「イオン、おまたせ!大地降下は無事終わったぜ!」
「はい、お疲れ様です。皆さんならきっと出来ると信じていました。しかし……先ほど慌てた様子で辺りを見回していたようでしたが、何かありましたか?」
「あー、うん、それについては他の皆と合流してからゆっくりな……」


少し離れた所でじっとシロとアッシュを見守ってくれていたイオンの元へ戻り、パッセージリングから離れる。後はダンジョンを戻りアルビオールで脱出するだけだ。ラジエイトゲートには脅威となる魔物もほとんどいない事はすでに実証済みなので、焦る必要は無い。脱出なら道のりが長いアブソーブゲートの方が時間が掛かるに違いないので、心持ちゆっくり移動してもいいぐらいだ。
イオンとあれこれ話している間に、入口で適当に魔物を蹴散らしていたナタリアとラルゴの元まであっという間に辿り着いてしまった。


「アッシュ、大地降下を成功させたのですわね!ここからでもしっかりと分かりましたわ、本当にお疲れ様」
「ああ、こっちこそ見張りをありがとうナタリア。後ラルゴもな」
「大地が揺れ出した途端、魔物どももすぐに逃げていってしまったからな、俺たちは何もしておらんよ」
「ふふっしかしこれで一番の問題はクリア出来ましたわね、早くアルビオールで待っているノエルにも教えて差し上げなくては!」


積もる話は全て落ち着いてからにしようと、皆で移動を開始する。道のりも険しくないのですぐに外に出る事が出来るだろう。この後の事を色々頭の中で考えていたシロは、アッシュと並んで歩みを進めていた。その足元が、自分でも意識しないうちにふらりと揺らぐ。


「……あれ?」


シロは自分で自分に驚いていた。ラジエイトゲートに来てからは移動していただけでほとんど力も消耗していない、魔物と戦うのもナタリアとラルゴが全てやってくれた。それなのにどうして、自分の足はふらついているのだろう。気付いた瞬間、足元だけでなく視界までぐにゃりと歪み始めた。とっさに踏みとどまろうとするがそれも出来ない。身体から一気に力が抜けて、シロはその場に膝をついてしまった。とっさに隣のアッシュが腕を掬ってくれなければ、そのまま顔面から倒れ込んでいたかもしれない。


「おい、シロ!」
「な、なんか、俺、おかしい……いきなり、ふらふらしてきて……」
「顔色が真っ青ですよ、シロ……さっきまでそんな様子もなかったはずなのに、どうして」


駆け寄ってきたイオンが心配そうに覗き込んでくる。アッシュが軽く肩を叩けば、ゆっくりとシロは蒼白な顔で振り向いてくる。


「シロ、一体どうしたんだ、体調が悪化したのか?」
「お、俺もよく、わかんない……こんなのはじめてだ、乖離とはまた違うし……」
「っそんな縁起でもない事言うな!」
「ごっごめんって、違うから安心しろってば。……でも本当におかしいぞ、ただ歩いてただけ、なのに……」
「シロ!」


とうとうシロの身体が傾き始めて、慌ててアッシュはその肩を支えた。いきなりの出来事に頭はパニック寸前に陥っている。一体シロはどうしてしまったのか。どうしていきなり倒れてしまったのか。ぐるぐると考えている間に、いつの間にか傍に立っていたラルゴが両手を差し出してくる。


「ひとまずここを出るぞ。こんな場所では休ませる事も出来ないからな」
「あ、ああ……そう、だな」


少しだけ躊躇ったアッシュは、結局ラルゴにシロを任せる事にした。何にせ体格が一般人よりかなり大きいラルゴだ、シロぐらい持ち上げるのは朝飯前だろう。その代わりに、今度はアッシュがナタリアと並んで先頭を進んだ。訳が分からない腹いせに、目の前に飛び出してきた魔物を容赦なく斬り捨てていく。


「てめえら全員退きやがれ!今邪魔したやつは誰であろうと容赦しねえ!」
「!そこ、出口ですわ!」


ナタリアが指差した正面には確かに外の光が溢れる出口があった。しかし、出口に駆け寄りながらアッシュは違和感を覚えていた。何かがおかしいと感じた。そう、今の時間はお昼のはずだ。それなのに、零れ落ちてくるその光が……どことなく薄暗いような、そんな気がしたのだ。
そしてそれは、間違いではなかった。急ぎ足で外に出た一同は、そこで思わず足を止めてしまっていたのだった。
目の前に、信じられない光景が広がっていたのである。


「こ、これは……」
「どうして、どうして空気がこんな色に?!」
「……瘴気」


ぽつりと呟いたシロの言葉に、アッシュも思い出していた。そうだ、これは瘴気だ。外郭大地を下ろす前、大地の下に延々と広がっていたあの瘴気が目の前を覆っていた。アクゼリュスで吹き上がっていたあの不気味な色が、見渡す限りずっとずっと続いている。


「そんな……どうして?大地降下は成功したのではないのですか?」


呆然とナタリアが誰にともなく尋ねる。成功したはずだ。大地は変わらずここにあり続ける。ただ空気だけが、瘴気を孕んだまま漂っているのだ。理由も分からず立ちつくす面々の中で、ラルゴに抱えられたままシロが納得したように頷いている。


「ああそうか、俺の体調がおかしくなったのって瘴気のせいだったのか、なるほどなー。これはもう少し強めの薬を処方してもらわなきゃなあ」
「呑気に分析している場合か!」
「そうそう、ここで分析してる場合じゃないよな。元々クロたちとはベルケンドで待ち合わせしてるんだ、そこに行こう。俺もこのままだとさすがに、苦しい」


力の入らない腕をそれでも持ち上げてシロが指し示したのは、瘴気の向こう側にうっすらと見えるアルビオールの影だった。その足元にはこちらに大きく手を振っている人影も見える。ぼんやりとしか見えなかったが、こちらの身を案じて外まで出てきて待っていてくれたノエルだろう。そうやって提案されて、ようやく一同は動き出し始める事が出来た。アルビオールに近づけば、ノエルが慌てて駆け寄ってくる。


「皆さんご無事ですか?!よかった……大地の震動が終わったと思ったら、空気がこのように色を変えてしまったので、心配していたんです」
「わたくしたちは大丈夫ですわ、シロ以外、ですけれど……」
「シロの治療も、この瘴気の事も、まずはベルケンドに行ってからだ。ノエル、飛べるか?」
「もちろんです!」


元気よく返事をしてくれるノエルに導かれ、全員でアルビオールに乗り込んだ。はやる気持ちを抑え、まずはアブソーブゲート組とベルケンド居残り組と合流しなければ。
窓際に座らせて貰ったシロは、アルビオールが空を駆けている間、じっと外を見つめていた。その瞳が何か途方もない事を考えているような切羽詰まったような、そんな少し薄暗い光をともしている事に、隣のアッシュは薄々気がついていた。



一方のアブソーブゲート組も、ラジエイトゲート組に遅れつつも素早くギンジ操るアルビオールに乗り込み、ベルケンドへと向かっていた。ちなみにとっとと二人だけで降りてしまったクロとルークを必死に追いかけていた仲間達は、結局最下層のパッセージリングに辿り着く前に途中で引き返さなければならなかった。本来ならその事でアルビオール内でも文句が飛び交っていた所だったのだが、今は誰もが重苦しく口を閉ざしている。原因はもちろん、瘴気まみれの外の景色にあった。


「なあ、クロ……俺、俺達、大地降下を失敗したのかな」


頭を項垂れさせたまま、ぽつりとルークが元気のない声で尋ねる。その頭に優しく触れながら、クロは答えた。


「安心しろ、お前達の大地降下は成功したはずだ。この瘴気はおそらく、別なものが原因で出てきたものだろう」
「別なものって?クリフォトにあった瘴気は、大地を降下させる時に地核へ閉じ込められるはずだったんだろ?」
「ああ。これはまだ予測で確証は無いが……おそらくその閉じ込められるはずの瘴気が、パッセージリングの活性化によって漏れ出てきてしまっているんだろう」
「パっセージリングの活性化?」


初めて聞く言葉にルークが首を傾げる。まだパッセージリングが活性化しているかどうか確認さえとれていないが、クロはほぼ確信していた。「前」の時がそうだったのだから、きっと今回もそうなのだろう。しかし、時期が違っていた。明らかに今回は早い。間違いなく、ヴァンが仕組んだものだ。もしかしたらパッセージリングを逆流させる際に、大地降下が終わった後活性化するように仕掛けを施していたのかもしれない。それに気付かずまんまと引っ掛かってしまった己に、クロは軽く憤っていた。しかし表には出さない。


「詳しい事はベルケンドについてから、皆揃った後に話す」
「うん、分かった。でもさあ、これだけ世界に広がっちゃってる瘴気を、どうすればいいんだろうな……」


外を眺めて、ルークが半ば呆然と呟く。その気持ちはとても良く分かった。かつては自分も、そうやって絶望した事があったから。だからこそクロは、ルークの肩に力強く触れた。振り向いてくるルークを安心させるように、薄く微笑んでみせる。


「大丈夫だ、ルーク」
「クロ……」
「まだ具体的にどうするかは答えられないが……俺達で、何とかしてみせる。だからあまり思い悩むな」


その頼もしい言葉とその笑顔は、ルークをいつも勇気づけてくれるものだった。ルークがこの世に生を受けてからずっと、傍で見守ってくれていた温かなものだった。しかし何故だろうか、クロを見たルークの胸には、今まで溢れた事のない感情が込み上がってきた。その感情に名前をつけるとしたら……不安、だろうか。ざわざわと広がってきたこの感情は、ルークを落ち着かなくさせる。初めての事に、ルークは戸惑った。


「なあ、クロ……」
「何だ」
「なんか変な事考えてないよな?」
「どういう意味だ」


ルークの言い草にクロは呆れたような溜息をついただけだった。しかしルークの心中から未だ燻ぶっている不安は消えない。今苛まれている気持ちに、以前もルークは陥った事がある事を思い出した。
思い出すのは、今から向かうベルケンドでの会話。バチカルから追われ、湿原を遠いってシロと一緒に留守番をしていた時だったか。あの時シロの笑顔を見た時、今と同じような気持ちを抱いたのだ。瘴気に侵された己の身体を隠す、シロの笑顔を見て。


「……何でもない」


ルークはクロから視線を逸らした。今、何を聞いても、きっとクロはまともに答えてくれない。それを分かっていたからだ。しかしルークの瞳には、強い光が宿っていた。
過ちをもう、繰り返すつもりは、ない。


「……あっ?ああっ?!あっあれはっ?!」


その時、重い空気が漂っていたアルビオール内に、素っ頓狂な声が響き渡った。前で操縦していたギンジの声であった。素早く立ち上がったクロが、ギンジの元へ向かう。


「おい、一体どうした」
「あっあのあれ!目の前に見えるあれですよ!一体あれは、何なんでしょうか?!」
「あれ、だと?」


わたわたと前を指差すギンジに釣られるように、皆立ち上がったり窓に目を向けたりして、前方見つめた。そして揃って、同じような驚愕の表情を浮かべる事となる。


「えっ?!」
「はわわっ?!」
「な、何だあれは……!」
「宙に、浮いてる……」


口々に驚きの声を上げる中、クロだけがそれの正体を知っていた。真っ青な海の真っただ中、瘴気の向こうで宙に浮かびあがる、巨大な白い大地の正体を。


「……レプリカ、ホド……!」





   もうひとつの結末 58

12/04/21