もしかしたら待ち伏せをされているかもしれない。そう警戒しながらダアト入りした一同だったが、予想以上に神託の盾兵は少なかった。わざわざアルビオールを目立たない森の中に降ろしてこっそり町の中に進入したというのに、むしろいつもより兵が少ないぐらいであった。
「何か拍子抜けー。戻ってくるとは思ってなかったのかな?」
「バチカルに沢山兵士がいたのは、そのためだったのかもしれないわね」
「まったく許しませんわあの髭総長!今度会ったらわたくしの矢であのちょんまげを射抜いてやりますわ!」
「おい、あまり喋るな。油断してるとまた不意を突かれるぞ」
歩きながらお喋りする女性陣にアッシュが注意を促す。はーいと返ってくる軽い返事に、本当に分かっているのかと頭を抑えたくなった。最近緊張続きだったからか、少し気を抜きたい時期なのかもしれない。
そんな中、一番前を歩いていたいつもと変わらずしかめっ面のクロが振り返って静かに尋ねた。
「それで、導師はどこにいる」
「あ、ええと多分部屋にいると思う、フローリアンも一緒だといいけど。こっちだよ!」
アニスの案内で教会内に入りイオンの部屋を目指す。神託の盾騎士団所属の者が何人もいるからだろうか、咎められる事はなかった。この前は町中で捕まったのに、となんとなく腑に落ちないアッシュだったが、気にしていても始まらない。やっぱり止められる事のないまま辿り着いたイオンの部屋には、アニスの予想通りイオンと、そしてフローリアンが待っていた。
「あーっアニスーみんなー!」
「よかった……皆さん無事だったのですね」
「それはこっちの台詞ですよう!あいつらに何もされませんでしたか?フローリアンも!」
「大丈夫だよーここから出たら駄目って言われただけ」
元気に飛びついてくるフローリアンと柔らかな笑顔で出迎えてくれたイオンに、全員がホッと息をつく。その時だった、聞きなれない声が、フローリアン以上の勢いで飛び掛ってきたのは。
「ご主人様ーっ!」
「何っ?!」
その甲高い声は、まっしぐらにアッシュへ突進してきた。予想外の出来事に固まるアッシュに、もふりとぶつかる青い毛玉のような何か。毛玉は感極まったようにその大きな耳を動かしてアッシュにしがみついていたが、すぐにびっくりした様子で顔を上げてきた。その大きくて丸い瞳がアッシュを見て、さらに大きくなる。
「違いますの、ご主人様にそっくりだけどご主人様じゃないですの!」
「な……何だ、こいつは」
「そいつは……」
あっけに取られるアッシュの横から、クロが声を上げた。その生き物に見覚えがあったのだ。この世界の事ではない、「前」の世界で確か、こういううっとおし生き物がうろちょろしていたような気が……。
「この子は外で魔物に襲われている所を兵士が保護して来たんですよ。ローレライ教団にとって、チーグルは聖獣ですからね」
「すごいよねー!チーグルの森からここまで来たんだって!イオンがこの子のこと知ってるっていうから僕達で預かったんだよ」
そうだ、チーグルという生き物だった。クロはようやく思い出した。あのミュウミュウうるさい、かつて「ルーク」が四六時中連れていたチーグルの子どもだった。今回はチーグルの森での出来事が「前」と違ったために、ずっと姿を見なかったのだが。
とにかく名前を思い出せた事にすっきりしたクロはひょいとチーグルの子どもを持ち上げた。
「そうだ、こいつはブタザルだったな」
「ブタザル……?!何だそのあつらえた様なしっくりくるふざけた名前は」
「ミュミュ?!ご主人様がつけてくれたミュウの名前をどうして知ってるですの?!」
「ミュウ、あなたやっぱりミュウなのね、あの森からこんな所まで一人で来るなんて……」
クロに持ち上げられてジタバタするチーグルの子、ミュウを、ティアがどこか恍惚そうな表情で見つめる。ああそういえばそういう名前だったような気もする。しかしクロの中ではもうチーグル=ブタザルという方程式が出来上がってしまっていた。誰のせいかは考えなくてもよく分かる。
「ご主人様……ご主人様はどこですの?ボクはご主人様を探してここまで来たんですの!」
「ご主人様だと?」
「ああ、ルークの事ね。ごめんなさいミュウ、ルークは今ここにはいないの」
「……ルークがご主人様?」
ちょっと理解出来なくてアッシュが眉間に皺を寄せる。その気持ちはクロにも痛いほどよく分かったが、今はこのチーグルの話を聞くのが先だった。
「皆さんはご主人様のいる所を知ってるですの?ボクはご主人様に恩返しと、渡すものがあるんですの!どうか連れていって欲しいですの!」
必死な様子で頼み込むその姿にティアがキュンキュンしている間に、イオンがミュウを摘み上げるクロを見上げた。
「今からルークたちの元へ戻るんですよね。どうでしょう、ミュウも連れて行っては駄目でしょうか」
「……断る理由は無い、な」
「ミュウーっありがとですのー!顔は怖いけど優しいですのー!」
「………」
足の下でグリグリしたいその衝動を抑えながら、クロははしゃぐミュウをようやく離してやった。そうして傍にいたフローリアンを呼んで、こっそりと耳打ちする。
「フローリアン、…………どうだ、頼めるか」
「んー分かった!町の方に連れてくるよ!」
任せろーとパタパタ駆けていったフローリアンを見送って、クロはミュウを囲んでにぎやかな一同に声をかけた。ここでの用事はほぼ済んだも同然であった。それならば早く立ち去るに越したことは無い。
「おいお前た」
「イオン様……あっ」
クロの声に被さるように唐突に部屋に入ってきた者がいた。部屋のドアを開けたまま思いもよらぬ大人数にびっくりしていたのは、ぬいぐるみを胸に抱いたアリエッタであった。
こんな所で六神将の一人に出会うとは。全員が慌てて向き直る中、一歩前に飛び出したのはアニスだった。
「アリエッタ!あんた帰ってきてたの?」
「だって、総長も皆もどっか行っちゃったんだもん……アニスもイオン様とどっかいくの?」
「え、えーっと、それは……」
何と言えばいいのか分からず、さすがにアニスも言葉を濁す。その態度で何となく察したのか、アリエッタはぎゅっとぬいぐるみを抱きしめこちらを睨みつけてきた。やばいばれた。
こうなったらアリエッタと一戦交えるしかないのか、と覚悟を決めつつ構える一同。アリエッタはさらにぬいぐるみをきつく抱きしめた。
「ずるい……」
「……え?」
「アニスばっかりイオン様と一緒なんて、ずるいっ!アリエッタも一緒に行く!」
「はあーっ?!」
アリエッタから飛び出した予想外の言葉にアニスが驚きの声を上げる。しかし後ろで聞いていたナタリアがまあっと嬉しそうに手をあわせた。
「あなたも共にヴァンと戦ってくださるのですか?六神将の一人が味方につけば心強いですわ!」
「ええー、いや、確かにそうだけどー……いいの?仮にもその六神将の一人があっさりこっち側について」
「アッシュはずっとそっちにいる、です」
ビシリと指をさされてアッシュがたじろぐ。確かにアッシュは脱退宣言も無しにいきなりこっち側に抜け出した身であった。多分まだ籍はあるのだろうが。
「そういえば何だかんだ言ってディストもこちらに連れてきてしまったままだったわね……」
「六神将の団結力低っ!……イオン様、どうしますー?」
「アリエッタがそれで良いのなら僕は構いませんよ。仲間が増えるのはとても心強いです」
「イオン様……!」
イオンが頷けばアリエッタが嬉しそうに笑う。それを見たアニスも仕方ないなーとか呟きながらまんざらでもない表情であった。喧嘩はするが、敵として戦うよりは一緒にいるのがずっと良いのだ。
「話まとまったし早く行こ!また別の六神将や総長が帰ってきちゃうかもしれないし!」
「そうですわね、ノエルも待たせてしまっていますし」
「ミューっご主人様の元へ急ぐですのー!」
一気に人数の増えた仲間達は、あたりを警戒しながらもにぎやかにイオンの部屋を出て行く。緊張感が薄れてきていないかと半ば呆れながらその背中を見守っていたクロであったが、ふとアッシュの姿が目についた。注目していなければ分からない程微かな動きだった、しかしクロは気付いた。皆から少し離れて歩き出すアッシュの身体が、わずかにふらついたのだ。以前ルークが言っていた言葉を思い出す。
「……体調はどうだ」
「っ?!」
突然尋ねられたアッシュは過剰に反応して振り返ってきた。心当たりが滅茶苦茶あったためだろう。その後すぐにばつの悪い表情になる。
「な、何のことだ」
「ごまかせると思っているのか」
「………」
「咎めている訳ではない、だがどうせ隠すのならもっと上手く隠せ。隠し切れないのなら隠すな。ルークも気にしていた」
クロの小言に舌打ちするアッシュであったが、反論は無かった。その代わりに隠し通すのを諦めた顔でクロを見つめる。
「そうやって言ってくるという事は、お前にも経験があるのか、この……妙に身体から力が抜けていくような違和感が」
「……まあな」
「原因が何なのかも知っているのか」
「………」
今度はクロが押し黙った。それを予想していたらしいアッシュは苛立ちを隠すことなく睨みつけてくる。話してくれない事は、今までずっと口を閉ざしていたシロからもう分かっていた事だった。
「ったくてめえらは揃って秘密主義でいやがる……!」
「……時期に話す、それまで待て。とりあえず今すぐくたばるような異変では無いからな」
「あーそうかよ。……しかし、ルークにまでバレていたか……」
迂闊だったと呟くアッシュにまったくだと頷く親馬鹿。しかしアッシュとしては、この身体の異変がルークにも関係があるのではないかと感じて仕方がなかったのだった。だからこそバレるかもしれないと思いながら体調を聞いたりしていた。その事が余計に、最近あの出来事で不安定だったルークを余計に不安がらせてしまったのかもしれない。
「ちっシンクの野郎カースロットなんてろくでもない技を……」
「カースロット、だと?」
クロもその導師だけが扱える術の事を知っていた。そういえば「前」はガイがその技を食らって一悶着あったらしい。その名前を今聞くとは思ってなくて、クロは思わず聞き返していた。
「まさか、術をかけられたのか」
「あ?ああ、あいつの目的は仲間割れだったようだが、生憎俺にはまったくきかなかったがな。術自体はもう導師に解いてもらっている」
だからお前に斬りかかるみたいな真似はしねーよとのたまうアッシュに、しかしクロはとっさに言葉を返すことが出来なかった。アッシュがいきなり黙り込んだクロを不審そうに見つめてくるが、それをかわす余裕すらその時は無かった。
知っているのだ、カースロットという術の事を。本人が例えどんなに抗おうと思っても、心の中に欠片でも黒いものを持っていれば、それに逆らう事が出来なくなる術なのだと。その術の恐ろしさを、知っているのだ。だからこそ術に従うことは無かったと口にするアッシュに、クロは言葉に表すことも出来ないほどの衝撃を受けたのだ。
「おいどうした、目を開けたまま気絶でもしているかのような固まりっぷりだぞ」
「……皆に遅れる、早く行くぞ」
「ああ?!またごまかすのか!」
逃げるように歩き出すクロに悪態をつくアッシュ。部屋を出る直前、足を止めたクロがアッシュを振り返った。
「アッシュ」
クロはあまりアッシュの名を呼ばない。いきなり名を呼ばれたアッシュは文句を言うことも忘れクロを見た。その時のクロの表情を、アッシュは言葉で説明することが出来なかった。
「お前は、間違えるな」
そのまま立ち去るクロの背中を、アッシュは立ち尽くしたまま見送るしかなかった。早く行かなければ仲間達に置いていかれてしまうと分かっていても、その足をすぐに動かすことが出来なかった。しばらくしてから、ようやくひとつだけ吐き出す。
「相変わらず……結局何が言いたいのか良く分からねえよ……」
零してから、アッシュはようやく歩き出した。外に向かって教会内を歩きながら、そうだ、と思い出す。
さっきのクロの表情。色んな感情が織り交ざった複雑な表情の中に、ひとつだけ読み取れるものがあった。
それはおそらく、後悔のようなものの類だったはずだ。
もうひとつの結末 43
10/03/10
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