心で理解しても、シロはしばらく信じられないような目でソーサラーリングを見つめていた。このソーサラーリングが、あの世界から来たものだなんて。簡単に信じられる話では、無かったのだ。
黙ってしまったシロに、おそるおそるルークが尋ねかけてきた。
「どうだ?それ、やっぱりシロに届けられたものかな」
「……そう、なのかもしれない。でも、そんな事ってあるのかな。いわゆる未来からこんな風に物が届くなんて、普通有り得ないだろ?」
「えーそうか?」
戸惑うシロに、しかしけろっと返すルーク。その隣のアッシュもそんなに不思議そうな顔をしていない。見上げればクロでさえうろたえる様子はまったくなかった。どうやらこのソーサラーリングが未来から来たという事実に驚いているのは自分だけだと気付いて、リングごとミュウを振り回しながらシロが憤る。
「何で皆驚いてないんだよ!普通はびっくりするだろ!」
「シロ……自分が一体どこから来たのかゆっくり考えてみろ」
「へっ?」
アッシュに言われて、ひとまず落ち着いたシロが自らの胸に手を当て考えてみて、そして納得した。このソーサラーリングよりもっと早く、未来からやってきている人物がいるではないか。しかも、この場に二人も。
「シロとクロ、それに髭の野郎まで未来から来ている状態で今更驚けと言われてもな」
「こんな小さなリングひとつぐらい、簡単に未来から送られてきそうだよなー」
「ああどうしようクロ、俺たちのせいでタイムスリップが当たり前みたいな認識になってる!」
「俺たちのせいじゃねえ全てはローレライのせいだ。アホな事言ってないで本題に入るぞ屑が!それで、このソーサラーリングが何の役に立つんだ」
逸れ出した話題をクロが無理矢理修正する。ひょいと摘まれたミュウを突きつけられて、やれやれと肩をすくめながらジェイドがソーサラーリングを指差した。
「そのソーサラーリングは、どうやら変わった細工がしてあるようです」
「変わった細工?この刻まれている譜の事か?それなら高濃度の音素に……」
「いえ、フォンスロットで刻まれる譜に、アレンジが加えてあるんですよ。人の手によって、ね」
「人の手?!」
ジェイドの言葉に一同が驚いた。ソーサラーリングは見た通り、創世歴時代に作られたものだ。そんな構造がどうなっているかもわからない代物を、今の時代アレンジが加えられるような人物がいるのだろうか。最早されるがままにクロの手にぶら下がったままのミュウを見つめながら、シロが首を捻る。
「と言う事は、あっちの世界で手が加えられたって事か?そんな事出来る奴いるかなあ」
「それこそジェイドみたいな奴しか出来なさそうだよなー」
「まあ、それならジェイドがアレンジしたのではありませんか?」
何気なく言ったルークの一言に、ぽんとナタリアが手を合わせた。とっさに皆で振り返る。
「「えっ?」」
「シロとクロが来たという未来の世界にも、もちろんジェイドがいるのでしょう?それなら辻褄が合いますわ」
「いや、いるにはいるけど……」
「……いくら私でも一人でこのリングに手を加えるなんて事出来ませんよ。まあ、それなりの施設と協力者がいれば出来ない事もないかもしれませんが」
さすがのジェイドも戸惑ったように眼鏡を押し上げる。その時、ぶら下がったままであったミュウがじたばたもがき、ひょいとクロの手から逃げ出した。そのままシロの膝の上に着地すると、まんまるお目目で見上げてくる。
ティアはメロメロになっているが、どうしてもウザいと思う気持ちが抜けてくれない。むずむずする手をひっそりと抑え込みながら、シロがミュウに尋ねかけた。
「ん、どうした?」
「思い出したですの!夢の中のボクがこのリングを渡してくる時、言っていた言葉ですの!」
「夢の中のミュウが?」
つまりは、あちらの世界の、シロが直接触れ合ってきたミュウという事になるのだろうか。ふんづけて振り回して、撫でてじゃれ合って笑い合ったあの小さな生き物の事を目の前のチーグルと重ねながら、シロは次の言葉を待つ。
ミュウは、思い出せた事が嬉しいのかにこにこ笑いながら言った。
「このリングは、「ご主人様」の事が大好きな人たちで一生懸命頑張って作ったらしいですの!だからボクも必ず届けるって約束したんですの!約束が守れて良かったですのー」
一人満足感に浸るミュウを見つめながら、しかしシロは何も言葉にする事が出来なかった。その両手で、小さな身体に嵌るリングをそっとなぞる。このリングには一体、どんな想いが込められているのだろう。どれほどの想いが込められているのだろう。未来を捨て過去へと戻ってきた身では、分かりようもないけれど。
以前ローレライは言った。「元」の世界の事を尋ねた時に、信じていると。あの世界は滅びの預言から解放されて、しっかりと歩んでいくだろうと。それをシロは微塵も疑わなかった。ローレライが言った通り、自分も信じているからだ。残してきた仲間たちと、輝かしい世界の未来を。
そしてそれは、仲間たちも同じなのだろうか。戻らない自分達の事を、それでも信じてくれているのだろうか。お互いに果たされないだろうと予感しながらも交わした約束を、信じていてくれる証拠の欠片がこのリングなのだとしたら。
俯いてしまったシロを、ミュウが心配そうに見上げる。その頭に軽く触れてやりながら、クロはジェイドに向き直った。
「……それで、手が加えられた結果このリングはどうなったんだ」
「そのソーサラーリングは、どうやら第七音素に特化した作りになっているようです。本来なら他の音素の譜が刻まれていた所を、わざわざ書き直されているようですね」
「それじゃあ、このリングを使えば素養が無い者でも第七音素を扱えるとか、そういった事が出来るのかい?」
ガイの質問に、しかしジェイドは首を横に振ってみせる。実際に誰でも第七音素が使えるようになっていればとても便利だったのだろうが。むしろ逆ですねとジェイドが言う。
「これは第七音素を扱える者ではないと使えません。いや、例え第七音素を扱えたとしても、普通の人間にはこのリングを使う事は無理でしょうね」
「どういう意味だ」
「このリングは装着者へ第七音素を取り込み留まらせるように出来ています。……それこそ、身体が第七音素で構成されたレプリカでしか効果を発揮しないでしょう」
「え……?」
レプリカという言葉にシロが顔を上げ、ルークが反応した。二人の顔を見渡して、ジェイドが安心させるように笑う。それはこの男にとっては珍しい、嫌みの見えない柔らかな笑顔だった。
「つまり、このリングを装着する事でレプリカの乖離現象を抑える事が出来るんですよ。いやはや、このリングに手を加えた者たちの目的とやらが見えてきますよねえ」
「乖離を、抑える……そうか、そうなのか……」
リングごとぎゅっと握りしめられたミュウがじたばたと嬉しそうに戸惑う。その手は微かに震えていた。もうずっと昔の事のように思えるこことは同じようで違う懐かしい世界が、頭の中で鮮やかに蘇る。全てを救う事は出来なくて、沢山のものを壊してしまったけれど、それでも愛おしい世界。その温度がリングを伝ってシロの手に届いているかのような錯覚を受けた。錯覚でなければいいな、とシロは思った。
乖離を抑えると聞いて、アッシュが勢い込んでジェイドに尋ねる。
「それじゃあ、その機能を利用して大爆発も防ぐ事が出来るというのか!」
「それは今から下僕……おっと、奴隷もとい助手のスピノザとついでに鼻垂れを使って詳しく検証に入る所ですよ」
「今完全に下僕って言っただろ」
「しかも奴隷の方が何気にひどいし」
「おそらくこのリングを使えば何かしら大爆発に有効なものが見つかるはずです。ですからもう少し時間を下さいね」
大爆発が完了するまでにはまだ時間がある。任せたと手を上げるシロの隣から、クロが静かに口を開いた。
「……ローレライ」
「クロ?」
「そのリングを使って、ローレライの音素を取り込む事は出来るか」
クロの目には何か希望のようなものが輝いていた。心当たりがあるらしい。少々驚きながらも、ジェイドは考え込んでみせた。
「そうですね……出来ると思いますよ、いくら意識集合体という未知の存在でも、結局第七音素そのものですからね。ただ私はローレライに実際に会った事が無いので確かではないですが」
「クロ、どうしてローレライなんだ?」
見上げてくるシロの頭を、クロが軽く小突く。いたいと不満げに呟く顔に、指を突きつけてやった。
「お前だよ」
「は?俺?」
「お前の身体には今ローレライの音素が使われていると以前言っていたな。今の所、どうやら俺とお前の間には大爆発は起こっていないようだ。その理由をずっと考えていたんだが、ローレライの音素が俺たちの間に混じる事で防がれているんじゃないかと思ったんだ」
クロの推測を、シロはぽかんとしながら聞いていた。なるほど、確かに今、ルークとアッシュとは違いシロとクロの間では大爆発の兆しはない。完全同位体であるオリジナルとレプリカの間に、さらに完全同位体である別の音素が混じった事で大爆発が回避されていると考えても、おかしくは無いのかもしれない。
頭の中でそういう結論に結びついて、シロもおおっと声を上げた。
「そうか!そうだよな!ローレライのお陰で大爆発が回避されてるのかも!つまり今の俺の状態に、ルークもなればいいんだな!」
「えっ俺が?!」
名前を持ち出されてルークが驚きの声を上げる。リングがレプリカにしか使えないという話をすぐに思い出して、しかしすぐに乗り気になれるような話では無かった。シロやクロは会った事があるかもしれないが、ルークだってローレライに実際に会った事は無いのだ。その音素を取り込めと言われても、すぐに返事が出来るはずもない。
「つーか、そもそも音素を身体に取り込むってどうやってするんだよ!俺そのリングの使い方なんて知らないぞ!」
「あー……それはそうか」
「ローレライをリングを使って取り込む……それはつまり、ローレライと契約をするという事になるのかしら」
ゆっくりと思い出すようにティアが言った。ローレライと契約と言えば……そう、ユリアである。
「ユリアはローレライと契約をして、ローレライの力を自在に操ったと言うわ。それをルークも行えばいいんじゃないかしら」
「ローレライの鍵か。この改造ソーサラーリングを媒体に、新たにローレライと契約をして音素を得る……出来ない事はなさそうだ」
クロも納得するように頷く。その場にいた全員が、顔を見合わせた。希望が見えてきたような気がした。大爆発を回避できるかもしれないという思いで全員の心が一致する。それは喜ばしい事であった。暗雲立ちこめていた未来への道の先から、一筋の光が差し込んできたような心地だった。
何にせよローレライと契約する事になればまず地核から引っ張り出してやらなければならないだろう。まずはこの大地を安全に降下させなければと盛り上がり始めた周囲を見回しながら、アッシュがぽつりと呟く。
「どうでもいいが……確かローレライの契約にはユリアの大譜歌も使われていなかったか?」
「「えっ?」」
その言葉に全員が、特にルークが固まる。しばらくの沈黙の後、ティアがゆっくりとルークに近づいて、その肩に触れた。
「大丈夫よルーク、あなたも第七音素の素質はあるんだから、出来ない事は無いと思うの。私がちゃんと教えてあげるから……」
「いっ嫌だーっ!歌なんて歌いたくねえーっ!」
ルークが頭を抱えたのは、仕方のない事だった。
もうひとつの結末 52
10/12/03
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