空からアルビオールが帰還したのを見て、シェリダンの町は歓喜の渦に包まれた。即ち、地核の振動を停止させる事に成功したという事だからだ。アルビオール内から町の様子を見下ろしたルークが、驚きと喜びの声を上げる。
「見ろよ、皆無事っぽいぞ!よかった、ちゃんと皆がオラクル騎士達を倒してくれたんだな」
「本当か?イエモンさんたちも皆?」
「もちろん、ほらあそこで元気よく手振ってる!」
座席の上から立つ事をクロに許されないシロに、ルークが外の状況を教えてやる。町は確かに傷ついた様子であったが、人々の表情はいつもの明るい笑顔に満ちているのが遠い空の上からでも良くわかった。それを聞いて、シロが大きな大きなため息を吐く。
「そうか、よかった……」
その声に若干湿っぽさが混じっているのに気付いたクロが、俯く頭に軽く触れてやる。色んな感情が綯い交ぜになって声を上げられないまま、答えるようにシロが一つ頷いた。それを見届けてから、クロは運転席のギンジとノエルに声をかける。
「一旦降りてくれ。悪いが眼鏡とその他を乗せて、すぐにベルケンドへ向かう」
「了解です!」
「分かりました!」
「ベルケンドへ?そんなに急いで一体何しに行くんだ」
アッシュが怪訝そうに眉を寄せた。帰ってきたばかりだというのに、あまりにも慌ただしすぎる。確かにそんなにのんびりしてはいられない状況が続いているが、そこまで切羽詰まったものではないはずだ。クロはアッシュに少しだけ視線を向けて、すぐに逸らしてしまった。
その表情は変わらなかったが、今何かを言おうとして一瞬ためらった事が、アッシュにも分かった。
「まず第一に、こいつの体調を医者に診てもらう」
「えっそんな事しなくても俺は……いや、何でもないですすみません」
こつんと頭を叩かれて、とっさに断ろうとしたシロはすぐにそれを打ち切って謝った。ここで文句を言えば、まず間違いなく説教タイムが始まる。地核に向かうタルタロス内などでこってりと絞られた経験がそう語っているのだった。
大人しくなったシロを見届けて、アッシュはクロへと視線を戻した。
「理由はそれだけじゃねえのか」
「ああ……まあな。もう一つ、重要な事がある」
クロは相変わらず視線を合わせようとしない。このもう一つの理由とやらが、さっきためらった事と関係あるのだろう。しばらく押し黙った後、結局クロは、息を小さく吐いてごまかすように言った。
「着いたら、話す。これはお前と、ルークに関係のある話だ」
「俺と、ルークに?」
窓から緑っこ達と共に地上へ手を振り返したりしているルークを見る。ルークとアッシュ、二人に関係する事。アッシュは無意識のうちに、自分の胸へと手を当てていた。頭に浮かびあがるのは、ここ最近自分の体に現れている不調。
以前、クロは言った。この身体の違和感の原因を、時期に話すと。ついにその時期とやらが訪れたという事か。少なくとも良い予感はしない。アッシュは心の底で覚悟を決めた。どんな事実が突きつけられようとも、それを受け入れる覚悟を。本当はそんな大層な覚悟なんてこの一瞬のうちに出来る訳がないのだが、それでも少しでも受け入れられるよう努力しようと。
だって、今から語られるであろう話は、目の前の「自分」が受け入れ、生きてきた事実なのだから。
「ええっそんなあ!シロの身体が瘴気に犯されてるなんてっ!」
「最近体調が悪かったのは、そのせいだったのか……!」
ベルケンドの音機関研究所内、シロの検査が行われた後医師のシュウから聞かされた事実に、一同は驚きに声を上げた。その中でも特に衝撃を受けていたのはやはりティアであった。
「やっぱり、あのパッセージリングの起動が原因だったのね……私とシロにしか反応しなかったのは、まさか」
「本来ならあなたのユリアの血に反応していた、と考えるのが自然ですね。シロの場合はまあ、私たちの想像の上を行く人ですから、どうにかしたんでしょう」
「私の、私の代わりにずっと起動し続けてくれていたのね……」
ティアが自らの胸に手を当て、目を瞑る。皆はそれぞれ押し黙り、視線だけを奥へと続く扉へ向けた。向こう側では、ルークとアッシュに重要な何かを伝えているはずである。
「これだけでも衝撃的な話でしたのに、一体何を話しているというのでしょう」
「衝撃的……そうですね、あの二人にとっては、天地がひっくり返るほどの衝撃を受けるでしょうね」
話されている内容を全て知っているジェイドが意味ありげに眼鏡を押し上げる。皆の視線が集まる中、ジェイドが静かに話し始めた内容と同じものをちょうど、扉の向こうでルークとアッシュが聞き終わった所であった。
横たわるのだけは断固拒否したシロがベッドに腰かけたまま、何も言えずに立ちつくすルークとアッシュをじっと見つめる。話し終えたクロは少しだけ肩の力を抜いて、静かに呼吸を整えた。
「……これが、完全同位体にだけ起こる大爆発という現象だ」
「大爆発、だと……?」
アッシュの口から零れ落ちた言葉は、その身体と同じように震えていた。
「何だ、それは……そんな話、今まで聞いた事もないっ!何かの冗談だろう!」
「ならばお前の身体に今起きている異変は何だ?」
「っ!」
クロの言葉にアッシュが言葉を詰まらせる。信じられなかった。信じられる話では無かった。しかしその話を何よりも肯定しているのが、自分の身体だった。先ほどクロが説明した通りの身体の乖離が今、アッシュの身に起こっているのだ。
うろたえるアッシュに、静かな声がかけられた。今までずっと黙って話を聞いていたルークだった。
「アッシュ、本当なのか?本当にアッシュの身体は、少し前から乖離を起こしていたのか?」
「ルーク……」
「アッシュの……オリジナルの乖離した音素をレプリカが取り込む。音素を全部取り込んだ後は、レプリカの身体にオリジナルが入って、レプリカは記憶だけを残して消える。……これが、大爆発、なのか?」
「そうだよ」
ルークの独り言のような言葉にシロが頷く。全く同じ色の瞳を、ルークは見つめた。
「じゃあ、俺は……俺はいつか、消えるのか?もう大爆発が始まっているってことは、そう遠くないうちに……」
「そんな事、そんな事させねえ!させてたまるか!」
呆然と立ち尽くすルークの肩を、アッシュは力強く掴んだ。ハッと我に返ったようにアッシュへと焦点を合わせるルークの瞳を、正面から強く睨みつける。
「お前が死んで、俺の中に記憶だけが残る?そんな事、俺が認めねえし、許さねえ!」
「アッシュ、でも……」
「うるせえ、大爆発なんて意味不明な現象で死んでたまるか!俺の身体が乖離する事で進行するのなら、乖離を止めればいい!」
「そんなの、どうするんだよお」
「気合で何とかする!」
「いやそれはどう考えても無理だって……」
頭に血が上っているらしいアッシュの勢いに弱々しく返すルークは、しかしその瞳に幾分か生気の光を宿らせていた。目の前が真っ暗になりそうな事実に足が竦んでも、引っ張り上げてくれる存在が目の前にいるからだ。
見つめ合うアッシュとルークの二人を、クロが黙ったまま見つめる。黙っているのは何も言わないのではなく、何も言えなかったからだった。一体この二人に何と声をかければいいのか分からなかったからだった。「前」の、自分の時は。あの時は大爆発の事を、はっきりと完全な形で知る事が、最後まで出来なかったのだから。中途半端に勘違いしたまま、「終わる」事しか出来なかった。だからこそ今全てを知り、互いに向き合うオリジナルとレプリカの二人に自分から掛けられる言葉なんて無いのだと、クロは思った。思いながら、胸の底から沸き上がってきた衝動を抑え込むように、誰にも分からないようにぎゅっと拳を握りしめた。
何も言わないクロの代わりに二人に声をかけたのは、シロだった。
「そう!アッシュそれだ!その意気だ!やっぱ気持ちの問題なんだよ!病は気からって言うしな!」
「これでいいのか?!」
「ていうかこれ病の類じゃねーし!」
二人から総突っ込みを受けるシロだったが、その表情は明るい。アッシュとルークと対照的なその顔色に、二人はとても戸惑っていた。
「な、何でシロはそんなに明るい顔してんだよ、俺達すっごいショック受けてるんだけど」
「当たり前だろ。だって俺、諦めてないからな」
なっと微笑みながら見上げた先では、クロがゆっくりと頷く。
「最初から大爆発の事を知っていて、俺達が何もしていないと思ったのか」
「と言ってもほとんど人任せなんだけどさ……悪いな、ジェイド」
「いえいえ。頼まれたからには何とかしてみせますよ、死霊使いの名にかけてね」
「いや、普通にフォミクリー生みの親として頑張って欲しいんだけど」
どこから聞いていたのか、ふいに扉が開いて呼ばれたジェイドが入室してきた。その後ろには不安げな表情で他の皆が控えている。ジェイドによる大爆発の説明が終わったのだろう、色々問い詰めたい思いを堪えた様子でこちらを窺っていた。
さすがに笑顔を引っ込めて、シロがジェイドに尋ねる。
「それで、スピノザやディストと一緒に頼んでいた大爆発の事、何か進展はあったか?」
「それが偉そうな事を言えないぐらい難航していた所だったのですが、あなた達が地核へ行っている間に思いもよらないものが手に入りましてね」
「思いもよらないもの?」
「みゅーっご主人様ーっやっと会えたですのー!」
ジェイドの脇をすり抜けてひょいとルークに飛びかかっていく小さな水色の物体。反射的にふんづけたくなる衝動を赤毛四人は必死に抑えた。お腹に張り付いてぐりぐり頭を押し付けてくるその生き物の首根っこをつかんで、ベリッと引き剥がしたルークがあっと声を上げる。
「お前ブタザル!そうだお前の存在すっかり忘れてた!ジェイドに預けてたんだったな!」
「そうですの置いて行くなんてひどいですのご主人様ー!ボクずっとずっと待ってたですのー!」
「うわー懐かしいこのウザさ」
思わずシロが遠い目になる。そんなシロを見つけて、ミュウが驚きに目を丸くした。
「ご主人様!ご主人様が二人いるですの!」
「あれは俺のようで俺じゃなくってシロで……って、そうだ!ソーサラーリング!」
「そうだったな、ソーサラーリングを渡すためにこいつはここに来たんだったな」
ルークからミュウを受け取ったアッシュが、そのままシロに手渡す。いきなりミュウを手渡されたシロは訳が分からずに首をかしげた。
「え?何で俺?」
「そいつ、どうやらそのソーサラーリングをシロに届けるためにここに来たらしいぞ」
「そうですの!きっと夢の中のボクが言っていた「ご主人様」はあなたの事だったですの!そんな気がするですの!」
「夢の中の、お前が?俺に?」
頭の上に疑問符を浮かべながらもミュウの身体に嵌められているソーサラーリングを見つめる。途端にシロは、不可思議な気持ちに陥った。ソーサラーリングの表面を指でなぞりながら無言になってしまったシロに、クロが顔を覗きこんでくる。
「これって……」
「おい、どうした」
「このソーサラーリング……譜が刻まれてる」
「譜だと?」
どこか使い古された表面に刻まれているのは、確かに見覚えのある譜であった。このような譜はソーサラーリングには最初刻まれてはいない。フォンスロットにて高濃度の音素に触れる事で初めて刻まれるものである。森から抜け出してこちらを追いかけてきただけのミュウがそんな高濃度の音素に触れる機会などあるはずもないし、そもそもリング自体がこんなに何度も使ったように汚れたりはしないだろう。
では何故このソーサラーリングには譜が刻まれているのだろう。何故使い込まれているのだろう。
何故、こんなにも懐かしい気持ちになるのだろう。
「俺、俺このソーサラーリングを、きっと知ってる。ずっと前に、ここではない場所で、見たんだ。使ったんだ。……きっと」
シロは理解した。そんな事、あるはずがないのだと頭の中で誰かが言っているが、それよりも早く心が理解していた。
このソーサラーリングは未来から、「あの世界」からやってきたのだと。
もうひとつの結末 51
10/10/20
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