乾いた風が幾重も吹き荒ぶ大地、メジオラ高原。普段は風の音と魔物の声しか響かない静かなこの高原で今、とてつもない熱気がぶつかり合っていた。
一人は、鎌を持った大男。一人は、弓を構えた可憐な女。二人は見た目から何からまったく正反対であったが、その真っ直ぐな眼差しだけは何故か不思議と似ていた。まるで運命に導かれたかのように戦い続ける二人の力に憎しみや怒りが籠る事は無く、ただ心のままに武器をふるっていた。見る者が見ればそれはどこか、楽しんでいるようにさえ見えるだろう。事実二人は笑っていた。戦いの最中込み上げてきたその感情のままに、心から笑っていた。
「お姫様にしてはなかなかやるじゃないか、随分とおてんばに育ったものだな!」
「あなたもなかなかやるようですわね!ですが、わたくしを見くびってもらっては困りますわ!王家や生まれなど関係ないわたくし自身の力を思い知りなさい!」
「ふっ、それではお前自身の力、見せて貰おうか!」
メジオラ高原のパッセージリングに続く道、その途中に立ちはだかったのがラルゴだった。身構える一行の中から一番最初に飛び出したのが、この中で一番健康なのは自分だからと率先して戦ってくれていたナタリアで。それからこの熱い戦いが長々と続いている。どちらも鬼のような体力である。最早その戦いを眺める事しか出来ないシロが顔をひきつらせながら汗を流す。
「ラルゴはともかくナタリアは本当の親の正体をまだ知らないはずなのに、何であんなに意気投合した様子で戦ってるんだ……?!あれか?本当の血の繋がりって理屈抜きで感じとれるものだとか?同位体と同じようなもの?」
「おい、何をブツブツ言っているんだ」
「ああいや、ごめん……親子って素晴らしいなあと思って」
「は?」
事情を知らないアッシュは呆れた顔で首を傾げるしかない。その背後では、この隙にとイオンがダアト式封咒を解いてくれている所だった。入口に浮かんでいた不思議な紋章が砕け散り、ダアト式封咒が解かれると同時にふらっと身体が傾ぐイオン。その身体を、すかさずアッシュが支える。
「おい、大丈夫か」
「すっすみません、少しふらついただけです。これでダアト式封咒は解かれましたよ」
「ありがとうイオン、ここで最後だから、もう苦しまなくても済むからな」
笑顔で労いの言葉を掛けてきたシロに、しかしイオンは悲痛な表情になった。アッシュに礼を言って自分の足で立ったイオンは、シロへと向き直る。
「シロ、あなたの身体も僕以上に限界に近いはず……本当にパッセージリングを動かすのですか?」
「今更何言ってるんだよイオン、そのためにここまで来たんじゃないか。……心配してくれて、ありがとな。俺は大丈夫だよ」
シロとしては元気づけるために精一杯笑って見せたのだが、それを見たイオンとアッシュは余計に辛気臭い表情になってしまった。そんな顔をさせたい訳ではない、シロは慌てた。
「本当に大丈夫だって!別に無理して嫌々やってる訳じゃなくて、自分で望んでやっている事なんだからさ!確かに身体はちょっときつい時もあるけど、さっきベルケンドできちんと薬も貰ったし、お前らが思ってるほど俺弱ってないんだぜ!」
「シロ……悪いが、事情を知ってしまったらお前の言葉全部が空元気みたいなものに聞こえるんだが」
「マジで?!何で?!」
クロがあれだけガミガミ言うのも分かるな、と頭を押さえながらアッシュがため息を吐く。まったく分かってないシロは元気なんだけどなーと首を傾げる事しか出来ない。しかしこんな所で押し問答をしている時間などない、気を取り直したシロが封印の解かれたパッセージリングへの入口へと足を進めた。
「とにかく今は早くパッセージリングに行かなきゃな!俺の事は良いから早く行こう」
「ですが、あちらはどうしますか?」
戸惑うようにイオンが背後を振り返る。そこではナタリアとラルゴの戦いが続いていた。これでおしまいか!何のまだまだ!と繰り広げられる汗迸る戦いは、まだ終わりそうにない。少しだけ言葉に詰まったシロは、すぐに一つ頷いた。
「放っておこう!」
「いいのかよ?!」
「きっと大丈夫だって。俺の世界のラルゴとあのラルゴは何故か雰囲気違うし、あの調子だと夕陽をバックに「なかなかやるな」「あなたこそ」みたいな感じでがっちり握手して和解、ってパターンで戦いが終わりそうだし」
「そんな呑気な……」
シロの言い草にがくりと肩を落とすアッシュだったが、何故か否定出来なかった。あの様子を見ていると、本当にそうやって終わりそうだと思えてしまう。そもそも今のナタリアが簡単に負けるとはどうしても思えない、本当に何故か。
しばらく無言で考え込んだアッシュは、結局歩き出したシロの後に続いた。
「……行くか」
「ほ、本当にいいんですか?」
「イオン、心配はいらない。俺はナタリアを信じているからな……」
「アッシュ、かっこよく言ってるつもりだろうが全然そんな事ないからなそれ」
結局三人で潜ったパッセージリングへの遺跡。この後、ヴァンが二人に増えたりした事により忠誠心が揺らいでいたラルゴがたくましく美しく育った娘との闘いによってもう一度この世界を信じてみようと決意を新たに硬く握手を交わした、先ほどシロが言った通りの展開が繰り広げられるのだが、残念ながら三人が見る事はなかった。
立ちはだかったボス敵を身体が弱っている事などお構いなしに軽くブチ倒し、そこにいた機械人形からエネルギーを拝借し動かない昇降機をシロのたどたどしい記憶頼りにあーでもないこーでもないと四苦八苦しながら修復して、何とかパッセージリングの元へ辿り着く事が出来た。シロは心の底からほっと息を吐き出す。
「あーよかった、昇降機が動いて……さっきの魔物よりこっちの方がよっぽどボスだったぞ」
「ご苦労様ですシロ、あなたの記憶のお陰ですね」
「かなり曖昧な記憶のお陰でてこずったがな」
「仕方ないだろー前の時はガイがやってくれたんだから。それにご苦労様にはまだ早いな、俺がやるべき事は、まだ残ってる」
相変わらずの幻想的な光景の中、シロはパッセージリングの前に立った。そうして譜石の前に立って、アッシュを振り返った。
「それじゃアッシュ、パッセージリングの操作は頼むぞ」
「……ああ、書き込む内容は眼鏡に確認してきているからな」
一瞬だけ躊躇ったアッシュは、しぶしぶ頷いた。もう引き返せない事は分かっている、しかしそれでも、シロがこれ以上苦しまない方法があれば今すぐにでもそちらに飛び付きたいという思いが消える事は無かった。
そんなアッシュの様子に笑ったシロは、譜石に手を翳した。漂っていた音素が動き、パッセージリングが起動すると同時にシロの身体が傾ぐ。しかしそれを、シロは足を踏ん張って自力で耐えきってみせた。傍にいたイオンが温かい手で支えてくれる。
「っくしょー、そう何度も倒れてたまるかよ……!」
「シロ、大丈夫ですか?すみません、僕も何か手伝えたらいいのに……」
「何言ってるんだよ、イオンはすでにここまでの道を開けてくれてるだろ、十分手伝って貰ってるよ」
眉を寄せるイオンの顔に、シロの記憶の中に刻み込まれた第七音素の光が被る。この優しい顔が、光とともに宙に溶けて消えてしまう記憶だ。ばれないようにシロは拳を握りしめた。イオンにこれ以上絶対に無理はさせないと改めて誓う。
そうこうしている内に、超振動でパッセージリングの命令を書き換えていたアッシュが手を下ろして歩み寄ってきた。
「おい、終わったぞ」
「おおっアッシュ早い!さすが!って何であんなに綺麗に書けるんだ?!俺のはもうちょっとあの辺とか歪んでた気がするぞ……」
「一緒にするんじゃねえ!お前もルークもいつまで経っても字は下手くそだからな……」
「クロが教えてるルークでさえあの字だもんな……俺どんだけ字が汚いんだろ……」
地味にしょげるシロの肩を慰めるように叩いた後、アッシュは宙を睨んだ。実際に何かを睨んだ訳ではなく、遠い空の向こう、雪山で頑張っているであろうもう一チームの事を考えていたのだった。
「こっちは成功したが、ルーク達は大丈夫だろうか」
「そうだな、あっちの方が道が険しいし心配だな……アッシュ、ちょっと回線繋いでみてくれよ」
「ああ。……言っておくが、今回はお前は繋がねえぞ」
「わ、分かってるよ」
さすがのシロも今の自分の体調を十分分かっているので、反論はしない。シロとイオンが見守る中、アッシュはゆっくりとシロ以外の同位体の気配を手繰り寄せる。本当の所を言えば、正真正銘自分の同位体であるルークの方が繋ぎやすいのだが無暗に痛がらせたくは無いので、仕方なくクロへ繋ぐ。
相手にチャネリングが繋がったのを感じたアッシュは、さっそく口を開いて、
「おい、聞こえ」
『今取り込み中だ』
「っておい!待て!」
問答無用でクロに回線を切られそうになって慌てた。クロほどのものが回線を繋いだまま戦闘をこなすぐらい造作もない事は分かっているので、取り込み中で回線繋げない事なんて滅多に無い事などお見通しだった。つまりこれは嫌がらせか、本当にのっぴきならない状況かのどちらかだ。前者だとムカつくだけだが後者だった場合はとんでもない事態だ、どちらにしても今の向こうの状況が知りたい。
「こっちは今パッセージリングを起動し終わった所だが、そっちはどうなんだ?!」
『ああ、問題ない。今ちょうどこちらも起動させる所だ』
「本当だろうな……?」
疑ったアッシュはこっそり視覚と聴覚も繋いでみる。クロなら本気で拒絶すればアッシュの回線も閉じる事が出来ただろうが、今はそれどころじゃなかったらしい。その理由は、向こう側の景色を見てすぐに分かった。
ロニール雪山の奥に眠っていたパッセージリング。それを起動させるための譜石の前に立っていたのは、クロだったのだ。
「クロ、どうして!このパッセージリングは私が起動させると言ったはずよ!」
「そっそれよりどうして?どうしてティアとシロにしか起動させる事が出来ないパッセージリングが、クロでも起動出来ちゃったんだよ!」
ティアとルークの戸惑う声が聞こえる。パッセージリングはすでに起動していた。それを確かめてから、クロは己の手を見た。
「……やはりか」
『おい、どういう事なんだ!』
「うるせえ、勝手に人に回線を繋ぎやがって……どうやら少なからず、俺にもローレライの音素が混じっているようだな」
『ローレライの音素だと?』
「さあ、こっちは今からパッセージリングの操作だ。てめえらもさっさとそこを移動しろ、アレが来るぞ」
『はあ?訳が分からんぞ、こら待て』
問い詰めようとしたアッシュだったが、回線は今度こそ音を立てて閉じられてしまった。強制的に閉じられたせいで軽いめまいがしたアッシュは頭に手を当てた。どうやら会話が終わったらしい事に気付いたシロがその頭を優しく撫でる。
「大丈夫かアッシュ?クロに強制的に回線を切られでもしたか?」
「ああ、いつまでもいけ好かない野郎だ……って撫でるなー!」
一瞬のうちに顔を赤く染めた器用なアッシュに、微笑ましそうにそれを眺めていたイオンが尋ねる。
「アッシュ、向こうの様子はどうでしたか?」
「ちょうどパッセージリングを起動した所だった、クロの手によってな」
「……は?クロが?」
呆けるシロの様子を見るに、今回の事はクロの独断で行われた事だったようだ。首を傾げているので、どうしてクロにパッセージリングが反応したのか、シロにも分からないようだ。アッシュは回線が切れる前、クロが一人で呟いていた言葉を思い出す。
「あいつは自分にもローレライの音素が混じっているようだとか何とかほざいていたが」
「ローレライの音素が、クロにも?」
「それと、もうすぐアレが来るからさっさとここから出ろとも言っていた。ちっ訳分からん事ばかり言いやがって屑が」
「ああ、それなら……」
何かを言いかけたシロだったが、言葉は途切れてしまう。激しい音とともに、地面が揺れ出したからだった。よろけるイオンを支えてやりながら、やっぱりとシロが頭上を見上げた。
「仕掛けてると思った!アッシュ、イオン、急いでここから出るぞ」
「なっ何なんだこれは!いい加減説明しろ!」
「ヴァン師匠の仕掛けだよ、プラネットストームが今逆流してるんだ。このままだと外郭大地が崩落しちまうから、残りのアブソーブゲートとラジエイトゲートを起動してさっさと降ろしてやらないとな!」
「そっそれを先に言っとけ!」
説明を聞いたアッシュが先頭を走り、イオンが後に続いた。最後尾を守りながら、シロは少しだけ物思いに耽る。考えているのは、さっきアッシュが言った言葉であった。
「クロに、ローレライの音素が……?それじゃあクロも、俺と同じなのか?ローレライの音素が無いと……存在出来ない身体、なのか?」
胸の上で、ぎゅっと拳を握る。心を刺したのは、確かに悲しみであった。絶望であった。しかしその奥に、別な感情も芽生えている。それを自覚したシロは、一人笑った。自分を嘲っているのか、真実に悲しんでいるのか、己でも分からない笑みだった。
「ははっ俺ってサイテーだな……何で今俺、嬉しいだなんて、思ったんだよ」
掛け替えのない愛しい人と、今自分は同じ存在なのだと。同じように脆く儚い存在なのだという事実が、何故こんなにも嬉しいのか。
「クロと同じなんだ、俺……」
二人に追いつく前に、もう一度だけシロは笑った。心から、幸せそうな笑顔だった。
もうひとつの結末 55
11 /09/04
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