熱も無いのにベッドの上で大人しく寝てなんていられない、と盛大に駄々を捏ねてみせたシロは、結果ルークと並んでベルケンドの町の片隅で町並みを眺めていた。音機関で溢れるこの町はボーっと眺めていてもそれなりに楽しめるし、シロの顔色も寝ていなければならないほど悪いものでも無いし、とルークが妥協してくれたのだった。


「はあ……何か、こんな風にゆっくり落ち着くのは久しぶりな気がするなあ」
「そーいやそうだなー、ここんとこずーっと移動ばっかりだったし」


シロが大きく伸びをすればルークも頷く。本当に今までずっと、世界中を駆けずり回っていた。そうやって必死に足を動かしている間は気付かなかったが、こうして立ち止まってみれば自分がいかに焦りながらここまでやってきたのかを思い出させられる。そしてあまり意識したくは無いものだが……己の身体に染み込む、疲れに似たような不調も。


(あの時あいつはずっとこの感覚と戦っていたんだな……)
「……おーい、シロ?」
「へっ?!あ、なっ何だルーク?」


考え込んでいたところにいきなり声をかけられたので、シロは過剰に反応して振り返ってしまった。少々怪訝な表情をしながらも、ルークはそれにつっこむ事無く目をそらしてしまう。どこか覚えのある仕草だった。視線をあちこちさ迷わせながら言葉を発しようか迷っているように口をもごもごさせている様子は、まさしく言おうか言わないか躊躇っている自分の姿だった。


「実は俺……シロに聞きたい事があったんだ」
「聞きたい事?」


シロは首をかしげて、そしてすぐに合点がいった。


「ははあ、それで俺と一緒にベルケンドに残ったんだな?」
「ち、ちっげーよ!シロが心配だったのは本当なんだからな!ただチャンスがあれば聞きたかっただけだっ!」


少々顔を赤らめて反論してくるルークに、シロは微笑ましくなりながらも少し複雑な気分であった。これは自分で自分を可愛いと思ってる事になるんだろうかとか、そもそも昔の自分はこんなに素直じゃなかったなあとか、一瞬のうちに色々と考えてしまうのだった。そんな思考を慌ててシロが捨てている間に、決意を固めたルークが真っ直ぐシロに向き直ってきた。


「もしかしたら嫌な質問かもしれないけど……答えられたら、教えて欲しいんだ」
「うん。何だ?」


内心緊張しながらもじっと待てば、ルークはとうとう口を開いた。


「自分が……自分がレプリカだって知った時、シロは、どう思ったんだ?」
「?!」


予想していなかった質問に、シロは驚いて言葉を失っていた。ルークにレプリカの事を話したのはずっと前、初めて顔を合わせた時であった。それから今まで、2人きりになることもあまり無かった事もあり、そういう話はひとつもした事がない。
まさか、別れていた間に何かあったのだろうか。問いかけるように見つめれば、ルークはかすかに頷いた。


「俺、正直言うと、あんまりレプリカだっていう意識は無かった。見た目も変わらないし、教えてもらった所で何かが変わった訳でも無かったから。でも、グランコクマに向かってる途中六神将のシンクと会って、アッシュがカースロットをかけられた時……」
「えっ!カースロット?!」
「ああ、シロもカースロットの事知ってるのか?その時はアッシュも何ともならなくて、戦う前にフローリアンが来てシンクが帰っちゃったんだけどさ」


初耳であった。一瞬シロの頭に「自分の時」のカースロットの記憶が思い起こされる。カースロットは心の奥底に潜む闇を利用して相手を操る技だ、それをかけられてもアッシュは暴れなかったらしい。シロの胸に様々な思いが湧き上がってくる。それと同時に、シンクがどうしてアッシュにカースロットをかけたのか、分かってしまった。
シンクは思ったのだろう、アッシュにカースロットをかければ、ルークへ斬りかかるだろうと。しかしアッシュはそうしなかった。アッシュの胸には、ルークを、レプリカを憎む気持ちが無かったのか。
そうあるようにとずっと願い傍に寄り添って生きてきたのだ、シロは嬉しかった。しかし同時に余計な感情も自覚しそうになり、シロは慌てて頭を振った。


「その時シンクに言われたんだ。勝手にレプリカを作られた被験者の気持ちが分かるかって。レプリカに自分の家追い出されて、自分に成り代わられて、何を思っただろうって。その時に俺、初めて気付いたんだ。アッシュが俺の事を……憎んでも、仕方が無い事なんだって」
「………」
「でもアッシュは俺の事を憎んだ事は無いって言ってくれた。俺を斬っても良いその手で、頭も撫でてくれた。その時はすごく安心したけど、レプリカってつまりそういう生き物なんだって、あの時俺は初めて自覚したんだ」


ゆっくりと話すルークの手には力が篭っている。その微かに風に靡くルークの長い髪を、シロは黙って見つめていた。


「でさ、しばらく色々考えてた。昔の事未来の事、レプリカの事。その時思ったんだ。……シロの時は、どうだったんだろうって」
「俺の、時?」
「シロも自分がクロのレプリカだって知った瞬間があったんだろ?俺の時はシロ達が教えてくれたけど、シロには何もかも教えてくれる人はいなかっただろ?別に、知ったって俺には関係無い事なのかもしれないけど……でも、知りたいって思ったんだ。だからチャンスがあれば聞いてみようって、思ってた」
「俺……俺の時は……」


ルークは真っ直ぐな眼差しでじっとシロを見つめていた。純粋に知りたいというルークの気持ちが、その視線で痛いほどよく分かった。
シロとクロは、自分たちの「世界」で何があったのか、こちらではほとんど話したことは無い。特に、自分たちがどうやって生きていたか。どんな関係を築いていたのか。この世界の未来の事は置いといて、その事については話さずにおこうときちんと決めていた訳では無いのに、二人揃って口を閉じていた。だからルークやアッシュが、その事について知る機会なんて今までほとんど無かったはずだ。


「やっぱり……色々あったのか?だから2人とも……たまに俺たちのことを見てるのか?」
「え、ええ?!見てるって……」
「見てるよ。シロがたまにじっと俺の事見てるの、知ってんだからな。クロだってアッシュの事複雑そうに見てる事あるし」


言われてみれば確かに見ていた事があるかもしれない。いや結構あったかもしれない。ちょっと申し訳なく思ったシロは、ルークから視線をそらして人が行き交うベルケンドの町を眺めた。この町でも「前」は色々なことがあった。そんな事を思い出しながら。


「そうだな……俺が自分の事を知ったのは、ルークの時とは随分と違ったよ。最悪の……いや、ある意味必然的なタイミングだったかな。クロ自身から教えてもらったんだ。あの……「アクゼリュス」の後だった」
「アクゼリュス……」


今は無いその町の名に、ルークは一瞬身体を強張らせる。しかしそれ以上にシロの声が硬かった事に気付いて、ルークはその顔を伺う様に覗き込んできた。


「シロ……?」
「……それまでの俺は本当にどうしようもない奴だった。自分の事ばかり考えて、周りを見ようとしないで、何も知らなくて。自分が悪い事を認められなくて、逃げてばかりだった。正直に言えば、レプリカだって事も最初は認められなかった、認めたくなかったんだ。……だから俺は、沢山の間違いや罪を犯してしまった」


償い切れない過ち。それらの事を思うといつだって身体が震えそうになる。ルークにも分かってしまっているだろう。心配そうなその顔に、俺は臆病だから今でもこんな有様だと笑ってみせた。


「俺はもう間違いたくなかった。だからここにいる。過去に飛ばされるなんて思いもしてなかったけどさ、来たからにはもう繰り返したくなかったんだ。……本当、俺ってば自分の事ばっかりだな、ここはお前たちの世界なのに」
「……そんな事、ねーよ。シロ達のおかげで俺たちは助かってるんだし。後悔、していた事をやり直せるっていうなら、頑張るのは普通だろ」
「あはは、ありがとな」


俯くシロにルークは励ますように声をかける。本当に良い子だ。何かもう自分と同じ存在とは見れないぐらいだなーとか思いながらシロはその頭をガシガシと撫でた。恥ずかしいだろと呟くルークは、しかし顔を赤らめながらもシロの手を振りほどく事は無かった。
そんな愛しい姿を見ていると、ずっと胸に秘めていた決意を改めて固める。ただ我武者羅に突き進んだ「前」の世界。その中でも、どうしても許せない事があった。シロにとって耐え難く、何をしても覆したかった、悲しい結末。

あの時の身体の冷たさと、重さが、今でもリアルに思い出された。


「そうだ。やり直したかったんだ……あんな最期、絶対に認めない……」
「え……?」
「ルーク、大丈夫。俺頑張るから。絶対にあんな悲しい最期を迎えさせるなんて、しないから。救ってみせる、ルークもアッシュも……クロも」


シロの瞳にははっきりと決意が印されていた。本来ならば頼もしいはずのその光に、しかしルークは不安を覚えた。何故か、危なっかしい光だと思ったのだ。


「なあ、シロ……気持ちは嬉しいし、確かに頑張らなきゃいけないと思うけど、あんまり頑張りすぎんなよ。頑張んなきゃいけないのはシロだけじゃなくて、皆なんだからな」
「そうだよな、うん、大丈夫だって!」


何だよルークは心配性だなーと肩をバシバシ叩いてくるシロ。その笑顔には先ほどの光が見えなかったが、ルークは何だか胸騒ぎがした。これは仮にも相手が自分自身だからだろうか?何かシロが取り返しのつかない事を隠している気がする。
そこでルークは、クロがシロにやたらと何かを問い詰めたがっていた事を思い出した。おそらく今回の体調不良に関係がある事なのだろう。


「なあ、シロ……」
「あっいたいた!おーい2人ともー!宿にいないと思ったらこんな所にいたのか!」


思い切ってルークが尋ねようとした時、別な声が邪魔をした。こちらに手を振りながら駆けてきたのはガイだった。少々慌てたような様子に、シロとルークは顔を見合わせる。


「ガイ、どうしたんだ?何かあったのか」
「いや実は、神託の盾騎士団の連中がベルケンドに戻り始めてるって噂があってね」
「えっ?!……まさか、髭じゃなくて眉毛じゃなくてえーっと……ヴァンが?」


ルークよまさかヴァンの名前を忘れていたのか?シロがびっくりしている間にガイがルークに頷いた。


「戻ってくる可能性があるな。そこで、シェリダンへ逃げておこうって旦那から提案があったんだ」
「シェリダンに?ああそうか、どうせ音機関作ってもらわなきゃならないしな」
「そう!創世暦時代の音機関!ああい組への説得はばっちり完了したから安心していいぞ!楽しみだなーあはははは」


一人浮かれ始めたガイをはいはいと慣れた様子で受け流しながら、シロはルークに微笑んだ。


「それじゃジェイド達の所に戻るか」
「お、おうっ」


聞きそびれてしまった。少し名残惜しく感じたルークだったが、ガイがいる前で質問することは出来ず、諦めて後に続くしかなかったのだった。





   もうひとつの結末 42

10/02/28