女の口からずっと聞いていたのだ。聞き間違えるはずが無い。


「ヴァ レィ ズェ トゥエ ネゥ ズェ リュオ ズェ クロア」
「これは……大譜歌だと?!」


クロもすぐに気付いて驚愕の声を上げる。二人で並んで歌の発生源を呆然と見つめた。この身体の底に響くような重低音の聞き慣れない大譜歌は、目の前の男から発せられていた。


「おい、ヴァン!一体何を考えてやがる!」
「リュオ レィ クロア リュオ ズェ レィ ヴァ ズェ レィ」


問い詰めるが、答えは返ってこない。その口から放たれるのは大譜歌だけだ。そうだ、ヴァンもユリアの血縁者である。「前」はこの大譜歌を歌ってローレライを取り込み、地核から生還してみせるという芸当をやってのけたのだ、歌えるのは当たり前だ。
そう考えた瞬間、シロの胸に先ほどから感じていた嫌な予感の塊が形となって溢れ出た。


「……っ!」
「ヴァ ネゥ ヴァ レィ ヴァ ネゥ ヴァ ズェ レィ」
「何だ……この感じは……」


クロも額に汗を滲ませながら自分の胸に手をやる。身体の奥の奥、言わば魂を揺さぶられるような奇妙な感覚に襲われていた。原因は明らかにこの大譜歌だ。どうして、大譜歌にこんなにも反応してしまうのか。そしてその反応は、クロよりシロの方が顕著であった。


「あ……ああ……」
「!おい、どうした、しっかりしろ!」


急に己の胸を掻き毟る様に抱いて背中を縮こまらせるシロ。クロがその細かく震える肩を掴んで揺さぶると、シロは顔面蒼白のまま震えながらゆっくりと振り向いてくる。その瞳は何かに怯えるように揺れていた。堪え切れない何かを必死に堪えるように息を詰めるその喉から、か細い声が漏れる。


「く……クロ……、俺、やばい……かも……」
「何だ、一体何がやばいんだ?!」

「クロア リュオ クロア ネゥ ズェ レィ クロア リュオ ズェ レィ ヴァ」

「うた……うたに、ひっぱられる……っ!」
「引っ張られる……?!」


その時クロは気付いた。シロの全身が、淡く発光しているのだ。その儚くも柔らかい光には見覚えがあった。そう、今まさに自分達を取り巻いて流れ行く、音素の光のようだった。その光が今、苦しみもがくシロの身体から発せられている。何故?突然の事態に呆然としている間に、ヴァンの歌う大譜歌が、今。
終わる。


「レィ ヴァ ネゥ クロア トゥエ レィ レィ」

「あ……あああああっ!」
「っルーク!」


大譜歌の終わりとともに、シロの身体が光に包まれた。クロが手を伸ばしても、もうその身体に触れる事が出来なかった。光は一瞬のうちに辺りを強く照らし、そのまま吸い込まれるように、あろうことかヴァンの元へと飛んで行ってしまう。一瞬光の中へ見えなくなったヴァンは、光を取り込むように両手を広げてそれを受け止めた。光はしばらくもがく様にヴァンの周りを飛び回ったが、結局その身体の中へ徐々に消えて行ってしまう。光が消えたそこに、シロの姿は無かった。
一部始終を見ている事しか出来なかったクロは、自分の身体の内にもまた同じようにヴァンの元へ飛んで行ってしまいそうな何かが宿っている事を感じながら、驚愕と困惑、そして大きな怒りを込めた瞳で悠然と立つヴァンを睨みつけた。


「ヴァン……!貴様、一体何をしやがった!」
「ふふ、そうか……お前を取り込むにはローレライの音素が足りなかったか、残念だ」
「ローレライの音素、だと?」


クロは思わず己の身体を見下ろした。ローレライの音素。それは今自分の身体を補ってくれている重要なものだ。クロ自身はシロから聞いた話で、シロはローレライから直接伝えられた話だ。「前」の世界でボロボロになってしまった自分達を、ローレライが自分の音素を使い修復し、この世界に落とし込んだのだと。そしてその割合は、音素乖離を起こしていたシロの方が多いのだと……。


「……まさか、」


頭の中で辿り着いた答えに、クロが思わず立ちつくす。予想もしていなかった。ちょっと足りない音素をローレライから借りているだけだと、そんなどこか軽い認識だった。それなのにどうだ、今シロは光となって消えてしまった。そう、まるで……第七音素の集合体である、ローレライのように。


「そうだ、ローレライは昔ユリアと交わした契約により、大譜歌に呼び寄せられる。まさか知らなかった訳ではあるまい?」
「そんな、馬鹿な……!この世界のローレライは別にいる上、俺たちはローレライの音素を借りているだけだ、ローレライに成り代わっている訳でもないのに、こんな事が起こるというのか!」
「実際にそれが起こっているのだ、認めるしかないだろう。私は「奴」に、こうなる可能性を示唆された、それだけなのでな。……それにしても、これは」


ヴァンはにやりと歪んだ笑みで己の手を見つめる。今ヴァンの身体からは、第七音素が吹き上がって見えるようだった。その音素ひとつひとつが元はシロのものだと思うだけで、クロの心から憤怒の感情がマグマのように沸き上がってくる。そんなクロを挑発するかのように、ヴァンは己の胸に手を上げた。


「っはは、ローレライの力というものは素晴らしいものだ、次から次へと音素の力が沸き上がってくるかのようだ。ああいや、今のこの力はあのルークのものだと思った方が良いのかな?こうして第七音素意識集合体として取り込めたのもレプリカの性質故なのかもしれんな。そう考えると、劣化レプリカ風情でも役に立つ場面があるというものだ」
「てめえ……!」


ギリと、握りしめる剣の柄が軋む。そのまま相手を射殺す勢いで睨みつけながら、クロが一歩踏み出した。


「そいつを今すぐ返せ……!」
「ほう、このレプリカがお前のものだと言わんばかりだな」
「ああそうだ、俺のものだ。頭の先からつま先まで、身体を構成する音素一つ一つ欠ける事無く全て、その魂ごと全部俺のものだ!貴様が触れて良いもんじゃねえんだよ、返せ!」


クロが駆け出し、その身体を斬りつける。しかしそれよりも早く身を引いたヴァンに刃は当たる事無く宙を斬った。追撃しようとしたクロの目の前に横から魔物が立ち塞がり、行く手を阻んできた。先ほどの大譜歌により本調子でないクロは瞬時に反応する事が出来ず、魔物の攻撃を防いで足を止めるしかなかった。その間に、ヴァンが少しだけ足をふらつかせながら逃走を図る。


「くっ……制御が難しいとは聞いていたが、これほどとはな。内の方で暴れおって……完全な制御には時間が掛かるか」
「待てヴァン!」
「すまないが、私は今忙しいのだ、その者達の相手をしていてくれないか。なあに、すぐにまた相手をしてやろう、お前の大事な片割れを服従させ使いこなせるようになったらな」


魔物の後ろからは、レプリカ兵たちが次々と現れる。常ならすぐにでも斬り伏せられる相手だったが、今のクロには厳しかった。それに数も多かった。一息に超振動を使って蹴散らそうかと考えたが、今大きな超振動を使えばそれだけで体力を消耗してしまう、その後にヴァンを斬り伏せる事が難しくなってしまうのだ。しかし少し迷っている間にヴァンは奥へと姿を消し、目の前には無数の魔物とレプリカ兵が立ち塞がっていく。このままでは、本当に逃がしてしまう。


「っ屑が……!」


とにかく逃がしてはならないと、なりふり構わずクロが超振動を放つべく構える。魔物とレプリカ兵は一気にクロへと襲いかかってきた。迎え撃とうとしたクロは、しかし寸での所で手を止めていた。
背後から、恐ろしい勢いで何かが迫ってくるのを感じたからだ。


「新手かっ?!……何?!」


振り返りつつ攻撃を加えようとしたクロは、その気配ですぐに迫りくる者の正体に気付いた。そのまま驚きながらも横に飛ぶ。今さっきまでクロの身体があった空間を、背後から飛んできた何かが猛スピードで飛び去り、魔物たちへと突っ込んでいった。


「うおおおおくらえっ!紅蓮襲撃っ!からのー絞牙鳴衝斬ーっ!」
「うわアッシュすげえ!FOF無しでFOF技繰り出してからのオーバーリミッツ無し秘奥義だ!」
「いくら怒ってるからってめちゃくちゃすぎるでしょあいつ……」
「私たちも、負けてられない、です」
「いや、さすがの私たちでもあそこまでは出来ないぞ……。六神将の名に掛けて、負けはしないがな」


敵陣に突っ込んでいった誰かはそのまま強烈な技で辺りを薙ぎ払った。ばさりと頭上から翼のはためく音が聞こえる。とっさに見上げると、翼を持つ魔物が悠々と飛んでいるのが見えた。敵対する様子は無く、どうやらさっきの誰かをここまで超スピードで運んできた後のようだ。それと同じ魔物が、アブソーブゲートの入口から次々と乗り込んできて、ぶら下がっていた人物達を地面へと降ろしていく。そうして皆が、目の前の魔物たちを倒すべくそのまま駆けていった。形勢逆転だった。クロは横に飛んだ姿勢から身を起こしながら、それを半ば呆然と眺めていた。
どうしてここまで来ただの、ベルケンドからここまで魔物につかまって飛んでくるなど無茶すぎるだの、待っていろと言ったはずだの、言いたい言葉は次々と浮かんでくる。しかしそのどれも発する事無く、クロは自らの頭に手を置いて、大きなため息をついた。


「クロ!よかった、追いついたぞ!」
「てめえこらクロ!追いついてやったぞ!もう絶対逃がしはしねえからな、覚悟しやがれ!」


こちらに駆け寄りながら心からほっとした表情で笑うルークと、地面に倒れるレプリカ兵を踏みつけながら怒り心頭の様子で指を突きつけてくるアッシュと、その他の仲間達。その姿を見た瞬間。
何かを考える前に、心の内でとっさに、安堵していたなど。


「……俺も、焼きが回ったか……」


片手で覆ったその表情が、情けない笑みに歪んでいる事を自覚して、クロはもう一度ため息をついた。





   もうひとつの結末 62

12/08/01